重なりゆく運命(6)

 城を出てからは、気を紛らわそうと頑張って話しかけてくるリディスを、フリートが適当に返している状態が続いていた。

 フリートは無意識のうちに頭を何度かかいていた。らしくもなく緊張しているようだ。今の姿を部隊の連中に見られたら、馬鹿にされる。改めて同行を頼んだ相手が彼女で良かったと思う。


 ミスガルム城は内壁と外壁の二重で囲まれており、外壁の外側に城下町が広がっている。さらにその町をモンスターから護るため、周辺は強固な壁が取り囲んでいた。

 城内では貴族が出入りをし、様々な政治的な話し合いができる場がある。すぐ傍には騎士や官僚の宿舎もあり、何かあった場合にはすぐさま出動できるようになっていた。また客人の部屋も宿舎の近くにある。その中で図書室から近いところに、リディスが寝泊まりしている部屋はあった。

 一方、内壁と外壁の間には、有力貴族が住んでいる屋敷や、騎士団が訓練で使っている広場などがある。城下町に住まいを構えている貴族もいるが、城により近い方が身分的にも上と言われていた。

 フリートの実家、シグムンド家の屋敷は、外壁より内部にあるが、やや城から離れた場所にあった。しかし、いくら離れているとはいえ、外壁内にあることは隠しきれない事実。シグムンド家の身分は高いということが、自然と連想できた。

 それを話題に出され、嫌味を言われたことに対し、器用に話を流すことができなかった、フリートの騎士見習い時代の苦い日々が思い出される。


 大なり小なりの屋敷の間を抜けていくと、小さいながらもきちんと庭が整備された屋敷が見えてきた。きらびやかというより、地味という印象が正しい屋敷――それがフリートの実家である。

 様々な屋敷に驚きながら眺めているリディスは、その屋敷を見てぽつりと呟いた。

「フリートって、すごい坊ちゃんでしょう」

「別にそこまでじゃない。元々城壁外に住んでいた貴族だったけど、親父が頑張ったおかげで、中まで入ることができただけだ」

「城壁内にいる方が、町貴族より断然身分は上って聞いたことがあるわ。これからは敬語でも使わせてもらおうかしら、フリートさん?」

「調子が狂うから、やめろ」

 素っ気なく返すと、リディスはしょんぼりした顔つきになる。少しでも緊張を緩めさせようとした言動かもしれないと気づくと、若干居心地が悪くなった。

 十年ぶりに屋敷の前に立つと、一気に鼓動が速くなる。

 扉をノックして、さっさと話して帰ればいい、これは仕事なのだから――そう思い、手をかけようとする前に、背後から唐突に呼び止められた。

「おや、客人か? 約束は取り付けていないはずだが……」

 懐かしい声であると同時に、ずっと避けてきた声。

 リディスは先に振り返り、軽く一礼をしている。そしてフリートの袖を引っ張った。

 彼女に促されて後ろに向くと、十年前より年老いた男性が目を丸くしている。フリートは母親似と言われていたが、目元は父親に似ているともよく言われていた。

「初めまして、シグムンド様。リディス・ユングリガと申します。本日はシグムンド様にお会いしたいという彼の付き添いとして参りました」

 フリートの父親――ヘルギール・シグムンドはゆっくり近づいてきた。

 逃げたいという衝動に駆られる。身じろぐが、袖をやや強く引っ張られた。横目で金髪の少女を見ると、口元に笑みを浮かべている。

 ヘルギールは傍まで寄ると、フリートに穏やかな表情を向けた。

「事情はわからないが、中で話を聞くという形で構わないか?」

「ええ、もちろんです。さあ、行きましょう、フリート!」

 フリートが回答を躊躇っている間に、てきぱきとリディスは応える。息子が女性に押されているのを驚きながら見ているヘルギールは扉を開けた。それに続いて、フリートは十年ぶりに実家に踏み入れた。



 屋敷の中は、フリートの記憶に残っている以上に簡素なものだった。無駄がなく、最低限の物しか置いていない。何十年も仕えている使用人の男性が、フリートの顔を見るなり涙をぼろぼろと流し始めた。

「フリート様のご活躍は城にいる者から度々聴いております。若いのに隊長や姫様に頼られているということで、私としても非常に誇らしく思います」

「ああ、ありがとう……」

 頼られているというよりは、ていのいい使い走りという存在だということは、満面の笑みを浮かべている彼を見ていたら、口が裂けても言えるものではない。

「お茶をおいれいたしますね。……ご当主様、どちらでお話をされますか?」

「そうだな……、私の部屋は散らかっているから、応接間にでも持ってきてくれ」

「かしこまりました」

 使用人は一礼をして、足早に給仕室へ向かった。

 ヘルギールに応接間まで案内されている最中、フリートは一歩下がって、リディスの後ろを歩いていた。彼女と父親が和やかに会話をしている。二人きりであったら、間違いなく沈黙が続いていただろう。

