未来へ踏み出す理由(3)

 大口を叩いたが、自分よりも実力が遙かに上の相手へのトルの攻防は、防戦一方だった。

 相手は素早く動いて攻撃を繰り広げている。それに対してトルは体が斬られないように細心の注意を払うのに精一杯であるため、ほとんど攻撃に転じられずにいた。

 攻撃といっても、時々フリートが横から助太刀に入ったのに乗じて、ウォーハンマーを振るだけだ。それは意図も簡単にかわされ、空振りに終わっていた。

 ムスヘイム領のヘイム町の外れにある村で、ガルザの凶行はの当たりにしている。一瞬で血溜まりになった光景は未だに脳内から離れられない。それを避けるように動くのが現実だった。

 トルは何度目になるかわからない回数のシミターを弾くと、ガルザが不敵な笑みを浮かべた。

「動きは悪くねえが、所詮その程度だな。こっちも時間が惜しいから、早めに終わらせてもらうぜ」

 今までの攻防が、実力を判断するための行為だったらしい。ガルザは下ろしていた剣先を、地面と水平になるように真っ直ぐ持ち上げた。

 そして彼の体が文字通り消える。

 トルは目を大きく見開きつつも、神経を集中しようと心がけた。

 だが焦る想いは、すぐには心を落ち着かせてくれない。すぐ傍にまで脅威が迫っているにも関わらず、動けずにいた。トルの後ろでガルザがシミターを振り下げようとした瞬間、脳内に女性の声が響く。


『こういうときこそ、あたしの力を使うのよ。あたしのことをもう少し信用してもいいんじゃない?』


 トルは我に戻って振り返り、ガルザの口元が大きく緩んだのを垣間見ながら、腰のポケットに手を触れた。そこには赤色の魔宝珠がある。仲間と共に手に入れた、四大元素の魔宝珠の欠片だ。

 シミターがトルの首元を捉える。それが皮膚に触れた瞬間、ガルザは目を見張って即座に飛び退いた。

 かなり間を取って、彼は地面に膝を付く。そしてシミターの刃を見て舌打ちした。

「この野郎……!」

 刃が僅かだが溶けていたのだ。トルは仄かに自分自身の体が熱を帯びているのに気づく。まるで炎に纏(まと)われているかのような感覚だ。

「これが火の精霊サラマンダーの加護……」

『といっても、一時的なものだけどね。あんたが多少強くなったから、こういう手助けもできた。この戦闘の間、多少の軽い斬撃は弾けるようにしておくよ。ただし重いのはあたしの力でも無理だからね』

 目に見えない火の精霊がトルの脳内に直接ささやいてくる。彼女と声をかわすのは、二回目だ。

 一回目はムスヘイム領の火の魔宝珠の傍で、ガルザが仲間たちを窮地に陥れている時に現れた。その際にトルは彼女の加護を受け、炎の球を作って投げることで、フリートたちに加勢することができた。

