繋がる真正の輪(3)

 通路が狭くなってきたところで、無言の案内人の少年は唐突に振り返った。

「この先にいます。ただ調子が悪いので、長時間お話するのであれば休憩時間を作ってください」

「案内ありがとう」

「いえ、イズナ様のお言いつけですから」

 ケルヴィーが笑顔でお礼を言ったが、少年は素っ気なく返して、さらに奥に進んだ。

 やがて目の前に木製の扉が現れる。彼はそれを軽くノックした。

「イズナ様、言われたとおりに皆さんを連れてきました」

「ありがとう、ラキ。彼らとの話が終わりましたら、また呼びますので再び案内をよろしくお願いします」

「わかりました」

 中から優しげな女性の声が聞こえてきた。

 ラキがドアを引くと、部屋の内部が露わになった。

 正面には薄い天幕に覆われたベッドが置かれている。脇には侍女らしき女性が姿勢を正して立っていた。

 ケルヴィーに促されてフリートとリディス、ミディスラシールを先頭にして中に踏み入れる。

 洞窟の中であるが、木材で壁を覆っているため、剥き出しの土を見ることはなかった。

 部屋の両端には防具を身にまとい、剣を携えている青年が立っている。只ならぬ緊張感が部屋を包んでいた。

 中央まで来ると、薄い天幕の向こう側から再び声がかかる。

「そこで大丈夫ですよ」

 女性が声を発すると、脇にいた侍女が天幕を引きはがした。

 ベッドの上に上半身を起こしている二十代半ばの女性を見て、フリートたちは思わず息を呑んだ。

 見た人の誰もが足を止めてしまうほど、美しい銀色の長い髪。背中を悠々と覆い、ベッドに付くほどの長さである。肌の色は異常なくらい白く、柔らかな服の合間から見える腕は頼りないくらいに細かった。

「初めまして皆様。かつてアスガルム領でレーラズの樹の守護者を務めていた一族の一人、イズナと申します」

 微笑みを浮かべている彼女は見渡しながら皆の顔を確認し、中央にいるリディスを見ると目を細めた。


「そしていらっしゃいませ。共に誓い合った国の姫と光の騎士――そして世界の命運を握る鍵よ」


 その言葉を聞き、フリートは横目で金色のストレートの髪の娘を垣間見た。緊張した面もちで左手を握りしめて、胸の前に当てている。

「そう緊張しないでください。皆様、私にお話があっていらしたのでしょう。ケルヴィーの伝言からそう聞いていますよ。私もあなたたちにお話をしたいことが何点かあります。肩肘張らずにお互い話しましょう」

「では――」

 ミディスラシールが一歩前に進み出て、イズナを見据える。姫として多くの人がいる公の場に何度も立ったことがある彼女でさえも、握りしめる手が僅かに震えていた。


「――なぜ貴女はあの樹のことを、レーラズの樹と言っているのですか?」


 その問いを聞いたイズナはミディスラシールの瞳をじっと見つめた。

 フリートたちは思わず首を傾げる。その質問をする理由がよくわからなかった。

「理由は貴女も薄々と気づいているのではないのですか?」

「私は父からこう言われただけです。『必要な時以外、樹のことをレーラズの樹と呼べ』と。父もそういう風にアスガルム領民から言われたらしいです」

「嬉しいです、今でもその約束を守って頂いて。――理由としては二つあります。一つは樹と宝珠の違いをはっきりとした方がわかりやすいから」

 イズナがはっきりとした口調で言葉を発する。

 第一の理由は、フリートもすぐに理解できることだった。言葉で発すると二つとも音は同じである。意図的に区別をしたためだと考えられた。

「そしてもう一つは言霊の影響です。たまのほうの“魔宝珠”と、のほうの“魔宝樹”は同一の意味を示しています。普段から私たちは珠のほうを呼んでいるので、言霊の効果としては充分なのですよ。意識して樹のほうの魔宝樹を言い過ぎると、樹に頼りすぎていることになり、樹に対してあまりいい影響がないのです」

