其の二十一「黒猫の存在意義」

「おやおや、元凶がよくもそんな都合の良いことを言えますねぇ」

 

 頭上から降ってきた神内あいつ目掛けてペティさんがなにやら薬品を投げて魔法を発動させるが、それが届く前にあいつの手によって壁のようなものが現れ、爆発が防がれる。

 いつの間にか移動していた紅子さんはアリスを引っ掴んでこちらに連れてくることに成功したが、その表情はひどく苦々しい。

 

「やっぱ見られてたんだねぇ。ストーカーはお断りだよ」

「くふふ、なんのことでしょう? 私はただ女王様と妹様を助けに来ただけですよ。お可哀想に。あの黒猫が全ての元凶だとも知らずに心からの信頼を預けて…… そして裏切られてしまったのですから」

「余計なことを喋るんじゃねぇ!」

「当たってあげてもいいですけど、屈辱に歪む顔も見たいので今回は防ぐほうで」

 

 激昂したペティさんが突っ込んでいくが、やはりいなされる。

 人間体でも邪神モードだからか魔法もどんどん使ってくるだろう。俺がどれだけ奴を傷つけられるか分からないが、やってみるしかないか。

 

 リンは赤竜刀。無謀断ちの刀。俺が無謀なことをしようとすればそれだけ力を発揮し、手助けしてくれる相棒。

 そして奴を一度斬ってからは無貌特効能力付きでもある。

 今、奴を対処できる可能性があるのは俺だけだ。

 

「お前、あのときのカラス…… ? なんで、ボクにアドバイスしてくれたのはお前で」

「なんのことでしょうねぇ。私がアドバイスしたのは妹様だけですよ。女王様の為に力も貸しましたが、それは彼女の意思。私に非などありません。私は親切な神さまですから、ついつい人のお願いは聞いてあげたくなっちゃうんですよ」

 

 実に胡散臭い笑みを浮かべている。なにが神様だ。お前は神は神でも邪神だろうが。

 

「そ、それよりさっきのはどういう意味なのだ! チェ、チェシャが元凶とはどう意味じゃと訊いておる!」

「知らないほうが幸せとも言いますが、仕方ありませんね。貴女はあの黒猫と運命を仲良く交換したのですよ。死んだ黒猫と。ですから、死ぬ運命が貴女に押し付けられました。貴女が死ぬ運命にあるのは、元々黒猫のせいなのです」

 

 唇を食いしばり、走り込んで奴を叩っ斬る。

 しかし、確かに首元を狙ったし、感触があったはずなのにどこも切れていない。しかも、あまり赤竜刀の効果が出ていないように感じる、なぜ、なぜだ。

 いくら状況改善の為には必要なことだとはいえ、この不気味なほどにこちらに関心を寄せない邪神に斬り込んでしまって本当にいいのか? 

 嫌な予感がする。これ以上斬り込んだらロクなことにならないぞ。

 

「チェシャの…… せい?」

「れ、レイシー。やめて。それはやめて……」

 

 チェシャ猫のほうはなにかに怯え、そして竦んでいる。

 まるで、なにが起こるか分からないのに本能的に怯えるような…… そんな反応。

 

「私、死にたくなんてない。チェシャが私を騙してたのなら、あなたなんていらない」

 

 幼いその心で、残酷な一言を平気で口に出す。

 

「ボク、キミに望まれたからここにいるのに? キミが願ってくれたから、こうしてレイシーの為に、頑張って…… なのにそんなこと、言われたらボクは……ボクは、ねえ、〝 なに 〟になればいいの?」

 

 そして、その心の内に眠っていたはずの…… 付与された本性が表に顔を出すことになってしまうのだ。

 

「…… ねえ、ボク。ボクって〝 なに 〟? どうして、ショックなはずなのに、なんだか変だよ…… ボク、どうなっちゃうの」

「くふふ、答えは出ているだろう? ねえ、私。お前も私だよ。邪神の目玉代わり。人間にとってはきっと怖ーい化け物だろうね」

「…… ふうん、なんか絶望的だなあ。レイシーのこと、大好きなのに…… 否定されて喜んでるボクもいる。変なの」

「そういうものだからね。そのうち慣れるよ」

 

 不穏な会話をする二人に、息を飲む。

 これまではレイシー達の飼い猫としての役割を与えられていたから安定していた精神が、どうもそれすら否定されて化身としての自覚を得てしまったらしい。まずい、まずいぞ。

 

「や、やっぱり悪魔だったんじゃない! あんた達二人共騙してたんでしょう! お姉ちゃんを解放しなさいよ! 運命をお姉ちゃんに返して! そして、あたし達の可愛いジェシュも返しなさいよ!」

「知りたくなかった…… チェシャを返すのじゃ! どうせ乗っ取っておるんじゃろう!」

「ああ、悲しい。すっごく悲しいよ。でも嬉しいんだ! よく分かんないけど、なんとなく納得したよ。ボクはまだキミ達の飼い猫でありたい気もするし、自由気ままな猫でありたい気もするんだ。ねえ、ご主人様。どっちがいい?」

 

