未来へ踏み出す理由(4)

 先手必勝で還したかったリディスだが、大蛇ヨルムガンは非常に奇怪な動きをするため、なかなか攻めきれなかった。むしろ毒を持っている牙の攻撃から逃げるので精一杯である。

 ルーズニルが後ろから攻撃を加えようとするが、ヨルムガンの尾が細かく動くため、彼の拳はいつも空を切っていた。

 ショートスピアだけで対処できないならば、他の力を使う必要性がでてくる。体に負担がかかるのを覚悟して、四大元素の精霊たちを呼び起こすために召喚の言葉を口にしようとした。

土の精霊ノームよ、力を――」

「待って、リディスさん」

 制止の声がかかり、言葉は中途半端なところで止まった。ヨルムガンを飛び越えて、眼鏡をかけた青年がリディスのすぐ横に飛び降りてくる。

 彼の手には頑丈なナックルがはめられていた。スピアの切っ先をヨルムガンに向けつつ、返事をする。

「何でしょうか、ルーズニルさん」

「精霊召喚はしないで。このモンスターは僕が還す」

「ですが……」

 ルーズニルの腕を信用していないわけではない。しかし、相手と接触しなければ攻撃を与えられない彼には、牙に触れたら毒に犯される戦闘では不利だと考えられる。

 浮かない表情を向けると、彼はリディスの心を落ち着かせるように、にっこりと笑い返してきた。

「大丈夫。牙に触れなければいいんだろう。大きさは違うけど、昔似たような蛇の相手をしたことがあるから、心配しなくていい」

「どうやって倒したんですか!? 私に手伝えることがあれば、やりますよ!」

「そうだね……リディスさんは敵の注意を引き付けてくれるかな。攻撃はせずに逃げに徹していいから」

「お一人で攻撃するんですか?」

「一人じゃない、風の精霊シルフも一緒だよ」

 ルーズニルが薄緑色の魔宝珠を掲げると、緑色の髪の少女が現れた。靄がかかっているが、半実体化している精霊を召喚するのは並大抵のことではない。

「今、凄いと思っただろうけど、そうでもないよ。半実体化くらいなら、過ごしている期間が長ければできるから。ケルヴィーと比べると、そよ風を吹かすくらいしかできない。でも、だからこそ――」

 真摯な眼差しをヨルムガンに向けた。

「限界がわかっているから、そこからは頭を回転させればいい」

 ルーズニルが手を使って右に移動するよう促す。リディスはその指示を受けて、足を動かした。

 二人の間に一定の距離ができたところで、彼は眼鏡越しからヨルムガンをじっくり睨みつけた。



 ルーズニルの妹スレイヤが、さらに槍術を磨きあげようとしたきっかけは、七年前にモンスターによって殺された両親の死であった。

 元々体を動かすのが好きな彼女は、十歳くらいから父の下で槍術を習っていた。

 ルーズニルも槍を持たされたことがあったが、伸びる要素がなく、すぐに槍を置いてしまったものだ。そのためスレイヤの槍術が上達していくのを、父は非常に嬉しく見ていたらしい。

 一方、ルーズニルは昔から本を読むことが好きで、母が所有しているものから知人や友人に借りた本まで、片っ端から読んでいた。次第に知識は膨大な量になり、将来は村を出て、より知識を増やしたいと思っていた。

 そんなある日、ルーズニルが十六歳の時、柄の悪い連中に適当な因縁をふっかけられて暴行されそうになった時があった。

 だが間一髪のところで、槍術の腕を上げていたスレイヤに助けだされたのだ。妹の強さに驚きつつも、妹に助けられた自分が情けなく思った。

 それから自分自身を護ることを第一にして、体術を学び始めた。自ら突っ込むのではなく、反撃を中心とし、相手の出方を見ながら攻める型。経験豊富な人間に教えてもらったため、今ではそれなりに形になっている。

 しかし圧倒的に経験が足りなかった。スレイヤからモンスターの話を聞いたりしたが、実際に戦闘しなければわからないことが多かった。だからか、リディスたちと出会い、旅をしてからの方が格段に強くなっていた。

 ヨルムガンのような大蛇に関しては、スレイヤから聞いた話と、ルーズニルの背丈くらいの蛇型モンスターを還した時の情報しかない。こんなにも巨大なモンスターと対峙するのは初めてであるため、見上げる度に息を飲んでいた。

