愛しき人に時間を(3)

 フリートはトルを連れて診療所の前に戻ってくると、メリッグやルーズニル、リディスだけでなく、荷物をまとめたエレリオや近くにいた住民たちが寄り添っていた。さっきトルが助けた少女の両親もおり、少女は二人を見るなり、笑顔で抱き着きに行った。

「あら、懐かしい顔がいるわね。道を間違えたんじゃない? 北と南を間違うなんて、よほど方向音痴なのね」

 腕を組んでいたメリッグは嫌みを言いつつも、表情は微笑んでいた。トルは彼女の言葉を気にした様子はなく、荷物を下ろして肩を回している。フリートは襲われそうになった少女のことをちらりと見た。

「そこの少女がモンスターに襲われそうになったところに立ち会った。おそらく結界が破れかけている。周辺にいるモンスターも侵入してくるぞ」

「本当に破れかけているのかしら。私は結界の範囲が極端に小さくなっているだけだと思うわ。現にここにはモンスターは近づいていない。――それで貴方は何しに来たの? 間違って来たわけではないでしょう」

 切れの長い目がトルに向けられる。彼は口を開かず、まずフリートの方に振り向く。

 その意図を察すると、フリートは握っていた白い封筒の中身を取り出す。その間にトルはここまで来た流れを簡単に説明した。

「お前たちに会いに城に行ったら、お姫様から行方がわからないと言われた。そしたらお前たちと知り合いで、精霊と関わったことがある俺に伝令役を頼んできた。精霊の加護があれば、加護を持っているお前たちを探し出せる可能性が高いんだってよ」

「お互いに面識のある精霊たちであれば、その精霊を感知することは可能だわ。そこをお姫様は言ったようね。貴方の火の精霊サラマンダーが、私の水の精霊ウンディーネの元まで連れて来たんでしょう」

「そうそう、そんな感じだ。始めにおおよそ場所の見当をつけて、あとは精霊の指示に従ってここまで来た」

「こんな世界を一人でかい?」

 ルーズニルがたいそう驚いた顔をしている。結界の外に出るのが非常に恐れられている世の中で、単独で移動するなど、普通の神経の持ち主であれば行わないことだ。

 目を丸くしている彼に、トルは不揃いな形の宝珠を見せた。

「姫様から結宝珠をもらった。それのおかげでほとんど戦闘にならなかったぜ」

「これは……かなりの値打ちものばかり。よほど信頼されたんだね」

「あの方は人を見分けるのが得意だ。一目でその人の本質を見抜くことも多々ある」

 フリートは頭をかきつつ口を挟む。そして手紙に目を落とした。

 中身は非常に簡潔なものだった。



『未来を導く者たちへ


 動けるようになったら、未来の行く末を再検討したいので戻ってきてください。

 応援は彼しか寄越しません。いえ、おそらくそれ以上の人数は寄越せないでしょう。

 今後、あちら側からこちら側に圧力をかけてくる可能性が高いと思われますので。


 必ず戻ってきてください。

 どんな状況になっても、進んで死ぬような行為はやめてください。

 生きていれば、いくらでもやり直しはできますから。


 最後に――皆が無事であることを祈っています。


 M.M.D』



「……あの人らしい手紙だ」

 懐かしい直筆を見て、フリートは思わず表情を緩めた。

 盗まれても書き手や送り主側がわからぬように極力固有名詞は避けている。M.M.Dは『ミディスラシール・ミディラル・ディオーン』の略。しかも筆記体であり、見慣れた人しか判別することはできない。判別できるのは、この中にいる人間ではフリートくらいだろう。

