過去から広がる波紋(4)

 * * *



 しばらく床の上で眠っていたリディスは、昼近くになってようやく寝返りが打てるまで毒が抜けていた。体はだるいが、まったく動けないというわけではない。手を開いたり閉じたりしながら、少しずつ全身の感覚を取り戻そうとする。

 同時に耳を澄まして、閉じられたドアの向こう側から聞こえる声に意識を集中させた。

「――だいぶ時間がたつが、本当に動きがないな」

「こっちから何かを要求するようなことはしてないから、騎士団も動きにくいんだろう。まあ俺たちの目的を考えると、しばらく動かないでもらった方が都合はいい」

「昼くらいからだっけ、会合とやらは。こっち側の主賓がいなかったら、さぞ大問題になるだろうな。姫も本当にちょろいな、友達が捕まっていると聞いた途端、抵抗する意欲がなくなったぜ」

 そして男二人の笑い声が響いた。

 脳内に薄くかかっていた靄が少しずつ消えていく。その中でリディスは男たちが何を企んでいるのか、薄々勘付いていた。

 おそらくリディスを盾にしてミディスラシールも連れ去り、彼女がバナル帝国の皇子と会合を開く時間まで、監禁しているつもりなのだろう。

 その後はいったいどうする気なのか。王国の信用を失墜させて、バナル帝国との関係に軋轢を生ませたいことだけが望みなのか。

 疑問は多々あるが、どれも今持っている情報からは明らかにすることはできなかった。

 両手両足が縛られて自由がきかない中、床の上を這いながらドアに近づく。

 自分の身に厄災が降りかかろうと構わない。ミディスラシールが決心を固めて行おうとしていることを邪魔される方が、リディスとしては嫌だった。

 ドアの近くにまで来て、そこに思い切って寄りかかる。軋む音がすると、喋っていた男の声が小さくなり囁き声になった。その声はリディスがいるドアのすぐ傍にまで近づいてくる。

