闇の中の疾走(5)
フリートとロカセナはリディスの前に立ち、同時に召喚した剣を握った。
鋭い牙を見せながら突っ込んでくるモンスターを、半歩前に出たフリートが力任せに剣で受け止める。そして動きが怯んだ隙に、重心を移動し、首の部分を薙いだ。断末魔と共に黒い霧となって消え去る。
「個としての強さはたいしたことない。数が多いだけだ」
「そのようだね。でもさ、あの塔の中に入るのは、だいぶ骨が折れることだと思うよ?」
銀髪の青年が見つめる先には、塔の入り口の前で大量に集まっているモンスターの群れ。
「しかもモンスターはどんどん増えているぜ。早くどうにかしないと、塔が壊されるんじゃねえか?」
トルが苦々しい表情でなおも増えているモンスターたちを睨む。すると一人の女性が通る声で考えを述べた。
「――再び結界を張ることができれば、今の状況を脱却できるわ」
メリッグが辺りに目を光らせながら近づいてくる。すぐ近くにいたリディス、トル、そして少し離れたところでモンスターの様子を見ていたフリート、ロカセナは彼女が発した内容を聞き、目を見開いた。
「あの女性がこの村全体の結界を張っている者、つまり護り人ね」
「はい、そうです。……おそらくモンスターたちは風の女神が宿った魔宝珠を狙いにきたのだと思います。あの塔の地下には大きな風の魔宝珠があり、そこに風の女神が宿っていると言っていましたから」
「そう。なら塔の内部に侵入されたら一貫の終わりね。かつて護り人が殺され、結界が張れず、精霊の加護も受けられなかったために、この村には凄惨な光景が広がってしまった。首謀者もその事実を知っていれば、真っ先に彼女を殺すはずよ」
リディスは顔を強張らせた。
「まあ近づく者も容赦しないと思うけれど」
「それでもスレイヤ姉さんは護り抜きます。村の要なのですから」
はっきりとした意思表示を聞き、メリッグはふふっと笑った。
「そうね。ここで彼女が殺されてしまったら、気分が悪いものね。私も手伝うわ、攪乱しかできないけれど」
「充分有り難いことですよ、メリッグさん。広範囲に攻撃できるだけでも、凄いんですから」
「ありがとう。でも私だけではすべて還せないし、貴女たちがいくら頑張ったとしても厳しいわ。モンスターの波が途切れない限り」
いつも余裕の表情で振る舞っているメリッグでさえ、額にはうっすら汗が浮かんでいた。先ほどよりもモンスターの数は増え、暗い空の向こうにも何かが蠢いている。
「けれど結界を張れば、結界内にいるモンスターは自然と還され、周囲にいるものも近づけなくなる。つまり結界をもう一度、いえさらに強固な結界を張らなければ、この村は生き残れないわ」
メリッグの発言は的を射ており、今の状況下では現実的で最良の行動だろう。しかしその話を聞いたリディスは浮かない顔をしていた。
「スレイヤ姉さんに頑張ってもらう必要があるってことですよね……。でも姉さんの体力では……」
「――ねえ、知っているかしら。体をそもそも支えているのは心よ。彼女の心の闇を取り払えば、大掛かりな結界を再度張ることもできるはずだわ」
「取り払うと言われましても、当事者ではないのですから、肝心の闇がわかりませんよ」
「そうかしら。一つは確実に感じていると思うわ。それはこの村にいる者なら、誰でも抱いている闇よ」
メリッグは腕を組んで、その場にいる人間を見渡す。
この村で誰もが持っている闇――。
ふとフリートの脳裏に考えがよぎった瞬間、同じく考えが閃いたリディスと視線が合う。彼女に発言をするよう促すと、リディスは前に出て皆の顔を見た。
「……他者に対する疑惑の目。この村ではお互いに信じようとしない。そんなところに居続けたら、自分の心の中にこもってしまう!」
「そして護り人という、誰にも理解されずに孤立する存在。どれだけ辛かったのかは想像に難くないわ。――だから今はその心を和らげるために、彼女と親しい貴女が傍にいるべきなのよ」
笑みを浮かべるメリッグに対して、リディスはスピアを抱きしめて頷き返した。ロカセナは前方にいるモンスターに注意を払いながら口を開く。
「話をまとめると、塔の中に入って、スレイヤさんの後を追うってことだよね。でも、あそこの集団を突破して、全員が中に入るのはさすがに難しいと思う。先発部隊を行かせて、残りはその人たちの道筋を援護したほうがいい。先発部隊はリディスちゃんと……フリートかな」
「俺か?」
「僕じゃ仮に囲まれた際、リディスちゃんを護りきれる自信がない。還すのも遅いしね」
悔しそうな顔をしているロカセナに向けて、フリートは力強く首を縦に振った。
「わかった、リディスと風の魔宝珠は俺が護る。――メリッグ、すまないが
「正面から突破なんて、無茶なことを考えるんだね。今回はリディスちゃんも一緒なんだよ、わかっている?」
「わかっているが、それ以外の方法だと時間がかかり過ぎるだろう。万が一の場合は、俺が盾になってでも、こいつだけは中に入れる。リディス、今の作戦でいいか?」
リディスは目を閉じて深呼吸をする。開けると、意志の強そうな目を向けられた。彼女の心の中では覚悟が決められたようだ。
フリートは黒い大群のモンスターを見てから、メリッグの方に振り返る。
「メリッグ、召喚の準備ができたら教えてくれ。そしたら塔に――!?」
フリートは目を大きく見開いて言葉を切る。
振り返った先に現れた青年を見て、高まっていた士気が急激に冷えた。
あれほど言ったはずなのに、どうしてここにいるのだろうか。
