第80話 寂しい気持ち

「インスタントだけど」

「うん」

 社長は、コーヒーを二つ、ソファの前の小さなテーブルに置いた。

「あれか、そこで悶絶してどうこうなんない問題か」

「うん。はると祥子さんのこと」

 下を向いたまま。

 日高は、語りはじめた。


「そっか」

「どう思う? 留守にするたび、今度から祥子さん出て来るの? だったらお芝居で地方なんか行けないじゃん」

「まあ、なあ」

 社長は、コーヒーに牛乳を入れながら、スプーンでかきまぜた。

 その、交じりあってゆく渦を、二人はしばらく無言で見つめていた。

「でもなあ、日高。今回は、お前が帰る日にち、少し延ばしただろ。はるははるで、寂しかったんじゃないの。この日までっていうなら我慢出来たかもしれないけど」

「何それ。寂しいと祥子さんと会うの?」

「そういう事じゃなくてさ。何ていうか。人間なんて完璧じゃないしさ。たまーに、心の隙間が出来るのよ。でさ、そういうとき、どういう行動とるかで決まるんだけど。俺は、はるには浮気してる気持ちはないと思うよ。ただ、人恋しくて祥子さんと食事をした、くらいでさ。それぐらいなら、別段、非常識とは言えないと思うけどなあ」

「社長、じゃあ、奥さんが、はると同じことしてたら、どうする?」

「………」

「ほら。キスしてないとか、どうこうの問題じゃないんだよ。相手がはるに気持ちがあるって知ってて会ってるのが嫌なんだよ。別に、だったら連ちゃんたちでいいじゃん。何で祥子さんなわけ?」

「うーん……まあ、なあ」

 社長は、ソファに背をつけて、大きく息をついた。

「で、はるを問いつめたのか」

「ううん、今回は、やめた。我慢したよ。帰って早々、はるとケンカしたくなかったし」

「そっか。それは偉かったな」

「まあね。そのあと、はる、もらったネックレス、服の中に隠してたしね。一応、気い使ってたよ、私に」

「はるははるで、やばいと思ったんだろうな」

「まあね」

 日高は、コーヒーに手を伸ばした。

「悪かったな、うちが弱小で。しばらくは、まだ祥子さんとこから仕事もらわなきゃ、やってけないんだ」

「わかってるよ。相談って言ったけど、ちょっと聞いてほしかっただけだから」

「でもさ、本当に、はるには、浮気してる気はないからな。そこだけは信じてやれよ」

「……うん。ありがと」

「どうする? 今日、午後から仕事だけど」

「一回、帰る。昨日、遅くまで、はるも何か書き物してたし、まだ寝てると思う」

「送ろうか」

「いい。この時間ならバスで帰る」

「そっか。気をつけろよ」

「うん」

 帽子を目深に被った日高の姿は。

 とても寂しそうだった。

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