 深呼吸しながら、リディスは速くなる鼓動を抑えようとした。首からかかっていた若草色の魔宝珠はない。だがフリートからもらった鍵のペンダントならある。

 これさえあれば、きっとどんなことでも乗り越えられる――。

 ドアがゆっくり開かれた。寄りかかっていたリディスは、必然的に隣の部屋へ転がり込む形となる。

「この女、動けるようになったのか!?」

 男の一人は慌てているが、もう一人の男は切れ味のいいナイフを取り出して、にやりと笑みを浮かべていた。

「ちょうどいい。暇潰しがしたかったところだ。少し可愛がってやろう」

 近づいてきた男に向かって、リディスは声を張り上げた。

「貴方たち、何がしたいの!? 私をここに閉じこめても、無駄だわ。整然と事が進むだけよ!」

「喋れるようになったからって、いい気になるな!」

 ナイフを持った男がリディスの顎を持ち、ナイフの腹を頬に付けた。ひんやりと冷たい。

 そしてナイフを離し、切っ先を向けると、頬の表面にうっすらと赤い線を入れてきた。ごくりと唾を飲み込みつつも、男から目を逸らさなかった。

 ナイフの切っ先が首の脇に触れ、さらには首もとへと移動していく。

「お前、結構な槍の使い手だと聞いている。だが今はその槍も召喚できず、さらには動くことすらままならない。そんな状態で強がった言葉を吐いたって、何も怖くねえよ」

「あら、人を傷つける物を持っていなければ、他人と対峙できない貴方とは違うと思うわ」

 男はかっと目を見開き、リディスを激しく横倒しにした。歯を食い縛って痛みを飲みこむ。

「傷つけてはいけないっていう話はないよな」

 男が壁のすぐ傍にいる男に問いかけた。かすかに首を横に振っている。

「カトリはこの女を自分の手でりたいって言っていた。傷つけるのもまずい気が……」

「それなら精神的にいたぶってやるか。こういう生意気な口をきく女には、お灸を据える必要があるからな」

 馬乗りで胸倉を捕まれる。そしてナイフをちらつかせながら、胸元にナイフの切っ先を向けられた。

 決して弱音など吐くものか。隙を見て、絶対に逃げてやる。

 振り下ろされるナイフをじっと見ていると、寸前のところでそれは止まった。

 激しい足音と、誰かを呼びかける声が聞こえる。

 壁を挟んでいるため、何を言っているか正確に言い当てることはできないが、あの声は――。

 思考を巡らしている間に、もう一つのドアが荒々しくぶち破られる。リディスの首に男の手が回されて、男は首もとにナイフを突き刺してきた。

「リディス!」

 いつもリディスが危機的なときに駆けつけてくれる、口は悪いが根は優しい黒髪の青年が現れる。彼はリディスの姿を見ると、さらに表情を険しくした。

「動くな。動くとこの女の首を切る」

 痛みが感じる程度に突かれた。歯を食い縛って耐えるが、思わずか細い声が漏れ出る。

 フリートは眉間にしわを寄せたまま、その場に立ち止まっていた。

「素直で結構。この女のことが大切なんだな。――殺されたくなければ、あと少しだけ待て。それまで大人しくしていれば、俺たちは何もしない」

「――お前は何もしない。だがモンスターはするってことだな?」

「なっ……!」

 そこでできた僅かな隙が好機となった。

 部屋全体が一瞬ひんやりしたかと思うと、かじかんだ男の手からナイフが滑り落ちる。フリートは一瞬で間合いを詰め、ナイフを蹴ってそれを床の上に滑らせた。そして男の側頭部に蹴りを入れる。

 男が怯んだ隙にリディスを拘束から解き放ち、その場から離れさせた。

「お、お前――っ!?」

 フリートは言葉を発しようとする男の喉元にショートソードを突き付けた。感情の入っていない淡々とした口調で言葉を発する。。

「少しくらい傷ついても、話はできるよな。卑怯なことをする手だけでも、先に潰してやろうか?」

 視線が右手に移動する。呆然としていたリディスは我に戻り、口を開いた。

「そんなことしている暇はないでしょう! ここに姫はいないわよ!」

 表情が消えていたフリートはリディスの言葉を聞き、はっとした顔つきになった。そして剣を下ろし、男を羽交い締めにして拘束していく。

 リディスはその様子を見て胸を撫で下ろしていると、ロカセナが傍に寄り、縛られた縄を切ってくれた。

「大丈夫かい?」

「ええ、大丈夫よ。ありがとう」

 ロカセナの表情は穏やかに見えたが、いつもよりも堅い気がした。この場にミディスラシールがいないからだろうか。

「おい、ミディスラシール姫はどこにいる?」

 フリートの問いに対して男が黙り込んでいると、彼はさらにきつく腕を捻り上げた。男の顔が歪み、呻き声を漏らす。

「いてて……、もう少し手加減しろよ」

「いいから、どこだ。腕折るぞ?」

「俺が口を割ると思うか?」

 フリートはその言葉を聞き流し、容赦なく腕を捻っていく。

 もう一人の男もカルロットに尋問されているが、口を開こうとしない。

 ヒルダに姫の捜索を頼むことはさすがにできず、騎士団のみで捜索を進めていた。そのような中、先にリディスの居場所がわかったため、隊長はフリートたちに同行していたのだ。

 刻一刻と会合の時間は迫っている。時間稼ぎが目的の男たちだ。簡単に口を開くはずがない。

 行き詰っていると、ロカセナはすっと立ち上がり、ナイフを持っていた男に近づいた。そして目を細めて見下ろす。

「――君たちは誘拐という名の犯罪をしただけと思っているかもしれない。だけどもし君たちと共謀したモンスターが無差別に人を殺し始めたら、手を貸した者として間接的に殺人罪になる。今、居場所を言えば監禁罪程度ですむだろう。――果たして殺人罪の刑は、どれだけ重いのかな?」

 男たちの表情が固まった。

 ミスガルム騎士団に捕まった人間たちは、相応の刑に処せられる。金で済む問題から数年間の拘束、果ては極刑までと幅広い。ロカセナが言ったことがそのまま適用されれば、モンスターが殺した人数によっては共謀者として即抹殺されるだろう。

