北の暁と12人の浪人生
しげた じゅんいち
第1話 12人の浪人生たち
3月とはいっても、旭川はまだ冬景色だ。そして前島弘、彼にとっても春は遠いようだ。元弁護士で市議会議員の父と、現役弁護士の母の元必死に勉強した甲斐もありなんとか市内の進学校に入ったものの、優等生ばかりのスクールライフの中で上位から漏れてしまい、それでも第1志望の北海道大学法学部を受験し、見事に玉砕した。
すでに届いていた「不」合格通知を持って母に話す準備ができた頃には夕飯時で父も帰っていた。
「父さん。あの…俺…ほ、北大、落ちた。」
弱々しい声で話す弘に対して、父は顔色一つ変えずにおもむろに何かのパンフレットを渡した。
「どこのにするか、早く決めておきなさい。」
珍しく早く帰ってきた割に予備校のパンフレットはきっちりと用意していた。まるで期待してなかったと言わんばかりに。無理もない。エリート一家の息子が高校から少しずつレールから外れていく様を見てしまったのだから。
それでも来年の再受験を決めていたため、この冷たい助け舟に乗るしかなかった。一般的に地方の子が浪人するとなると、都市部の大手予備校に行くものだ。弘も父からもらったパンフレットはほとんど札幌のものだった。よく模試を作っている会社の予備校、「いつやるの?」と言わんばかりの著名講師陣を並べた予備校…そんな中、ひとつ異様に目を引く広告があった。
「旭川発 大学受験予備校『暁』 夜明けを目指そう」
ただ赤いだけのチラシにダサいキャッチフレーズ。これはないな、なんて思いながら少し眺めたところで、母が好物のロールキャベツの匂いをちらつかせたので食べることにした。
食後、弘は再度予備校のパンフレットを居間のソファーでぼーっと眺めていた。何か決められそうに無い気がしていたので床につこうとして2階に上がろうとした。その時、重ねたパンフレット群から、1枚のチラシが風に吹かれるように飛んでいき、偶然母の足元に舞い降りた。よりによってあの『暁』のチラシだ。
「何?ふむふむ…、『夜明けを目指そう』ねぇ…。ふふふ…。」
少し笑いを含んだ後、弘に
「あんた、予備校はここにしなさいよ。結構面白そうじゃない。」
「面白そうって…ノリで俺の予備校決めるなよ。」
「ノリでもなきゃ、アンタは決められないでしょ。とにかく、今週の土曜説明会に行くわよ。母さん、休みだから。」
弘の母は弁護士のわりに直感で動くタイプだ。急に小4の時に剣道習わせたり、急に家庭教師連れてきたり。もちろんうまくいかなかったこともあるし、思春期に反発もしたが、思えば父が市議会になったのも母の後押しがあったわけで、結果的に母の「そういうところ」が前島家を引っ張ってきたの事実、と弘は考えた。結局、その予備校には期待はしてないものの話ぐらいならいいか、と思い説明会に行くことにした。
そして土曜日を迎えた。この予備校『暁』、今年の4月からスタートするそうじゃないか。地方の中堅都市で、実績ゼロ。やっぱりないな、なんて考えながら母の運転する車の後部座席に乗りながらスマホをいじっていた。
予備校(になる予定の場所)についた。説明会のある教室には意外や意外、14、5組ぐらいの親子がいた。決して広くはない部屋の片隅に親子二人で座り、その時を待った。時間になり、長身で細身のややくたっとした感じの中年男性が現れた。はたしてこの人が『夜明けを目指そう』と言うとは弘には考えられなかった。
「えー、こんにちは。講師代表の三津屋です。」
その中年男性が挨拶に続く話は説明会に来た一同を驚愕させた。
「まず言っておきますが、今の時代浪人することにメリットはほとんどありません。少子化による大学全入時代の到来で選ばなければどの大学にも入れますし、今の受験生は現役志向が強い。また、学歴社会だった時代と違ってどこの大学を出たかは問われない世の中になりつつあります。はっきり言いますが皆さんは時代の流れに大いに逆行しているといっても過言ではありません。」
左右をキョロキョロする人もいる中、話を続けた。
