未来の章【ムラサキ鏡の降霊術】
紅い衣の少女の問答
◇
なんで最後まで格好良くできないんだ。
◇
「ふあ……」
ぐいっと腕を伸ばして隣を歩く紅子さんは随分と活き活きとしている。
三年前にはとっくに死んでるはずなのに、もしかしたら俺よりも生きている人間っぽいかもしれないのは皮肉だろうか。
学校ではどうしているか分からないが、少なくとも彼女と待ち合わせる俺が大注目を受けるくらいには有名なのかもしれない。なんせ、美少女だし。
しかし紅子さんは幽霊だ。普通の人に見えたり聞こえたり触れたりできても、幽霊なんだ。
そう、幽霊の身にして怪異。
怪異は、噂が大きくなりすぎるとそのカケラが本体から離れて、噂通りに行動するだけの〝分け身〟の怪異を作り出すらしい。
本来それに理性や知性はないけれど、近くに似た死因を持つ魂があればそれを吸収して怪異となる。それが彼女。
要するに、紅子さんは「赤いちゃんちゃんこ」という職業の幽霊なのだ。
「うーん、やっと過ごしやすい時間になったねぇ」
「ああ、やっぱり怪異的には昼間って過ごしにくいのか? 幽霊って光には弱そうだもんな」
「いや? 授業が退屈で眠っちゃうだけだよ。高校の勉強は〝復習〟でしかないから」
軽口で返すと、斜め上の答えが打ち返されてきた。
知ったかぶりをしたみたいになった俺は返答に困りながら「内容覚えてるんだな、すごいな」なんて頭の悪そうな言葉を絞り出す。
「キミとは違って成績は優秀だったものでね」
「俺の成績なんて知らないだろ」
「知らないよ? でも、少なくともアタシは今ので動揺したりしない。それだけだよ」
「性格的な問題だろ、それ」
「そうとも言う」
やっぱり成績なんて関係ないだろう。
というか、今は大人になっているし勉学は関係ないぞ。
「まあ、それはともかくとして……れーいちお兄さん、今どこに向かっているのか、分かっているのかな」
「……分かんないな」
「安心してほしい。アタシも分からない」
分かんないのかよ。
「正確には、目的地と呼べるものがないと言うべきかな。お仕事の内容は覚えてるよね」
彼女が立ち止まったので俺も立ち止まる。
ここから近くて、休憩できそうな場所は紫陽花公園くらいか。
この町は
彼女のマントをちょいと掴んで公園に行こうと誘導する。
それから確認された言葉を心の中で反復して答えを出した。
「えっと、またオカルトブームが来てて、紫鏡が最近のハイライトって話は聞いたぞ」
「よろしい。なら、紫の鏡の概要を述べよ」
問題文を読み上げる教師みたいに人差し指を立てながら紅子さんが言う。
いつもはそんな言い方しない癖に、今日に限って妙に格好つけたことを言うなぁ。
「紫鏡って言えば、確か二十歳までに覚えていると不幸になるとか死ぬとか……まあそういう話だろ?」
「せぇかぁい。他にも、異界に連れて行かれるとか、対処法としてなにかの言葉を合わせて覚えているといいとか。色々あるけれど概要はそれでいいかな」
「よくある話だよねぇ」なんて口にしながら紅子さんはベンチに腰掛ける。
俺も少し間を開けて座ってから、「でも仕事はあるんだろ?」と返した。
「そうそう、普通なら放っておけばいいんだよね。紫の鏡は形を持たない、噂だけの……いわゆる概念かな? ……そういうやつだから。〝同盟〟が出るような話じゃない」
同盟。
俺が紅子さんに連れ出され、紹介された〝人間以外〟の組織。
人間に合わせて生きるために、人間に紛れている人外達の組織だ。
弱い人外に人間に紛れる術を教えたり、自分で食べる分以外の人間の狩猟を禁じたりするところだな。
つまり、〝取り締まれない〟から〝形のない〟紫鏡の噂は、普通なら仕事になるわけがないということだ。
それなのにこうして俺達に仕事が回ってきているということは、〝なにかが起こる〟と同盟側が確信しているから、ということになる。
同盟でも例外的に〝人間〟が出入りすることがある。
それは俺のような……普通の人間として生きていけなくなった者だったり、神と恋をした人間だったり、そもそも怪異事件に巻き込まれる体質の人間を守るためだったり、理由は様々だ。
俺は邪神に呪われている。
この呪いがある間俺は暗躍して犯罪紛いのことをし続ける邪神の手駒という立場からは逃れられない。復讐したくても復讐することができない。この刃が届くことは決してない。
そんなときに俺は紅子さんに出会い、この組織を紹介されたんだ。
それは邪神の呪いを解くのを諦めきっていた俺の唯一の希望になった。
だから彼女は俺にとって心の恩人で、そして……いつのまにか好きになっていた人……幽霊だ。
こうやって彼女とバディになって怪異を斬って、そしていつかは強くなり、今度は邪神に牙を剥く。
