歴史を見守る大樹(2)
* * *
ミディスラシールからリディスに対して想いを打ち明けられた翌日、ミスガルム国王たちとの都合が合わなかったため会議は開かれなかった。前日の会議で話しきれなかったことは多々あるが、焦っても仕方ない。
今日は図書室に居座ろうとリディスは思い、フリートを連れて廊下を歩いていると、途中でミディスラシールとスキールニルと行きあった。
昨晩見せた弱さなど微塵も感じられないほど、きびきびと動いている。だが、それとは別に若干ながら疲れが見えていた。
「あら、こんにちは、お二人さん」
「こんにちは。あの、お疲れですか?」
「あらまあ、顔に出ているかしら。嫌だわ……」
ミディスラシールは頬に手をあてて、深々と溜息を吐いた。
「ミスガルム領ではないのだけれど、他の領で人間同士の争いが
ここ数日、文官が慌ただしく走り回っているのは、それに関する情報が出回っているかららしい。
「争いってそんなに酷いのですか?」
「酷いところは死者がでているらしい。他の領とのやりとりに精通している人に、細かいところは任せてある。気になるなら紹介するから、その人に聞いてみて」
鍵を狙う同志のこともある。あまり手は出せないとミディスラシールは判断し、信頼できる人物に任せているようだ。
「それでは、私はここで」
「どこかに行かれるんですか?」
「ちょっと調べたいことがあってね。……地下の奥に行ってくるわ」
一瞬顔を曇らせたのをリディスは見逃さなかった。地下という言葉を聞いて、即座にあの場所を思い浮かべる。歯車が狂い始めた場所。その先にはおそらく、あれもあるはずだ。
「――ミディスラシール姫、私も連れていってくれませんか?」
彼女は軽く視線をリディスから逸らした。
「行ってもつまらないところよ。本を読んでいた方がずっと楽し――」
「もう楽しんでいられる状況でもありません」
「リディス……。きっと気分を悪くする場所も通るわ。それでも来るの?」
「はい。逃げずに現実を見ることで、何かわかるかもしれませんから」
隣にいたフリートも心配そうな顔をしていたが、それを少しでも和らげようと、リディスは頬を緩ませた。
「ごめんね、フリートにまた嫌なことを思い出させるかも」
「俺は大丈夫だ。一度あの地で見つめ直す必要があるとは思っていたから。……お前こそ、無理はするなよ」
そして銀髪の青年が反旗を翻した場所に向かった。
途中で城内を歩いていたメリッグとトル、第二部隊の部屋をあとにしたルーズニルと出会い、彼らもリディスたちについていくことになった。メリッグとトルが一緒に図書室から出てきたのを見た時は、リディスは心底驚いていた。
「二人で何をしていたんですか? トルって本読むの?」
仲がいいとは言えない二人。性格も正反対で、話が合うとも思えない。
「俺が本なんか読むわけねえだろう。文字もあんまり読めないし……」
「じゃあ、どうして?」
「高いところにある本を取ってもらおうと思っただけよ。それくらいしか使えないでしょう、この男は」
ばっさりと言われ、一瞬固まったトルは、その後がっくりとうなだれた。
「……そんな扱いなら騎士団の鍛錬場にでも行けばよかったぜ……」
「あら、進んで手伝うって言ってくれたのに、その言い草はないと思うわ、トル・ヨルズ」
「だってよ、すげえ疲れているように見えたからさ……」
トルの指摘通り、メリッグは疲労を溜めているのか、ここ最近目の下に隈のようなものが見える時がある。化粧をして隠しているつもりだろうが、少し滲み出ていた。随分と遅くまで図書室に籠もっているという噂も聞いている。
「メリッグさん、無理はしないでくださいね。大きな予言をしたばかりでしょう?」
「そんなこともしたわね。あとで話すけれど、皆さんが望んでいるような結果は出せなかったから、期待はしないで」
メリッグは小さく肩をすくめた。昨日の会議で話される予定だった予言の内容は、彼女の様子を見ても満足のいくようなものではなかったらしい。
城の奥へ突き進むと、近衛騎士が目に付くようになってきた。次第に会話の数も少なくなる。
やがて騎士が二人並んでいるドアの前に辿り着いた。ミディスラシールがそのうちの一人に声をかける。
「お疲れさま。中に入ってもいいかしら?」
「はい、大丈夫です。暗いので気をつけてお進みください」
ミディスラシールは鍵を使ってドアを開け、物置部屋の中に入り込んだ。以前来た時よりも物は少なく、随分とすっきりした印象を受ける。
姫は真っ直ぐ進み、突き当たった壁にある色褪せた石を押した。壁は音を立てて移動し、階段が現れる。光宝珠から発せられる光を頼りに、一段一段気をつけながら階段を降りていった。
床に降り立つと、リディスは思わず口元を手で覆った。
臭いはなかった。だが、床にこびりついた点々とした大量の血痕は未だに残っている。気を失っている間に、凄惨な出来事がここで起こったということを、嫌でもわからせてくれた。
「これでもだいぶ綺麗になったほうよ。当時は立っているだけでも辛かったわ」
ミディスラシールの握りしめている拳は微かに震えていた。愛している人が仲間だった人に刃を向けた現場など、まともに見られるはずがない。
セリオーヌから聞いた話によれば、十人この場にいて、二人が死亡、三人が重体、五人が重傷だった。重体の中には斬られた場所が悪かったため、騎士として復帰するのが難しい人もいたらしい。死亡した二人は身寄りがなかったため、城の方で丁重に葬ったと聞いていた。
どんな気持ちで銀髪の青年はここで剣を振るったのだろうか。
どのような理由があったにせよ、許される行為ではない。
かつて血溜まりであった地を進んでいく。その間、誰も口を開こうとはしなかった。
部屋の奥に辿り着くと、目の前に大きな扉が立ちはだかった。
「この先に土の魔宝珠がある。最近まで城下町の方に置いていたけど、結界が再構築されたから戻したわ」
「私、その魔宝珠に触れたんですよね?」
ロカセナに連れられてこの地に来たが、気を失わされてしまったため、まったく記憶にはない。
「そうでなければニルヘイム領での戦闘で大地を操れないでしょう」
ミディスラシールは取り出した短剣で、左手の人差し指をほんの少し切った。そこから血がにじみ出る。その指を扉にある土の烙印部分に押しつけた。
「――我が精霊、
指先を中心として光りだし、一気に扉全体に広がっていった。光が消えると扉が音を立てて開いていく。
「王族しかこの先には入れないのかしら、お姫様」
メリッグが腕を組んで、開かれる扉を眺めている。
「その通りよ。王族の血のみに反応して、開かれる仕組みになっているわ」
視線が一瞬リディスに向けられる。その視線はリディスにもこの扉を開けることができる人物だということを、暗に示していた。易々と気を失わされてしまった自分に嫌気がさしそうだ。
扉の中に入ると、森のような空間が広がっていた。地面は木や草花で覆われ、色鮮やかな風景が視界に入ってくる。所々湧き出る水が涼しげな雰囲気を演出していた。
「すげえな、地下にこんなところがあるなんてよ」
トルが感嘆の声を漏らす。誰もが言葉には出さずに同じような感想を抱いていた。
「ここは魔宝珠の恩恵を特に強く受けている場所。火の魔宝珠やその他の周りも同じような影響を受けているはずよ。ムスヘイム領だと、たとえば備え付けられていた松明が、突然燃えたりしなかったかしら?」
「どうだったか……」
トルは頭をかきつつ、首を傾げていた。リディスはその間に記憶をたぐり寄せる。
「ミディスラシール姫の言うとおり、突然火がつきましたよ。私、先に火の魔宝珠の傍に来てその光景を見ていたので、トルたちは知らなくて当然かと」
「水の魔宝珠からは水が出て、風の魔宝珠の近辺には心地よい風が吹いていると聞いている。この部屋も同じような現象が起きており、大地が肥やされ、植物を育てるのに適した環境になっているわ。それに気づいた先人たちが種子や苗を埋めたのでしょう」
歩を進めると、丸みを帯びた大きな茶色の石が台座の上を漂っていた。
土の魔宝珠である。それに向かってミディスラシールは呼びかけた。
「いらっしゃいますよね、
その呼びかけに応えるかのように石は輝き、そこから立派な髭を生やした小人――土の精霊が現れた。
『おお、姫ではないか、久しいな』
「お久しぶりです。その節は城下町を守って頂き、ありがとうございました」
『たいしたことはしておらんよ。――はて、なにやら連れの者がたくさんいるようだが、どうしたのじゃ? この前力を貸した男もいるし』
土の精霊の視線がフリートに向かれる。彼はその視線を受けて、軽く頭を下げた。
「彼らは私じゃなくて、この子の付き人です」
ミディスラシールはリディスの手を引いて前に連れ出す。土の精霊はじっとリディスのことを見て、ぽつりと呟いた。
『――まさか、ノルエか?』
その言葉を聞き、リディスをはじめ、ほとんどの人は首を傾げる。だが、たった一人だけが、大きく目を見開いていた。
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