暗黒世界への誘い(4)
円卓を囲んだ会議は中止となり、フリートたちは意識を失ったリディスを部屋まで運んでいた。
国王やミディスラシール、そして騎士などの城の関係者たちは、扉が壊れた影響の様子を知るために、自ら動いたり、指示を出していた。
ミスガルム王国内を囲む結界や近場の町の様子、付近に生息しているモンスターの動き、さらには一日程度で往復できる範囲で扉に向けて馬を走らせていた。
城の中は血相を変えた人が多く走っている。リディスが寝泊まりしている部屋の前も例外ではなかった。
「俺たちも何かしたほうがよくないか?」
トルは腕を組んで壁に寄りかかり、ドアを見つめている。メリッグは水晶玉を召喚して、その言葉をあっさり否定した。
「今は事を起こす満月の日まで、おとなしく体を休ませていなさい。それがお姫様の指示でしょう。貴方が動いても何も変わらないわ。土地勘がない他の領の貴方が動いても邪魔なだけよ」
「はいはい、わかっていますよ。……大丈夫かな、スルト領主。他の領の人たちも」
トルが呟くと、ルーズニルやメリッグは、それぞれ違う領にいる肉親や親しい人間のことを思い浮かべた。
皆、精霊の加護による、強力な結界が張られている場所に住んでいるため、通常時であればあまり気にならないが、今は異常事態だ。どのような状態になっているか、予想がまったくつかない。
ミスガルム王国では、王国を包む結界に扉の周囲に張っていた結界からすり抜けてきたモンスターが度々衝突しているが、内部に侵入されることなくはね返ったり、還っている。大量に現れはしたが、まだ能力的にはたいしたものではないようだ。
「心配する暇があったら、自分たちができることをしましょうか」
メリッグは椅子に座り、水晶玉を机の上に置く。そして両手をかざし、じっと中を見つめ始めた。見る見るうちに透明な内部は白い靄がかかっていく。しばらく靄がかかった後に変わるはずだが、靄は一向に晴れない。彼女の眉間にしわが寄っていく。辛抱強く玉に祈りを込めた。
やがて肩をすくめながら、両手を水晶玉から離した。メリッグの額にはうっすらと汗がにじみ出ている。
「駄目ね、何も見えない。未来を予言できるような状況じゃないみたい」
「これからどうなるか、誰にもわからないってことか?」
フリートが訝しげな表情で尋ねると、メリッグは軽く頷いた。
「そういう捉え方もある。それかこの大地に未来は存在しないか、のどちらかね」
聞き捨てならない言葉を発したメリッグを皆で一斉に見る。彼女は水晶玉を宝珠に戻して、溜息を吐いた。
「予言なんてただの推測よ。実際に起こるとは限らないわ。――それよりもこの
メリッグは足と腕を組んで、ベッドの上で横になっている娘を眺める。声の音量を調節せずに話をしているが、目覚める気配はない。
「扉が壊れたことで、鍵であるリディスに負荷がかかったようね」
「そういうことになるな。……メリッグ、お前の推論でいい。扉が壊れたことでリディスや樹はどうなるんだ?」
フリートが聞くと、濃い紫色の瞳を持つ女性は逆に問い返してきた。
「貴方はどう思うの」
「俺か?」
「人に聞く前に、自分の考えくらい言いなさい」
フリートは静かに胸を上下させている娘をちらりと見る。
「悪い方に向かっているのは間違いないだろう」
「同感ね。普通に考えれば異空間に続く扉が壊れたら、その先にいるモンスターの封印を維持することはできなくなる。結果として野放しにすることになるわ」
「それを防ぐためには、五十年前の女王が行ったように、扉を作り出す必要があるだろうね」
ルーズニルも話に加わって話を広げていく。
「扉を作り出すってことは召喚だよな。それをするとなったら、かなり体がきついんじゃね?」
必死に脳内を巡らせながら、トルも話に食いついてくる。
フリートは四人の考えや以前から得た情報をまとめて、ゆっくり言葉を述べた。
「つまり樹を戻しつつ、扉を作り出してモンスターを再封印する必要性がでてきたってことだ。おそらく俺たちが考えていた以上に、厳しい状況になっている……」
「ええ。封印する時、たとえイズナさんのような能力がある人と一緒に行ったとしても、あの娘の他にも何人か犠牲になるかもしれないわ」
メリッグは躊躇いもなく“犠牲”という言葉を使った。今まで僅かな希望を抱くためにはぐらかせていたが、もはや希望を持てる状況でもないようだ。
重苦しい雰囲気の中、トルは視線を上げ、窓の外に薄らと見える黒い霧と扉を眺めた。
「なあなあ、扉が壊れたってことは、あっちの世界と繋がったわけだろ? けどよ、まだ噂の強いモンスターと樹の姿が見えないぜ。どうなっているんだ?」
「……本当にいいところを突くわね。野生の勘?」
「何だと!?」
かっとなったトルはメリッグに噛みつこうとしたが、彼女の顔を見て口を開くのをやめた。
微笑んでいたのだ、穏やかに。
「一応誉めたつもり」
「わかりにくい女だな……」