「同じ……?」

 リディスはフリートが思ったことをそのまま呟いていた。胸元にある魔宝珠と、あの異空間で見た大きな樹である魔宝樹が同じだとは到底思えない。

 イズナは戸惑いの表情を浮かべているリディスたちを見て、口元を緩める。

「皆様が持っている宝珠は、もともと樹から生まれて、転がり落ちたものを使用していることはご存じですか?」

「文献や人の話から、そう伺っています」

「そこから少々乱暴な言い方ですが、樹から離れた瞬間、宝珠になると思えば、同一のものと捉えられると思います。言い換えれば、宝珠は放出された種子のような存在になるのです」

 イズナにそう言われて、フリートとリディスは胸元にある緋色と若草色の宝珠にそれぞれ目を向けた。

 これもかつては樹の一部であったが、今ではフリートたちの手元にある。触れるとほんの僅かだが熱を持っているような気がした。

「イズナさん、貴女は樹のことを言い過ぎると良くないと言いましたが、それはどういう意味ですか?」

 顔を上げたリディスが疑問を投げかける。イズナは胸元を両手で優しく包み込んだ。

「言葉というのは、多くのものに強く影響を与える可能性があります。強い想いを持って樹を呼び続けてしまうと、樹が人々の想いに引きつけられ、予想外の行動を起こしてしまう可能性があるのです」

「まるでレーラズの樹は生きているような言い方だな」

 トルが何気なく言葉を漏らすと、イズナは軽く頷いた。


「樹は生きていますよ。この世に生きるものが、よりよい一生を送れるように」


 魔宝樹を見た時、ひどく惹きつけられた覚えがある。普通の樹とは違う雰囲気を出し、優しく見守られているような温かさも感じた。樹に寄り添っていたいとも思ったほどだ。

 生きている――そう言われても、不思議ではなかった。


「以上のような理由で、レーラズの樹の本当の名を知っている私たちやミスガルム城の方々には、その名を言わないようにしてもらっているのです。――この回答でよろしいですか、ミディスラシール姫」

「はい、ありがとうございます」

 イズナは満足したように微笑むと、軽く咳をした。隣にいた侍女が手早く背中をさする。

「大丈夫ですか、イズナ様」

「すみません、大丈夫ですよ。――レーラズの樹が消えてから五十年、特に近年はモンスターがより多く発生するようになりました。人々の心の中に、不安な想いが充満するようになりましたからね。それを解消するために今こそ動くべきなのですから、弱音など吐いていられません」

「――イズナさん、ちょっと待ってください。そして聞き違っていたら、すみません。不安な想いが募ると、モンスターは発生するのですか?」

 リディスが口元に手を置いて尋ねる。一同が一斉にリディスを見た後に、顔をあげたイズナに視線を移した。イズナはリディスに哀愁漂う表情を向けていた。


「ええ。モンスターとは人間の負の感情が集まってできたものです。憎しみ、怒り、悲しみ、不安な心がより多く集まれば、たくさんのモンスターや、強いモンスターが生まれるのですよ」


 さらりと出された言葉に、質問をしたリディスだけでなく、フリートやその場にいたほとんどの者が言葉を失っていた。

 そのような話、聞いたことがない。

 モンスターとは何だろうかと長年言われ続けていた。どこから生まれるのかと常に疑問に思われていた。

 それがまさか自分たちとおおいに関係があるとは。

「あの、つまり人間たちがそのような感情を抱かなければ、モンスターは生まれなかったのですか?」

 リディスが顔を真っ青にしておそるおそる尋ねる。イズナは首を縦に振った。

「そう考えていいと思います。ですが、そのような感情は誰しも抱くもの、抱かないのは不可能でしょう。さらに人はその感情を人に見せぬよう、抑え込むこともできます。それらができなかった場合だけ、モンスターとなってしまうのです」

 その言葉を聞いたリディスは、涼しい顔をしているメリッグに顔を向けた。視線が合ったメリッグは腕を軽く組んで、視線を逸らす。

「メリッグさん、もしかして知っていたのですか? 以前、似たようなことを言っていましたよね?」

「よく覚えているわね。貴女の記憶力に私は感心するわ。――前に言ったけれど、私のはただの推測よ。リディスだって思い当たる節はあるでしょう。還すことで黒い霧となって消えていく様子。月食の後からだと思うけれど、貴女、それを見て何度か泣いていなかった?」

