第8話 テイク8

 数日前。

 日高に見送ってもらって、富山県の某所で映画の撮影が、いよいよ始まった。

 はるには、セリフのない、姫君子々ねねの姉の、琴姫役で。

 台本には。

 -琴姫 微笑-

 それだけが書いてある。

 でも。

「馬鹿野郎!ちげえって言ってんだろ!」

 虹川監督からの駄目出しで、はるは、テイク8を記録していた。

 見かねて、監督のマネージャーの小森さんが、

「少し、休憩でも入れましょうか」

 と、間に入ってくれ、長めの休憩に入った。


(どうしよう)

 はるは、何度台本を読んでも、これ以上の演技は出来ないと、わかっていた。

 とんでもないとこに来ちゃった。

 どうしよう。

 途方にくれていたはるに。

「はるちゃん、台本読んできた?」


 声をかけてくれたのは、母の役の女優、大森富子だった。

「……はい」

 俯きながら小さく頷いた、はるに。

「あのね。台本によっては、背景を知らないと出来ないお芝居もあるの」

「背景ですか?」

「そう。この時代はね、主君から、自分の娘に城を見物に来させよ、と言われたら、それは側室として娘を出せ、という意味になるの。側室に上がったら最後、二度と故郷ふるさとの土は踏めない。よほどのことがなければ家族にも会えないわ」

 そう語った。

「えっ」

 主君役の、高遠保三の役者は、ベテラン俳優の佐々木国男だが、佐々木は、どう計算しても五十は過ぎていた。

「あとは、はるちゃんが考えて演じてごらんなさいね」

「は、はい。ありがとうございました!」

 はるは、大森に深々と一礼した。





 子々は。

 振り返って、一瞬、輿に乗るのをためらった。

(子々……)

 はるは。

 子々に、日高を重ねていた。


 本番前。

「もし、もしも。子々姫が城に行かなかったらどうなりますか」

 大森に尋ねた。

 大森は、

「私たち家族は、全てを失うわ」

 そう言った。

 そのとき、はるが思い出したのは。

 日高もまた、子々と同じことをしようとしていた、あの日の光景だった。


 子々と、日高が重なって。

 とめどもなく、涙が溢れた。

 妹が。

 はる、いや、琴を見つめた。

 私が。

 今の私が出来るのは、子々を不安にさせないことだと。

 琴は、唇のさきを、上げた。

 わずかに上げて、微笑わらってみせた。

 子々も。

 少し頷いて。

 ゆっくり輿に乗った。

 輿が動き出して、やがて見えなくなっても。

 はるは、その場に立ちつくしていた。


 しばらくして、OKの声が、はるを現実うつつに戻した。

「出来るなら、初めからやれ」

 それが。

 虹川監督の、最大級の賛辞だった。

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