想いは風に乗せて(4)

 その後、夜も遅くなっていたため、風の魔宝珠の欠片の入手は明日以降となった。

 ルーズニルが村長にそれに関して概要を話すと、予想外にあっさり了承してくれた。村を護るために、という言葉を付け加えたのが大きな要因かもしれない。

 攻防していたフリートたち五人の診療所での治療が終わる頃には、夜が更けていた。欠伸をしているリディスは手でそれを隠している。彼女の華奢な腕にも真っ白い包帯が巻かれていた。

「お前、本当に無茶するんだな。火の魔宝珠の時もそうだったが、危険な行為だが触れたことでそれ以上の何かが得られるとわかって触れたのか?」

 ヴァフス家に戻る途中、一番後ろを歩いていたフリートは、一度ならず二度までも危険なことをした少女に、呆れた状態で聞いていた。

「ええ。あそこの魔宝珠に宿る風の女神様から言われたの。触れれば状況を打開できる何かが起きるかもしれないって」

「何が起こるかは、わからなかったのか?」

「……うん」

 気まずそうな顔でリディスは頷く。フリートはもはや怒鳴り散らすのも馬鹿馬鹿しくなり、肩をすくめた。

「リディスって、後先考えないよな」

「それに関しては自覚している」

「これからは無理するなよ……って言ってもお前はするんだろ。少しは護衛をしている身にもなってくれ。何かあってからでは遅いから」

 ぽんっと軽くリディスの頭を叩く。そのままフリートは進み続けていたが、リディスはその場で立ち止まっていた。眉をひそめて振り返ると、暗いため表情まで読みとれないが、フリートのことをぼんやり眺めている。

「どうした、帰るぞ」

「あ、う、うん……」

 途切れ途切れで返事をすると、顔を伏せて速度を上げて歩く。すれ違う瞬間に、「ありがとう」とだけ言って、フリートを抜いていった。

 その後ろ姿を見て、何か気に障ることでも言っただろうかと思いながら首を傾げる。トルが少し変わったリディスの様子を見てから、目をきらきらと輝かせて後ろに下がってきた。

「フリート、何か言ったのか!?」

「別に怒ったつもりはないが……」

「そういう内容じゃねえよ。リディスの顔を見ればわかるって。ほらリディスにやさし――」

 意気揚々と言葉を発しようとしていたが、トルはフリートの顔を見て息を深く吐いた。

「いや、何でもねえ」

「……は? 口を開いておきながら最後まで言わないとは、非常識にもほどがあるぞ!」

「じゃあ内容変えるけど、正直に言うとフリートのその性格、難有りだと思うぜ。いつも厳しいこと言っているのに、不意に優しいことをぽろっと言ってしまう鈍感さ……、心を引っ掻き回される身にもなってやれ」

「難有りって、どういう意味だ!?」

「はいはい、わからなければいいですよ。……少しはロカセナのことを見習えって」

 フリートの質問にはまったく答えずに、トルはさっさと行ってしまった。置いてかれたフリートの心の中はもやもやとした表現できない感情が生まれる。眉間にしわを寄せながら、ヴァフス家に辿り着いた。


「みんな、お帰り。その様子だと酷い傷は負ってないようだね」

 ルーズニルが笑顔で出迎えてくれる。

 さらに奥に進むと居間では、随分と顔色が良くなったスレイヤともう一人青年がいた。彼を見て、フリートはこの上なく拳を握りしめていた。

「だから何で兄貴までお茶しているんだよ!」

 椅子に座っていた細身の黒髪の青年は振り返ると、柔らかな笑みを浮かべた。

「ああ、ごめん。スレイヤさんからご婚約者の様子について聞きたいと言われたから、ついつい話し込んでいて……。フリートたちも無事なようだね。それを確認できて安心したから、そろそろ宿に戻るとするよ」

 椅子を引いて立ち上がり、ルーズニルが止める間もなく挨拶をし、ドアを押して足早に出ていった。

 リディスがフリートとハームンドが出ていった先を交互に見てくる。その視線から逃げるようにして、フリートは彼女に背を向けた。すると頬を膨らませたリディスはハームンドの後を追いかけ、外に出て行ってしまった。

 フリートはその場で突っ立っていると、周囲から居た堪れない視線を突き付けられる。それに耐えきれなくなり、舌打ちをしてから急いでリディスの後を追いかけた。

 外に出ると、金色の髪が建物同士の間に入っていくのが見える。小走りでその場所に入り込むと、リディスとハームンドの姿が目に入った。

「フリートのお兄さん!」

 リディスがそう呼びかけると、ハームンドは不思議そうな顔をして振り返った。

「君はフリートと一緒に行動している……」

「リディスです、リディス・ユングリガと申します」

「どうして追いかけてきたの? 女、子供が外に出ていい時間ではないよ?」

 フリートは速くなる心拍数をどうにか抑えて近づくと、ハームンドと視線が合った。純粋に驚いている兄がいる。リディスは後ろから来た青年を見ると、頬を緩ましてそっと道を開けてくれた。

「夜中に出歩くな。お前、前に襲われそうになったことを覚えていないのか」

「大丈夫よ、あの時より精神的にも肉体的にも成長しているから」

(その言葉は俺への当てつけか)

 誰でも今と比べてしまう過去がある。

 フリートもいくつか抱いているが、やはり一番強く残っているのは、あの出来事で感じた想いだった。

 母親を目の前で失い、無力感を抱いたあの日。

 ハームンドが少しだけ近づくと、雲の合間から漏れる月の光によって穏やかな表情が浮き彫りになる。


「――強くなったね、フリート」


「何を急に」

「だって僕がフリートのことをよく見ていたのは、家を出ていく前までだったから。成長した弟の姿を見られて、僕は嬉しいよ」

「十年近く前のことだ。身長なんてすぐに追い抜かすさ」

「そういう意味じゃないってわかっているだろう。体だけじゃない、心も成長しているんだよ」

 ハームンドが言った内容を聞き、フリートは思わず前髪をくしゃりと握った。

(いつもそうだ。聞いていて恥ずかしい内容を躊躇いもなく言う。何を考えているか、本当にわからねえ)

「なあ……あの笛の音、兄貴のか?」

 黒い炎の竜巻が目前と迫っているところで唐突に流れ、その影響で竜巻が消えてしまったのではないかと思われる笛の音色。他の人の可能性もあるが、ハームンドではないかという根拠が一つだけあった。あの旋律はフリートが懐かしく感じられるものだったからだ。

「塔の中まで聞こえたんだ。……フリートの言うとおり、あれは僕が出した音。母上がよく好きだった旋律を奏でてみた」

 光沢のある魔宝珠を手にすると、ハームンドはオカリナを召喚した。

「オカリナを自分の召喚物にしたのか」

「そうか、初めてだったね、見せるの。そうだよ、召喚物はオカリナ。母上がずっと好んでいたものを土台として作った。……珍しいって思っただろう。父上みたく、どんな状況下でも使える紙とペンじゃなく、実用性に乏しいオカリナだなんて」

 オカリナを唇にあて、軽く一音だけ吹くと、音が遠くまで響き渡っていく。唇から離しても、余韻がしばらく漂っていた。

「母上の影響で音楽が好きだった。聴くのが好きで、よく町に行っては隅で音楽を奏でている人に惹かれていたよ。自分で奏でてみれば、とか言われたけど、恥ずかしくて首を横に振っていたんだ。やがて父上が多忙になっていくのが見ていられなくなった時に、あの日が来て……」

 ハームンドは軽く目を伏せた。

「母上が逝ってしまってようやく気づいた。母上は僕の音楽を聴きたかったんだって。そしてあの言葉は好きなことをしながら、伸び伸びと過ごして欲しいという想いも含まれていたのだと。――だから召喚物は音楽を奏でられるものに決めた。非実用的だとよく言われたけど、心に癒しを与えられる音楽を求めている人はいると信じている」

 自分専用の魔宝珠から何を召喚するかは本人次第だ。

 今後、自分が目指すところを念頭に置いて、召喚物を決める者が多い。付きたい職業であれ、本人の心の拠り所であれ、何に重きを置くかは十人十色だろう。

 ハームンドは優しく握っていたオカリナを魔宝珠へ戻した。

「フリートさ、あの時、無力だと思ったのは自分だけだと思っている?」

 あの時がいつかというのはわかっている。

 フリートの母が致命傷を負い、目の前で倒れていく姿は今でも脳裏に焼き付いていた。

 あの時ほど、自分が無力だと思ったことはない。

「僕だって、所詮無力な存在さ」

 吐き捨てるような言葉に思わず目を見開いた。ハームンドの哀愁帯びた顔が見える。

「兄である僕が一緒にいたら、母上は助かっただろうか――そんなことを考えたこともあった。けど、いたとしても何も変わらなかったと思う。下手をしたら被害は増えていたかもしれない」

 語られる十年近く前の兄の心の中。

 それを声に出すということは、閉じきった傷を今更ながら自分でこじあけるようなものだ。

 言う機会は一つ屋根の下に住んでいた時であれば、いつでもあったはずだ。

 しかし、フリートがそれを拒絶し続けたため、今になってしまったのだ。


(俺はいったい、今まで何をやっていたんだ?)


 フリートは穏やかな表情をしているハームンドを眺めた。非力な彼だが、心の奥底には目に見えない強い想いが溢れている。

「だからあのような悲劇を二度と起こさないためには、どうすればいいのか考えていた。そこで二つのことが自分でもできるとわかった。一つは政治的な側面から。モンスターがいる疑いがある場所では注意深く行動したり、護衛をつけることを義務化するよう促した。そして二つ目は実際に還すための能力を持つこと。音楽を奏でることで、モンスターを還すことができるという話を聞いて、還術印を施してもらったんだ。ただ才能はなかったから、せいぜい動きを止めることしかできなかったけどね……」

「それでも充分凄いですよ! 仲間に聞きましたけど、あれほど強いモンスターの動きを何匹も止めることができたなんて、素晴らしいことです!」

「ありがとう、そう言ってくれて」

 リディスに対して優しい表情で返す。その微笑みはかつてフリートに向けられたものと同じだった。

「……というわけで、あの音色は僕でした。役に立ってくれたみたいで良かった。それでは夜も遅いし今度こそ僕はこれで。フリートが元気に活躍しているのを見られて嬉しかったよ。――元気でね」

 そしてハームンドは背を向けて歩き出した。

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