あなたと初めて踊る夜は(4)
意識が戻り、目を開けると、横でフリートが膝をたてて床に座り込んでいた。険しい顔をして、斜め前を見据えている。彼は上着を着ておらず、ワイシャツ姿だ。その上着はリディスの上にかけられていた。
微かに動くと、フリートがこちらに気づいて視線を向けてきた。
「起きたか。大丈夫か?」
大丈夫と言おうとしたが、声が出てこなかった。完全に喉がやられてしまったようだ。手を付いて、ゆっくり起きあがる。しかし途中でふらついてしまい、フリートに向かって倒れ込んでしまった。彼は優しく受け止めてくれる。そして耳元に口を近づけてきた。
「……お前はもう動くな。あとは俺たちでやる」
顔を上げて目で訴える。自分は大丈夫だ、自分だって救出作戦に乗り出せると言いたかった。
だが言葉はかすれ声となって、誰にも聞かれずに消えていく。
不甲斐ない。敵地に忍び込んでこの
視線を逸らしてリディスはフリートの横に座り直す。彼はリディスの背中に上着をかけ直してくれた。
自分の浅はかさを恨みつつ、視線を前に向けると、あの男が何かを話しているところだった。他の参加者は全員目を輝かせて聞き入っている。
「……お前が意識を失っている間の話の内容は、レーラズの樹の偉大さをひたすら言っていただけだ」
フリートは声をひそめてリディスが聞きたいことを言ってくれた。その内容を加味して男の話を聞いていく。
男は拳を握りしめて、声に熱を帯びながら一同に訴えた。
「本来レーラズの樹というのは、私たちに対して平等に加護を与えるべきものです。しかし現状はアスガルム領民とミスガルム王国によって、その加護は搾取されています。本当にそれでいいのでしょうか!?」
「いいわけあるか! 俺たちにも加護をよこせ!」
酔っぱらっている青年が、拳を振り上げて賛同の意を示す。それに数人の青年たちが続いた。
豪華な食事をさせることで財力を見せつけ、アルコール度数の高いものを飲ませることで判断力を低下させる。そしてその間に考えを刷りこませて、あっという間にその気にさせてしまう。
さらに同時並行で興味がある者を返事や様子から判断して、予め篩い分ける。
思った以上に用意周到な集団の行動だった。
「さあ、賛同する人はどうぞここに署名してください! 署名をしていただいた方には、会の代表からお話をいただきましょう!」
リディスたち以外の人間は、すぐさま男の元に駆け寄った。酔った勢いで書いている者と、心の底から賛同していると思われている者が書いている。
彼らの様子を眺めていると、リディスたちの頭上に影がかかった。顔を上げれば、先ほど話しかけてきた男の姿があった。
「今の話を聞いて、お二方はどう思われましたか?」
フリートはちらりとリディスのことを見る。表情が優れない様子を見ると、彼はそっと頭を撫でてきた。
「すみません。体調の悪い彼女を気遣っていたので、よく聞いていませんでした。ただ断片的でしたが、頷ける点はいくつかありました」
「そうですか。では彼女の体調が治り次第、今一度話を聞いてください。とりあえずここは寒いので、部屋を移動しましょう」
男はそう言って、移動を促してきた。フリートに支えながらリディスは立ち、男の後ろをついて部屋を出ていく。外に出ると、あの跳ね上げ扉の前に五人の男たちが立っていた。まるでここから逃さないというような体制である。
その者たちの前を通り過ぎていると、一人の青年が寄ってきた。意識を失う直前、リディスにコップを差し出した男だ。
「何だ?」
フリートが男を睨みつける。彼は口元に笑みを浮かべて、深々と頭を下げた。
「そちらの方の喉を痛めてしまったようで、申し訳ありません。是非とも挽回の余地をいただければ」
「挽回だと?」
うろんげな目でフリートは男を見下ろす。
「ええ。喉に優しい飲み物を――」
「――そう言って、また彼女に毒を飲ませるつもり? 敏感で良さげな被検体を見つけたから」