「ですが…ここにいる皆さんは『どうしても入りたい大学がある』か『どこにも入れなかった』のどちらかだと思います。どちらにしても今どき珍しいです、本当に。今日もこれだけの方々が集まって、我々がここ旭川で仕事をする意味があることを改めて実感することができました。私は以前、札幌で予備校講師をしていました。その頃は一人でも多く難関大学に入れることばかり考えていました。ある年、北大工学部に合格した子がいました。入った当初は結構厳しい状況でしたが、すごく頑張り合格をつかみました。彼とは大学進学後もやり取りをしていて…でもそれがプッツンと切れた。後で知ったのですが、彼は『自分に合わない』とのことで大学を辞め、その後どうするかも決められず引きこもりになった…みたいなんです。すいません、話がそれました。我々が『夜明けを目指そう』をキャッチフレーズにしたのは大学合格はゴールでなくあくまで次の人生のスタートであることを知っていただきたいからです。この先に大学生活があり、卒業して就職をして社会に羽ばたきます。私は皆さんにこの先の人生を後悔しないようにしていただきたい。そのための1年であってほしいとの願いから、この名前にしました。すぐに選ぶはずの選択肢を取らずあえてここで立ち止まることを皆さんは選びました。わざわざ誰も選ばなくなりつつある道を選んだ志のある皆さんの80年ほどある人生のほんの1年、もし我々に預けていただけるのであれば全力でサポートします。皆さんの意思で、この旭川から、夜明けを目指しましょう。」
この話の間あのくたっとした中年男性の姿はどこにもなかった。ただここから何事もなかったかのようにくたっとした中年男性に戻り予備校の概要とかを説明し始めたのに2度めの驚愕をした。
説明会が終わり、弘も母の車で帰路に着いた。助手席でぐったりしながらも母に
「…俺、あの予備校に行くよ。どうせどこ行ったって変わらないなら地元で浪人してたほうが気楽だし、その、なんというか…」
なぜか言いにくそうに2つ目の理由を語った。
「あの人さ、すごいクセありそうでちょっと苦手だけど…本気なのは伝わった…ていうか…」
きっと弘は心を動かされたことを素直に言うのが照れ臭かったんだろう。母はただ一言
「そう…。」
と言いながら運転した。その横顔には少し笑みがこぼれていたようにも見えた。
あれからひと月ほど経ち、弘は予備校の入校式の日を迎えた。とは言っても中学校や高校の入学式とは違い、ブラウスにジーパンの出で立ちで自転車で予備校に向かった。
予備校に着くとすでに11人の生徒が待っていた。青いメッシュを入れたヤンキー風の男、すごくパーマをかけてるギャル系の女子、見るからに無理してチャラ男っぽくしている男子…など後ろ姿からして個性的な面々が並んでいた。席に着くと隣は清純派美少女だった。説明会にいなかったな…と思いつつも不思議と既視感がありしばらく見つめていると、隣から突き刺すように
「何?」
と言われ
「いや、何も…」
と言い返すのが精いっぱいだった。少しして三津屋先生をはじめとする講師の先生方が入ってきて、入校式が始まった。
「これから1年、卒の皆さんの担任をする三津屋です。担当教科は国語です。予備校『暁』に入校した皆さんには2つお願いがあります。1つは事前のお話から全員が国公立大学を志望していると聞いてますので、5教科受講をしていただきます。受験科目が多いほうが受験校が増えますからね。もう1つは、大学入学後の人生をしっかり描いてください。説明会に来た人は一度聞いたと思いますが、本校が『夜明けを目指す』のはあくまで大学合格を次の人生のスタート、『夜明け』と考えているからです。答えは3月にここを去る時に聞かせてもらいます。では理科、社会の希望科目を記入してください。」
こうして旭川の大学受験予備校『暁』の12人の浪人生の、長く厳しい1年が始まった。理科・社会の受験教科や志望校を記入していたら程なくして三津屋先生が生徒を一人ずつ別室に呼び出した。地方の少人数予備校、個別面談とはさすがに手厚い。
最初に呼び出されたのは塾生番号8番、中松健太郎。塾生番号は入会順に決まるらしい。
「では中松君よろしくお願いします。国公立医療系志望で化学・生物・倫理政治経済希望ね…。具体的に何を目指してますか。」
「自分は看護師か理学療法士を目指してます。専門学校は1つ合格したんですが、大学は全滅で。でも先のこと考えて四大のほうがいいと考えました。」
「先々考えて四大の方がいいと考えて浪人するのは結構。でも『看護師か理学療法士』じゃあねえ…。いやあ、入試科目とかに影響はないよ。でもね、医療系は入学した時点で卒業後の進路がほぼ決まります。その『揺らぎ』は確実にマイナスになります。多分それが現役で失敗した理由じゃないかな。」
健太郎は微動だにしなかった。
「とにかく、国公立医療系コースのカリキュラムを受けてもらいます。以上。」
「ありがとうございました。よろしくお願いします。」
健太郎は表情を変えず大部屋に戻った。それからもサディスティックな面談は続いた。
次に呼ばれたのは塾生番号7番、松江麗(うらら)が呼ばれた。クールなロングヘアーだ。
「君は一橋大学と筑波大に落ちたみたいですが、今回も志望校は変えないみたいですね。」
「はい。」
「何か理由は?」
「気持ちに火が付いたというか…。」
「ん?」
