嘘と真の間の言葉(2)
* * *
「へえ、ここだったんだ。初めて来たよ。リディスちゃんはよく来るの?」
「たまに夕食をご一緒しているくらいよ。ヘルギールさんが政治についてわかりやすく教えてくれるから、とても勉強になっているわ」
「ご両親公認の恋人か。いいね、幸せで」
夜の帳が落ち、就寝までの穏やかな時間を過ごしている中、三人の男女が話をしながら歩いていた。
ロカセナはにやけながら、フリートと顔を真っ赤にしているリディスのことを見ている。フリートは黙々と大きな屋敷に行き、持っていた鍵でその入口の扉を開けた。光宝珠の明かりが漏れる屋敷に入ると、真っ直ぐ廊下を歩いていく。屋敷の中をロカセナはきょろきょろと見渡していた。
「フリートって本当にお坊ちゃまなんだね。見習い騎士の時はがさつな言葉ばかり使っていたから、そんな風には見えなかった」
「少しは黙ったらどうだ。それとも高い宿で寝泊まりするか?」
「弱みを握ると、すぐにそれを前に出す。あまりいい性格ではないと思うよ」
「お前に言われたくない!」
居間に入ると、目を丸くして立ち上がった、白髪が見える黒髪の男性と視線があった。傍にあった机には書類が広がっている。仕事の最中だった彼に対し、若干気まずい表情で口を開く。
「夜遅くに突然すまない、親父」
「別に構わないさ、お前の家だから。後ろにいるのはリディスさんと――」
「ロカセナ・ラズニール。俺の相棒だよ」
紹介されたロカセナは、フリートの父ヘルギールに向かって微笑みながら頭を下げた。
「初めまして、ヘルギール・シグムンド様。フリート君には大変お世話になっております。今回は
「まずは座ったらどうだろう? その方が落ち着いて話ができるだろう」
「お気遣い感謝いたします」
ロカセナが再度頭を下げると、フリートは彼とリディスをヘルギールがいる机の前に連れていく。そして父の前に三人並んで腰を下ろした。その場に座ったヘルギールは、手を組んでフリートを見据えた。
「さて、どんな用件だ、フリート」
「こいつをしばらくこの屋敷に滞在させて欲しい。あと、こいつと話したいことがあるから、俺も二週間ばかりはこっちに頻繁に出入りしたいと思っている。部屋は余っているから、いいだろう?」
ヘルギールの目が細くなる。彼は視線をフリートからロカセナに向け、値踏みするかのように見た。
やがてヘルギールは表情を緩めて立ち上がる。そして台所まで行って、棚からパンが入ったバスケットを取り出してきた。
「夕飯がまだだろう。作ってもらったスープが残っているから、それを飲むといい。――ロカセナ君、フリートとの思い出話を聞かせてくれるかい? 見習い騎士時代も、さぞ無茶なことをしていたんだろう?」
ロカセナは笑いながら、首を縦に振った。それを見たフリートは口を尖らす。さも当然のように肯定されるほど、無茶なことをしまくっていたわけではない。
にやけているリディスはヘルギールの傍にくると、彼の指示に従ってスープを温めだした。
フリートにとっては奇妙な光景が目の前に広がっていた。大切な人たちと共に、父と食事をとろうとしている。そのようなことを、かつての自分は考えていただろうか。
もし母親も一緒にいたら、さぞ喜んでくれただろうと思いながら、自分も手伝い出した。
簡単な夕食であったが、酒も呑んでいたためか、笑いが絶えないものとなっていた。
ロカセナは諸事情のため三年前に騎士団を退団したと言い、適当にフリートの話に乗っかりながら話を進めている。
傍から見れば不自然な内容ではないと思うが、ヘルギールの時折考え込んだような表情を見ると、何かを察している可能性が高かった。
皆既月食時や魔宝樹復活直後は、多種多様な情報が錯綜していた時期だった。騎士が裏切ったことに関しては箝口令が敷かれたため、一般市民にはほとんど知られていないはずである。
だが完全に情報を遮断できたわけではない。ささやかな噂を嗅ぎ付け、金や権力を使って情報を得ようと躍起になった者もいたようだ。その者が騎士団に息子がいるヘルギールに対し、誤った話を吹き込んだ場合もあり得る。そしてそれを信じてしまったという危惧はあった。
