第81話 別れ話

 マンションに戻ると。

「あれ、どこ行ってたの?」

 はるが、朝食の準備をしている所だった。

「うん、ちょっと」

「さっきねー、パン屋さんに行って来たんだ。そしたら、焼きたてだって言うからさー」

 はるが、楽しそうに話す横顔と。

 日焼けした指先を見ていると。

 ふと。

「はるちゃんさ」

「ん?」

「私と、別れない?」

 そう。

 言ってしまっていた。

 ポットに手をかけて。

 紅茶を淹れようとしていた、はるの手が止まった。

「今、何て言ったの?」

「私と、別れてほしいって言ったの」

「どうして? ねえ、どうして私たち、別れなきゃいけないの?」

「…………」

「ねえ、何で? 絶対だ。何で、何で別れなきゃいけないの? ねえ!」

「先輩と……、先輩と後輩の関係に戻せば、たぶんうまくいくよ」

「答えになってないじゃん。どうして別れなきゃいけないの」

「…………」

「絶対嫌だから! 絶対別れない!」

 はるのから涙がこぼれたとき。

(あっ)

 やっと。

 日高のなかの、いつも通りの、はるへの想いが呼び起こされた。

 でも、もうそのときには。

「絶対にいや!」

 そう言って。

 はるは部屋を飛び出していた。

「はるっ」

 日高も、はるの後を追いかけた。

 靴も履かずに。

 はるを追いかけた。

 いくつかの小さな路地を駆けぬけてゆくと、小さな茶畑があった。

 その茶畑まで来たとき、ようやくはるに追いついた。

 茶畑の真ん中で。

 はるは、しゃがみこんで泣いていた。

「はる……」

「嫌だ、聞きたくない」

 はるは、全身で日高を拒絶していた。

「ごめん、はる。もう、ひどいこと言わないから」

 少しだけ。

 日高は、はるに歩み寄った。

「ごめんね。どうかしてた」

「………」

 しばらくは、はるの、しゃくりあげる声だけが、茶畑に響いていて。

「……ちゃんと言ってくれなきゃ、帰らない」

 しばらくして、はるが言った。

「別れないって言ってくれてない。ちゃんと言ってくれなかったら、帰らない」

「もう、別れるなんて言わないから。別れないから」

「………本当に……」

「うん。はると別れないから。大丈夫だから」

 はるは。

 無言で立ち上がった。

 そして、振り返ると、日高の胸に飛び込んで来た。

「二度と言わないで!」

「ごめん。はる、ごめんね」

 日高は、はるを抱きしめた。

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