第13話 人生の宿題

 ここ最近、松山慎平の遅刻が増えた。それに加えて授業中もウトウトしている様子が散見された。その日の夕方、見かねた三津屋先生が慎平を呼び出した。彼が先生と一緒にいるのを弘と俊彦が見かけた。


「…説教だな、あれは。」


 経験者である俊彦はボソッとつぶやいた。


「さすがに遅刻魔だからな…。」

「そんなに遅刻するなんていくらガリ勉でもな…。実はネトゲ廃人かも。」

「そんなわけないだろ。そういえばあいつ、高校行ってないんだよな。誰かと同じ空間にいるってのが慣れてなくて疲れているのかも、たぶん。」


弘がそういうと、会話に圭祐も入ってきた。


「僕は弘のいうことわかる。不登校だったから、転校した学校で久しぶりに登校したらメチャクチャ疲れた。」

「そうか…自分で言っといて何だけど、これ以上の詮索はやめよう。俺たちはまず、自分たちのことを考えないと。」


と弘が言った。確かに慎平のことは自分で何とかするしかないのだ。3人はそう自分を納得させた。


 この日の夜、自習室での勉強を終えた圭祐は祖母からの命を受け、帰り際にスーパーで食材の調達をした。特にブリが欲しかったらしく鮮魚コーナーに行くと、見覚えのある髪に青いメッシュを入れたヤンキー風の男がひたすら半額のシールを張り続けていた。


「ま、松山君?」


 圭祐が思わず呼んだため、慎平は声のする方を向いた。慎平は目を真ん丸にしたが、すぐに目をそらし、シール貼りの作業を続けた。そのあとの言葉を持ち合わせてなかった圭祐は気まずさと恥ずかしさで半額のブリをかごに入れてその場を去った。


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 次の日、意を決した圭祐は慎平に昨日のバイトの件で話してみることにした。昼休み、総菜パンを頬張る慎平の横に弁当を持って座った。


「昨日さ、す、スーパーにいたよね。」


 圭祐がそう聞くと慎平は


「それが何か?」


とだけ返した。昨日の遭遇をなかったことにはしなかったものの、拒絶モードだ。目も合わせず総菜パンを食べていた。


「いや、勉強しながら、大変だなって…。」

「別に。それが俺の日常だから。」

「そう…。」

「何が言いたいの?」

「へ?」

「俺にはバイトをしなきゃいけない事情がある。それで十分じゃないか。君には。」

「で、でも…僕ら、受験生だし、優先順位ってさ、」

「君には関係ないだろ!」


 慎平が声を荒げると、その場にいた全員が彼のほうを向いた。周りの視線に少し戸惑い、トーンを下げて


「とにかく、俺に干渉しないでくれ。」


とだけ言って部屋を教室を後にした。この後、慎平は事務に「体調不良で帰る」とだけ言って、予備校を早退した。弘は圭祐の肩を優しく叩いて


「圭ちゃんはよくやったよ。ほとんどしゃべらなかったあいつがあそこまで熱くなったんだ。あとは奴自身の問題だよ。」


と励ました。


 一方、予備校を出て行った慎平は自分が激情を誰かに見せたことに戸惑っていた。何せ、誰かに意見を言われるのは久しくなかったからだ。


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 松山慎平は一人っ子で両親と3人家族である。母親が17歳のときに慎平を身ごもったため、両親は高校を中退していた。そのため、両親は慎平には高校を卒業、できれば大学まで進学させたいと考え、父は土建業、母は飲食店で働きながら慎平の学費を稼いだ。

 決して経済的に恵まれた状況ではなかったが、慎平はそんな様子を全く見せずに必死に両親の期待に応えていた。当時は成績優秀かつ太陽のように明るい少年だった。


 ただ高校受験が慎平に暗い影を落とす。地元の公立進学校である旭川第一高校を不合格になってしまった。やむなく慎平は家から近い私立高校の特進コースに通うことにした。公立より学費がかかるため、両親は今まで以上に仕事を増やした。家を空けることが多くなり、コミュニケーションも希薄になった。たまに家族が揃えば両親はケンカばかり、慎平は次第に心を閉ざしていった。


 それでも1年間はなんとか通った。しかし2年生になり決定的な事件が起きた。慎平の通っていた特進コースはバイト禁止だったのだが、隠れてアルバイトをしていたのが学校にばれてしまった。厳重注意で終わったが、同時に大学受験の夢も終わったように感じた。自分のために家族に亀裂が生じ、学校のルールで自分の生活に必要なことを取り上げられた。慎平は高校を退学し、自室に引きこもった。両親も彼に対して何も言うことができなかった。