 そして世界の運命よりも一個人の命を考えている点が、彼女らしかった。

「つまり俺たちだけでどうにかしろってことだな」

「あまり有り難みのない手紙だったわね」

 メリッグがさらりと呟いた言葉を聞き流しながら、フリートは手紙を封筒の中にしまった。それを懐にしまおうと思ったが、緑色の瞳の娘がじっと見つめていることに気付く。

 どうせこれから乱戦になる。フリートが持っていても邪魔になるそれをリディスの前に差し出した。彼女は目を丸くして、フリートを見返す。

「気になるんだろう?」

「で、でも……、私は関係ないし……」

 その言葉を聞いて、フリートは苛立ちを覚える。彼女が記憶喪失ということを忘れ、右の手首を握りしめて、一歩フリート側に引き寄せた。

「関係ないって、そんなわけないだろう! 姫がどれだけお前のことを心配していると思っているんだ!」

「お姫様がどうして私なんかを……」


「大切な人だからだ!」


 手紙を無理矢理握りしめさせると、手首を離して背を向けた。揺れている緑色の瞳が脳内に即座に思い浮かぶが、それに構っている暇はなかった。

 フリートは眉間にしわを寄せたまま、紺色の髪の女性に目を向ける。

「メリッグ、相手側はどんな召喚をするんだ?」

「ヘラは水の精霊ウンディーネを召喚するわ。そしてかなり質のいい召喚をするはずよ。あとは貴方が言っていたけれど、モンスターも召喚するんでしょう。雑魚を大量召喚か、強力な力を持つ一匹を召喚か――まあ、あの子ならどちらでもできそうね」

 目を細めて森の向こう側を見据える。

「気配が一か所にまとまっている様子からすると、今回は強力なモンスターを一匹召喚したと思うわ。雑魚は結界の周りにうろついている、どこにでもいるモンスターね」

 近くの森の中で何かが大量にうごめいている。それらは人間たちの気配を察すると、のそのそと近づいてきた。メリッグはそれに向けて手を振ると、一瞬で凍り付けにさせて還した。

 彼女は何事もなかったかのように話を続ける。

「つまり敵は一人と一匹よ。人間は私が相手をする。一匹は……ルーズニルとトルでどうにか足止めしてくれないかしら? 私が召喚者を殺せば必然的に召喚物も消えるから、それまでの間を。いいかしら、特に来たばかりのトル・ヨルズ」

「ああ。そのつもりでここに来た。俺も戦う」

 トルは堅い表情で首を縦に振る。その返答を聞いたメリッグは薄らと微笑んだ。

 フリートはメリッグの台詞を脳内で繰り返すと、澄ました顔をしている彼女に一歩前に踏み出した。

「おい、俺の名前が入っていないぞ」

「フリートはリディスやエレリオ先生たちといなさい。結界の元である水の魔宝珠の傍なら、こんな状況であってもなんとかなるはずよ」

「そうじゃない。どうして俺を前線から外すんだ!」

 叫ぶフリートにメリッグは指を一本腹に突き刺した。

「怪我人が大口を叩かないでくれる? 服を着ているとはいえ、その下は包帯で巻かれたまま。今、戦ったら白い包帯が赤く染まるのに、そう時間はかからないでしょう」

「だが――」

 激しい地響きがフリートたちを襲う。バランスを崩し、座り込む人もいた。

 森の先から巨大なモンスターの姿が見え始めている。

「……とんでもないものを召喚したわね」

 メリッグは俯き、水晶玉を魔宝珠に戻し、今度は水の精霊ウンディーネを召喚した。そしてトルとルーズニルを見る。

「私のことは構わず、敵の足止めに集中、可能なら還しなさい。――死んでもあの子を止めるから、その点は安心しなさい、いいわね」

 圧倒された二人は言い返せず、促されるがままに首を縦に振っていた。メリッグはフリートに背を向けて、険しい表情をしたまま歩き始める。

「メリッグ!」

 フリートが再び呼びかけると、彼女は少しだけ後ろを向いた。


「……鍵を護りなさい。それは貴方の義務よ」


 哀愁漂わせる微笑みをした。それは一瞬のことで、メリッグはすぐにきりりとした表情に戻すと、森の先にいる女性に向かって駆け出し始めた。

 フリートは前のめりになると、ルーズニルに肩を抑えられる。

「フリート君、メリッグさんの言うとおり、君はリディスさんの傍にいて。――こちらも最善の努力はする。展開によってはリディスさんを護ることだけを考えて、行動してくれ」