批判じみた中性的な声が話に割り込んできた。視線を背後に向けると、黒いスーツを着た銀髪の青年が、誰かを庇いながら立っていた。青年――ロカセナは六人の男たちを眺める。
「さすがに我慢できなくてね。監禁と精神的な暴行でも吊し上げられると思ったから、横入れさせてもらった」
「監禁だと?」
ロカセナの後ろから、一人の少女が出てきた。アスガルム領民で助けを求めてきた母親と似ている。彼女が探していた娘か。ざっと見た限り、怪我を負った様子はないようだ。
「鍵がかかった部屋を開けたら、彼女が縮こまって中にいたよ。どうやら色々な薬を飲まされていたみたいだね」
ロカセナはぎろりと男たちを睨みつける。
「――いい加減にしろ。アスガルム領民だって、お前たちと同じ人間だ。同じ体の構造をしている。加護があるからって、きつい毒に耐えられるわけないだろう!」
少女は口元に両手を当てて、肩を震わしていた。彼女がここにいたのは、おそらく一週間程度。その間、毒を飲まされ続けていたのか。酷すぎる。
そしてロカセナはリディスを手で示した。
「彼女にも同じような毒を飲ませたな? 可哀想に声が出なくなっている。――世の中には敏感な人がいるんだ。お前たちみたいな鈍感なやつらと違って、ちょっとした量でも過剰に反応してしまう人がいるんだよ」
ロカセナは冷笑を浮かべながら続ける。
「適切な毒の量を知るために、こういう大勢いるパーティを使って実験するのは悪くないが、あまりにも堂々と動きすぎていないか? これでは捕まえてくださいと言っているようなものだろう? ……大樹の話題を振りかざして、裏ではそんな卑劣で間抜けなことをする奴らには――一度黙らせる必要があるね」
言い切ったロカセナは隠し持っていた短剣を抜く。五人の男たちも腰から下げていた剣を抜いて、彼に斬りかかった。
ロカセナは軽々とかわして、剣を弾き飛ばす。そして男の体に次々と蹴りを入れて沈めていった。
フリートは横目でその様子を見ながら、近くにいた男の背後をとると、腕を握って、その場に叩きつけた。
「お前も仲間か……!」
「背中を見せるなんて、お前たちもまだまだだな」
そして二人の青年は男たちの意識を次々と奪っていった。
乱戦となった通路で、リディスは邪魔にならないよう、壁に寄った。するとその途中で背中に冷たいナイフが突き付けられる。
「残念だよ。僕たちの考えに賛同してくれたと思っていたのに、それを装っていたなんて」
リディスたちを勧誘していた男が冷めた声で囁いてくる。ナイフはゆっくり下に移動していった。ドレスに当たると一度ナイフを離す。今度は肩下から横に一直線に移動していった。
「君を毒に侵されて死にかけた状態で、大樹に突き刺してあげる。きっと樹の加護なんてないだろうって思いながら死んでいくよ」
他の男たちを黙らせたフリートとロカセナが振り向いてくる。リディスの背後にいた男は、首脇にそっとナイフを添えてきた。
「銀髪の男、この女を傷つけられたくなかったら、後ろにいるアスガルム領民の女を俺に渡せ。それに従わなければ、この女の未来は――わかっているよな?」
「――なにそれ脅し? 本当に傷つける気あるの?」
「試してみるかい?」
男のナイフを握る手が強くなり、やや首に強く食い込む。唾を飲みこんで、痛みを堪えた。
ロカセナは視線をフリートに向けて目配せをする。彼もやり返しつつ、リディスの右腕をちらりと見た。銀髪の青年の意識もそちらに向かれている。視線の先にあるものを思い出し、リディスはその意味を察した。硬い表情で二人に頷き返す。
フリートは緋色の魔宝珠に手を伸ばそうとすると、男は目敏く睨んできた。
「おっと黒髪の男、魔宝珠には触れないでくれよ」
「ああ、俺は触れないよ」
