後日談2 嘘と真の間の言葉

嘘と真の間の言葉(1)

 ミスガルム領の東に接しているアスガルム領の中心には、魔宝樹まほうじゅ――多くの人がレーラズの樹と呼んでいる大樹が存在している。その樹は時折、魔宝珠まほうじゅと呼ばれる宝珠を産み落としており、それをアスガルム領民は拾い上げ、自分たちや他の領の者たちに分け与えていた。

 人々に多大な恩恵を与える大樹。その周囲は常に厳重に護られており、悪意を持った者がその管轄に踏み入れれば、近くに漂っている精霊によって一蹴されると言われている。

 そのような魔宝樹の傍に、常に二種類の人間がいた。

 一つは魔宝樹を守護している者。

 もう一つはその者たちを護る者。

 前者はある一族の選ばれた者しかできないが、後者に関しては前者に認められれば誰でもなれるものであった。


 その後者の人物になったかつての仲間に会いにいくために、フリートとリディスは馬を走らせている。

 馬を走らせている間は楽であった。目の前のことに集中すればよく、リディスに話しかけなくても違和感はない。気まずい空気になりがちな状況としては有り難かった。

 リディスとシュリッセル町で再会してから、彼女は何か言いたいのか、口を開こうとしたが口ごもることが何度かあった。そしてようやく話しかけてきた矢先に、ヒルダが現れたのだ。

 明るい茶髪を綺麗に巻き、高そうな服を着ている、一目で分かる金持ちの家の娘。聞けば父親が港町の貿易商らしい。

 彼女に関してまったく記憶がなかったため、フリートの父ヘルギールにさり気なく聞くと、十五年近く前に開いた会食で、フリートと彼女らは顔を合わせていたようだ。会った事実はあるが、その際にかわした「将来を誓い合った仲」というのは、父も身に覚えのないものだった。

 フリートとしては早々にヒルダとの縁は切りたかった。好きでもない女と接するなどとても面倒だし、リディスに余計な気を使わせたくない。

 しかし彼女の父親とすれ違った際、さらりと言われた内容によって踏ん切りが付けなくなっている。


 ヘルギール・シグムンドやハームンド・シグムンドを城下町から追い出す算段などいくらでもある――と。


 その言葉はフリートの思考を膠着こうちゃくさせるには充分だった。

 過去のフリートであれば、そんなものは知らないと突っぱねていただろう。だがリディスのおかげで父や兄との確執がなくなった今では、聞き捨てならない内容だった。

 結婚したハームンドの妻のお腹には新しい命が宿っているという。そのような中で事を荒げたくない。

 また自力で今の地位を掴みとったヘルギールの努力を崩すようなことを、父を誇らしく思う息子としてはしたくなかった。 

 周囲を荒立たせずに、ヒルダとの関係を解消する手だてがあるはずだ。そう思って奔走している頃に、リディスをミスガルム城に連れ帰ったのである。

 彼女はヒルダのことを見て、非常に狼狽ろうばいしていた。ヒルダがあまりに馴れ馴れしく接していたからだろう。親しくしているつもりはないのに、くっついてきて、とても迷惑なことだった。

 それからか、リディスと少し距離を感じるようになった。

 何度かリディスに対して何か勘違いをしていると言おうとしたが、その度にヒルダが現れた。どこで目を光らせているのか不思議に思うほど、彼女はよく顔を出していた。

 もはや城の中ではリディスと二人で話すのは無理と悟ったため、外に出かけようとした時に伝えようとしたが、早朝まで現れる始末。

 リディスは冷めた目でフリートとヒルダとのやりとりを眺めていた。怒りもせず、表情を出さずに見ている姿が逆に怖い。

 こうなったら腹をくくるしかない。魔宝樹のもとに着いたら、自分の想いを含めてすべて話そう。たとえ元相棒にからかわれようが、素直な気持ちをそのまま伝えよう。

 それしか今の状況を打破する術は思いつかなかった。



 昼過ぎ、魔宝樹を取り囲む森を抜け、少し開けたところに出ると、巨大な大樹で視界がいっぱいになった。頭上は葉で覆われ、その隙間から陽の光が通り抜けていく。どっしりと佇む大樹は、フリートたちのことを静かに出迎えてくれた。

 心地よい風を感じつつ馬から降り、手綱を引っ張りながら歩いていると、小屋の前で太い木の棒を振っている銀髪の青年が見えた。彼はフリートたちに気づくなり、枝を置いて、笑顔で歩み寄ってくる。

「リディスちゃんにフリート、久しぶり。元気? あれ、二人とも何かあった? 微妙に離れていない?」

(無駄に勘がいい、この男はどうにかならないのか!)