「そうそう、記憶がないとはいえ、やっぱりお前たちは一緒にいるべきなんだろ。俺の勇士を見せられないのは残念だが、頑張ってくるな」

 軽口を叩いていたトルだったが、手元は小刻みに震えていた。それを抑えるかのように、手をぎゅっと握りしめて走り出す。

 ルーズニルも最後にリディスに向けて笑みを浮かべてから、メリッグの後を追った。

 あっという間に三人の姿は森の中に消えてしまった。煮え切らない思いでいっぱいであり、やはり追いかけようとしたが、エレリオの無言の視線で制される。

「フリートは騎士なんだろう。村民の安全を護ることも、立派な仕事じゃないのか?」

 エレリオの言葉は彼女の後ろに集まっていた、生き残った村人たちの代弁だった。誰もが不安を隠しきれずにその場に立っている。成人した男性はほとんどおらず、非常に心許ない。

 母親に寄り添っている、今にも泣きそうな少年の姿まである。それが一瞬、フリートの幼い頃の姿と被った。もし彼がモンスターによって母親を失ってしまったら――取り返しのつかないことになる。

 メリッグたちを追いかけたいという想いは引き続き抱いていたが、現実を目の当たりにして、ぐっとその気持ちは抑えた。

「……わかりました。エレリオ先生、もっとも結界が強いと言われている、水の魔宝珠があるところまで案内してください。それまで俺が護衛します」

「それは助かる。頼んだよ、フリート・シグムンド」

 エレリオは肩を軽く触れながら横を通り過ぎ、村民を集めて指示をし始めた。その間にフリートは防具を取りに部屋まで戻る。

(守りと攻めを一人で同時にするのは難しい。今までは二人でやっていたが……)

 ふと自分を傷つけた相棒の顔を思い浮かべていた。



 トルが久々に会ったメリッグの表情は鬼気迫るものだった。彼女に若干ながら苦手意識を持っていたが、どうにか接していた。だが今の彼女には声をかけるのも困難な、鋭い雰囲気を漂わせている。

 見た目からしてあまり体力はないはずだが、思った以上に速度を上げて、彼女は森の中を駆けていた。まるで何かに追い立てられているかのようである。

「僕たちに会いに来てくれたのにごめんね、突然戦闘だなんて」

 眼鏡をかけたルーズニルが、申し訳なさそうな表情をしている。トルは首を横に振って、移りゆく地面を見つめた。

「……お姫様から、『リディスたちといれば、命を天秤にかけるような戦闘は避けきれない』って言われている。それを知った上で俺は覚悟してここに来た。……ただ、相手の殺気が強すぎるんで、ちょっと動きが鈍くなっちまうかもな」

 突き刺さるような殺気は、進むにつれて増していく。旅の道中で出会ったモンスターと比べるのが失礼なぐらい、非常に禍々しい。

 それをフリートたち抜きで相手をしろと紺色の髪の女性は無茶を言った。足止めだけでもいいと言った彼女は、おそらくこれからの戦闘で命をかけるつもりだ。

「なあ、今更なんだが、この先にいるのは誰なんだ?」

「メリッグさんを殺したいほど憎んでいる人。そして彼女もその人と立ち向かわなければならない人」

「はあ?」

 物騒な内容にトルは怪訝な表情で首を傾げる。するとルーズニルはメリッグから聞いた話をそのままトルに話してくれた。

 ロカセナたちの同志の中に彼女と同じ村にいた女性――ヘラがいる可能性があり、彼女はある理由からメリッグを相当恨んでいるということ。そして今後その危険人物が目の前に現れるだろうというものだ。