 だが、所詮は蛇。

 拳を固めなおして、思考を巡らせ始めた。



 フリートとしては、一人で巨大な狼を二匹も相手をするのは、正直言ってかなり辛いところだった。

 本来ならば騎士団の一班を使って、対抗すべき相手だ。結界の外にいる騎士たちと連携を取りたいが、今の状況ではそれは叶わなかった。

 結界の外を見ると、カルロットやセリオーヌなど、第三部隊の騎士たちが中心となり、ゼオドアの手によって召喚されるモンスターを次々と還していた。

 ミディスラシールは後方に下がって、状況を見ながら精霊召喚で個別に攻撃しているようだ。体力を温存しているように、とカルロットにでも言われたのだろう。

 意識を正面に戻すと、スコルとハティが牙や舌をちらつかせて、近づいてきた。深呼吸をしてから、二匹を睨み付ける。そこまで素早くない単調な攻撃を避けるだけなら、比較的簡単にできた。

 モンスターや動物といった召喚は、召喚者の能力が大きく影響する。今回召喚している者は、剣の扱いはかなり上手いが、召喚はあまり得意ではない男だ。

 モンスターの外見に決して惑わされてはいけない。これくらいの相手を軽々と還さなければ、ロカセナ、さらにはラグナレクなど到底相手にできない。

 近づくにつれて歩調を速めていくスコルとハティを睨みつけながら、フリートは走り始めた。

 獲物が自ら来たのに対し、喜ぶかのように二匹は迫ってくる。

 もう少しでフリートに辿り着くところで、突然スコルとハティの足がもつれた。じたばたしているうちに、二匹は体勢を崩していく。

 その間にフリートは飛び上がり、まずはスコルの首元に降り立って一斬りした。赤い血が飛び散る。

 呻き声を聞き流し、次は深々と突き刺した。刺さった部位から血が流れ出ていく。そしてスコルの喉元から、鋭い棒のようなものが飛び出した。

 喉を突き抜かれたスコルは抵抗することなく絶命し、黒い霧となって還っていく。

 ハティが相方を失った怒りをぶつけるかのように襲ってくる。だが足下が覚束ない中では、なかなか前には進められなかった。四本の足は完全に泥濘ぬかるみにはまっていたのだ。

 フリートはスコルが完全に消える前に、地面には降り立たずにハティの背中へ飛び移る。そして何度か首の部位を斬ってから、心臓めがけて背中を突き刺した。先ほどと同様に鋭い棒のようなものが突き抜けた。

「魔宝珠は樹の元へ、魂は天の元へ」

 戦闘の度に何度も口にする還術の言葉を、フリートははっきりと声に出していた。

 スコルとハティとの戦いが終わることを味方にも敵にも主張するかのように、自分自身で大きく踏み出し始めたことを意識するかのように、そして――。

「――生まれしすべてものよ、在るべき処へ――」

 再戦では必ず勝つことを誓うかのように。

「還れ!」

 言い切るとハティは黒い霧となり始める。致命傷を負わせられたモンスターは肉体を失い、人の負の感情である黒い霧へと変わっていく。それは上空にのぼっていき、壊れた扉の中に吸い込まれるように消えていった。

 果たしてあの負の感情は無事に浄化して、人々の心の中に戻るだろうか。

 気になりつつもフリートはその場を後にし、トルの加勢をするために駆けだした。



(センスある動きと召喚で、巨大な二匹のモンスターをあっという間に還すなんて、嫉妬しそうだわ。私すら手こずった相手なのに)

 メリッグはフリートが還したのを横目で見ながら、肩をすくめていた。剣技だけでは敵わない相手だったが、土の精霊ノームの力を少し利用したことで、形勢は逆転、即座に決着がついている。

 当初はフリートが二匹から逃げ回っているかのように見えた。だがそうではなく、実は移動しながら踏みしめた土に、少しずつ土の精霊を宿していたのだ。

 触れていない場所で物を召喚するのは、ある程度の能力がなければ難しい。

 しかし直前に触れた場所に精霊の意識を残せば、たとえ能力が高くなく、離れていても、召喚は可能である。それを応用したのが、泥濘の発生。フリートから離れた場所でも行えたのだ。

 さらに剣先に意識を集中させることで、土でできた鋭い切っ先を剣の先端に召喚することに成功。直接触れている物体からの召喚であれば、精霊召喚に慣れていない彼でもできる。