 フリートは心の中で悪態を吐いて優男の青年を見た。表情も体も特に大きな変化はない。だが嫌みの程度は昔よりも緩んでいた。

「ロカセナは元気そうね。良かった」

 リディスがロカセナに向かって微笑む。すぐ傍で止まると、途端に彼女は真顔になった。

「どうしたの、リディスちゃん。僕に何か相談? フリートではなく、僕に乗り換えるの?」

「思ってもないこと言わないで」

 不機嫌そうな声を漏らして、肩掛け鞄から一通の分厚い封筒を突き出した。ロカセナは表情を和らげて、それを大切に受け取る。リディスはそれを指で示しながら、ぽつりと言った。

「……読んで欲しい。今すぐ」

「どうして?」

「私が話したいことが、そこに書かれていると思うから」

「リディス、どういう意味だ?」

 フリートはリディスのすぐ後ろに踏み込むと、彼女は胸元で右手を左手で握りしめていた。

「ロカセナが読み終わったら、フリートにも話す」

 銀髪の青年は封筒の表裏を軽く見て、何も書かれていないことを確認してから、小屋の入り口を指し示した。

「お茶淹れるから、中で話そう。二人が休んでいる間に僕は読むよ」

 ロカセナに促されて、綺麗に片づけられた小屋の中に入る。二人で中を物色している間に、ロカセナは紅茶を淹れてくれた。その匂いに誘われて、フリートたちは椅子に座ってカップに手を付けた。

 ロカセナも近くにあった椅子に腰を下ろすと、早速手紙を読み始めた。序盤の段階で目が大きく見開かれている。そして顔を手紙に近づけて、勢いよく読んでいった。

 リディスはロカセナの表情を見つつ、まるで気を紛らわすかのように紅茶をすすっている。小屋の中が徐々に重い空気になっていく。早く手紙の内容を知りたいとフリートは思いながらじっと耐えていた。

 やがてロカセナが手紙を閉じると、リディスに硬い表情を向けた。

「リディスちゃんは姫様から直接聞いたのかい? その……バナル帝国の……」

「聞いたよ、ミディスラシール姫とバナル帝国の第五皇子との縁談話」

「何だ、その話!?」

 淡々と言うリディスの発言を受け、フリートは前のめりになった。こちらにとっては寝耳に水の内容だ。

「リディス、他に誰が知っている? 隊長クラスは全員知っているのか?」

「たぶんほとんどの人が知らないと思う。カルロット隊長は知っているようだけれど……。公にできる内容ではないから、知っている人でも国王様から口止めされていると思う。私にはこの手紙を託すから、ミディスラシール姫がこっそり教えてくれたんじゃないかと」

「この手紙を目の前で読まれれば、どうせお前も知ることになるからな」

 フリートは机の上に置かれた手紙に触れる。それを取ろうとすると、呆然としていたロカセナに慌ててひったくられた。彼は一枚だけ抜き取って、それをフリートに差し出してきた。おそらく残りの手紙は個人的な内容だと思われる。フリートは渡された手紙を広げて、目を通した。

 事務的な口調の文章で、ミディスラシールがバナル帝国の第五皇子と縁談話が持ち上がっていること、その縁談話などを進めるために、彼が一度ミスガルム領に訪れるという内容が記されていた。

