過去から広がる波紋(3)
* * *
意識を失う直前、何かが皮膚を突き破る小さな音をリディスは聞き取っていた。僅かな痛みも感じ、何が起こったのか思考を巡らそうとしたが、途端に四肢が動かなくなり、そのまま意識も遠のいた。
次に意識が戻った時、依然として全身の自由はきかなかったが、瞼はうっすら開くことはできた。床の上で横になっているようだ。床の板の冷たさが、触れている部分から伝わってくる。
ほどなくして喋り声と共に、隣の部屋に続くドアが開いた。
「意外と呆気なかったな。騎士っていっても、たいしたことねえ。人質取っちまうと簡単だな」
「たしかに。もう一人の時も女の騎士が止めに入ってきたが、刺したらすぐに大人しくなったらしいぜ。これなら簡単に目的を遂行できそうだな」
二人の男性の笑い声が聞こえてくる。人質とは、女の騎士とは、いったい誰なのか。
記憶を探ればすぐに出せる答えだったが、残念ながら今のリディスにはできないことだった。
ふと何者かの影が男たちに近づいている。男たちよりも一回り小さい影だ。
「こっちの女は目が覚めた? ちょっと話したいことがあるんだけど」
やや高い女の声である。そのものの視線がリディスに向かれると、全身に得も言えぬ殺気を感じた。鼓動が速くなっていく。
「あれ、起きているじゃん。良かった」
豊満な胸を見せつけるかのように、胸元があいている服を着ている女。白く長い髪を揺らしながら近づいてくる。リディスの顔の近くに膝を立てると、顎を乱暴に持ち上げられた。鋭い黄色の瞳で睨みつけられる。
「初めまして、鍵」
その単語を持ち出されて、リディスの目が僅かに見開いた。
「あれ、まだ話せる状態じゃないの? ヒトの体って面倒ね。あれくらいの毒がまだ抜けないなんて」
「あ、あなた……は……」
回らない舌を意識して動かすと、掠れた声が出た。彼女の口元が不自然なくらいにつり上がる。
「あたしはカトリ。この音の響きに聞き覚えない?」
思い出すために記憶をゆっくり辿ろうとした。一つずつゆっくりと、今日から三年前の旅の始まりまで。
だがその前に痺れを切らしたカトリが、ぐいっとリディスの顔を近づけさせてきた。
「忘れたのかよ、お前が殺したモンスターの名を」
低く恨みがこもった声を発せられる。顎を乱暴に離されると、リディスは全身を打ち付けられながら、床の上に横になった。
カトリは立ち上がってリディスのことをつま先で仰向けに転がし、右肩の部分を足で強く踏みつけた。苦悶の表情を浮かべていると、カトリはにやにやし出す。
「古傷でも痛む? ねえ、痛い? 昔、貫かれたんでしょ、ここを!」
次の瞬間、リディスの腹部につま先が激しく入り込んだ。悶絶していると、カトリは足を離して、リディスから離れていった。そして二人の男たちに言葉を投げかける。
「あの女の毒はいつ抜けるの?」
「個人差があるから、もう少し時間はかかるらしい。昼ぐらいには抜けるだろう」
「お楽しみはもう少し待てってことね、わかった。少し出かけてくるわ」
そう言いながらカトリはリディスがいる部屋のドアをぴしゃりと閉めた。
光が射し込んでこない暗闇の中、痛みと共にリディスの意識は再び深淵の中へと沈んでいった。
* * *
「面倒な野郎だけでなく、モンスターもこの町で動いているだって!?」
カルロットの言葉に一瞬面食らっていた一同だが、すぐにトルが反応し声を上げた。騎士たちの中に動揺が走る。フリートも眉間に寄っていたしわがさらに険しくなった。
誰もが驚いた表情をしていたが、ロカセナだけは深刻そうな表情をしていた。
「おいロカセナ、どうした?」
カルロットが目敏く聞いてくる。ロカセナは堅い表情のまま口を開いた。
「一つの可能性を考えていただけです」
「言ってみろ。突飛過ぎても最後まで聞いてやる」
ロカセナはフリートやメリッグたち、そしてさらには奥にいる騎士たちにおそるおそる視線を送った。
「……人とモンスターが手を組んでいるという可能性です」
皆、一瞬硬直する。それが解けると、騎士たちの中から次々と否定の声があがった。
