愛しき人に時間を(2)

 * * *



 陽が傾き始めると、陽の光から逃れていたモンスターたちがうごめき始める。

 どこかでモンスターが遠吠えしているようだ。姿は見えないが、それは人々の心の中に恐怖として植え付けられる。

 そんな状況にも関わらず、森に囲まれた小屋の中にいる銀髪の青年は、ベッドの上で積んであった本を呑気に読みふけっていた。しばらく落ち着いて本を読む時間がなかったため、一冊ずつじっくり読み込んでいる。古い本ばかりだが、どれもロカセナが知らぬ内容だった。

 一人の時間を楽しんでいると、小屋のドアが軽やかに叩かれた。ドアを開けようと思い立ち上がったが、先に外にいる者が鍵を使って入ってきた。

「おや、起きていましたか、ロカセナ」

「ゼオドア、どうかしましたか?」

 眼鏡をかけたゼオドア・フレスルグは軽く黒い帽子を持ち上げた。

「ヘラから連絡はきましたか?」

「いえ、あれ以来特には。彼女が何か?」

 ヘラは鍵であるリディスたちを探してくると言って出ていったきり、連絡はない。連絡がないのは何も進展がないからだと、ロカセナは思っていた。

 ゼオドアは白い髭を触りながら首を傾げる。

「そうですか。未だに連絡がないとは、彼女にしては珍しいですね。どこに向かったかはわかりますか?」

「はっきりとはわかりません。ですがおそらく予言者のメリッグ・グナーか、博識の武道者のルーズニル・ヴァフスが関係している場所を回っているかと思います」

「予言者……ああ、グナー族の末裔ですね」

 ゼオドアはぽつりと呟き、ヘラがどこに行ったか思案していた。子供のニルーフや自分勝手なガルザと違い、彼女に関しては心配する必要はないはずだ。それにも関わらずゼオドアの口元は緩まなかった。

 しばし考えた後に、彼は顔を上げた。

「もしかしたらプロフェート村の跡地に行っているのかもしれません」

「地図から消えてしまった、あの村ですか?」

 七年前に起こった村の消失事件は、目撃者が少ないため、当時の状況を知る者はほとんどいないが、“消えた”という事実だけは、ドラシル半島全体に広まっていた。

「そうです。他人の過去を第三者がおおっぴらに言うのは如何いかがなものかと思いますので、ほんの少しだけ情報を与えましょう。――ヘラは予言者が集う村と言われていたプロフェート村の出身、そしてそこにはグナー族がいました。そこから何が言いたいかは、わかりますね?」

「……ええ」

 ロカセナは首を縦に振る。ヘラとメリッグは同じ村の出身。村の大きさから考えると、少なくとも顔見知りだったはずだ。ヘラがこちら側に付いていると知らずにメリッグが動いていれば、その村の跡地にいてもおかしくない。

 ゼオドアは踵を返し、出入り口に戻った。ドアノブに手をつける前に再度振り返ってきた。

「私はヘラを追います。たしかに頭はいいですが、少々感情的になり過ぎるところもありますので。――惜しい人材です、殺させません」

「まさかヘラが彼ら相手に負けるというのですか?」

 まともにヘラと相手をしたら、ロカセナでも負ける可能性が高かった。そんな彼女よりも、フリートたちが強いとは到底思えない。ゼオドアは静かに首を横に振った。

「とんでもない。感情的になり過ぎて、ヘラが鍵まで殺してしまう可能性を危惧しているのですよ」

「そういうことですか。鍵を殺してしまったら、人間の意志で扉は動かせませんからね」

「次に戻る時は鍵と一緒でしょう。そろそろ次の満月も近い。すぐに扉を開ける準備をしておいてください」

「わかりました。気をつけて、行ってください」

 見送りの言葉を述べると、ゼオドアは口元に笑みを浮かべて、部屋から出ていった。

 やがて見送ったロカセナはある本を取り上げた。それは多くの人たちが活躍する冒険小説。ある樹を巡る物語で、単純な内容ではあるが度々読み返してしまう本である。

「現実は――こんなに上手くはいかない」

 ぎゅっと掴んでから、その本を積んである本の横に一冊だけ置くと、ロカセナは足を床に付けて、立ち上がった。カーテン越しから、ちらりと外を見る。森の隙間から小さな湖が、緩やかに波をたてていた。