おどおどしながら進んでいた青年はフリートの顔を見ると、表情を緩ました。
「フリート、良かった、無事で――」
「お前が俺に言う台詞か! とっととどこかの家にでも隠れていろ!」
大股で兄のハームンドに近づいた。突然の乱入者に、メリッグでさえも目を丸くしている。
いつ身長を抜かしたかはわからないが、自分よりも背の低い兄を見下ろす。
「今、どうしても人に会いたくて。フリートなら知っているかなって」
「そんな状況下じゃねえって、わかるだろう。俺の方がこの村には後から来たんだ。知るか!」
「本当? スレイヤ・ヴァフスっていう女性、知らない?」
フリートの背後にいたリディスが「えっ」と声を漏らし、その名前に反応してしまう。それを見逃さなかったハームンドは、この場にそぐわない明るい表情をした。
「知っているんだ、良かった。その人にどうしても渡さなければならない手紙があって――」
「後にしろ」
「いや、今、渡さなくてはならないって、魔宝珠が言っている」
胡乱気な表情で見ていると、ハームンドは丈夫な紐からぶら下がっている魔宝珠を取り出した。それがまるで自己主張しているかのように、燦々と光輝いている。
「その手紙は誰かから頼まれたのかしら?」
メリッグが光に吸い込まれるように、近寄ってくる。
「そうです。偶然出会った町の青年から預かりました」
「その時、その人物はこの魔宝珠に触れたのかしら?」
「そういえば……、ぎゅっと握られた覚えがあります」
メリッグは手紙をハームンドの手から取り、フリートの胸元に無理矢理押しつけた。
「これを持って中に行きなさい」
「どうしてだ、メリッグ。こんな奴の相手をしている暇は――」
「この手紙には彼女の闇を消し去るかもしれない、大切なことが書かれているはずだわ。今、精神的に参っている状態だからこそ、必要なのよ」
フリートの頭の中には疑問符が浮かぶ。ハームンドの頼みごとを簡単に引き受けたくない自分がいた。
だがそんな状況を知らないリディスは、あっさり首を縦に振った。
「わかりました、その手紙お預かりします。行こう、フリート。手紙は落とさないようにね」
「俺が持つのか?」
「フリートが頼まれたんでしょう。それくらい責任を持って渡しなさい」
「だがもし俺が中に入れなかったら……」
「万が一のことは考えないで、一緒に中に入るの、いいわね!」
きつい口調で押し切られると、フリートは嫌々ながらもポケットに手紙を突っ込んだ。その様子を見ていたリディスは肩をすくめている。
「……フリートってさ、頑固とか面倒な人ってよく言われるでしょう」
「はあ? 何だ、突然!」
「ただ思ったことを口にしただけだから、気にしないで。――あの、フリートのお兄さんは商店街の方に戻って下さい。私たち、これから少しばかり危険なことをしますので」
見るからに筋肉が付いていない、非肉体派のハームンドが、これから起こすことに対応できるはずがない。リディスはそれを見越して伝えたが、意外にも首を横に振られた。
「自衛くらいできるから、僕のことは気にしないで。ここで見守っていたい」
「ですが、これから私たちが行うのは蜂の巣に突っ込むようなことですよ!? 周りにいる人にもどれだけ被害が及ぶことか!」
「フリートが蜂の巣に突っ込みに行くんだろう。きちんと無事に帰ってくるのを見届ける」
その揺るぎのない目は、昔からこれだけは引かないという意志の現れでもあった。フリートは舌打ちをしつつ、リディスの腕を取って、ハームンドから離れさせる。
「放っておけ。いい大人なんだから、自分のことは自分で責任を持つさ」
「……頑固なのは兄弟揃って同じなのね」
リディスは溜息を吐きつつも、ほんのり笑みを浮かべた。その表情を見ると調子が狂いそうだ。
フリートは意識をモンスターに戻し、相手との間合いの手前で立ち止まった。念のためにフリートは持っていた結宝珠をリディスの手に握らせる。彼女の手は微かに震えていた。
「怖いのなら行かなくていいんだぞ」
「大丈夫よ、一緒に行くわ。適度に緊張感があった方が慎重にもなれるし、いい結果が得られるってものよ」
メリッグが水の精霊を召喚し、精霊に指示を出す。徐々に周囲の温度が下がり始めた。
間もなくして、モンスターの頭上に先端が尖った大量の氷が現れる。モンスターたちが視線を上に向けた瞬間、フリートを先頭にして、リディスと共に塔に向かって駆け出した。その後ろから少し遅れてトルとロカセナが援護のために走り始めた。
メリッグは数歩前に出ながら、自分の周りに独自の薄い氷の障壁を張った。
「さて、開始の合図をあげるわよ」
四人が塔に向かったのを確認すると、氷を勢いよくモンスターに向かって落下させた。すぐに重力により加速が付き、何十羽もいたモンスターの一部が断末魔をあげて、還っていった。
思った以上の成果をあげられたメリッグはにやけたが、不意に襲ってきた目眩を受けて、思わずしゃがみ込み手を地面に付けた。
「私もまだまだね……」
悪態を吐きつつも立ち上がり、目を閉じて精神を集中し始めた。
果たしてこの攻防が何を導くのかは、予言者であるメリッグでさえもわかってはいない。だが、このまま人々が引き下がれば、魔宝珠の恩恵を受けているこの大地に、何らかの悪影響を及ぼすのは間違いないだろう。
「
モンスターの何羽かが、市街地に視線を向けて、動き出している。そのモンスターたちめがけて、メリッグは再び氷の刃を突き落とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます