未来へ踏み出す理由(6)

 メリッグはヘラに向けて氷の刃を放ったが、それは彼女の氷の防壁によって砕かれた。砕けた氷は粉々になり、風に浮遊されながらその場から散っていく。

 ヘラの顔や服にも粉上になった氷が付き、触ると水滴となって手に付いていた。メリッグが連続して攻撃をしないでいると、彼女は鼻で笑った。

「似たような攻撃をするということは、召喚するネタは尽きたというわけですね。その攻撃はもう通じませんよ。――ではひと思いに殺してあげましょう。他の人たちが負けてしまったため、メリッグさんに構っている暇は私にはもうないんです」

 ヘラは傷の痛みに堪えながら右手を高々と掲げた。彼女の頭上で表面が多数の針で成り立っている、氷で作られた球ができあがった。彼女が得意としている召喚物、追尾機能が付いた氷の塊だ。

 メリッグは深々と息を吐き、両腕をだらりと垂らした。ヘラは冷めた目で見据えながら一言呟く。

「さようなら、メリッグさん」

「……ごめんなさい」

 メリッグの声がヘラの耳に届く前に氷の塊が移動し始めた。だが数秒進んだところで静かに砕け散る。

「え?」

 呆然としていると、ヘラの両手が氷で包まれ始める。その氷は体の前で交差するように作られ、氷を通じて両手が繋がったのだ。

「ちょ、ちょっと!?」

 同時に地面についた両足までもが凍結し始める。あっという間にヘラの両手両足の自由は奪われた。

 何とかして氷を砕こうと、動ける範囲で彼女は体をくねらせるが、その抵抗に反発するかのように氷が股や肘の部分まで伸びていく。

 舌打ちをしているヘラの目の前に、メリッグはゆっくり近づいていく。哀れみを含んだ視線を送られた彼女は不機嫌そうな表情になった。

「メリッグさん、こんなに離れているのに行動を封じる氷を召喚するなんて、さすがですね。以前も似たようなことをしましたが、その時はかなり体に負担がかかったのではないですか? 今もお辛いのでは?」

「悪いけれど、あの時の召喚とは違うわ。前回は広範囲に渡って召喚する者を捉えるようにした。けれど今回は貴女の周りにしか氷は現れていない。なぜだと思う? ……さっき氷をたくさん砕いたでしょう。その水滴を貴女は払わず、体には水滴がたくさん付いた状態になった。そして私が召喚を発動する言葉を述べた結果が――これよ」

 ヘラは周囲に点々とできている水滴を忌々しげに眺めた。水滴に水の精霊ウンディーネの加護を宿らせておけば、メリッグの言葉と共に氷を召喚させることは可能である。

「まったく油断ならないですね。ですが、手足の自由だけ封じても何も変わりません。――我が水の精霊、この女に氷の刃を!」

 ヘラは大声をあげる。だが周囲の様子はまったく変わらなかった。

 召喚ができず眉をひそませているヘラの前に立つと、メリッグは視線を下げた。

「今、私の水の精霊を使って、他の水系の召喚を抑え込んでいる。だから水しか召喚できない貴女にはもう勝ち目はないのよ」

 同じ精霊の加護を受けている者同士の場合、ある程度の実力や状況差が付くと、精霊の中でも優劣が付き、下の者は上の者に対して逆らえなくなる。つまり攻撃するのが不可能になるのだ。

 ヘラはぎろりとメリッグを睨み付けていたが、やがて肩の力を緩ませた。

「……参りました。私の負けです。さあ、遠慮なく殺してください」

 俯いたヘラは抑揚のない声で言葉を吐く。メリッグは首を横に振り、彼女の顔が手で届く範囲まで近寄った。

「殺すつもりはない。ここで大人しく捕まりなさい」

「私、捕まっても未来はないですよね。たくさんの人をさんざん危険な目に陥れましたから」

 メリッグは結界の外にいるミディスラシールたちの様子を盗み見た。まだ大量のモンスターを還しているのに時間を要しているようだ。

 おそらく彼女であればロカセナのことも含めて、同志たちを極刑にするような発言はしない。彼女は優しすぎるからだ。

 だが国王や他の者たちはそうとも限らない。特にルドリという団長、王国を危機に陥れたという罪で容赦なく斬りそうである。結果として死ぬのならば、ここで殺した方がいいのだろうか。