「うるさいから、ちょっと黙っていなさい。――両方とも現れていないところを考えると、もしかしたら二つはコインの裏表のように封印されているんじゃないかしら。どちらかがこの大地に降ろされたら、もう片方もこの地に降り立つように」
メリッグはコインを一枚取り出して垂直に投げ上げた。表を上にして跳ね上がったが、手のひらに落ちる時は裏が上になっていた。
「そしてどちらも、もう片方の封印まで解けると分が悪いから、今は様子見でもしているんじゃないかしら。両方とも意志はあるらしいんでしょう? モンスターは循環を乱す存在で、レーラズの樹は循環を正す存在。双方が存在していたら、お互いに能力が反発すると思うわ」
今、言ったことはすべて推測だけれども、とメリッグは自信なさげに締めくくったが、その考えで間違いないと思っていた。
彼女は推測と言いつつも、ある程度自信があることしか口にしない。自信がない時は、言葉を濁しているのを何度か目にしていたからだ。誰よりも未来に近い位置にいながらも、常に用心深く発言している。メリッグ・グナーというのは、そういう女性なのだ。
「その話が正しければ、いつかは均衡が破れて、モンスターと樹が同時にこの大地に降りてくることになるな」
「そう思うわ。おそらくそんなに日は置かないでしょう。根本的な封印の軸である扉が壊れたのだから、数日以内には事が起こると思う。下手したら弱った樹を差し置いて、モンスターだけが現れるかもしれない」
考えられる最悪の展開を口にされ、フリートは唾をごくりと飲んだ。そして手をぎゅっと握りしめる。
「……そうなったら、何としても大樹を取り戻し、元凶であるモンスターを還すしかないんだな」
「それか扉を再度召喚して封印するか。どちらにしても多くの人の力が必要となるでしょうね」
多くの人の力と聞き、フリートは銀髪の青年のことを思い出した。一匹狼として城を飛び出し、現在は同じ志を共にする者たちと行動している彼。月食時に痛感したことだが、戦闘時での駆け引きはかなり上手い。
他の同志たちも、対峙した際の感触を踏まえると、個々の能力は皆非常に高かった。
そんな彼らと人間同士でこのままいがみ合っていていいのだろうか。
樹をこの地に戻したいのは同じである。実行する過程が違うだけだ。
「メリッグ、同志たちもこの現状には慌てているよな?」
フリートが問うと、メリッグは目をすっと細めてくる。
「それなりに驚いているでしょうけど、私たちほどではないと思うわよ。……何を考えているかは知らないけれど、あちら側とこちら側では根本的な考えが違うということを自覚しなさい。あちらはリディスの未来なんか考えていない。ただの道具としてしか考えていないのよ!」
「メリッグさん、それは言い過ぎ……」
声を荒らげたメリッグをルーズニルは慌てて止めに入る。思った以上の声量を出していた彼女は、はっとした表情になり口元を右手で覆った。そして目を閉じている金髪の娘を横目で見る。
「起きてないわよね……」
「ああ、おそらく」
フリートはリディスの顔や胸が上下しているのを確認して答える。メリッグは軽く髪を耳にかけた。
「……話を戻すわ。同志たちとは、彼女の扱いについての考えが根本的に違うだけでなく、他で意見が合わないところが何点かあるわ。例えばこの大陸に生きるものを滅ぼしたいかどうか。――特にゼオドアという老人。おそらく樹を戻すよりも、そちらを第一の目的としているわ」
フリートたちは目を見張った。トルは噛みつく勢いで彼女に迫る。
「どんな根拠があって言っているんだよ。滅ぼすなんて、それなりの理由がねえとやらねえだろう!」
「……だから相応の理由があるのよ」
そう言うとメリッグは立ち上がり、彼女の鞄から色褪せた一冊のノートを取り出してきた。
「先ほど行われた会議の前に、アルヴィースさんと話をした時に受け取ったノートよ。かつて城にいたゼオドアが残していったものらしいわ」
フリートは差し出されたノートを取ろうとしたが、手が宙を掴んだ。メリッグが少しだけ引っ込めたのだ。
「おい、メリッグ……」
「貴方にとっては読んでも気持ちのいいものではないわ。今まで表の面しか見ていなかった人物の、裏の面も見ることになる。それでもいいかしら?」
「……裏の面を知らなくて後悔したことがある。どのような相手でも黙って受け止めるさ」
メリッグはフリートのことをじっと見た後に、ノートを前に出した。それを有り難く受け取ると、ルーズニルとトルが両脇に寄ってくる。二人に挟まれながら、ぼろぼろになった表紙を開いた。
それはゼオドアの日記であった。
樹の研究者として城に滞在していたゼオドアは、膨大な知識を付けたことで、城内でも有数の知識人となっていた。予言者であるアルヴィースと切磋琢磨にお互いを高め合っていたという記述も残っている。二人は良き親友であり、刺激しあう好敵手だったようだ。
そんな中、二十七年前にとある事件が起きる。
ゼオドアが三十三歳、アルヴィースが三十二歳、現ミスガルム国王が二十五歳でまだ王子だった頃、ミスガルム王国から少し離れたところにある建物で爆発事故が起こったのだ。