 まさか一、二日で、ここまで土の精霊と心を通わすとは思ってもいなかった。僅かな時間での交流であったが、真面目な青年の声が精霊のもとにきちんと届いたのだろう。

「ガルザったら、余計な召喚して……。剣でも二人くらいなら充分相手できるのに……焦ったわね」

「あら、ヘラだって焦っているんじゃないの? ヨルムガンはガルームよりも強いんでしょう。そんなモンスターを召喚して、体力的にはきついんじゃない?」

 左腕から流れ出る血を、持っていた布で止血しながらメリッグはくすりと笑う。ヘラは右の太股を手で押さえていた。黒一色の服が赤黒く変色している。

「そうでもないです。ガルームよりヨルムガンの方が心を通わせているので、召喚しやすいんですよ」

 その言い方はあながち嘘ではない。以前の戦いよりもヘラの動きは機敏であり、体力がそこまで減少しているようには見えなかったからだ。だが焦っているのも事実だろう。

 以前と違い、いくら攻撃しても、メリッグはしっかり防御している。さらにヘラからの攻撃が止むと、即座に攻撃をし返している。相手にとっては呼吸を整える時間すらないはずだ。

 自分の術中にはまっている彼女を見ながら、心の中でにやりと笑みを浮かべた。

 その一方で過去の自分の愚かな行動が恥ずかしくなった。

 プロフェート村での戦いでは、当初からヘラと心中する気でいたため、戦況を読まずにいつも以上に攻撃を繰り広げていた。

 そのため感情の操作が疎かになり、簡単な言葉の応酬でも不利になることが多かった。そのような状況では、実力的に拮抗している、もしくは上の相手に勝てるはずがない。

「ヨルムガンの方が好いているモンスターだとはわかっているわ。けれどどうして貴女は以前よりも傷を負っているのかしら?」

 ヘラは悔しげな表情で、一歩近づいたメリッグに対して半歩下がった。

「場所が悪いんですよ。結界なんて周りに張られたら、思う存分戦えません」

「そうかしら。たしかに結界は張られているけれど、範囲的には以前戦った場所と同じくらいか、少し広いと思うわよ」

「それに他に三組も戦っているじゃないですか。多少遠慮を――」

「他の人が傷つかないように考慮しているの。つまりガルザという男にそれなりに親しみを感じているのね。珍しい」

「別に親しみなんて感じていない!」

 口を鋭くして言い返される。意図的に親しみという言葉を使うことで、まんまと感情の一角に引っかかってくれた。それだけ彼女の心にも余裕がなくなっているということだ。

 ヘラはプロフェート村が存在する時も、よく一人で過ごしいた。たしかに友達は多かったが、心の底から話せる友はいなかった気がした。

 さらに村が消失した後、彼女の性格からして、同じ時を長い期間過ごしている人間は、同志たちと出会うまではいなかったはずだ。

 共に行動し、共通の目的を持っている人間に、一歩踏み込んだ感情を持っていてもおかしくない。

 ヘラは大きく息を吐き出して呼吸を整えると、ちらりと二人の青年の戦いを見た。攻撃を受け止めているが、バンダナを巻いている青年の方が押されているのは明らかだった。

「あの人、危なそうですよ。助けなくていいんですか?」

「別に助ける必要はないわ」

 躊躇いもなく言い切ると、ヘラは眉をひそめた。

「やっぱりメリッグさんは冷たいんですね。今まで一緒に行動していた人なんでしょう?」

「そうね。世話が焼けて、見ていられない戦いばかりしている男よ」

「殺されちゃいますよ、いいんですか?」

「殺されれば、それまでだったということよ」

 メリッグは右腕を前に突き出し、手のひらをヘラに向けた。彼女は一瞬顔をひきつらせたが、すぐに両手を胸の前に突き出した。

「そういう冷たさが、土壇場で自分の身を第一にして、バルエールさんを死に追いやったんですね。酷い人」

 懐かしい人物の名前を出され、ほんの僅かに意識が逸れたが、すぐに口元に笑みを作っていた。

「……何もわかっていないのに、そういう表現は失礼よ」

 右の手のひらに薄らと冷気が集まり始める。メリッグのすぐ傍には、見えないが水の精霊ウンディーネが確かにいた。


「信用しているからこそ、助けないのよ。周りが加勢にでてくれると信じているからこそ、私は手を出さないのよ。……私は私で、自分で閉じた未来を自分で開く」


 冷気が集まり、氷の槍ができあがると、それをヘラに向けて投げ飛ばした。ヘラは一呼吸をしてから、自分の前に分厚い氷の壁を作り出す。それらが衝突した瞬間、激しい音が響いた。

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