第65話 日高の願い

 -奥プロ事務所-


「えっ日高、歌、歌ってるの?」

「何だ、はる、知らなかったのか」

 ガタガタとデスクから立ち上がって、社長ははるの前に座った。

「全然知らなかった。だって今、祥子さんとこ、缶ヅメだし」

「そっか。撮影だっけ」

「えー、何で。何にも言わないよ、日高」

 はるの姿に、太一が笑いかけた。

「ほら、テレビの中のアーティスト役だからさ、よくある企画モノだよ」

「花村日高で歌ってるの?」

「それがさー」

 と、社長が言った。

「役名の桃山日高で歌ってるんだよ」

「桃山……桃山って私の名字じゃん」

 そう言ってから、はるは、小さく、

「あっ」

 と、何かを思い出していた。



 二ヶ月ほど前。

 久しぶりに二人でテレビを観ているときだった。

「ねえ、はるちゃんの名字ってさ、桃山だよね」

 って、日高が聞いてきた。

「うん」

 画面から目を移さず、はるは頷いて。

「桃山日高と、花村はるかと、どっちがいい響きかな」

「どっちかねー」

 って。

 はるは受け流してしまっていたけれど。

「桃山日高って名乗ってみたいなあ」

 日高はそんな事を呟いていた。



「私、適当に返答こたえてた」

「日高さ、脚本家の先生から、名字だけ変えるから、好きな名字を役名にあてていいよって言われたらしくてさ。即答で、桃山って言ったみたいなんだ。僕も聞いても、はるの名字だなんて気づかなかったから、そうかって言っただけで」

 社長が言った。

「日高ちゃん、はるちゃんの名字に、役の中だけでもなってみたかったんだね」

 って、太一が言った。

「そっか」

 何か、日高らしいって、温かな気持ちになった。


 いや、でも。

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