 引きこもっていた間、慎平は部屋でスマホをいじるか、惰眠を貪るだけの生活を続けていた。彼が部屋を出るのはトイレ、風呂、そして食事の時だけだった。カーテンを開けると青空と朝日が目に染みた。思わず下を見ると通学、通勤をしている人々が目に入り、何だか今の自分がみじめで思わずカーテンを閉める。そんな日々が続いた。

 『普通のレールから外れた』。そう思っていた慎平は光を拒んだ。口数もめっきり減ってしまい、両親にさえも「うん」とか「わかった」とか一言で済ませるようになった。気が付けば髪が両目を覆うぐらいに伸びていた。


「お前は無理しなくていい。」


 両親はことあるごとに慎平にこう言った。慎平もそれが両親の愛情であることはわかっていた。ただそれ以上に両親の『諦め』を強く感じ取った。慎平にはそれが寂しくてたまらなかった。ある日、慎平は思い切って母の買い物に付き合うことにした。母は慎平が高校時代の自分を知っている人間に会いたくないだろうと考え、自宅から少し離れたところにした。久しぶりの外出でいろんな人を見た。レジを打つ人、品出しの人、みんな生きていくために働いていることに慎平は気が付いた。帰宅後、母にこう告げた。


「…母さん…お、俺…。」

「ん?何?」

「バイト…するよ…。」

「そう…いいんじゃない。」


 会話はそれだけだったが、母はとにかく自分の意思で動いたことに少し安堵し、そして嬉しくなった。その話をすると父も大変喜んだ。


 こうして慎平は家から少し離れたスーパーでアルバイトを始めた。もし高校生だったら折り返し地点を迎えるであろう9月のことだった。主に週3回程度、夜の時間帯を中心にシフトを入れた。寡黙かつ青メッシュのため周りは初めは戸惑っていたが、彼の働きぶりを見て特に何も思わなくなった。


 アルバイトを始めてしばらくたったある日、慎平はバイト先の店長とこんな会話をした。


「松山君は…学校行ってないんだよね。」


 自分の過去が探られると思い


「…それが何か?」


と少しムッとした感じで答えた。


「機嫌悪くしたならごめんな。実は、俺もなんだ。」

「……。」


 慎平は無言だったが、驚いてつい店長の顔を見た。穏やかな笑顔の中年男性からは想像しない過去だったからだ。


「びっくりしただろ。俺は若いときは札付きのワルでね。俺を入れるような高校はなかった。職を転々として、たまたま大検の話を聞いてさ。知ってる?それを受けて合格したら高校出たのと同じ扱いになったんだ。何か変わったわけじゃないけど、やっと人並みになれたってあの時はそう思ったよ。」


 その話を聞いた帰り、大検をネットで調べた。今は高卒認定試験といわれている。そして高1の単位を修得している慎平は必要な教科が日本史と政治・経済、理科の基礎科目が1つの計3つだけだったことを知った。


 もしかしたら一度は閉ざした大学受験のチャンスを自分なりのやり方で取り返せるかもしれないし、両親もまた自分に期待してくれるかもしれない。そう思った慎平は参考書を買い、独学で勉強を始めた。元々勉強ができた慎平の吸収力はスポンジ以上のすさまじさを持ち、初めて受けた高卒認定試験で2科目とも合格をした。両親も店長も自分のことのように喜んでくれた。慎平が19歳の時だった。


 しかし、大学受験資格は得たものの問題が発生した。それは受験科目だ。家計の都合上、国公立しか選択肢がないため5教科全て受けなければならない。日本史や公民、地学基礎は引き続き勉強したらよいが、後の教科は高校以来3年間全く手を付けていない。数学はⅡBを全く知らないという状態だ。独学の厳しさを悟った慎平は旭川市内にできた予備校『暁』に通うことを決めた。さらにその費用の捻出のため、バイトは継続した。


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 両親の意向で大学進学を目指して、ただ家庭が不安定になるのをみて諦めてバイト生活を始めて、そして今もう一度大学進学を目指すも勉強とバイトの両立ができずに気持ちが折れかかっている…。そんな人生を振り返り冷静になったところで、慎平は今更ながら1つの疑問にたどり着いた。