今のところヘルギールはロカセナの話を楽しそうに聞いている。ただの杞憂であればいいと願うばかりだ。
ロカセナは見習い騎士時代から、かつて背中を合わせていた騎士時代のことまで喋っていた。食べるのに専念するつもりだったが、時々フリートの失敗談もいれてくるため、なかなか食事に集中できなかった。
「フリート、お前は本当に無茶なことばかりしていたんだな。今の話を聞いていると姫がいなかったら、怪我だけではすまなかったぞ?」
叙任式直前に起こった姫の誘拐事件のことを話題に出される。思わずフリートは視線を逸らした。家族には言いたくない戦闘の一つである。それを持ち出したロカセナをぎろりと睨みつけた。彼は依然としてにこにこと笑っている。彼の掌の上で踊らされているようで、非常に面白くない。
フリートはむすっとしていると、聞き手役だったリディスがあっと声を漏らしているのが耳に入った。彼女は紅茶を飲み干したカップを流しに置くと、慌てて荷物をまとめ始めた。
「すみません、ヘルギールさん。夜も遅くなってきたので、私はここら辺で失礼します。ロカセナ、またね」
「おやすみ、リディスちゃん」
「リディスさん、またいつでも来てくれ。フリート、彼女を部屋まで送ってやりなさい」
「わかっていることをいちいち言うな」
既に腰を上げていたフリートは、リディスが持っていた大きな荷物を軽々と奪い取って先に進む。その後ろを彼女は慌てて追いかけた。
フリートとリディスが屋敷を出たのを扉が閉まる音で確認すると、ロカセナは残っていた紅茶を少しずつ飲み始めた。
気の知れた相棒の父親とはいえ、ミスガルム王国内の政治畑を自力で突き進んでいる頭が回る人間だ、油断はできない。
ヘルギールが立ち上がると、ロカセナは思わずどきっとした。彼は部屋の隅にある書類をまとめて、それらを腕で抱える。そして部屋を出る直前で振り返ってきた。
「書類を置いてきたら、部屋まで案内しよう。客人用の寝室があるから、そこでいいかな?」
「はい、構いません。お世話になります」
「いいんだよ。困った時は年長者に頼りなさい」
そう言って、ヘルギールは居間を後にした。彼が出て行ったのを見届けて、ロカセナは大きく息を吐いた。
生きていたら父と同じくらいの年齢の人間に対し、どう接していいかわからない。
物心付く前にロカセナの父は亡くなった。詳細なことを聞く前に母も逝ってしまったため、もはやなぜ死んだのか永遠にわからなくなっていた。ただ、ロカセナには父親がいないという事実だけが残ったのだ。
(まさかこんな事に気を病むことになるとは。フリートも気がきかないな)
再び嘆息を吐くと、書類を置いたヘルギールが戻ってきた。ロカセナは手早く机の上にあったカップを流しに置いて、荷物を持って廊下に出た。
フリートより背の低い男性の背中を見ながら、ロカセナは二階へ続く階段を上っていく。歩く度に軋む音がする。長年使われている屋敷のようだ。
「ロカセナ君、一つだけ質問してもいいかな」
上り終えると、はっきりとした口調で問いかけられる。ロカセナの鼓動は激しく波打っていた。振り向かれると、ぴりっとした雰囲気の中にも優しさが垣間見える男性が立っていた。
「これからもフリートのことを助けてくれるかい?」
予想外の問いをされ、ロカセナの薄茶色の瞳が大きく開いた。
どう返せばわからず黙り込んでいると、ヘルギールは部屋に向けて再び歩き出した。
「ロカセナ君、私はフリートほど綺麗事を言える人間ではないよ。目的を達成するために、そして多くの人の幸せを最優先で考えているが故に、少数派の人間の意見はすべて切り捨ててきた。その中には不幸な道を辿った人間も少なくないだろう。私の妻やかつてのフリートもそうだった。なるべくならそのような者はこれからは出したくない」
ロカセナはヘルギールの背中をじっと見つめる。フリートと比べて筋肉はついていないが、背筋をぴんっと伸ばしているからか、弱々しい印象は受けなかった。