「いったいどうしてそういう結論になるんだ!」
「人間がモンスターを操っていた事例ならある。だが手を組んでいたっていうのは、あるわけないだろう!」
カルロットは口を完全に閉じきっていないロカセナを見下ろしていた。隊長はまだ彼の続きを待っているかのような様子だった。
ロカセナは手をぎゅっと握りしめて、言葉を出した。
「モンスターに知恵がついている可能性があるというのは、以前から言及されていると思います。事実三年前、二足歩行で言葉を喋るモンスターと接触した時、それはある人間を優先的に殺そうとしたと聞きました。殺す人間を選ぶというのは、ある程度知能がないとできない行為です。ただ人を襲うだけを生き甲斐としているものの行動ではありません」
「知恵が付いているのは認めてやる。だが、それから人間たちと手を組むっていう話は、飛躍しすぎじゃないか?」
敵意を剥き出しにしている先輩騎士は容赦なく指摘をした。しかしロカセナは他の誰かに助けを求めることなく、それに対して適切な言葉を選んで返す。
「あくまでも仮定の話になりますが、もしモンスターがある人物を殺したいと思っているときに、その人物を連れ去ろうとしている人間と出会ったら、どうするでしょうか? 多少なりとも知能があれば、この人間たちにつくことで、モンスターにとってお望みの人に会えるから、一緒に行動しようと思うのではないでしょうか?」
フリートはロカセナの仮説を聞きながら、目を見開いていた。
メリッグに至っては目を細めながら彼のことを眺めている。
「おい、ロカセナ、何か勘づいているのか? そのモンスターに心当たりがあるのか!?」
ロカセナは横目でフリートをちらりと見た。
「確証はない。けどリディスちゃんがモンスターの気配を感じた時に心底驚いた表情と、彼女が還術士であることを考慮すると、おそらくかつて彼女が還したモンスターと関係があるものが背後にいる」
「人型のモンスターが、だな?」
こくりとロカセナは頷いた。
フリートはリディスが還した人型のモンスターを思い浮かべる。共に行動していて衝突した相手は、二体しかいない。
「ラグナレクを慕っているやつか、口煩いアトリと関係しているやつか……。どっちも相手にしたくないし、早くしないと――リディスの身が危ない」
呟いた言葉は部屋の中に静かに行き渡る。フリートは背筋を伸ばして、カルロットを見た。
「隊長、リディスを捜させてください。お嬢様のことが最優先だとわかっていますが、おそらくリディスを捜し出せれば、そこにお嬢様が一緒にいるか、いなくとも居場所を聞き出せる可能性が――」
「鼻からそのつもりだ。お前にとってはリディス以上の女はいねえからな。早く見つけてきがやれ」
「ありがとうございます!」
フリートはしっかり頭を下げた。カルロットは腕を組んで、こちらを見据えてくる。
「だがどうやって見つけるつもりだ? それにどうやって対抗する? 相手は厄介な毒蜂を使う男たちと、人型のモンスターがいる。上手く動かねえと全滅するぞ」
「わかっています。……毒蜂使いの者には、メリッグの力を借りるつもりです」
話題に出されたメリッグは少しだけ眉を釣り上げた。
「遭遇したら温度を下げろってことね。わかったわ、毒蜂は私が相手をしてあげる」
「頼りにしているぞ。……モンスターについては俺が何とかします。アトリというモンスターと似ているのなら、ある程度行動は予測できます。そこまで慌てずに対処できるでしょう」
「そこまで言い切るなら、お前に任せるぞ」
不安要素もあるが、カルロットは渋々認めてくれた。
あとは時間をかけずに、相手を見つけだすかだ。
ちらりと置き時計に視線をやった。姫と皇子との会合まで、長針があと四周回る程度である。
この大きなラルカ町の中で、リディスと同時並行で姫を見つけるとなると、かなり骨が折れる作業だ。時間的にもかなりきつい。
とにかく今は動かなくては何も始まらないと思い、部屋を出て、町に繰り出そうとした。