 その旨をトルは聞かされると、メリッグが誰も寄せ付けない雰囲気を漂わせているのに納得ができた。

「おそらくメリッグさんは死ぬ気だよ」

 さらりとルーズニルは言う。彼は表情を変えていないが、周りにいる風の精霊シルフの表情は険しくなっていた。

「それを僕たちは止めなければならない。ヘラが召喚したモンスターを還したら、すぐ加勢に行くよ」

「さっきから色々と簡単に言っているが、かなり難しくないか?」

「うん、難しい。気を抜けば僕たちもすぐに死ぬ」

 茂っていた木が少なくなり、葉がすべて落ちた木が増えてくる。村が消失した時に出た残粒子は今でも残っており、それは自然環境に大きな悪影響を与えていた。

 この先にあるのは、ぽっかりと開いた大きなくぼ地。端には残った村民で作った簡易的な墓地があった。

 少しずつ視界が開けてくる。

 やがて目の前を激しい光が覆った。

「我が身を守る、氷の防壁よ!」

 メリッグが叫びながら地面に手を付けた。そこを中心として氷の壁が現れ、左右上下に広がる。

 数瞬して、氷の壁に激しい衝撃が加わった。先端が尖ったものが次々と壁にぶつかっていく。

 メリッグは歯を食い縛って、氷の壁を召喚し続ける。ルーズニルも破られた際のことを考えて、風の精霊と呼吸を合わせていた。トルもウォーハンマーを構えて、いつでも対応できるようにする。

 しばらくして外部からの衝撃はなくなった。メリッグは少しずつ氷の壁の面積を減らしていく。

「――あら、本当にここにいたんですね、メリッグさん。ロカセナの言うとおりだったわ。光のゆかりがあるところではなく、その他の人たちにゆかりがある地にいるはずだって」

 人を小馬鹿にしたような口調の女性の声が飛び込んでくる。

 氷の壁の先には、人の何十倍もの大きさの巨大なモンスターが唸り声をあげて立っていた。四つ足を大地に付け、三つの顔がトルたちをじっと見つめている。

「三つの顔を持つ巨大な犬――ガルームを召喚。なかなかたいそうな出迎えをしてくれるじゃない」

 メリッグは不敵な笑みを浮かべ、ガルームの傍にいる髪も服も黒色の女性を睨み付けた。

「メリッグさんとの久々の再会ですよ? 最高の形で出迎えようとしただけです」

「そんな大層な歓迎はいらないわ、ヘラ。私は別に貴女と会うつもりはなかったもの」

「では、誰に会いに来たんですか? 貴女が殺した、バルエールさん?」

 穏やかならぬ単語を出され、トルは思わずメリッグの顔を伺った。彼女は口元を釣り上げただけだった。

「さあ、どうかしら。貴女に教える必要はないわ」

「そうですね。村を消滅させた貴女にとっては、他人のことなどまったく眼中にないでしょうから。メリッグさん、これからこの世界はどう変わると予言できましたか?」

「残念ながら正確な予言はできなかったわ。おそらく現段階での未来は無限の選択肢が広がっている。その選択肢のどれを取るかによって、未来は大きく変わるでしょう」

「つまり予言できてないんですか、この後に及んで。失敗して、嘘つき呼ばわりされるのが嫌なんじゃないですか? やはりメリッグさんは族長としての器はありませんね。予言ができない予言者なんて、生きている価値なんてないです」

 ヘラの周辺から徐々に気温が下がっていく。風が吹けば冷気がこちらにまで漂ってくる。

「しかも最近昔よりも生き生きとしていますね。あの過去を無かったことにする気ですか? そんなの駄目ですよ。七年前の罪を生きて償えないのなら、死んで償ってもらいます。水の精霊と打ち解けた私の手によって」

 ヘラの冷酷な言葉と共に、肌に触れる温度が急激に下がった。メリッグははっとすると、その場から飛び退いた。次の瞬間、彼女がいたところに氷の固まりが召喚された。一歩遅ければ、凍り漬けになっていただろう。

「逃げないでくださいよ。バルエールさんの隣にお墓を作ってあげますから」

「断るわ!」

 ガルームが雄叫び声をあげて、トルたちに向かって顔を突き出す。ヘラが勢いよく手を下げると、鋭い歯を見せつけながら、走り込んできた。


 徐々に陽は沈み、夜の帳が訪れようとしていた――。

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