 今回は加護をうっすらとだが体全体に広がるよう、手配してくれたようだ。状況を読んで最も効果的な加護を与えてくれて、非常に助かった。

 ガルザがシミターの刃の部分を指先でなぞると、指から赤い血が浮き出た。斬るのには問題ないと判断し、剣先を真正面に向ける。

 だがほんの少しの間を置くと、ニヤリとしながらシミターを下ろした。

「加護にはよ、限界があるって知っているか? ある程度強い力を加えられると消えるってことをな」

 シミターを握っていない左手で、腰にあるポケットの中から黒い魔宝珠を取り出し、真上に持ち上げた。

「ちょっとこっちで遊んでもらって、加護が消えたところで殺してやるよ。――スコルとハティ、遊ぶ時間だ。場合によっちゃ、食ってもいいぜ」

 魔宝珠から出てきた黒い霧が動物の形を作り、それが実体化して黒色の大きな狼が二匹現れる。額にはそれぞれ三日月と太陽の形を作った白色の毛が生えていた。

 召喚された双子の狼――、以前の攻防ではメリッグが水の精霊ウンディーネの力を使って、足止めしていた。裏を返せば彼女の力を持ってしても、還すのは難しいということだ。

 少し離れたところでトルの援護をしていたフリートは、突然現れた二匹のモンスターに目を丸くしていた。

 だがすぐに目を釣り上げると、トルの近くに駆け寄ってくる。

「トル、ガルザだけなら一人で相手できるか?」

「防御するのがやっとの状況だがな」

「わかった。――俺があのモンスターたちを還すまで一人で耐えてくれ」

 バスタードソードを軽く払い、フリートはスコルとハティに歩み寄り始める。トルは一瞬呆気にとられていたが、すぐに黒髪の青年の背中に向かって叫んでいた。

「待てよ、フリート、一人で相手をする気か!? 正気か!?」

 すると青年は背中越しから、不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。

「俺はいつだって正気さ。一人でもこれくらい還してやる」

「これくらいだと? オレも甘く見られたもんだな。――その言葉、後悔させてやる」

 走り始めたフリートに向かって、スコルとハティは左右から同時に牙を向けてきた。あと少しで衝突するというところで、フリートは軽やかに舞い上がる。

 否、土が高く盛り上がって、その勢いで飛び上がったのだ。

 ガルーム戦と同様のことをしたらしいが、その時よりも遙かに慣れた様子で飛んでいる。まるで土の精霊ノームと同調しているかのようだ。

 ふとおぞましい殺気を感じた。ガルザの意識がトルに向けられている。

 今まで感じたことのない殺気に、思わず怖じ気付きそうになる。だが心を奮い立たせながら、必死に立って、ウォーハンマーのピック部分を相手に向けた。

 離れた場所ではフリートがスコルとハティの相手を、リディスとルーズニルがヨルムガンの相手を、そしてメリッグが自分の未来のためにヘラと対峙し、過去の出来事を自ら精算しようとしていた。

 それぞれの未来のために頑張っている仲間たちがいる。

 たとえ実力差があろうとも、馬鹿で頭が回らなくても、なんとかして突破口を見つけなければ――。

 ガルザの様子を注意深く伺っていると、音もなく突然消えた。

 もはや目に見える範囲で対応することはできない。五感も役に立つかもわからない。

 それならこの場で役立つのは――第六感である、直感のみ。

 無意識のうちにトルはウォーハンマーを左に振り回していた。瞬間、誰かの剣と交じりあう。その先にはシミターを振り降ろそうとしていたガルザが眉をひそめていた。

 どうにか攻撃を防げて、口元を緩める。悪くはない戦法のようだ。

 メリッグから溜息を吐かれそうだが、トルは感覚のみで勝負をし始めた。



 * * *



「貴方は別に着いてくる必要はないと思うわよ」

 リディスが会議中に倒れ、フリートが彼女の傍で目覚めるのを待っている間、トルはメリッグと城内の廊下を歩いていた。

 やることもなく時間をもてあそんでいると、メリッグから少し話をしないかと言われ、部屋から連れ出されたのだ。その話題を出された時、ルーズニルは彼女に微笑みながら軽く肩を叩いていた。

「僕の意志は以前言ったとおり変わらないよ。二人でゆっくり話をしてね」

 そしてクラルに会ってくると言って、彼はその場から去っていた。

 二人は城内にある貴族たちが仕事をしていた部屋がある廊下を進んでいた。扉が壊れた直後、城も戦場になると判断した国王が、戦う力がない者を城下町に避難させたため、部屋はもぬけの殻になっている。

 しばらく沈黙した状態で歩いていたが、人気がなくなると、彼女は口を開いて先の言葉を発したのだ。

「必要ないって……?」

 呆然と立ち尽くしていると、メリッグは長い髪を払いながら応える。

「義務や仲間のために、という理由で行く必要がないってことよ。フリートはリディスのことが好きだし、騎士としての信念も踏まえて行くけれど、貴方にはそういうのはないでしょう」

「俺だってリディスのことは大切な仲――」

「リディスも貴方のことを大切な仲間だと思っている。だからこそ、危険な地に行かせたくないと思っているのに気づかないの?」

 切れの長い目が向かれる。メリッグの言うことはズバリその通りであり、リディスは扉の下に皆と一緒に行くのに、消極的なように見えた。

 メリッグは手の中で光っている、光宝珠をじっと見つめる。

「……貴方は馬鹿だけど力はある。ドラシル半島を縦断して、隣の大陸に行く力もあるはずよ。たとえウォーハンマーが召喚できない土地に行っても、生きていけるとは思っている」

 珍しく誉め言葉を並べられて、トルは目を瞬かせていた。紺色の長い髪が垂れている背中をまじまじと見る。華奢な体は大型のモンスターの手にかかれば、一瞬で壊れてしまいそうだ。

「じゃあさ、お前やルーズニルはなんで行くんだ。俺と同じじゃねえのか?」

「ルーズニルは一種の責任と、妹の意志を継いでいるんでしょうね。リディスが外の世界に興味を持ったきっかけは、妹と出会ったから。もし妹が自由に動ける身であったら、間違いなく一緒に行く。だから兄である自分が代わりにそれを実行する」