そのために俺は……我慢して小間使いを続けながらこうして同盟からの依頼を受けるのだ。
「噂はね、横行すればそれだけ力になるものだけれど、形がなければ意味がない。いくら水を注いでもそこに受け皿になる物がなければ溜まらないだろう?」
ああ、それは前に教えてもらった。他ならない、彼女自身に。
「でもね、たとえば紫の鏡を知っている人間が20歳になるときも覚えていたとして、本当に不幸になったと考える人はどれくらいいるだろうね?」
「普通はいない……んじゃないか?」
「それがね、これが結構いるんだよ。不思議かな?」
どちらかというとそんなことを知ってる紅子さんのほうに疑問が湧くが、黙って頷く。
「確率としてはそんなに高くはないよ。でもね、〝不幸になった〟定義なんて人それぞれなんだよ。不幸になると言われてる以上、〝怪我をした。もしかしてあのときの? 〟とか、〝遅刻した。あれのせいだ〟なんて理不尽な責任の押し付けみたいに、それこそピンからキリまで〝不幸〟とやらの定義がある」
「ああ」
確かに人間の定義ほど曖昧なものはないよな、なんて考えながら彼女に相槌を打つ。余計な口出しは無用だ。
「チリも積もればなんとやら。そういう〝不幸になった〟という積み重ねで、人はいとも容易く信じ込んじゃうんだよ」
「だからこそ成り立つ怪異ってことか」
「うんうん。お兄さんもようやくこの仕事に慣れてきたようだし、アタシの言うことにも理解を示せるようになってくれてなによりだよ」
そこでひとつ、紅子さんは言葉を区切ってから続ける。
「アタシ達に大事なのは人間の〝認識〟だっていうのは、もう分かるよね?」
「ああ、それがどんな怪異か、それを決めるのは人の噂。それと思い込みと認識だって言ってたよな」
「そう、だからアタシ達は自分で噂を流しつつ、人の助けになるようにしてひっそりと暮らしているわけだね。たとえば――」
紅子さんが俺に近づき、腕を絡ませてくる。
「ちょっと紅子さん?」
「おにーさんがアタシのことを、エッチなことをする怪異だって思い込めば、そうなるかもしれないってことだよね」
わざと密着する彼女から視線を逸らす。そうでもしないと、視線が吸い込まれるようにそのうなじや、胸元に行ってしまいそうだった。
「……まあこれは冗談だけれど。たった一人の思い込みだけで影響なんてないよ。もっと大勢なら別だけれど。それとも想像しちゃったかな?この、スケベ」
「わざとやってるのは紅子さんのほうだろ……!」
さんざんからかったあと、俺からパッと離れた彼女はなに食わぬ顔で話を続けた。
「ところで、どうして紫の鏡が不幸になるなんて言われてるか、その発想がどこからなのかは分かるかな?」
「さ、さあ……それはさすがに分からないな」
「うんうん、そうだろうねぇ」
赤い瞳で流し見るようにこちらに向いた彼女はニヤリと笑った。
「紫はね、あの世に通じる色なんだよ。本来の意味は高貴で手の届かないところの色ってことなんだけれどね。だからこそ、手の届かない〝あの世〟の色となり得るわけだ」
「冠位十二階とかの最高位だもんな」
「そんな小学生レベルの返事をされてもね……」
呆れられてしまった。
「……はあ、ところでお兄さん。今日ではないけれど、ここ最近に学友達がね、少しだけ気になることを話していたんだよね」
「気になること?」
「うん、この辺で黒い三つ編みの男を何度も見かけたって話をだよ」
「ま、まあそりゃあ……あいつの屋敷があるのはこの紫紺地区だからな」
黒い三つ編みの男。
それは俺を無理矢理人とは違う世界に引っ張り込んだ元凶。現在、俺はあいつの眷属であり、オモチャであり、道具である。不本意ではあるが。
その男の名前を。
本当の名を……這い寄る混沌。ニャルラトホテプという。
正確には、怪異と同じく人々の想像と認識、そして信仰から生まれたニャルラトホテプという概念だ。そして、奴はその
あいつ絡みの事件は数え切れないほどにあるが、そのどれもが後味の悪い結末になっている。暗躍しながら人間を悪い方向へ突き落とす最悪な愉快犯野郎だ。
「そんなに憎しみのこもった顔をしないでくれるかな。ただでさえ目つきが悪いんだから、怖いよ。おにーさん」
「あ、ごめん……つい」
「憎むのは仕方ないけれどね……とまあ、邪神が関わっているわけだ。内容がろくでもないことになるのは間違いないよ」
「なら、まずはあいつがなにをしていたのかを聞き込みするべきか」
「そうだね、じゃあ手分けをしようかな」
「……ああ」
人付き合いが苦手な俺は憂鬱になりつつも紅子さんと別れ、必死に聞き込みを始めるのだった。
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