 それは『大学に入って何がしたいのか』。何を学ぶのか、果たしてそれはわざわざ大学に行ってやることなのか。どのような仕事に就くのか、果たしてそれは『大卒』という肩書が必要なのか。答えが全く見つからないどころか、大学進学そのものに疑問を持ってしまう始末だった。圭祐に優先順位のことを言われて感情をあらわにしたのは図星だったからではなく、わからなかったからだ。

 そんな頭がぐちゃぐちゃな中、慎平はバイトに赴いた。休憩中、ぐったりしていたところを店長が声をかけた。


「いつもしゃべんないけど、今日はより一層暗いな。何かあった?」

「…わからないんです。」

「…何が?」

「なんで大学に行くのか。あと俺がどうしたいのか。」

「そりゃあ俺もわからんなあ。」


と軽いノリで返したあと、店長は少し真面目なトーンになって話を続けた。


「まあ、こういう時は徹底的に悩むしかない。悩んで、悩んで、悩み抜く。」

「…。」

「しんどそうって思っただろ。でもさ、悩んで出した答えはきっと間違いじゃない。俺はそんな気がするんだ。」

「……。」

「とにかく今は自分がどうしたいのか、考えることに専念したほうがいい。これは人生の宿題だ。俺でも誰でもない、君が君自身に託した宿題だ。期限はないから君が納得するまで考えるんだ。なんならこのバイトだって、もし無理して来るならしばらく休んだって大丈夫だ。おっと、これはパワハラになるかな。」


と最後には店長はおどけてみせた。慎平は無言で天井を仰いだ。


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 翌日から慎平は予備校に来なくなった。それが2週間ほど続いたある日のことだった。


「えーしばらくお休みしていた松山君ですが、ここを辞めることになりました。今年度の大学受験は断念するそうです。」


 この日の現代文の授業前の三津屋先生からの報告だった。誰一人リアクションがなかったが、関心がないというより本当に驚いてまるでギリシャ神話のメドゥーサと目が合って石化したかのように硬直したような様子だった。


「松山君は自分なりの生き方を見つけました。そこで皆さんにお願いがあります。」


 三津屋先生がそういうと再び一同はどよめいた。


「なぜ大学に行きたいのか、絶対に考えてください。説明会でも言いましたが、選ばなければ大学には入れるのにわざわざ浪人する君たちです。きっと答えはあります。それが僕からの宿題です。それから自分は人生を送りたいか、これもしっかり考えてください。こっちは僕、というより人生の宿題です。入試までの数か月、次の人生のステップのために有意義に過ごしてください。」


 言い切るとすぐに授業に切り替わった。


 授業が終わった夕方、圭祐は自分を責めた。


「僕のせいだ。僕があんなこと言ったから辞めたんだ。」

「圭ちゃんのせいじゃない。彼が自分で決めたことなんだ。」


 弘がそうフォローしながら歩いてると、2人はこの日2度目の硬直をした。


「え……松山君?」


 予備校を辞めたはずの慎平が窓口にいたのだ。思わず2人は通りかかった三津屋先生に事情を聞いた。


「ああ、松山君にはここで事務職として働いてもらうことになりました。うちは事務が2人しかいなくて、人手が足りなかったんですよ。」

「いや人手とかじゃなくて、どうしてここに?」


 すると慎平が口を開いた。


「俺が頼んだんだ。」

「でも就職なら他にあったでしょうに。」

「…ここに関わりたかったんだ。」

「え…。」

「お金がないから今は受援はできないけど、せめてみんなの行く末を見守っていきたいって思ったんだ…。」


 相変わらず無表情だったが、その言葉から彼なりの『人情』が垣間見えた気がした。


「それが…き、君の優先順位なんだね。」

「ああ。」


 圭祐の質問にただ一言、慎平はそう答えた。ただ、そこにこの前の険悪なムードは一切なかった。


「この前は…ごめん。」

「いいよ。俺も松本君に怒鳴ってしまったことは謝る。ごめん。」


 2人が和解をしたところで弘はあることに気が付いた。


「そういえば大学受験『今は』できないって言ってたけど。」

「5年以内には受験しようと思う。」

「そうか…何か、松本君とこんなに話したのは初めてかもしれない。」

「ぼ、僕も。」


 そういうと慎平は少し微笑んだ。歩む道は別々となったが、『12人』の浪人生による、人生の答え探しはこの予備校『暁』で引き続き行われるのだった。

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