「……君の噂は多少聞いている。フリートからもだ」
平静さを取り繕うこともせず、ロカセナは立ち止まった。ヘルギールはすぐ傍にあったドアに鍵を差し込む。
「大義を為すために、小さなことに目を瞑るのはやむを得ないことかもしれない。この国の王もそれくらいの信念で進んでいるだろう。ただその後にどのような行動をとるかで、実際におこなった人の立場は変わってくるものだよ」
ロカセナがヘルギールに近づくと、鍵を渡された。それを固く握りしめながら、口を開いた。
「……フリートは未だに見ていられない部分がありますからね。リディスちゃんも含めて助けますよ」
「ありがとう。私としてはその言葉を聞けただけで嬉しい。噂は過去のものとして流しておくよ」
ドアが開けられ、ロカセナは軽く頭を下げて中に入ろうとした。しかし直前でヘルギールが待ったをかける。
「そういえばロカセナ君、フリートとリディスさんに何かあったのかい?」
「やはりそう見えます?」
二人の関係が微妙にぎくしゃくしていることに、ロカセナはとうの昔に気づいていた。ヘルギールも先ほどの夕食のやりとりで察していたらしい。
「たぶんヒルダさん関係だろうが、リディスさんはそれ以外にも何か隠しているようにも見える……」
「ヒルダさんというのは?」
「縁談話がきている娘さんの名前だ。たまに屋敷に押し掛けてくるから、顔を合わせないよう気を付けてくれ」
「はあ」
ロカセナの記憶の中でヒルダという女性はいない。ここ三年の間にフリートが出会った女性なのだろうか。
「リディスちゃんも何かあるようですから、機会を見て僕でよければ話を聞いてみます」
「私もフリートとじっくり話をしてみようと思う。すまないね、来たばかりに」
「これも相棒の務めですから」
くすりと笑ってから、ヘルギールに頭を下げた。そして光宝珠を光らせて、部屋の中に入った。
フリートがリディスを送っている間、いつもより話が弾まなかった。普段と比べて半歩ほど彼女との距離があった。一歩踏み込んで寄り添うべきなのかと思いつつも、そのままの距離で歩いている。
「ヘルギールさん、承諾してくれて良かったね」
「前は堅物の面倒な親父だと思っていたが、話してみると意外と物わかりがいいから、大丈夫だろうとは思っていた」
「フリートの堅物さはそこからきているのね」
城から漏れる光りが目に入ってくる。城内には夜遅くまで残っている人が多数いるようだ。
「ここら辺で大丈夫よ」
もう少しで城というところで、リディスはフリートから荷物を奪い取った。
「おい、もう少し先まで――」
「いるわよ、彼女。ちょうど帰りがけみたいね。会いたいのなら一緒に行く?」
リディスが冷めた表情でフリートを見上げてくる。どことなく悲しそうにも見えた。フリートは道の先にいる少女を垣間見て、逡巡してから首を横に振った。
「……あいつとは会いたくないから、すまないがここで」
「そう、わかった」
淡々と言われて、リディスに背を向けられた。だがそのまま見送ることはできず、思わず彼女の手を取っていた。目を丸くしている間に顔を近づける。寸前のところでリディスはフリートのことを突き放した。あからさまな拒絶の態度をされ、呆然と立ち尽くす。リディスは視線を地面に向けていた。
「……暗いけど、ここは道のど真ん中よ。何をやっているの?」
「あ、いや、その……」
「今日はずっと移動だったから、疲れているのね。早く休んだ方がいいよ、鍛錬のために。――おやすみ」
まくし立てられるように言ったリディスは、フリートの挨拶を聞く前に、城に向かって走って行った。
金色の髪が光宝珠の光に照らされる。いつもは輝いて見えるが、今日は光の反射が悪いのか、あまりよく見えない。そんな彼女の後ろ姿が完全に見えなくなるまで、フリートはその場で背中を見つめていた。
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