20 光の道を導く鍵

光の道を導く鍵(1)

 水の魔宝珠がある小さな祠にて、リディスは見えなくなるまで、ずっと黒髪の青年の背中を見つめ続けていた。出会った当初にいきなり肩を強く掴まれ、乱暴な振る舞いをされたにも関わらず、今はどうしても彼から視線を逸らすことができなかった。

 視線を手元に落とせば、黒髪の青年フリートからもらった誕生日プレゼントがある。

「誕生日……」

 呟くと不意に頭に痛みが走る。右手を軽く添えたが、特に違和感はない。

「私の誕生日って、いつだっけ?」

 記憶をゆっくり辿ろうとする。彼の言い方から察すれば、あまり日はたっていない。この地に来てからメリッグたちに祝われた覚えはないので、おそらくその前の地だが――。

 思い出そうとすると、激しい頭痛がリディスを襲ってきた。あまりの痛さにその場にうずくまる。

「リディス、大丈夫か!?」

 女医のエレリオが血相を変えて駆け寄ってくる。

「大丈夫です、ちょっと頭痛がしただけですから……」

「頭痛だと? 何か考えごとでもしていたのか?」

「シグムンドさんから誕生日プレゼントをもらって、自分がいつ誕生日だったのか思い出していたら――」

 言葉に出すと、より頭痛が激しくなってくる。頭を抱えていると、エレリオが優しく抱きしめてきた。

「……リディス、いいか、世の中にはわからないままの方がいいこともある。誕生日は……駄目だ」

「なぜですか?」

 エレリオに即座に疑問の言葉を返す。自分の誕生日がわからなければ祝うこともできず、いつ歳を重ねるかもわからない。それほど寂しいことはない。

 知りたかった。だが、その強い想いに比例するかのように、痛みも激しくなる。

 ぎゅっと鍵の形をしたペンダントを握りしめた。その形状を視界にいれると、さらに痛みが増長する。

「フリートの奴、何を考えているんだ。この子のことを想っているのなら、なぜそっとしておいてやらない?」

「どういうことですか?」

「だから知らなくていい。それがメリッグやルーズニルの考えだ。リディスはここで大人しく待っていろ」

 エレリオの手が、リディスが握っているペンダントに伸びる。反射的に手を引っ込めた。それを見たエレリオは目を丸くしている。

「どうして渡さない?」

「むしろなぜエレリオ先生に渡さなければならないのですか?」

「今のリディスには不必要なものだ。むしろ害を与える恐れがある。あれだけ苦手意識を持っていた相手からのプレゼントだろう。どうして素直に受け取って――」


「違う!」


 無意識のうちに否定の言葉が飛び出す。発したリディス自身も驚いていた。

「リディス、どうしたんだ?」

「せ、せっかくのプレゼントを嫌がる理由はないです。それに――」

(何か大切な想いがここには込められている気がする)

 意識をペンダントの鍵に向ければ、容赦のない頭痛がリディスを襲ってくる。これが続くようであれば頭が壊れてしまいそうだ。ペンダントを見たいという想いと、見てはいけないという想いが相反する。

 なぜ鍵を見てはいけないのだろうか。

 鍵は閉じられた扉を開けるもの。これを用いれば何かを開けることができるのだろうか。

 呼吸が速くなってくる。頭痛だけでなく、胸まで締め付けられてきた。鍵について触れてはいけないと、明らかに体が拒絶している。

 これを使って扉を開いてはいけない。その扉の先にある、意識の奥深くに沈められているものを解き放ってはいけない。

 今の状態から逃げたいがために、握りしめていた鍵を手放そうとした、その矢先――


 ――本当にその鍵を使って、扉を開けてはいけないのでしょうか?


 突然誰かがリディスに話しかけてくる。視線を宙にさまよわせながら立ち上がった。エレリオの制止の声も聞かずに歩き出す。

「誰……?」


 ――いつまでそんなところで立ち止まっているのですか?


「だから誰なの……!」

 広間から小さな通路を抜けて祠の奥へと進んでいく。エレリオが後ろを歩いていたが、リディスは気にも留めなかった。

 やがて通路から抜けた瞬間――意識が飛んだ。



 * * *


 

 目を開けると、正面には巨大な樹がそびえ立っていた。人々を圧倒するような大きさで、初見でも惹かれるくらい、美しく優しい色合いの樹だ。

 葉はどれも煌めいており、鮮やかな緑色を見ることができる。また樹は陽の光を程良く通していて、涼しさと温かさを同時に感じることができていた。

 そのような環境下で何の前触れもなく葉が枯れ、散り始める。リディスが目を丸くしている間にどんどん進行し、あっという間に樹はほとんど葉が付いていない、見るも無惨な状態となってしまった。