「それって矛盾してねえか。つまりあいつだって義務とかそういうので行くってことだろう。俺が引っ込まなきゃいけねえ理由に繋がらん」

「プロフェート村の跡地に身を潜めている時に彼と話をしたけど、意志は固かったわ。……あとは興味でしょうね。間近で樹を見てみたいという、学者心が働いているらしいわ」

「そんなんで危険な地に行くのか?」

「学者なんて自分の興味でしか動かない人たちよ。トルとは真逆の人なんだから、自分と同じ考えを持っているとは思わない方がいいわ」

 肩をすくめながら返される。呆れていると言った方が正しいだろう。

「私は自分自身のために行くだけよ。リディスのは只のついでかもしれない」

 思わぬ発言に眉をひそめた。そんな彼女が哀愁を漂わせている横顔を向ける。


「自分の予言が正しいかどうか知りたい。レーラズの樹がどのようなものなのか、直接目で見て知りたい。ヘラとの決着を自ら付けたい。そして――この世界が変わる瞬間を、見てみたいと思っているだけよ」


 そして体ごと再びトルに向けると、彼女は苦笑した。

「自分勝手な女と思って結構。私はそういう風に生きてきたから、そのやり方を変えるつもりはないわ」

 意志を強く持った深い紫色の瞳に、トルは思わず吸い込まれていた。ある意味ここまで明確な目的があって扉の下に行く者はいないかもしれない。

 メリッグやルーズニルの想いを聞き、トルはもう一度自問自答し始めた。

 リディスを助けたいという想いがある一方、自分が足手まといにならないか心配であった。土壇場で足が震えて動けない可能性がある。死に直面した時、果たして冷静に動けるだろうか。

 俯いたまま考え込んでいると、腕を組んだメリッグはトルの真横に立った。

「……誰しも恐怖に勝てるわけではない。たいていの人は平静を装っているけれど、実は内心は慌てているものよ。別に恥じることでもないわ」

 ミディスラシールとはまた違った凛とした声。初めて会った時、その声と容姿に惹かれそうになった。だが性格は非常にきつく、口を開かれる度にいつも攻め込まれ、たじろいでいた。

 そんな彼女に優しい声を出されて、戸惑わないわけがない。しかし、その声が嘘偽りのない想いによって出されたと、直感的に感じ取っていた。

 彼女の言葉に流されそうになるが、トルは軽く首を横に振った。冷静な自分が言葉を紡いでくれる。


「――俺も行く。リディスたちと一緒に」


 メリッグは目を細めて見上げてくる。

「危険って何度も言っているわよ。死んでもいいの?」

「死にたくねえよ。でもさ、ここであいつらと別れたら、また後悔する。俺、一度別れただろう。その後に月食時の事件があった。その話を聞いて、すごく後悔したんだ」

「あれは貴方がいても変わる状況ではなかったわ」

「ああ、そうだな。だから今回も俺が行っても無駄かもしれない。それでも、ここで行かなかったら俺自身が納得しないんだ。理由とか何にもねえ。行きたいから行く、それだけだ」

 声高く笑われて一蹴されるかと思ったが、メリッグはくすりと微笑んだだけだった。その微笑み方が非常に美しく、思わず時が止まったような気がした。

「本当に馬鹿。私がわざわざ有り難い忠告をしているのに、それを拒否するなんて」

「何とでも言え」

 ぶっきらぼうに言い返すと、メリッグは来た道を歩き始めた。そして数歩離れたところで、ちらりと振り返ってくる。

「――死ぬんじゃないわよ。潔く死ぬくらいなら、無様でもいいから生き続けなさい」

「そういうメリッグもな。相手を道連れにして死のうとか思うなよ」

 思わぬ言葉を返されて、立ち尽くしていたメリッグだったが、すぐに鼻で笑いながら歩き始める。

「私に忠告なんて百年早い。世界がどのように変わったか知るまでは、死ぬなんて考えないから安心しなさい」

 今まで自分の未来について言及しようとしなかった彼女が、初めて先を見据えた発言をしている。

 少しずつ前に進み始めた彼女の背中を追いながら、トルもまた進み出した。



 * * *



(とにかく死んじゃいけねえ。ぼろぼろになってもいいから、生き抜いてやるぜ)

 だぼだぼのズボンが幾度もなく切られても、褐色の肌から赤い液体が流れても、トルの戦意は失せなかった。神経を尖らせているため、むしろ衰えるどころか動きが敏感になっていた。

 野生の勘が土壇場になって現れたんじゃない、とでもメリッグに言われそうである。

 フリートはスコルとハティを還そうと試みているが、一斉に攻撃してくるため、一筋縄ではいかないらしい。

 リディスやルーズニル、そしてメリッグはどうだろうか――とぼんやり脳裏に思い浮かべつつ、斬撃を弾き飛ばした。

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