歴史を見守る大樹(3)
「ミディスラシール姫?」
リディスが呼びかけると、ミディスラシールははっとした表情をして振り返った。
「ごめんなさい、リディス。懐かしい名前を聞いて、びっくりしただけだから。――
『本当じゃ。よく見たら違うな。似ているがどこか違う』
土の精霊がそう言うと、ミディスラシールは儚げな笑みを浮かべた。
「似ているはずです、同じ血を引いていますから。父から聞いた話によると、どちらかと言えば、リディスラシールは母であるノルエール女王に似ていると聞いています」
『そういえばノルエは娘を二人産んだのじゃったな。一人はお主、そしてもう一人は鍵の子供――』
土の精霊はミディスラシールとリディスを交互に見比べる。その目は孫娘を見るような、優しい瞳であった。
『無事に大きくなったようで、良かった。これもノルエが体を張ってくれたおかげじゃな』
「そうですね、お母様が頑張ってくれているおかげで、今、私たちがここにいることができています」
ミディスラシールの瞳に若干だが陰りが見えた気がした。
リディスがオルテガから聞いた話によれば、ノルエール女王は十九年前に流行り病により急死したらしい。若くして亡くなったため、盛大な葬儀が行われたと聞いている。
もしかしたら、リディスやミディスラシールを産んだ影響もあるのかもしれない。そう考えるとリディスの心持ちも重くなる。
姫はリディスの気持ちを振り払うかのように、話題を変えた。
「さて、土の精霊、お話があります。――単刀直入に聞きます。これから精霊たちは何をなさるおつもりですか?」
土の精霊は目を細めながら、魔宝珠の上に腰掛けた。
『どうしてそんなことを聞くのじゃ?』
「あの扉が出現したことにより、自然界の循環がさらに乱れた結果、精霊召喚が上手くできなくなりました。初めは扉が精霊に対して何か影響を与えているのではないかと思いました。ですがそうではなく、精霊がこちらの召喚に構っていられないから、召喚しにくくなったと考え直しました」
『その根拠は?』
「必要な時には力を貸してくれて、特に必要でない時は力を貸してくれないからです。たとえば、メリッグ・グナーが命をかけた戦いをしている時は、
斜め後ろにいたメリッグはゆっくり首肯した。
「しかし、私や城の者が襲ってくるモンスターに向けて精霊召喚をしようとした時は、上手くできないことが多々ありました。ただ結果として騎士たちのおかげで、負傷することなく、戦闘を終えることができました。つまり、精霊たちから見れば、その戦闘では力を貸す必要がなかったと考えられました」
すらすらと述べるミディスラシールの様子に、リディスは圧倒されていた。ロカセナのことを考えつつも、精霊についてもここまで考えていたとは。
リディスも最近になって精霊を少しだけ召喚できるようになった。そのためもしも召喚が今後の戦いに影響を与えるような不安定な状態になっているのなら、原因くらいははっきりさせておきたかった。
「今まではそのような戦闘下でも力を貸してくださいました。けれども扉が現れてからは力を貸すのが時と場合による。――いったい力を貸していない時は、何をしているのですか?」
精霊と人間は、本来であればこのように面と向かって話すことはまずない。精霊の方が上位の存在、
数分沈黙が続くと、小人の精霊はミディスラシールに視線を合わせた。
『……扉の向こうでの循環も乱れているのじゃよ。それを安定化させるために、わしらは時間を見つけて、扉の向こう側に行っている。お主らが思っている以上に、世界は危険な状態なのじゃ』
「モンスターや他国による襲撃によって荒廃した大地になるよりもですか?」
『荒廃など可愛いものじゃ。辛うじて生命は残っているだろう。わしらが恐れているのは――消滅じゃよ。人もモンスターも大地も、何もかも消え去った状態だ』
その場にいた人々は顔を硬直させた。土の精霊の真剣な眼差しから、嘘ではないことが容易に推測できる。
今まで考えていたことでさえ、生ぬるいことであったと痛感した。そのような状況になったら、おそらく精霊たちも消滅してしまう。それほどの脅威が迫っているなど、誰が考えていただろうか。
重い空気の中、リディスは意を決して口を開く。
「それを防ぐために、私たちはどうすればいいのですか?」
(そして鍵である自分はどうすれば?)
土の精霊の返答を待とうとしたが、突如土の魔宝珠が光輝き始めた。眩しいがどことなく落ち着く、温かみのある光である。
『そのことに関しては私からお話しましょう』
光の向こう側から、芯のしっかりとした女性の声が聞こえてきた。どこかで聞いたことがある声だ。
『鍵と黒髪の騎士にこの先で見て、お伝えしたいことがあります。お二人とも、お時間は大丈夫ですか?』
リディスは隣で自分自身を指で示しているフリートと視線を合わせる。その様子をミディスラシールはちらりと見ていた。
「リディスとフリートで正しいわよ。――あの、私も知りたいので、一緒に行っては駄目ですか? 扉を開ける者はその先に行っているんですよね?」
ミディスラシールらしからぬ強引な発言だ。彼女の横顔はいつも以上に必死めいていた。
『残念ながら貴女は連れていけません。貴女には貴女のやるべき仕事があるはずです』
「ですが……!」
『――貴女は一国をまとめる姫でしょう。一個人の感情で動くのはやめなさい』
強い口調で光の先にいる女性は言い切った。ミディスラシールの立場や感情まですべてを把握している言葉。この先にいるのは彼女をよく知っている者らしい。
ミディスラシールは親から叱られた子供のように、悔しそうな顔で何も言い返せずにいた。俯いたまま、リディスの肩を軽く叩く。
「……早く行ってきなさい。あとでこの先で見たことをすべて報告しなさい」
「ミディスラシール姫……」
行きたい想いを押し殺しながら、姉はリディスの背中を軽く押した。
次に視線が黒髪の騎士に移る。今度は姫として、凛とした口調で言い放った。
「リディスを頼んだわよ」
「はい、承知しました。――行くぞ、リディス」
「わかった」
力強く首を縦に振ると、二人で石の傍に進み出た。
『なるべくお時間は取らせませんので。先に言っておきますが、この先では召喚や殺生の類は一切できません。悪意を持って剣を向ければ消失する可能性がありますので、お気をつけください』
「モンスターなどは出ないということですか?」
『ええ。今はまだ危害を加えるモンスターはいないので、安心してください。さあ、そのまま進んでください』
リディスはフリートと視線を合わすと、同時に光の中に足を踏み入れた。眩しかったが、とても温かく、安心できる――そういう想いにさせる光であった。
そして二人はミディスラシールたちに見守られながら、光の中を突き進んでいった。
「行っちまったな」
トルはぼんやりと土の魔宝珠を眺めている。二人が見えなくなると光も消え、道はなくなってしまった。
「あれは何だったんだ? てか、行かせて本当に大丈夫なのか?」
「敵ではないと思う。悪意などは感じられなかったから。……お姫様は心当たりがあるんじゃないのかしら?」
呆然と立ち尽くしていたミディスラシールは、メリッグの声を聞くと慌てて振り返った。
「何でしょうか?」
「今の声の主、心当たりがあるのでは? あの光の先にあるものも、何となく察しているわよね?」
メリッグの鋭い視線を受け、ミディスラシールは返答に窮した。いつもなら考えながら冷静に返したが、今はあまりに心の中が乱れているため、反応できなかったのだ。
「どうかしたのかしら?」
(本当にこの予言者さんはいい目をしているわ)
フリートを何度も言葉で追いつめたと聞いていたが、まさか姫に対してもそれをしてくるとは思ってもいなかった。誤魔化しても無駄だろう。声の主も光の先も半信半疑だったが、既に検討は付けていた。
一度深く息を吐き出してから、メリッグと向き合った。迷いのない深い紫色の瞳が突きつけられている。
「あくまで私の推論ですよ、答えはリディスたちの口から聞いてください。おそらくあの声の主と、あの光の先には――」
だが、この場でミディスラシールの言葉を最後まで聞くことはなかった。
この地に向かって誰かが駆けてくる。スキールニルが柄を握って、ミディスラシールの前に立つ。彼は扉から現れた人物を見ても、警戒を緩めることはなかった。ミディスラシールはその人の姿を見るなり、すぐに彼を押し退けた。
「姫!」
赤い短髪の女性が血相を変えて走ってきていた。全速力で来たのか、かなり息が切れている。
「どうしたの、セリオーヌ?」
「結界のすぐ傍でゼオドアという初老の男性が現れました!」
「何ですって!?」
ミディスラシールだけでなく、ゼオドアと面識があるメリッグ、トル、ルーズニルも目を大きく見開いていた。ミーミル村の結界を破り、大量のモンスターを操った老人。同志たちの中で最も危険視している人である。
リディスたちがこの場にいないのは幸か不幸か――そう思いながら、ミディスラシールは何点か問いかけだした。
「今はその場に誰かいるの? 王は大丈夫?」
「傍にいた他の班長格の青年に対応してもらっています。すぐに追い返すべきだと思ったのですが、昨日の会議で名前が出た重要人物のため、姫様の指示を仰ぎたいと思っています。王は会議室で無事が確認されています」
「相手側は何か要求をしてきた?」
「責任者と話をしたいと言っていました。また今回は危害を加えるつもりはないと」
「今回は……ね」
ミディスラシールは薄らと笑みを浮かべる。そしてセリオーヌの傍に歩み寄った。
「私が行くわ。王には引き続き会議室で待機してもらっておいて」
「姫……。止めても行くのでしょうね」
セリオーヌは肩をすくめて、年下の姫を見下ろした。ミディスラシールは髪をはらって、出口に向かって歩き始める。
「当たり前でしょ。これは私しかできない仕事だから」
(そしてこれが私のリディスを護る方法よ)
扉の境目まで来ると、ミディスラシールはついてこようとしたメリッグ、トル、ルーズニルを目で制した。
「皆さんはここにいてください。万が一侵入を許してしまった場合、ここが最後の砦になりますから。――頼みましたよ」
「お、おう! 頑張るぜ!」
トルが握り拳を作って、ミディスラシールに返事をした。こういう素直な部分は彼の長所だろう。
ミディスラシールはさらに奥にいる土の魔宝珠の上に乗っている小人に向かって軽く頭を下げた。
「
『ああ、構わぬよ。お主たちに時間があればの話じゃが』
「ありがとうございます。では、失礼します」
頭を深々と下げると、ミディスラシールはスキールニルとセリオーヌを連れて颯爽とその場から立ち去った。
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