 リディスはしゃがみ込み、枯れ果てた葉を一枚拾い上げた。

「なんてことに……」

『これはこの世界の未来を表しています』

 リディスは突然声が聞こえた樹のさらに先へ視線を向ける。凛とした女性の声で、どことなく懐かしさが感じられた。誰かの声と似ているような気もする。その人物は離れた所にいるらしく、はっきりとした実体を見ることはできなかった。

 首を傾げながらリディスは声がする方を遠巻きで眺めた。

「どういうことですか?」

『言ったとおりですよ。そう遠くない未来、ドラシル半島はこの樹のように枯れ果ててしまうということです』

「モンスターが人々を襲っているからですか?」

 この世界にはモンスターが存在しており、かつては人を襲うようなことはなかったが、ここ最近は何らかの異変があったため襲い始めた――とルーズニルから聞かされている。

 彼女からの返答はリディスが予想していたものではなかった。

『半分正解であり、半分不正解です』

「え?」


『そもそもモンスターはなぜ生まれたのでしょうか。“在るべき処”とはどこでしょうか。そして還術とは何なのでしょうか』


「何が言いたいのですか? どういう意味ですか?」

『今の貴女に教えることはできません』

「どうして!」

『なぜなら今の貴女からは覚悟が感じられないからです』

「覚悟?」

 いったい何を覚悟する必要があるのだろうか。今のリディスには何かしらの覚悟をする理由が見当たらない。メリッグたちに従いながら日々を過ごしている。それを断ち切れということだろうか。

『いいですか、まずは閉じられた扉の先にある、自分の記憶を解放させてください』

「記憶?」

『ええ。脳内で今まであった出来事を一つ一つ辿ってください』

 言われた通りに記憶を遡っていく。しかし、途中で鍵がかけられた扉が立ちはだかったため、先に進めなかった。思考の中に出てきた扉は具現化し、リディスの目の前に現れる。

「先に進むには、鍵を使って扉を開ける必要がある。だから、まず鍵を探さないと……」

 呟くがなかなか行動に移せなかった。扉が無言で圧力を放っている。扉の先には、何か恐ろしいものが待ち構えているような気がした。

 意識が体の行動を抑え込んでいく。足はぴくりとも地面から動かなくなった。

「ど、どうして……!」

『自己防衛でしょう。もしその扉を開き、先に進めば、貴女の夢は本当に終わりますから』

「私の夢?」

『そう……。今はまだ穏やかな夢を見続けているだけ。けれどその扉を開けば、夢は終わり、真実を知ると同時に残酷な現実が待ち構えているでしょう。――貴女の優しい仲間たちはそのような状況に陥って欲しくないために、貴女をここに置いて行きました。それでも知りたいのですか?』

 更なる選択肢を突きつけられて、リディスは困惑する。

 メリッグやルーズニルたちに過保護なくらい優しく接せられているのには薄々気付いていた。二人があまりにも気を使いすぎているため、気が引けてしまい、こちらからその理由を聞くことはできなかった。

 しかし、これだけは言える。

 二人ともリディスに対して何か隠している――と。

 おそらく目の前にある鍵がかけられた扉と関係がある。

「……真実って何ですか?」

『扉を開けばわかります。ただし貴女はもう平穏な日々には戻れない道を歩むことになるでしょう』

 そう発した女性の声は、どことなく寂しそうであった。

(やっぱりこの扉には手を付けない方が……いい?)

 リディスは半歩下がろうとした。足を動かそうとすると、胸元が急に輝き始める。

 手を伸ばすと、首からぶら下がっている鍵に触れることができた。黒髪の騎士からもらったペンダントは、光を発することでより美しさが際立っている。まるでリディスに対して主張するかのように光を発し続けた。

 それを見ていると、彼の口から紡がれた言葉が思い出される。


『俺は貴女の未来を護るために戦ってきます』


 覚悟を決めた青年の顔は思わず見惚れてしまうくらい、凛々しく、かっこよかった。同時にその内に秘められた覚悟が、ただ事ではないことも感じ取れている。

(私は何かとても大切なことを忘れている気がする)

 青年の事を思い浮かべる度に、鼓動が激しく波打つ。

 出会った当初は怖いと思ったが、根は優しい人だと気付き始めていた。

 リディスの目には見えない範囲で、さりげなく気を使ってくれている。誰よりも周囲のことに敏感で、たとえ自分が怪我人であっても、誰かが襲われそうになったら真っ先に飛んできてくれる。リディスが傷ついたら自分が怪我を負ったよりも、酷く落ち込んでくれた。

 彼の行動から感じられる誰かを必死に護りたいという想い、そしてリディスの未来を護ると言った彼のことを思い浮かべると、閉じられた扉の先にある、忘れていた大切なことを思い出さなければと思うようになっていた。