 どうやら二週間後にその者は来るらしい。警備計画などを考慮すると、フリートが城に戻る頃には大々的に発表されているはずだ。

 フリートは眉間にしわを寄せながら、手紙を机の上に置いた。

「バナル帝国との縁談話か。これは明らかに政略結婚だな。あの姫がこれを受けるのか?」

「必要な政略結婚も存在すると言い切っていた。姫がどう考えていようが、受けざるを得ない結婚だと思う」

 歯切れ悪くリディスは呟く。ロカセナはそんな彼女を優しい目で見ていた。

「たしかにそうだね。これを受けなければバナル帝国と緊張状態に陥る可能性もあるし、今後数十年のことを考えると、王としては皇子をこちらに引き入れたいだろう」

 彼の笑みが痛々しくて見ていられない。以前から作り笑いをしていたが、今回ほど誰でもわかる作り笑顔はなかった。

 フリートは机の下で手を握りしめ、相棒に向かって意を決して口を開いた。

「ロカセナ、お前は――」

「ロカセナはそれでいいの!?」

 フリートの声は、机を叩きながら立ち上がるリディスの声に遮られた。彼女の口元は震えている。

「ずっと想っていた女性が、まったく面識のない男にとられるのよ。それをただ傍観しているわけ!?」

「今は面識がなくても、今度会ったことをきっかけに二人の仲は深まるかもしれない。……会ったこともない相手を悪く言うのは良くないよ、リディスちゃん」

「別に悪く言っているつもりはない。私が聞きたいのは、ロカセナがそれでいいのかということよ」

「それでって?」

 リディスは人差し指を真っ直ぐロカセナの胸に突き刺した。

「その胸に秘めていることを伝えずに終えることよ!」

「むしろ伝える必要あるかな? そんなに必要なら、手紙を書いて――」

「お願いだから、本心を言って」

 リディスの一言はロカセナの口を閉じさせた。彼は笑うのをやめて、真顔で見上げてくる。冷淡さも醸し出す彼の表情に怯まず、リディスは続けた。

「手紙を書くのと、直接言うのとでは感じ方が全然違う。それくらいわかっているはずよ。――あちらの皇子が来たら、ミディスラシール姫だって彼に気を使わなくてはならない。もしかしたらとんとん拍子に話が進んでしまうかもしれない。そうしたら姫と元騎士の間柄である貴方とでは、もう会えなくなる可能性があるのよ? 手紙すら交換できなくなるよ?」

「もともと相容れない関係だったんだ。今でもその関係が続いているのが奇跡だろう。だからこれ以上――」

「ずっと大切に持っているわよ、貴方が贈ったピンク色の石が付いているペンダントを」

 感情を殺してきたロカセナの目が僅かに開く。リディスはそっと手を広げて、彼に差し出した。

「行こう、ロカセナ。ここにいても何も始まらない。別れの言葉を伝えるのでも、そうでなくても、ここに留まっていてはできない。ねえ、そうでしょう?」

 俯いていたロカセナは無言のまま封筒を持って立ち上がり、フリートたちに背を向けた。そして奥にある寝室に引っ込んで、ドアを静かに閉じてしまった。

 リディスは肩をすくめて、椅子に座り込む。フリートの視線に気づくと、小さく苦笑した。

「上手くいかないものね。感情的になりすぎた?」

「いや、いいんじゃないか? あれくらい感情をこめて話さないと、ロカセナの心には届かない。頭を冷やす時間も必要だから、しばらく待とう。その間にイズナさんのところにでも行ってくるか?」

「そうね、その方が――」

 話している途中、音を立てながら奥のドアがゆっくり開いた。二人揃って顔を向けると、銀髪の青年が手を握りしめながら出てくる。哀愁漂う表情を浮かべている青年が持っているものは、彼が愛用している瑠璃色の魔宝珠だった。

「この魔宝珠はかつて母さんが自分の想いを込めて贈ったものだ。そして叙任式の時に姫からさらに強い願いを吹き込まれたものでもある。……気づいていたか、フリート、叙任式の前後ではこの魔宝珠から感じるものが若干違うって」

「ああ、本当に僅かだがな。やっぱり何か変わっていたんだな」

「おそらく姫様の想いだろう。誰にも死んで欲しくないという、優しい想いが」

 そしてロカセナは魔宝珠を紐が付いている球状の檻のようなものに入れて、首から下げた。三年前のあの日から、魔宝珠を下げようとしなかった彼が自ら進んで行った。その事実を知っているフリートとリディスの表情は思わず緩んだ。

 ロカセナはリディスの目を真っ直ぐ見据えてきた。

「姫様の都合が付けば、一度きちんとした形で会いたい」

「都合は何とか付けてもらおう。私から姫に伝える。ただ最近忙しいみたいだから、ちょっと待ってもらうことになると思う」

「どれくらい待つことになるかな。あまりお金の持ち合わせはないんだ。もし城下町で宿をとって待つとしたら、日数はかけられない」

 視線をやや下げて、ロカセナはぼそりと言う。彼が住んでいる小屋の中は必要最低眼のものしかなかった。

 現実的な問題に対し、リディスは腕を組んで思案を巡らそうとする。

 ふと、フリートはある一つの考えが思い浮かんだ。ロカセナが滞在する場所としては、悪くないところだと思う。あとは彼がその話に乗るかどうかだ。

「ロカセナ、滞在場所について一つ提案がある」

「何?」

「お前が構わないのなら――」

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