 護身用に持っているナイフを使うことで、メリッグが彼女の心臓を貫くことは可能だ。しかしメリッグには彼女を殺す理由など、何一つなかった。

「早く殺してくださいよ。氷柱を召喚して突き刺せば一瞬でしょう」

「だからそんなことしない。する理由がない」

「――ここで殺さなかったら、メリッグさんのお友達を私が殺すかもしれないと言っても?」

 ぴくりと眉を動かした。それを見たヘラは肩を震わせていたが、やがて大きな声で笑いだした。

「あははは! 弱点を自ら吐露とろするなんて、何て愚かなんでしょうか! 殺さなければ殺される。それはプロフェート村で思い知ったでしょう!」

 メリッグは腰にあるやや青みがかった透明な魔宝珠に触れた。水晶玉を召喚物とするその魔宝珠は、自分にとって始まりの地であるプロフェート村のことを思い出すきっかけにもなる。

 かつてプロフェート村において、バルエールは自分が殺されるのを防ぐために、襲ってきた者たちを殺めた。

 メリッグも彼が多くの人を殺めていたのを目にし、それを止めるために心中という行為をとった。命でも止めねば、彼は止まらないと思ったのだ。


 だが果たしてそれらの行為から、何が生まれただろうか――。


 自分や仲間を殺そうとしている相手を生かしておくのは、たしかに怖い。毎日脅えながら生きていかなければならないのは、とても苦しい。

 しかし、殺すということは、その人の未来を奪うということ。

 予言によって他人の未来を示すのを恐れるのと同じように、他人の未来を自ら奪うことが、メリッグにとっては何よりも怖いと感じるようになっていたのだ。

 バルエールの命を奪った自分自身を思い出す。

 今も消えない血の感触。ずっと悩まされ続けている罪の意識。

 もしもここでヘラの命を、正当防衛とはいえ奪ったら、同じことの繰り返しになる。

 メリッグは手を伸ばし、ヘラの首もとにある魔宝珠を奪い取った。彼女は眉をややひそませた。

 それを一瞥すると、今度は彼女の黒髪を二つに結んでいる紐の一つに手を付けた。すると彼女の表情が一転し、焦ったような表情になる。

 それを見てメリッグは確信し、堅く結んでいる二つの紐を、ナイフを使って切り取った。それらの紐の中から、群青色と黒色の魔宝珠が出てくる。

「胸元にある魔宝珠は囮。こっちの二つの魔宝珠が本物。水の精霊ウンディーネとモンスター召喚で使っているものたちね」

「その魔宝珠をどうするつもり!?」

 メリッグは一歩下がり、噛みつく勢いで叫んでいるヘラに向けて、魔宝珠を手のひらに乗せて差し出した。

「預かるわ」

「な……っ!」

「これで貴女は召喚ができない、ただの女に成り果てる。――時がくるまで大人しくしていなさい。どうせその状態では、しばらく動けないでしょうから」

「……何それ。結論を先送りにしているだけじゃないですか」

 ヘラの呟きにメリッグは軽く目を伏せた。魔宝珠を握りしめて、自分のポケットの中に仕舞い込む。

「メリッグさんはいつもそう。予言という、大層なことをしているように見せかけて、実は責任逃れをしているだけ。導く方向が間違っていたり、結果が思うようにいかなかったら、『予言だから』で済ますんでしょう」