「今まで、うまくいってばかりだったので、今回受験に失敗して初めての挫折で…この1年自分を高めたいと思って、浪人しました。」
「で?」
「で?」
「そこからだよ。君みたいなタイプも何人か見てきたよ。チャレンジしたいはわかったけどさ、受験はゲームじゃないんだ。その大学で何がしたいとか、何を目指すか考えていかないと、同じ結果になるよ。悪いけどそんな気持ちで来てほしくないな。」
「…」
「君は国公立文系難関コースで。以上。」
戻ってきた麗は少しムスッとしているように見えた。このころぐらいから教室に残っているメンバーも少しずつ雑談はするようになり、LINE交換もするようになっていた。
次は塾生番号2番の松本圭祐、なんかオドオドした奴だ。
「教科は化学基礎、生物基礎、日本史、現代社会ね…。君は…先生になりたいのか。」
「は…はい。」
面談を初めて少し経つが、いまだに目を合わせない。
「厳しいことを言うが、君が学校の先生になるイメージが浮かばないんだよね。」
「僕は、僕は不登校でした。」
突然、圭祐は語りだした。
「て、転校先でも学校に行けなくて、そのとき、た、担任の先生が家庭訪問にたびたび来てくれて、学校行けるようになって、そ、その…僕の夢です。」
三津屋先生は少し笑みを浮かべて、
「わかりました。今の発言を撤回します。きみは教育大コースで。」
「が、頑張ります。」
次々と生徒は呼ばれた。4番目に呼ばれたのは塾生番号11番、和島美宇だ。かなりの濃いめのギャルだ。それから化粧っ気のない塾生番号7番の姫川夏路(なつみ)、どの入った眼鏡の塾生番号5番の根本俊彦、おっとりした雰囲気の塾生番号12番高知萌果(もえか)、チャラ男ぶってる塾生番号9番の亀井卓丸(たくま)。卓丸は妙にヘラヘラしながら帰っていった。この辺になると三津屋先生の厳しさは伝わっており、きっとろくでもないことを言って怒られたのだろうと残っていたメンバーは察することができた。ただその次に面談を受けた塾生番号10番松山慎平は何も表情を変えずに帰った。結局、彼は一言も話さなかった。まあ青メッシュに大量のピアス、関わらないほうがいいな、と弘は考えていた。
そして塾生番号3番の丸岡虹子の面談が始まり、弘は例の既視感のある清純派と2人きりになった。沈黙が続いた。
そしての清純派も面談に向かった。彼女は塾生番号4番犬山みどり。どんな話をしているのか、一人きりになった大部屋でボーっと考えながら最後となった自分の番を待った。
やっとのことで最後の塾生番号1番、前島弘が呼ばれた。
恐る恐る三津屋先生の前に座った。すこし長い「えー」の後三津屋先生が話し始めた。
「前島君は北大法学部志望ということですが、現役の時も目指していたの?」
「はい。進学校だったので勉強はしていたのですが、ついていけず、でも妥協できなくて浪人しました。」
「勉強についていけず…ですか。どんな勉強をしていましたか。」
「どんなって…学校の課題をやったり、参考書もいくつか。」
「先生とかにわからないところを聞いたりしました。」
「いや、あまり…」
それから矢継ぎ早に来る質問に弘は少しずつどもり始めた。それが一通り終わると。三津屋先生は静かに、しかし一定の勢いを保ち続けたまま話し始めた。
「結論から言うと君みたいなタイプが一番失敗します。苦労します。確かにまじめで誠実、学校の先生の言われたとおりに勉強もこなしてきたのでしょう。しかしそれだけだ。君は先生にはあまり質問してこなかったと言いましたね。君みたいにトップ校から来た子にありがちなんですが、中学まで優等生だった子でも周りが自分以上にすごくていつしかついていけなくなってしまい落ちこぼれてしまうことがあります。そんなときに最悪なのは、優等生だったころのプライドが捨てられない場合です。ただ現状を嘆くばかりで周りに助けてもらったりすることができないんです。今の君がまさしくそうです。点数が取れないときに何か変えようとしましたか?きっとしてないですよね。むしろ自分の現状がハッキリ分かっていないんじゃないんでしょうか?君に一番大事なことは、自分と向き合い、殻を破ることです。いいじゃない、優等生でなくたって。まずはそこから始めましょう。」
先生は少しハッとして。
「…少し進学相談からはみ出ますが、そうすることで北大もその先も見えてきますよ。」
最後のは一応のフォローとでも取っておこうか。ただそれ以上に自分のイタイところ、潜在的に触れてほしくないところをすべて言われてしまい弘はただただショックを受けた。
弘は一人、背中を丸めながら雪の残る道を自転車で帰った。彼にとって、春は遠いようだ。
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