 果たして夢を見続けたままでいいのだろうか。

 辛く、苦しく、絶望しか続いていない道だとしても、夢から覚めて、そこを歩むべきではないのだろうか。

 そして、その道を進めば、リディスが真に求めていた安穏の時が、僅かでも送れるのではないだろうか――。


 仄かに温かい鍵を握りしめる。リディスは唇を閉じて、目の前にある扉をしっかり見据えた。

『開けるつもりですか? 開けなければ、貴女はそのまま穏やかな人生を送り続けることができますよ』

「そうかもしれません。けれどそれが果たして幸せなことなのでしょうか? 真実を知った先がいくら残酷であっても、偽りの人生を過ごすよりはずっといい気がします」

『周りを悲しませるようなことになっても?』

「悲しませるかどうかは、私の今後の覚悟と行動によるんじゃないですか?」

 微笑を浮かべると、声をかけていた人物は数瞬の沈黙の後、静かに口を開いた。

『……そうですか。それが貴女の決めた人生であるのなら、私はもう何も言いません。自分で道を切り開いてください』

 リディスは扉に向けて一歩踏み出す。強固で分厚い木造の扉を真正面から見る。

 震えそうな手は鍵を握りしめることで、落ち着かせることができた。

 鍵を鍵穴に近づけると、扉の向こうから重々しい老人の声が聞こえてくる。

なんじ、何故、この扉を開く』

 応えは決まっていた。

 リディスは背筋を正して、想っていたことをはっきり口にする。


「未来へ進む道がたとえ絶望しか残されていなくても、せめてこの瞬間だけは、あの人たちと一緒に希望を抱き、願い続けたいから――私は今、この扉を開きます」


 そしてリディスは鍵穴に差し込み、一気に鍵を回した。

 扉を開くと、洪水のように光が溢れ出てくる。それを全身で受け止めていると、体が熱くなってきた。


 忘れていた楽しい日々の記憶の欠片たち。

 そして愛しくも切ない残酷な真実の記憶の欠片たち。


 やがて記憶の奥底に封印されていた、膨大な記憶の欠片たちが扉から解き放たれた。



 * * *



 目を開くと、視界は再度変わっていた。いや戻っていると言った方が正しいだろう。目の前には水の魔宝珠が光を発しながら静かに佇んでおり、リディスはそれに向けて手を伸ばしている状態だった。その横には水色の髪の女性、水の精霊ウンディーネがいる。

 脳内では様々な記憶が散乱しすぎていて、すぐに状況を理解することができなかった。水の精霊は目を細めて、リディスのことを見ている。

『戻ってきたの、鍵』

「どういうことですか?」

『覚悟ができ、絶望への道を自ら開くというのなら、魔宝珠に触れなさい。さすれば途切れていた記憶の欠片もすべて繋がるでしょう』

「記憶……」

 呟くと激しい地響きが祠を襲う。リディスはとっさにある人の名前を発していた。

「フリート!」

 すぐ後ろには目を大きく見開いたエレリオがいた。記憶を失っている時はずっとシグムンドさんと呼んでいたのだから当然だろう。

「リディス、記憶が……」

 彼女の驚きに答えることなく、リディスは一呼吸してから水の魔宝珠に手を触れた。

 宝珠から水が溢れ出て、その水はあっという間にリディスを包み込む。

 苦しかったが、それ以上に失っていた残酷すぎる真実を知った時の記憶を繋ぎ合わせられる方が辛かった。


 皆既月食時のモンスターの強襲。

 ロカセナの隠れた目的。

 リディスの真の立場。

 そしてロカセナがフリートに剣を向けたこと――。


 鍵として扉を開いた影響で、それらの記憶を失っていた。記憶を取り戻したことで、今後扉がどうなるかはまったくわからない。扉は消えるのか、それとも開ききってしまうのか。

 また鍵であるリディス自身がどうなるかもわからなかった。もしかしたら体に多大な負担がかかるかもしれないし、今度こそ命を落とすかもしれない。

 恐怖はあったが、リディスは自らの確固たる意志を持って、水の中を進んだ。

 その先には色の違う四つの光が輝いている。四大元素の精霊たちが光を発しながらリディスを待っていた。近づくと、小さなおじいさんの体をした土の精霊ノームが口を開いた。

『すべてを操りし鍵よ、望むのならわしらの力を預けよう。ただし狂いし魔宝珠の循環を戻すと、約束をしてくれ』

 リディスは首を縦に振った。

 そして手を伸ばして、水の魔宝珠の神髄である光の部分に触れると、激しい光が解き放たれた。その光は見る見るうちに広がり、やがて祠全体を包み込んだ。

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