なつのたからもの

阿賀沢 隼尾

なつのたからもの

 ――――すべてがモノクロに見える。


「はぁ……」

 カフェで一人面接の結果の便りを見て呟いた。

 「不合格」の文字をもう6回見てしまっている。


 特にこれと言ってなりたいものがあるわけではない。

 将来の夢もない。

 そんな子供じみたものは捨ててしまったのだ。


 俺は大人になった。

 三年生の後半になって、いきなり将来のことについて聞かれても困ってしまった。

 進学組は頭の良い、勉強好きな奴らがやればいいと思っている。


 だから、頭の悪い俺は就職一本でやりきるしかないのだと思っている。

 漠然と楽で給料の良い所に入ろうと思い、適当に面接を受けに行った。


 その結果がこれだ。


 でも、何もやりたいことがない俺にはこれ位しかやることがないのだ。

 その時、ポケットの中に入っている携帯が振動する。

 画面を見ると、美代子おばあちゃんからだった。

 こんな時にどうしたのだろう。


 もしかして、おじいちゃんが倒れたとか――――。 

 そう思うと、背筋が凍った。


「はい。もしもし、おばあちゃん。空だけど、どうしたの?」

「ああ。空ちゃんかい。隣の山本さんから西瓜すいかを貰ってね。良かったら食べに来ないかい。最近、空ちゃん見ないから心配でねぇ。まぁ、本当は単にかわいい孫の顔が見たいだけなんじゃけどねぇ」


 電話越しから愉快そうにケタケタと笑うおばあちゃんの声がした。

 懐かしいおばあちゃんの声だった。


 小さい頃良く遊びに行っていたっけ。

 言われてみれば、最近就職やら勉強やらで大学に入ってからおばあちゃんの顔を見ていない気がする。


「なんせ、おじいさんと私とじゃ食べきれないくらい沢山貰ってね。邪魔だったかい?」

 気分転換に、おばあちゃんとおじいちゃんの顔を見るのも良いのかもしれない。


 もう二人とも八十後半だ。

 いつ病気で倒れても可笑しくない年齢だ。

「いや、そんなこと無いよ。それじゃ、今から行くね」

「ああ。楽しみにして待っているよ、空ちゃん」


 電車に揺られ約一時間。歩いて15分の所におばあちゃんの家はあった。

 流石、夏の真っ只中の事だけあって日差しが体を照り付ける。


 夏の風物詩でもあるセミの鳴き声も今日も元気に大合唱中だった。


 玄関のチャイムを鳴らす。

「はい。空ちゃん、暑い中よう来たね。そら、上がり上がり」

「うん」


 依然としておばあちゃんの様子は、最後に会った高校生の時と比べて変わらなかった。

 薄着の服の上に紫色のエプロンを着ている。


 物腰の柔らかそうな体と、鳥の巣のようなもじゃもじゃ頭。

 皺のある温和な顔。


変わらずに元気な様子のおばあちゃんに安堵しつつ家の中に入る。

居間に通される。


 和室の部屋の真ん中にちゃぶ台。

 部屋の端には小さなテレビが置いてある。

 襖の奥にはちょっとした池と乱れ桜が一本植えられている。

 鹿威しまである。


 変わらない光景だ。


 ちゃぶ台の真ん中には大きな容器の中に氷水が並々と注がれていた。

 更に、氷水の上には大きい西瓜が一つ置かれていた。

 瑞々しく熟れた西瓜を目の前に、思わずため息が出る。


「こんなに美味しそうな西瓜は始めてかも……」

「そうかい。この西瓜は昨日石川県で採れたばかりの西瓜らしいけんねぇ。甘くておいしいはずじゃよ」


 そう言いつつ、おばあちゃんはお皿と包丁を台所から持ってきて、西瓜を食べやすい大きさに切ってお皿上に添えてくれた。

 食べやすい大きさに切られた西瓜に齧り付く。

 砂糖菓子のように甘い味が口の中一杯に広がる。


「こ、これは……‼」

 美味い!

 これほど甘い西瓜がこの世の中にあるとは!


「美味しいかい?」

「うん! とっても美味しいよ!」

「うんうん。それは良かった良かった」


 おばあちゃんは愛でるように目を細める。

 その後、おじいちゃんも一緒に西瓜を食べた。


「それじゃ、少し掃除をしようかね」

「俺も手伝うよ」

「そうかい。嬉しいねぇ」


 初めに居間を掃除し、その次におばあちゃんの部屋を掃除した。


「せっかくだから、細かい所までやってしまおうかねぇ」

「うん。分かった」


 ほうきでおばあちゃんの部屋を掃除する。


「おばあちゃん、この押入れの中まで掃除する?」

「そうだねぇ。もう十数年開けてないねぇ」

「この中に何が入っているの?」


「そうだね。一言で言えば『思い出』かねぇ」

「思い出?」


「そうだね。今まで約八十年生きてきたけどねぇ。この押入れの中にはおばあちゃんの学生時代の宝物や大切な友達から預かってくれたものとか、色んな思い出がこの押入れの中に入っているんじゃよ」


 おばあちゃんはニコニコと顏を緩ませる。

「昔、ポケットの中に色んな物を入れなかったかい?」

「そういえば……」


 気に入った石ころやドングリの実とか、木の棒とか気に入ったものは全部ポケットの中に入れていた記憶がある。


「だからね、この押入れは色んな人の人生の大切な想い出が、人生の一部が入っているんだよ。誰しも思い出したくない事や楽しかった思い出がある。でも、それはその人の人生の一部なんじゃ。ここは色んな人のアルバムの場所なんじゃよ」