 今まではまだなんとか意思の疎通ができた。けれど、これではまるで会話がめちゃくちゃで成立していない。ズレすぎた回答は独りよがりに姉妹へと向けられている。俺達のことなんて気にしちゃいないんだ。

 

「だから! お姉ちゃんの運命を返して! それで、あたし達の弟を! ジェシュも返して!」

「うーん、そう言われてもなあ…… 運命の交換はできるんだけど」

 

 言いつつチェシャ猫がその尻尾の鈴を鳴らせば不思議な光が溢れ出し、レイシーに向かう。対してレイシーからはどす黒く、酸化した血の塊のようなものが溢れ出て浮遊する。そして、光の玉と血の玉はお互いの体に吸収されていった。

 

「これでレイシーはもう死なないね。良かった良かった。でもなあ、ボクはボクだし…… あ、もしかしてこうすればいいのかなあ。ねえ、ボク。お願いしてもいい?」

「構わないよ、新たに生まれた私の門出くらいは手伝ってあげよう」

 

 そう言ってあいつが…… 邪神が、その手を振るう。

 その瞬間に空間が蜃気楼のように捻れたかと思うと、チェシャ猫の首が宙を舞っていた。

 

 ボトリ、頭が落ちる。

 

 そして、立ったままだったチェシャ猫の体がふるりと震え、その首の断面からおぞましいほどの触手がずるりずるりと、溢れ出てきた。

 まるで、宿主を食らって外に出てくる寄生虫のように。全てが抜け出て神内の隣に溜まる。

 

 後には首のない、小さな黒猫の本来の体だけが残っていた。

 …… そう、中身のない空っぽな、皮だけとなったその体が。

 

 悲鳴を最初にあげたのは、誰だったか。

 レイシーだったかもしれないし、アリスだったかもしれない。

 もしかしたら、俺だった可能性もある。

 

 そして、駆け寄るレイシーの姿は記憶で見た光景に不思議と重なって見えた。

 

「チェシャ…… なんで」

「ち、違う、あたし、こんなこと望んでない…… 返してって言ったのは、こんな形じゃ……」

「あれ、返してって言われたからせめて外身だけでもって思ったんだけど…… これじゃダメだった? …… でも、ボクはボクだもの。中身はなあんにも変わらないよ? むしろ古い体から脱皮していい気分かな」

 

 触手の塊が蠢き、そして人の形を成していく。

 それは先程まで立っていたチェシャ猫と寸分違わぬ姿であり、気持ち悪い肉塊が変容する様はこちらの常識や正気を削り取っていくおぞましい光景に違いない。

 アリスは紅子さんのマントに掴まり、小刻みに震えながら 「違う、そんなつもりじゃ」 とうわごとのように繰り返している。紅子さんには先程のスプレーがあるが、この状況で正気に戻すのはあまりにむごい。

 俺だってひどく気分が悪くなるのに、初めて見るこの子達なら尚更だ。

 レイシーは悲鳴をあげたきり沈黙している。恐らく気を失ってしまったんだろう。心から信頼していたチェシャ猫が突然変貌したのだ。ショックを受けるのも仕方ない。

 

「かえして」

「返して? 帰ってきたよ? 黄泉から! 忌々しいことに! 喜ばしいことに! 引きずり戻されたんだよ! レイシーに!」

 

 満面の笑みを浮かべながらチェシャ猫が言う。

 けれど、その後に続いた言葉はひどく冷静で、冷徹だった。

 

「…… なのにいらないなんて言うんだもん。引きずり戻したのはそっちなのにポイ捨てなんて酷いよね。それでもレイシーのことは好きだけど…… 今傍にいると切り刻んで絶望に咽び泣きたくなるからダメだね。ちょっと思考が引っ張られてるみたい。だから、しばらくはこの体に慣れたいから身を引くよ。良かったね、アリシア」

「あなた……」

 

 アリスだけは意識を保っている。そして、その最後の姿を目に焼き付けるようにじっと見つめていた。

 

「ジェシュ……」

「うん、なあに?」

「あなたはもう死んだ」

「うん」

「だから、さよなら」

「…… うん、ばいばいアリシアお姉ちゃん」

 

 そうして、チェシャ猫はあいつと共にどこかへ消えて行った。

 俺達も、なんとも言えない状態のまま帰りの準備を始める。

 

 アリスは紅子さんが支え、レイシーはペティさんがおんぶして運ぶこととなった。

 レイシーはもう運命を取り戻しているので、死ぬ運命からは逃れることができただろう。チェシャ猫はさっきの首刎はねで死ぬ運命を清算しただろうし、二人の関係は元に戻った。

 

 …… 帰ったらあいつを殴りに行こう。返り討ちにあってもいい。黒猫がどうなったかを問い詰めなければ。

 

「あー胸糞悪ぃー。これから俺様も迎えに行こうってときに嫌な結末見ちまったな……」

「ごめん、俺がもっと早く言ってれば」

「早く言ってても結末はそう変わらなかったと思うよ。お兄さんのせいではないから安心しなよ。どうせどこかであの人は見ていたんだから」

 

 本を潜り抜けると、そこは再び図書館だった。

 

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