 案内された場所は、他の貴族と話し合いをするための部屋で、円卓の机が中央にあり、周囲には十脚の椅子が置かれていた。長細い机ではなく円卓というのが、分け隔てもない、調和を座右の銘としている、彼らしい配置の仕方だと今になって気づく。

 フリートとリディスは、ヘルギールが座った逆側の位置にある椅子に腰をかけた。すぐ外にある木々には小鳥がいるのか、さえずりが聞こえてくる。

「さて、彼女からの話を伺った限りでは、何やら話があるから来たと言うが、どうなのだ?」

 さりげなく用件を言っていたリディスを恨めしげに見た。彼女は澄ました顔をしている。

 心の中で悪態を吐きつつ、今は早急に事を終わらすために事務的に伝えようと試みた。

「――ヘルギール様にお話をしたほうがいい案件がありまして、来たまでです。今回は一人の騎士からの話として受け取ってくだされば幸いです」

 リディスが眉をひそめてフリートの顔を横から見ている。予め一線を引いたことが気に入らないのだろう。すぐに素直になれるほど、フリートは柔軟ではない。

「先日ヨトンルム領にあるミーミル村に、訳あって訪れた際、ご長男であるハームンド・シグムンドと会い――」

 簡潔に事実だけを伝えていく。

 久しぶりに再会し、モンスターの襲撃の時に、力を貸してくれたこと。そしてその事件突破の鍵となる手紙を持っており、それをフリートに託したこと。

 ヘルギールは相槌を打ちつつも、感嘆の声を漏らしていた。ハームンドが出かけていたことは承知していたが、ヨトンルム領にまで行っていることは知らなかったようだ。逐一連絡でもしているかと思っていたが、それは違ったらしい。

「――ハームンド・シグムンドはもうしばらくミーミル村に滞在してから、こちらに戻ると言っていました。以上、簡単ですがご報告を終わりにさせて頂きます」

「わざわざ伝えに来てくれて、ありがとう。ハームンドめ、そんなことをしていたのか。私よりも体を使って動き回っているようだな」

 おもむろにヘルギールは立ち上がると、フリートたちのすぐ傍にまで近寄ってきた。顔を横に向ければ、父親がいる。リディスと同様に素直に顔を移動するのは、未だにある意地が許さなかった。

 しかし、彼女が息を呑んだ音を聞くと、思わず視線を横に移動していた。

 なんとヘルギールが頭を下げていたのだ。体ごと彼に向ける。

「なっ……!?」

「すまなかった。本当にすまなかった」

 この屋敷で一番偉い当主が深々と頭を下げている。フリートは立ち上がり、慌てて彼の頭を上げさせようとした。リディスもつられて立つ。

「頭を上げてくれ。貴族としての誇りを簡単に投げ出すな!」

「違う、これは父親としての行為だ。私とお前の間に親子という関係しかない。騎士と文官という間柄は一切ない」

 ヘルギールは顔を上げると、フリートを真っ直ぐ見据えてくる。ハームンドが告白した時の表情とよく似ていた。

「母さんの死を看取れなかったことは本当に後悔している。そして一番傷ついているだろう、お前に気が利いた言葉もかけられなかった。仕事など放り出して、ずっとお前の傍にいるべきだったんだ。――今更戻って来いとは言わない。ただ元気でいてくれれば、それでいい」

 十年前のフリートであれば、その言葉を聞くまでもなく、怒りのままに声を発していただろう。

 だが、今ならどうだろうか。隣で見守っている彼女がいれば、どうだろうか――。

「……謝るのはこっちの方だって、何回言わせるんだよ」

 フリートは前髪をくしゃりと握って、自嘲気味に呟いた。その言葉を拾ったヘルギールが目を丸くしている。

 先に兄へ想いをぶちまけておいて良かった。

 今回は感情を爆発させることなく、素直な言葉を出すことができる。

「十年越しだけど、俺も謝らせてくれ。――あの時は親父に当たって、すまなかった。あの言葉は親父ではなく、自分に当てた言葉だった。それなのに酷いことを散々言って、本当にすまない……」

 ヘルギールは息子からの思わぬ告白に、言葉を失っていた。

 俯いていた顔をフリートはゆっくりあげる。

「けど家を出て、騎士になったのは後悔していない。家を出る口実もあったが、誰かを護るために強くなりたくて、騎士になったんだ。その想いは今でも変わっていない」

 時間が問題を解決すると言われている。だが、顔を合わせようとしなかったために、フリートとヘルギールの間には十年近くも前に時が止まっていたのだ。そのような中で、今日ようやく動き出す時がきた。

 フリートは表情が緩んだヘルギールの顔を見る。彼は静かに語りかけるように口を開く。

「――誰かを護りたい、それは私も持ち続けている想いだ。私たちは根本的な部分は同じなんだな。ただその手段が違っただけだった。私は体を動かすのが苦手だったから、知力を駆使して城や街の人々を、いずれは領や半島全体を護りたいと思っている。その目的を達成する過程で――大切な人に出会った」

 ヘルギールは左手の薬指にはめられている指輪に触れていた。

「彼女を護れなかったのは、本当に後悔している。やはり傍にいなければ、護れるものではないと痛感したよ。――フリートにとって護るべき大切な人は……、いや余談だったな」

 視線が逸れたかと思うと苦笑された。首を傾げていると、後ろにいたリディスの椅子が床に倒れ込む。

「お前、何やっているんだ……」

 椅子を元に戻すために、手を貸そうとしたが、なぜか叩かれた。

「これくらいできるから、大丈夫よ!」

 それを見たヘルギールは手を口で押さえて、くすくすと笑っていた。

「どうして笑う?」

「私もハームンドも奥手な方だが、フリートはかなりだな。容姿はシグニューにそっくりにも関わらず、こっちの性格は私似だったか」

「意味が分からないが……」

「そのうち気づく日が来るだろう。……なあ、フリート、もし時間があったら、見習い時代や騎士での出来事を話してくれないか? 活躍はしていたと噂で聞いているが、お前の口から是非とも直接聞きたい」

「……面白い話はないぞ」

 ヘルギールが傍にある椅子に腰を下ろすと、フリートは昔のことをぽつりぽつりと話し始めた。

 十年以上経過したという事実は、どう足掻いても消えない。しかし、相手に当時の様子を伝えることで、十年前に別れた自分と、今いる自分を繋げることはできる。

 話すにつれて饒舌になっているのが、フリート自身もわかった。もしかしたら今までの経験を、ずっとヘルギールに聞かせたかったのかもしれない。

 自分がどういう体験をし、成長したかを。兄よりも優れている部分は必ずある、だからフリートを見てくれ――と。

 気がつけばあっという間に陽は落ちていた。ヘルギールの計らいで、屋敷で食事をしていくことになり、引き続き話は進んだ。時折会話が詰まったときは、リディスがさりげなく言葉を添えてくれる。気の使い方が上手い少女だ。


 その後、食事を終えて、夜も更けてきたため、城に戻ることになった。リディスを部屋に送ってから、宿舎へ戻ることになる。一日も潰すとは予定していなかったため、明日以降のカルロットの言葉や仲間からの追求をかわすのに、骨が折れそうだ。

 屋敷を出ると、ヘルギールは少し寂しそうな顔をしていた。

「屋敷に戻ってくるつもりはないのか? 騎士ならば、宿舎に泊まらなくても構わないと聞いたが……」

「まだ不安定なご時世、いつモンスターが城を襲ってくるかわからないから、引き続き宿舎にいる。……また顔を出していいか?」

 躊躇いつつ出した言葉に、ヘルギールは嬉しそうに大きく首を縦に振った。それを見て、ようやく肩の荷が下りる。心の中にあったわだかまりも溶け出していた。

 そしてヘルギールと使用人に見送られながら、フリートとリディスはシグムンド家をあとにした。

 城に併設されている宿舎まで歩いている途中、リディスは真っ暗になった空を見上げて声を漏らした。

「綺麗ね、星たちが」

「ああ」

「時々雲に覆われてしまって、見えない時はあるけれど、きっといつまでも輝き続けているはずよ。――フリートとお父様たちとの間もただ雲で遮られていただけ。これからゆっくりと、雲をなくしていけばいいと思う」

「そうだな。俺も少しずつ心の中を整理していく。――今日はありがとう」

「いえ、こちらこそ楽しかったわ。ありがとう」

 にこりと微笑んだ金色の髪の少女を見て、フリートの鼓動は速くなった。星が彼女を照らしているからか、生き生きとした表情がはっきりと見える。

(こいつ、こんなに綺麗なやつだったっけ)

 つい歩みを止めると、リディスに不思議そうな顔で振り向かれた。思わず浮かんだ言葉に対して首を振りつつ、彼女と一緒に星空の下を歩いた。

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