その時突然、部屋のドアが軽くノックされた。身構えたフリートは、カルロットに承諾を得てからゆっくりドアを開ける。そこにいた人間を見て、フリートは眉をぴくりと動かした。
明るい茶色の髪の小柄な少女。フリートのことを必要以上に追っていた彼女が、今日はいつになく真剣な表情で見上げていた。
その凛とした表情に一瞬見とれてしまったが、すぐに手を軽く払う仕草をした。
「何しに来た。そこをどけ」
ヒルダは怯まず言い放った。
「わたくしに任せてください、シグムンド様」
下ではなく上の名で呼ばれて、振っていた手を下ろした。
「ユングリガ様が非常に危険な状態なのでしょう。わたくしであれば町をよく知る者たちに声をかけることで、いち早くユングリガ様のことを探し出せると思います」
「いったい何を企んでいる?」
驚きと困惑が入り交じる中で、後者が優先された言葉が漏れ出る。
ヒルダは害した様子を見せず、真っ直ぐ見つめてきた。
「シグムンド様のためになりたいだけです。それ以下でもそれ以上でもありません。何も見返りなど要求しません。――ユングリガ様の危機を、そしてミスガルム王国の危機を少しでも回避したいだけです」
「リディスが危機に陥っているって、どうして知っている。どうしてあいつを助けることで、王国の危機を回避できると思う?」
「大通りから少し離れた裏路地で、ユングリガ様は連れ去られましたよね。町人の何人かが目撃しています。それを聞きました。もしユングリガ様の身に何かあれば、王国に派遣されている貴族の娘が危険な目に遭ったとして、周囲から王国にかけて厳しい目が向けられる恐れがあると判断したからです。シュリッセル町も大きな町ですから、その影響は図らずとも大きいのではないかと思います」
流れるように言葉を紡いでいくヒルダに圧倒されながら聞いていた。
今までフリートと接していた少女とは、まったく違った女性に見える。
いや、今まで接していたヒルダが別人だったのだ。彼女はフリートに媚びを売るために、あえてあのような行動をしていたのだ。
「シグムンド様がわたくしのことを警戒するのはわかります。信用されていないのもわかります。今までご迷惑をかけてしまい、大変申し訳なく思っております」
ヒルダはただの少女でない。貿易商の娘として駆け引きをする、立派な大人の女性だ。
彼女は両手を体の横でさらにきつく握りしめた。
「虫がいい話ですが、今は私を女としてではなく、土地勘があり、頼れる人間も多くいるラルカ町の人間として捉えてくれませんか?」
反論する言葉など出てこなかった。決意に溢れた瞳で言い放たれて、心が動かないわけがない。
深々と息を吐き出すと、張っていた肩の力が緩んだ。斜め後ろでは微笑んでいるロカセナがいた。フリートの心境を素早く察してくれる相棒には、本当に感謝している。
床に向けていた視線を少し上げて、曇りのない瞳で見つめているヒルダと視線を合わせた。
「……俺は何もお前が望むことはできないが、頼んでもいいか、リディスの居場所を捜し当てることを」
ヒルダはにやりと笑みを浮かべて、軽く頭を下げた。
「かしこまりました、シグムンド様。私の好意として今回のことはやらせていただきますので、その点はご心配なく。捜索状況は逐一連絡を入れます。長針が一、二周するまで、しばらくお待ちくださいませ」
そう言うとヒルダは颯爽と廊下を走り、階段を駆け下りていった。
豹変した少女の後ろ姿をぼんやり見ていると、後ろにいたメリッグにくすっと笑われた。
「繊細な女心は、まだまだフリートにはわからないようね」
「悪かったな」
「いいのよ、不器用な貴方はそれで。リディスのことを大切にしていれば、他はどうでもいいわ。……貴方に惹かれて近づき、そして叶わぬ恋だと知ったら、きっとその人は思うはずよ。想いが届かないならば、貴方の力になりたい……と」
その言葉を聞いたフリートは気恥ずかしくなった。背後でにやけている第三部隊の騎士たちとは、しばらく顔を合わせたくない。
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