フリートが笑みを浮かべると、リディスは反転しながら無言詠唱でショートスピアを召喚した。そして目を見開いている男の甲をスピアで叩く。その衝撃でナイフが床に落ちた。
「この女……!」
予備のナイフを取り出そうとするが、リディスが男の喉元を突く方が先だった。少しでも動けば喉を突き刺す位置でスピアを止める。声は出ないが、眼力だけで男を制す。
「――知っているかい、お兄さん。たしかに男の方が腕力は強いよ。でもね、精神的には女性の方が遥かに強いと僕は思うんだ。屈服せず、毒に耐え続ける。声が出なくて傷つけられても、攻撃を試みる。それくらいできる精神力が、彼女たちにはあるんだ」
ロカセナは男の真横に来て、くすりと笑いながら横目で見た。
「それを見極められなかったのが、君たちの敗因だよ」
男の腹に拳を深々と入れ込む。男は悶絶しながらその場にうずくまり、ロカセナの手によって首の後ろに手刀を入れられると、意識を失った。
騒ぎを聞き付けて部屋の中からでてきた男たちは、すぐさまフリートが沈ませていった。
ほどなくして騒ぎが一段落する。リディスはほっと息をついて数歩下がった。そして傍に寄っていた黒髪の青年の体に背が当たると、その場に座り込んだ。
体力が削られている状態での無言詠唱は、体に多大な負荷がかかる。声を出したいのに出せないという、自分が意図していないときの詠唱は尚更だった。
どうにか難を乗り越えてほっとしていると、近くにいた少女と視線があった。彼女も疲れ切った表情をしている。彼女と視線をあわせると、二人で表情を緩ませた。
* * *
その後、『大樹を囲む会』の幹部の人たちを吊し上げることができた。
ロカセナが言ったとおり、リディスは毒を飲まされたらしく、それによって喉元に酷い炎症を引き起こされていた。その炎症を見たことで、その会が危険な毒薬を扱っていると立証できたため、今回の検挙につながったのである。途中で意識を失うという不甲斐ない行動もしたが、結果としてはよかったようだ。
アスガルム領民の娘も、ちょうど毒が抜けたときだったため、比較的元気な姿の時に救出されることになった。後遺症はない毒を飲まされたらしいが、念のために町の診療所で見てもらってから、戻ることになっている。
会の熱心な信仰者は、会の公約がまったくの嘘と知り、たいそう落ち込んだり、荒れ狂ったらしい。丁寧に説き伏せたり、時には体を使って抑え込んだりしたことで、何とか
リディスの喉の炎症も収まり、少しずつ声が出せるようになった頃、ロカセナは娘を連れて、アスガルム領に戻ることになった。
「行ってしまうのね……」
「僕の居場所はここではないから」
リディスが視線を下に向けていると、ロカセナはフリートの肩を叩いた。
「フリート、リディスちゃんの笑顔を護ることが、お前の仕事なんだ。こんな表情をさせないようにしろよ」
「ああ、わかっているさ。――ロカセナ、また会えるよな?」
「フリートたちが望めば会えるよ」
ロカセナは娘を先に馬に乗せて、その後ろに自分も馬に飛び乗った。手綱に手を付けたところで動きを止める。そして口元に笑みを浮かべて、二人を見下ろした。
「二人のダンス、とても面白かったよ。今度会う時までに、もう少し練習しておいたほうがいい。ちぐはぐし過ぎていて、ちょっと見ていられなかったから」
「見ていたの!?」
「そのこと誰にも言うなよ!」
リディスは顔を真っ赤にして固まり、フリートは全力で首を横に振る。慌てている二人をにやにやして見ながら、ロカセナは手綱を持ち上げた。
「今回はこれくらいで済ますけど、今度僕をからかったら、百倍で返すから覚悟していてね。じゃあ元気で」
そして彼らは青空が広がる大草原に向かって走り出した。
リディスは大きく手を振りながら、小さくなっていく背中をフリートと共に見つめ続けていた。
番外編八 了
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