「アルバム……」

 色んな人の想い出が集まっている場所。

 押入れの中を覗くと、壺やら古びた本やら箱やら色んなものが積み込まれていた。

 押し入れの中には、色んな物が雑多に置かれていた。


 押入れの中にあるものを一つずつ外に取り出していく。

 その中に両手大の『たからものばこ』と書かれた箱が置いてあった。

 この箱どこかで見たような気がする。


「おー、おー。懐かしのう。『たからものばこ』じゃないかい。空ちゃんが昔この中にドングリの実やら綺麗な石ころやら色んなものを入れていたねぇ。懐かしいねぇ」


 そう言いながら、箱の中に入っていた赤色の紙飛行機を取り出す。


 思い出した。

 昔、気に入ったものをこの『たからものばこ』に入れていたんだ。当時の出来事が脳裏によみがえる。


 ――――全てが眩しく輝いていた。


 夏の日、僕は良くおばあちゃんの家に行っていた。そこで色んな遊びを教えて貰っていた。紙飛行機や竹馬、虫取り等々。


 目に映るものすべてが新鮮で、輝いて見えた。


 特に近所の同い年の子ども達と一緒に、紙飛行機を良く飛ばしていたのを覚えている。


 誰よりも、何よりも遠くへ遠くへ飛ばしたくて、夢中になって紙飛行機の研究に没頭していた。

 一日中紙飛行機を作っていても全然飽きなかった。 作って飛ばして作って飛ばしての繰り返し。


 ――――『誰よりも遠くへ』。

 そんな今思えば笑ってしまいそうな下らない目標でも、当時は大事のように思えたんだ。


 家の近くにある海岸で貝を拾った時も、とにかく綺麗な貝殻を見つけては『たからものばこ』の中に入れていた。


 どんな猛暑でも、虫かごと網を持って森の中を走り回っていた。

 時間なんて気にしないで好きなことを好きなだけしていた。


 身の回りに『たからもの』が沢山あった。

 一日中遊んでも、やることは尽きなくて日が暮れるまで遊びまわった。


 目に映る物全てが僕の目を惹いた。


 あの好奇心はどこから湧いていたのだろう。


 今は全くそんなこと無いのに。

 いつから僕はこんなつまらない人間になってしまったのだろうか。


 昔は「大人」になることは格好いいことだと思っていた。でも、二十歳になるといきなり『大人』扱いをされる。


 子どもの頃の『大人』への憧憬は消散してしまった。

 社会の大波に飲み込まれる。

 社会という大きな機械を動かすたった一つの歯車にすぎない。


 自分がこんなにもちっぽけな存在だっただなんて思わなかった。

 何を成すべきなのか。

 何をすればいいのか分からない。


 それはまるで、砂漠の中を彷徨っているかのような感覚。

 目的も無く、唯々渇きを求めてさまようだけ。


――――苦行だ。


 死にたくても死にきれない。

 ゾンビにでもなった気分だ。

 「生」を求めてひたすら歩き続ける。


 僕は一体、何のために生まれて来た。

 何のために現世に生を受け、生き続けていたのか。


 これから何をすればいいのか。

 最早、その目的すら見失ってしまった。


 幼子の頃に抱いていた輝かしい世界は一体どこへ消えてしまったのか。


「それは、どこにでもある。どこにでも溢れている。その生活に慣れてしまうと人というのは『光』を見失ってしまう。有難みを失ってしまうと人は生き甲斐を失ってしまうのじゃ」


 僕の心を読んだかのようにおばあちゃんが話し出した。


「子供はな、神様が生活の中に溢れていることをよぉく知っておる。何も知らないからこそ全てのものが新しく見える。何も知らないからこそ、知ろうとする。子供は『学び』、『幸せ』を見つけるヒントを私達にくれるのじゃ。大人になると、この生活に慣れてしまう。幸せは新しいものの中に、『気づき』の中にある。色んなものを知ろうとすること。無知は恥ずかしいことじゃない。知る機会があるのに、知ろうとしないこと。それがいけないのじゃよ。人は誰しもが無知。それを自覚した上で知ることが大切なのじゃ。何かを探すためには自分から探すしかない」


 無知はいけない事じゃない。

 そうだ。


 僕は何かを求めていた。

 求めていたはずなのに、自分からは何もしようとしなかった。


 それが僕の罪なんだ。


 何か探しているのを止めてしまっていた。

 探すことを誰かのせいにしていたんだ。

 本当は、自分の足で歩まなくちゃいけないんだ。

 自分の力で、一歩ずつ一歩ずつ、手探りでもいいから探し続ける。


「それ。花がそこにも咲いておる。綺麗だと思わんかい」

「うん。きれいだ。きれいだよ。おばあちゃん」


 庭に咲いている一輪の向日葵を見つめる。

 燦々と降り注ぐ陽光。

 向日葵の花はその光を女神の如く受け止めている。


 ああ、そうか。

 世界はこんなにも美しいものだったのか。


 今更そんな当たり前のことに気づく。


 世界はこんなにも色彩に満ちていたんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なつのたからもの 阿賀沢 隼尾 @okhamu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