その建物はミスガルム城が所有している研究所の敷地内にあり、ゼオドアなど多くの研究者が出入りしている離れだった。爆破の威力は離れを半壊にさせるほどで、死傷者も多数出した事故となった。その事故に、不運にも離れに訪れていたゼオドアの妻子が巻き込まれてしまったのだ。
表向きは精霊魔法を上手く操れなかったのが原因だと言われている。だが裏ではヘイダッルム王子が危険な実験を頼んだ結果、起こったとも言われていたのだ。
愛していた妻と子供が、上の無理な命令によって引き起こされた事故に巻き込まれた。もはやこれは事故ではなく人災だ――と、ゼオドアの日記に激しく書き散らされていた。
それ以後、ゼオドアは人と接することを避け、部屋に籠もりきって研究をする日々を過ごしだした。その間、アルヴィースが何度か話しかけようとしたが、ひらりとかわされてしまったらしい。ゼオドアは誰とも交流しようとはせず、黙々と何かを調べ続けていた。
そして爆発事故から二年が経過した頃、ゼオドアは土の魔宝珠の破壊を試みるという大罪を犯しかけたのだ。
それを実行する前日、彼は最後の日記に次のような記述を残していた。
『明日、私はこの国を根本的に変えようと思う。
傍若無人な者からの指示に渋々と従ったために、私を含め多くの人たちに悲劇が降り懸かった。
果たして、こんな悲劇が続いてもいいのだろうか。
人々は言う、世の中がおかしいのはレーラズの樹が消えたためだと。それも一理あるだろう。
だが私はそれだけとは思わない。いつの時代でも誤った方向に導くのは、誤った先導者たち。
そのような人たちがいる限り、歴史は繰り返されるのだ。
一方、未来を真新しい状態で考えるためには、今、生きている者たちを一掃する必要があるだろう。
誤った考えを植え付けられた者たちが残っていては、たいして変わらない世の中になるからだ。
それらを払拭するために、私は事を起こす。
樹がないことで作り上げられた、偽りの世界を一度終わらすことを』
そしてゼオドアは日記を置いて、部屋を出ていった――。
二十七年前の事故に関しては、フリートは座学で聞いた程度の内容しか知らなかった。精霊召喚は未知なる部分が多いため、より気を付けて使わなければならない。もし扱いに失敗すれば暴走するだろう――という戒めの例がその事故だった。
かつての王子、現ミスガルム国王が何を目的として実験を行ったかは、日記からは推測できなかった。非常に危険な実験を強行してまでする必要があったのか――、細かい事情を知らないフリートにはまったくわからないことだった。
「たとえ優秀で地位を持っていたとしても人の子よ。人には見せない考えや気持ちを抱いてもおかしくないわ」
「……ああ、そうだな」
メリッグから諫めるような言葉を発せられ、躊躇いつつも頷き返す。彼女は右手の人差し指をフリートに突き刺した。
「それと知っているかしら、フリート。
持っていたノートがいつの世の中でも上に立つ者で功績をあげる人は、少ない犠牲を払って大勢の人を助けた人物よ。優秀であるからこそ、辛くても感情を排除して取捨選択を実行できるわ」メリッグによって手から抜かれると、フリートは視線をあげた。
「ゼオドアは少数派の犠牲者側になってしまった。――樹を戻すなんてただの建前。他の人が幸せな世の中なんか、彼にとってはいらない。だからモンスターを使って、人間たちを滅ぼさせたいと思っているんじゃないかしら? ……悲劇を見て、覚悟を決めた大人の意志は強いわよ」
メリッグは口を閉じるとノートを再び鞄の中へ戻した。あの日記を読んだ後では、彼女の複雑そうな表情も理解できる。
ゼオドアは常識を持ち合わせている大人であり、一見して同志たちの中で話が通じそうだと思っていた。だが本当は一番芯が強く、真の目的のためには一切手段を選ばない可能性が高かった。
一同が顔を俯かせながら無言の時を過ごしていると、突然お腹がなる音が部屋の中に響いた。視線を向けると、トルが笑いながら頭をかいている。
「すまん、昼から食べていないだろう。しかもたいした量じゃなかったし」
「……トルとフリート、食堂に行って適当に食事をもらってきなさい。リディスを一人にさせるわけにはいかないから、貴方たちだけで行ってきて」
メリッグが溜息を吐いて指示を出してくる。一瞬腑に落ちない言葉だと思ったが、彼女が頬を赤らめながらお腹を抑えているのを見て、フリートはすぐに察して立ち上がった。
「トル、行くぞ。この時間帯なら空いているから、料理を素早く作ってくれるはずだ」
「あ、ああ。けど交代で食堂に行って、食べたほうがよくね? そっちの方が手間はかからないじゃねえか。――あ、もしかしてメリッグも腹減っ――」
「食事のいらない世界に送ってあげましょうか?」
にこりと微笑みながら言うのが、逆に怖かった。二人は逃げるかのように廊下にでていった。
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