「それは……」

 リディスはしどろもどろになりながら、口ごもる。

 フリートは彼女が記憶を取り戻し、還した直後に涙を流していたことを思い出した。ほっとし、気が緩るんだために流れたと考えられた。しかし、その時の表情はどこか悲しそうで、腑に落ちない点もあった。

「本能的に感じ取ったんじゃないのかしら、人々の憎しみや悲しみを。それが胸に響いて思わず涙した。違う?」

 メリッグの言葉に言い返すことなく、リディスは俯いた。どうやら図星のようだ。何かから逃れるかのように無我夢中で還していたのは、そのせいだったのかもしれない。

 返事をしないリディスを、肩をすくめてメリッグは眺めていた。その様子をフリートは横目で見つつ、イズナに視線を戻す。

「還術というのは、モンスターを在るべき処に還すものだと聞いています。つまり負の感情を解放するということだったのですか?」

「そういうことになりますね。負とはいえ、それらは本来人間たちに備わっているべき感情。いつかは人々の中に戻る必要がありますから。それに気づいた昔の人が還術という技術を編み出したのです」

「……なあ、ちょっといいか、イズナさん」

 トルがぽりぽりと頭をかきながら、会話に割り込んできた。眉間にはいつになくしわが寄っている。

「還術って、してよかったのか? 負の感情を戻したら人間同士で争いが始まるんじゃねえのか? ……ほら、ムスヘイム領みたくさ。モンスターが少ない代わりに、人との争いが多いから」

 時としてトルは意表を突いた質問をする。一つの物事を難しく考えすぎている一同にとっては、有り難い存在だった。

 メリッグが驚いた表情でトルを見ていると、彼は視線から逃れるかのようにそっぽを向いた。

 イズナは予め予測していた内容だったのか、動揺もせずにてきぱきと答えていく。

「先ほどから言っている通り、負の感情は多かれ少なかれ人間たちが持っているもので、人間が自ら感情を操作しなければならないものですよ。モンスターという第三のものが現れるよう仕組んだのは、かつて混乱しすぎた世を護るために行った樹の計らいで、その名残が今でもあるだけです。もし今後、還術もせずにモンスターが一方的に増加していけば、在るべき処に戻らない、すなわち循環が乱れることに繋がるため、世界は非常に危険な状態になります」

「けどよ、あんなに暴れているモンスターの原因が人間たちの中に戻っていったら……」

「その点に関しては安心してください。黒い霧は一度レーラズの樹が吸収し、浄化した状態で人間たちに戻しています。すぐに人間たちに悪影響を与えるようなことは起こりませんよ」

「なら安心して還していいんだな」

「そういうことになりますね。……モンスター、すなわち人間の負の感情が別の場所にあるというのは、決していいことではありません。人間は自身の感情を自分なりに消化しなければ、純粋に前に進むことはできませんよ」

 イズナはにっこりと微笑む。だが突然口元を手で押さえて激しく咳き込み始めた。侍女が慌ててさするも、あまり効果はない。

 ミディスラシールがちらりとフリートとリディスを見てから、後ろにあるドアに視線をやる。フリートたちは彼女が意図していることに気づき、軽く首を振った。同意を得るとミディスラシールは少し前に出た。

「イズナさん、一度私たちは下がらせていただきます」

「いえ、ですが……」

「普段からあまりお話をされていないように見受けられます。そのため急に体へ負荷がかかってしまったようですね。万が一体調を崩されては、こちらとしては申し訳ない気持ちでいっぱいになります。少しお休みになったらどうでしょう。場所を提供して頂ければ、そこで私たちはお待ちしますので」

 ミディスラシールの申し出にイズナは数瞬考えたが、すぐに考えはまとまったのか頭を下げた。

「申し訳ありません。本当ならば今お話をし、早くお返しして、今後に備えてほしかったのですが……。ここから少し入り口側に戻った所に客人用の部屋がありますので、そこでお待ちください」

「わかりました。部屋の提供ありがとうございます」

 ミディスラシールが一礼をすると、他の者たちも倣って頭を下げる。そしてイズナに背を向けて、足早にその場から去っていった。

 イズナはその様子をじっと見て、ドアが閉じるのを確認すると、ベッドの上で横になった。

 首からは真っ白い色の魔宝珠が下がっている。それをぎゅっと握りしめながら、ゆっくり瞳を閉じた。


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