 動きは封じたが、ヘラの言葉は止まらない。その一言一言がメリッグの心を抉ってくる。

 大きな声を出して否定したい。だがそれでは彼女の思うツボである。

 息を吐き出し、肩の力を抜いて視線をヘラに向けると、その奥から歩いてくる赤褐色の髪の青年や、今まで旅をしてきた仲間たちの姿が目についた。

 運命に翻弄される娘、未来を切り開くために小さな扉をこじ開けようとする青年、周りにいる人々を支える眼鏡の青年、そして馬鹿で無鉄砲な青年。

 この大陸の未来を何気なく予言をし、リディスたちに接触しようと思った時から、メリッグの中で止まっていた時間は動き始めていた。

 真実を示してくれるかどうかはわからない、予言。

 しかし、メリッグや人々に一つの道標を作り出してくれるのが、予言なのだ。

 メリッグは自身の魔宝珠に触れて水晶玉を召喚した。戦闘とは無縁のものを出されたヘラは怪訝な顔をしている。両手で水晶玉を持ち、使い慣れた言葉を淡々と並べていく。

「――遠き未来を、そして近き明日を見るために、ヘラ・エーギルの未来を映し出せ」

 透明であった水晶玉の内部が急速に白い靄で包まれる。ヘラは目を丸くしながら、水晶玉を凝視していた。氷が薄らと溶けているのに気づきもせず見つめている。

 目を細めて白い靄を見ていると、鮮やかな色の花畑が一瞬だけ垣間見えた。僅かな時間であったが、印象的であったため、はっきりと脳内に刻み込まれる。

 やがて再び靄に包まれたところで、ヘラの隣まで寄ってきたトルが声をかけてきた。

「何か見えたのか?」

 メリッグはその言葉によって意識を戻し、ヘラに向けて穏やかな表情を向けた。

「未来は考えている以上に明るいかもしれない。ここで死ぬのは得策ではないと思うわよ」

「かもしれないって、そんな言葉、誰が信じるんですか」

「信じるのは自由よ。予言が絶対でないのは、予言者であれば誰もが知っていることだから。――新しい一歩を踏み出すには、時として目を背けたくなることと正面から向き合う必要がある。……ヘラは七年前から、何も踏み出していない」

「踏み出しています。レーラズの樹をこの地に降ろすのを手伝っているじゃないですか!」

 かっとなったヘラの腕を包む氷に僅かな切れ目が入る。その異変に気づいたメリッグは水晶玉を魔宝珠に戻し、水の精霊だけに力を集中して再度氷結させた。

「樹を降ろした後はどうするの?」

「どんな世界になるかわかりませんからね。特に考えていません」

「つまり何も考えていないのね。……貴女が流れに身を委ねた結果、最終的には大陸が滅ぶかもしれないわよ」

 その言葉を発した瞬間だけ、まるで時が止まったかのように静まり返った。

 ヘラは目を大きく見開きながら、顔をひきつらせている。

「な、何を言っているんですか?」

「言葉通りよ。レーラズの樹をこの地に降ろすのと同時に、この大陸を破壊するモンスターも現れることになる。貴女にはその覚悟があるの?」

 メリッグは躊躇いもなく言い切る。それを聞いたヘラは動揺を隠さずに、目をきょろきょろさせ始めた。

「大陸を滅ぼすって、そんな大げさな話聞いたことがありません。たしかにモンスターが出現するのは聞いていますが、せいぜい国や町を滅ぼすくらいだと……」

 どうやらゼオドアはヘラや他の同志たちに、今後起きる事象を正しく伝えてないらしい。

 当然のことだろう。自分の命まで消える可能性がある出来事を起こすなど、普通の人間ならしたくない。

 この事実を今のヘラに受け入れさせることは難しいかもしれない。だが今だからこそ、真実を伝えなければ。

「ヘラ、それは違うわ。樹と共に封印されているモンスターは、五十年前にドラシル半島にいる多くの人が死すら覚悟をした相手よ。力を蓄えたそれが復活すれば、確実にここは消え去る」

「何を根拠にそんなことを……」

 視線を泳がせながら言い返している彼女の様子を見つつ、メリッグは次の言葉を探していると、突然背後に突き刺さるような殺気を感じた。

 頭上を見ると、いつの間にかゼオドアが張った結界が消えている。眉間のしわがさらに寄った。トルの後ろでは、フリートがリディスの傍に寄りながら、バスタードソードを握り直している。

「……まったく休む暇くらいちょうだいよ」

 メリッグが肩をすくめた数秒後、リディスを中心として砂埃が同心円上に五か所、垂直に発生した。モンスターとの戦闘がひと段落したミディスラシールたちも警戒しながら、その砂埃を円の外側から睨み付ける。

 そして緊張感を保ったまま砂埃が消えると、五体の人型のモンスターが口元を緩ませてその場に姿を現した。

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