 ロカセナの言葉に怖じ気付いた男たちは、やがてゆっくりと口を開いた。

「正確な場所はわからないが……」



 男たちから居場所を聞き出すと、カルロットを筆頭に現場へ急行する部隊がすぐさま整えられた。

 フリートはリディスのことを申し訳なさそうに見た後に、カルロットに視線を向けていた。自分も行くという意思表示だろう。

 リディスの傍では久々に再会したメリッグが声をかけてくれる。以前よりも優しさが直に伝わってきた。

 彼女に支えられながら監禁されていた屋敷の外に出ると、空は黒い雲で覆われていた。雨が地面を叩き始めている。

 どことなく心配そうな面持ちで空を見上げていると、前方から三頭の馬が駆け寄ってくるのが見えた。一番手前の馬に乗った人物を見たカルロットは、目を大きく見開いていた。

 漆黒の長い髪を一つにまとめている高身長の女性が、屋敷の前で馬を止める。そして屋敷から出てきた一同を見渡した。

「姫は発見できず、代わりにそっちの娘が見つかったのか」

「ルドリ、お前どうしてここに……」

 驚いた表情でカルロットは呟くと、ルドリは馬から降りずに言い放った。

「あっち側のお客様がもう来るぞ。私はその人たちの様子を見ながら、こっちに来ると言っただろう。私が現れた時点でそれくらい察しろ」

「もう来やがるのか……」

「予定通りだ。それなのにお前らときたら、こっちの一番偉い人物の支度がまだできていないなんて、これからどうするつもりだ?」

 事実を言われたカルロットは、言い返せなかった。騎士たちも誰もが俯きがちになっている。

 騎士団の事情には、部外者であるリディスには口を挟むことができない。だが厚い雲がさらに覆っているのを見ると、じっとしているのが勿体なく思った。

 フリートはリディスの肩に軽く触れてから、ルドリを見た。

「団長、今はとにかく捜し出すことが先決です。大まかな居場所はわかりました。開始時刻は過ぎますが、必ず助けに参り――」

「その居場所にいるという保証はあるのか? 出まかせを言われた可能性もある」

 鋭い指摘が飛んできた。

「それにそこにいたとしても、時間をかけずに救出できるか? 会合ができる状態の彼女を助け出せるか? そもそも生きて助け出せるという、根拠はどこにある?」

 さらに容赦のない指摘をされ、何も言い返せなかった。

 ロカセナはあからさまに嫌悪の表情を露わにしていた。ミディスラシールのことになると、本当に感情を表に出してくる。その様子を見てルドリは鼻で笑ってから、顔を引き締めた。

「――そこで私から一つ考えがある」

 ルドリは視線をカルロットやフリートではなく、リディスに向けてきた。

「リディスが代役となって彼女を演じろ」

「……え?」

 思わぬ内容に場が微かにざわめいた。ルドリはそのざわめきに動ずることなく、命令口調で言い放つ。

「あちらには正確な容姿は割れていない。髪でも巻いて綺麗な服でも着れば、それっぽく見えるだろう。顔つきはまあ似ている範囲に入るから大丈夫だ」

「そんな大事な会合に、私が代役なんて……」

「上手く振る舞えないってか?  オルテガに多少は仕込まれているだろう。適当ににこにこしておけばいい。『後日返答する』で何とかなるさ。とりあえずあっち側に好印象を植え付けることが先決だ」

「たとえ今日の会合は乗り切れたとしても、後日彼女とあちら側が会えば、代役を立てたことがばれます。騙されたとわかれば、後々の印象は悪くなります。……たしかに似ている部分はありますが、同一人物にはなりきれません」

 そう言うと、ルドリは軽く腕を組んだ。

 ミディスラシールとは直情的な性格の部分は似ていると自負している。だが細かいところや体格は違う。双子ではあるが、育ってきた環境が違えば、そうなるのは必然である。

 ここはバナル帝国の皇子に、待ってもらうのが最善だとリディスは思う。

 思案していたルドリは顎に手を当てた。

「そうだな……、それならあっちの主賓だけ、お前の身分を会合後にばらせ。そうすれば多少嫌な顔はされるが、それなりの者を寄越したとして、悪くは思わないだろう」

「私のことを明らかにするのが、早いか遅いかの違いだけじゃないですか。騙していたのには変わりないです」

「そうか? 私はそうは思わないよ。人間は世を上手く渡るために、嘘をつく存在だ。相手だって嫌な顔をしても、すぐに忘れるさ。――ちなみにリディス、もしあっちがお前のことを惚れてきたら、それなりの行動はとってもらうからな。そのことはゆめゆめ忘れるなよ」

 ルドリははっきり言い放った。言われた本人は一瞬ぽかんとする。隣にいたフリートは上司にも関わらず、鋭い視線を送っていた。その視線をものともせずに、ルドリは目を細めながら全体を見渡す。

「提案、いや命令は以上だ。早くお嬢様を助け出したいんだろう? ここで無駄な議論をするのはどうかと思うが。――リディスに付く側と救出部隊の班分けはカルロットに任せる。私は外から会合の様子を見守っているよ」

「ルドリ団長、待ってください!」

 ルドリが胡乱気な目で、声を投げかけてきたロカセナを見下ろす。

「僕も救出部隊に参加してもよろしいですか? 騎士ではないですが……」

 ロカセナは堅く拳を握りしめ、視線を逸らさずに言う。間はあったが、ルドリは馬を反転させながら言い返した。

「剣しか召喚できないお前など、いつでも首を刎ねることはできる。妙なことをしたら即刻、殺されると思え」

 そう言うと、ルドリは共に来た騎士たちと輪になり、話をし始めた。

 指揮権を再び戻されたカルロットは、思案顔になる。やがて顔を上げるとリディス、そしてすぐ傍で庇うように立っているフリートに向かって口を開いた。


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