 * * *



 フリートは早朝からメリッグの話を聞いていたため、昼は体を休めつつ、ルーズニルを通じてエレリオから借りた本を読み進めていた。予言者が多数集う村だったこの地で、何か今後の指針になるようなものがあるかもしれないと思い、探していたのだ。

 ルーズニルはフリートが躍起になっているのを見て、当初は驚いていたが、すぐに微笑みながら肩を叩いてくれた。

「まだ充分に体力が戻っていないから、無理はしないでね?」

「わかっています。けど何かをしていないと、落ち着かなくて」

「剣を振ることはできるのかい?」

 ちらりとベッドの脇にある、ショートソードに目をやる。机の上にはバスタードソードを召喚する魔宝珠もあった。フリートは本から目を離さず、会話を続けていく。

「多少はできました。ただ体力が落ちていることが難点です。長期戦や多数のモンスターと一度に相手をするのは、難しいでしょう」

「何かあったらメリッグさんと僕で相手はするけど、その間リディスさんを護るのが手薄になる。だからその時はフリート君、よろしくね」

「……努力はします」

 距離を置かれている相手が、フリートの護衛を受けてくれるかどうかわからない、という懸念もあったため、曖昧な返事となっていた。記憶は戻らなくても、せめて近くにいることさえ許されるのならば、また違った接し方があるのかもしれない。

 フリートは深々と息を吐いていると、急激に空気が張りつめてくるのを感じた。モンスターの僅かな気配を察知する。即座に魔宝珠を掴んで、窓の外を睨みつけた。

 突然警戒心を露わにしたフリートを目の当たりにしたルーズニルは目を丸くしている。

「どうしたんだい?」

「……モンスターが大量に来ます。ある一匹はかなりの力を持っています。残りは結界の周辺に集まっているモンスターでしょう。結界が緩めば即座になだれ込んでくる可能性が高いです」

「本当かい?」

 モンスターの気配に敏感なのは、昔から定評があった。ルーズニルはモンスターと戦えるとはいえ、本来は学者。すぐに気付けというのは無理がある。

 立ち上がってショートソードを手にし、フリートはメリッグがいるリディスが寝ている部屋に行った。

 部屋に着くと、リディスが強張った表情で窓の傍に立っているのが視界に入る。メリッグはその横で眉をひそめていた。

「メリッグ、ちょっといいか?」

「女性の部屋に入るときは、もう少し遠慮というものを考えたら?」

「そんな暇はない」

 窓の近くに寄ると、リディスが震える体を自分の両手で強く抱きしめていた。その顔は今にも泣きそうである。

「何かが……来る?」

「どうしたの、リディス。大丈夫?」

 メリッグが優しく語りかけるが、リディスは小刻みに首を横に振っていた。メリッグの鋭い視線がフリートに向けられる。それを受けてフリートは口を開いた。

「モンスターが来るぞ」

「この近辺には強力な結界が張られているのよ。そう簡単に突破できるわけが――」

「一匹だけかなり強力なやつがいる。それによって突破されるはずだ」

「本当なの?」

 メリッグが尋ね返した瞬間、大地を揺るがすほどの地響きがした。メリッグとルーズニルも思わず身構える。

 地響きは一定の間隔で続いていく。そして揺れも徐々に大きくなっていた。まるで何かを激しく叩いているかのようだ。

「本当ね、誰かが強行的に結界を破ろうとしているわ」

「そうだ。ここはじきに戦場となる」

 リディスの肩がびくりと跳ね上がった。何の力もない二十歳の女性であれば、誰しも怖がることだ。肩に触れたい衝動に駆られたが、そこは理性によって踏みとどまらせた。

 モンスターが意図的に結界を破ろうとするのは、余程のことがなければすることはない。つまりほぼ間違いなく、後ろ手で操っている人間がいる。

 険しい表情をしたまま、フリートはメリッグとルーズニルを交互に見た。二人は固い表情で頷いた。

 遅かれ早かれ同志たちと交戦するのはわかっている。それが思ったよりも早かったというだけだ。しかし、フリートの体が思うように動かせない今、このまま戦闘に突入するのは非常に分が悪い。

「……悔しいが、一刻も早くこの場から去った方がいいな」

「それは無理な話よ」

 フリートが躊躇いつつも言ったことを、即座にメリッグは否定する。

「おそらくモンスターを操っている人間はヘラよ。あの子は見つけた獲物は逃さない。どんな手を使ってでも自分のものにしようとする。こちらから潰しに行かない限り、いつまでも追い続けてくるわ」

「いいかメリッグ、こちら側の戦力を考えてみろ。俺をいれたとしても、三人しかいないぞ」

「何を言っているの。貴方なんて初めから頭数にいれてない。私がヘラと相手をする、それで充分よ」

 メリッグはポケットから魔宝珠を取り出す。彼女は宝珠を二個持っているが、取り出したのは透き通るような魔宝珠の方だった。

「――遠き未来を見るために、近き明日を見るために、魔宝珠よ、我が想いに応えよ――」

 魔宝珠を中心として輝くが、すぐに光は納まった。メリッグの手のひらには透明な水晶玉が乗っている。彼女はフリートにそれを差し出してきた。

「触りなさい。貴方の未来、少し見てあげる。きっとこれからの戦闘には必要ないってわかるから」

 その言い方にフリートはむっとした。戦力としてはかなり落ちているが、それでも多少は役立つとは思っている。目の前で証明すれば、、彼女も納得するだろう。

「触ればいいんだな?」

「ええ。あとは私が水晶玉の先を――」

 メリッグの声を遮るようにして、少女の甲高い悲鳴が聞こえた。只ならぬ声に一同は動きを止めたが、フリートはすぐさま我に戻り、ショートソードを持って窓を開き、そこから外に飛び出した。ルーズニルの制止の声も聞こえたが、それを聞いている余裕はない。

 診療所の裏先にある森まで走ると、足をすくませた少女がいた。少女の前には鋭い爪を生やし、尖った耳をたてた二本歩行のモンスターがいる。能力的に見ればたいした力の持ち主ではないが、フリートがいる場所からでは距離がありすぎた。

 気を引き付けるために叫びながら駆け寄るが、モンスターは見向きもせず、一気に爪を降りおろす。フリートは最悪の展開を想像した。

 だが、爪が少女の皮膚に触れる前に、動きを止めて黒い霧となった。モンスターの胸からは深々と突き刺さったピックの先端が見える。

「……誰だ?」

 駆け寄る速度を落とし、少女の傍に辿り着いた頃には、モンスターはこの地から還っていた。警戒しながらその先に現れた人物を見ると、フリートは目を見張った。


「よう、久しぶりだな!」


 ぼさぼさの赤茶色の髪の上に、オレンジ色のバンダナを縛っている褐色肌の青年は笑顔で挨拶をしてきた。

「なんでお前がここにいるんだ、トル!」

「頼まれたんだよ、お姫様から。お前たちに会いに行けって」

「姫……ミディスラシール姫か!?」

「そういうこと。手紙も預かってきたから、それを読んでみろ」

 トルはモンスターを刺したウォーハンマーを下げ、少女の頭を軽く撫でた。

「もう大丈夫だ。さあ、とっとと家に戻るか!」

「ありがとう、お兄ちゃん!」

 少女は頭を下げてお礼を言うと、トルの傍に寄って歩き始めた。表情はやや固いが、違和感なく歩いていることから、怪我はしていないと思われる。それを知ると少しだけ肩の荷が下りた。

 視線は再びトルに向けられる。

「頼まれたと言ったが、お前はムスヘイム領の人間だろう。どういう経緯でここまで来た?」

「お前たちに会いにたまたま来ていたんだよ、城に。そしたらお前たちからの手紙が来てさ、姫様がどうするか悩んだ結果、城の関係者以外でお前らと面識がある俺に伝令役を任せたわけ」

 トルはリュックから真っ白い封筒を出し、フリートに手渡す。封筒の中から便箋を取り出すと、そこには懐かしい字が並べられていた。中身を読み始める前に封筒の中に戻す。

「読まないのか?」

「皆がいるところで読んだ方がいい。この先の診療所にメリッグとルーズニル、それと……リディスがいる」

「……リディス、とりあえず生きているんだな」

「まあ……な」 

 ミディスラシールからリディスの記憶喪失に関しては、既に言われているのだろう。トルは驚きを顔に出すことなく、フリートの横まで歩いてきた。

「早く行こうぜ。なんかヤバいのが来ているっぽいぜ」

「気付いたか」

「一人旅をしている間に、モンスターの気配に対する勘は良くなったさ。まあ今回は人間の殺気の方が先に感じ取れたが」

 長年人間相手にウォーハンマーを振るってきたトルにとっては、それを感じるのは容易だろう。

 ある人間に対して一方的に向けられる、禍々しい殺気は――。

 少しずつ陽が下がってくる。夕暮れにより辺りを赤く染めるのはまもなくだろう。

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