第68話 ピアノ

「日高!」

 はるが入っていくと。

「はる……」

 部屋の隅で、ぼんやり窓の外を眺めていた日高は驚いて、はるを見つめた。

「ねえ、ピアノ伴奏者が来ないって本当?」

「うん。悪天候で新幹線、止まってるんだって」

「今、手分けして探してますから」

 関君が言った。

「最悪、アカペラだね」

 日高が言った。

「もう、リハも出来ないじゃん」

 はるが時計を見た。

「ねえ、関君、お願いがあるの。祥子さんに確認とってきて」

「何をですか?」

「私が生放送出ること」

「はる、何言ってんの?」

「楽譜ある?」

「………たぶん、これ」

 日高が、はるに楽譜を渡した。

「私が伴奏するよ。日高の」

「はる、ピアノ弾けるの?」

「たぶん……。一回、練習したいけど、無理ならぶっつけ本番だね」

 何か、はるは笑顔になっていた。

「……はるが一緒なら、何でもいいや。やろ、はる」

「うん」

 こうして。

 はると日高で、生放送の音楽番組に出演することになった。



 一回だけ。

 日高は、はるを振り返って見た。

 -いくよ、日高-

 久しぶりに感じる鍵盤は。

 とても冷たくて、少し重くて。

 でも。

 指先に力を込めて弾きはじめると、はるは自然にメロディに乗っていた。

 日高の声は、どこか懐かしく感じて。

 気がつくと、指先で、はるは最後の音を奏でていた。

「はる、すごいじゃん!」

 って。

 歌い終わった日高が抱きしめてきたけど。

「ギリギリ」

 はるは、大きく息をついて、天を仰いだ。



「黒沢、今のとこ、もう一度観せて」

 祥子は、はるの指先を眺めながら、首をかしげた。

「おかしいと思わない?」

「さあ、私には、何とも…」

「確かに、はるちゃんのピアノは、素人に比べれば上手いわよ。でも、そんな事よりも、指の運び方がおかしいの。こんな所で指をひっくり返す人はいないわ」

(なぜかしら)

 祥子は頰に手をあてて。

 そのままの姿勢で考えこんだ。

 その時、黒沢が口を開いた。

「社長、そう言えば……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る