11 闇の中の疾走

闇の中の疾走(1)

 フリートはリディスの手を払ってヴァフス家を出た翌朝に帰宅したが、それ以降向けられる彼女からの視線に居た堪れなくなり、ルーズニルの忠告を無視して昼間も外出していた。

 だが、ルーズニルの心配はフリートには杞憂だったようで、いくら村の中を歩き回っても、奇異な視線を向けられることはなかった。髪の色に関しては今まであまり意識したことはなかったが、今回ばかりは黒髪で良かったと思う。

 リディスの件もある一方、昨日見た男が果たして本当に兄であるかどうかを確認するために、外に出て探していた。

 本来なら聞き回る方が効率的だが、それでは却って目立ってしまうため、大人しく村の中を歩き回り、その人物がいないか探すしかなかった。



 昨晩は早々に小さなバーを見つけ、そこに入って一杯飲んだ。護衛期間中に酒を飲むなど、本来ならあってはならないことだが、どうしても酒の力を借りたい時はある。自分の心の中で言い訳をして、グラスを揺らしながら喉を潤わせた。

 そのバーのオーナーはミーミル村ではなく、他の村の出身者だったため、気を使うことなく飲めることができた。

 学者の端くれだった彼は、十七年前に訪れた際、自分は真の学者には到底なれないと悟り、その後の人生をどうしようかと考えた末にバーを開き、活動に疲れた学者たちを少しでも癒そうと考えたらしい。

 当初は世間話をしていたが、村の者ではないフリートがこの村の異様な空気について言及したら、十五年前の大火事について話してくれた。その火事により、彼の店の常連客も何人か亡くなったり、重傷を負ってしまったらしい。

「私は幸いにも出火現場から離れた地域にいたから被害はなかったが、重傷者や、火事によって家を燃やされ、家族を失った人は、今でも悪夢を見るらしい。せめて犯人が捕まっていれば、こんなに苦しまずに済んだはずだが……」

「発火現場のすぐ近くに、当時風の女神を使役していた女性がいた。これは偶然ではないでしょうね」

「ああ、偶然ではないだろう。彼女の遺体の損傷は激しく、死亡原因ははっきりわからなかった。噂では火事が起きる前に、殺されたのではないかと言われているよ」

「……酷い事件です。村人たちが心を閉ざしてしまうのもわかる気がします」

「だが、あれから十五年も経つ。いつまでもその過去に捕らわれ続けてはいけない。ヴァフス兄妹を村人たちは見習うべきだ。火事という恐怖や両親を失うという過酷な状況下に置かれても、前を向いて歩いているのだから。――だからこそ、スレイヤがああいう立場になってしまったのは、残念だと言わざるを得ない」

 知っている名前を出されて、フリートはグラスを傾けず机の上に置いた。

「その方がどうかしたんですか?」

 バーのオーナーには、フリートがヴァフス家にお世話になっていることは言っていない。

「ああ、君はこの村に来たばかりだから、知らないんだね。まあ余所者が口を出すことじゃないから、あまり教えたくはないんだが、今回は特別に。実は彼女――」

 グラスの中に入っていた氷が音を立てて崩れ落ちる。

 また一つ、リディスと顔を合わせたくない理由ができてしまった。



 夜も昼も歩き回っているが、フリートよりも背が低く、ひょろりとした細身の体型の黒髪の青年は見当たらなかった。

 先日見かけた後、村を去ってしまったのだろうか。

 いや、あの疲れた表情から察すると、まだ目的を達成していないように思われた。必死に聞き込みをしたが、成果は上がっていない様子。事を為し遂げるまでは、フリートの兄ならこの村のどこかにいるはずだ。

 外見はあまり似ていない兄弟だが、内面的な部分は似ていると自覚している。物事に対して頑固なのは兄も同様で、意見が対立した時はいつも言い合っていた。

 悶々と兄のことを考えていると、今まで意識しないようにしていたことをつい思い出してしまう。

 家を飛び出すきっかけとなる、シグムンド家にとっては暗い過去。

 今もフリートの心の奥にある、消えない傷。

 そしてそれらの理由から、距離を付けざるを得なくなった、父兄との関係。


(なあ、兄貴と会ったら、俺は何を話すつもりだ?)


 躍起になって兄を探していたが、その考えに思い当たるとフリートは自然と歩みを止めた。

 特別に話す内容がなければ会う必要はない。しかし、明確な理由などなくとも、探せと言っている自分自身もいた。

 相反する意見が脳内で対立する中、何気なく道を眺めると、茶色のローブを羽織り、フードを被った小柄な少女が視界に入る。ミーミル村では時折見られる服装だったため、気にかけなかった。

 だが、彼女はフリートを見ると、こちらに向かって真っ直ぐ歩いてきた。彼女の行動を訝しく思っていると、すぐ近くにまで来られて、ようやく彼女の正体に気づく。

 一番会いたくなかった人物を見て、思わず逃げ出そうとしたが、呼び止められてしまった。

「フリート、やっと見つけた……」

 リディスはほっとしたような顔つきで、自分より一回り大きな青年を見上げた。フードの合間から見える緑色の瞳は、フードを被っていたとしても一際目立っている。

 兄のことについて悩んでいたが、リディスの顔を見ると、すっかり忘れ去ってしまった。

「お前、こんなところで何しているんだ。……って、一人なのか? ロカセナはどうした!」

「ロカセナもどこかに行っちゃった」

「あいつ、護衛の任務を破って何してやがる」

「その台詞、そのままフリートに返す」

「何だと!?」

 声を荒げると、通りを歩いている人たちが怪訝な顔で見てくる。フリートは反射的にリディスの右手を取り、路地裏に入り込んだ。

「フ、フリート!?」

「いいから黙ってついてこい。話は後だ」

 今度は押し殺した声でリディスを制す。背中越しから不満そうな表情で睨み付けられるが、今は無視した。

 人目を気にせず話せる場所を求めて、村の中を歩く。だが、どの場所でも、人通りは少ないが近くに人がいる気配はあった。ヴァフス家に戻るという考えもあったが、あまり間を空けずに来た道を戻るのは気が進まない。

 無言のまま当てもなく村を歩いていると、少しずつ人が少なくなってきた。そろそろ話をしていいかもしれないと思った矢先、視界が開けた。

 同時に背筋に悪寒が走り、急激に肌寒くなる。思考も一気に冷え切った。

 嫌々手を引っ張られ、振り切ろうと試みていたリディスが、逆にその手を握り返してくる。左手を口に当てて、言葉を漏らした。

「ここ、もしかして十五年前の火事の跡……?」 

 弱々しく消え入りそうな声が聞こえた。

「この光景は……おそらくそうだろう」

 フリートは目を細めて、夕陽が射し込んでいるその大地を見渡す。

 視界に入る風景はほとんど更地だが、一部では焼け残った黒々とした建物が残っていた。どのような形をしていたのか判別できないほど激しく焼かれ、黒いすすの塊となっているものもある。地面の間から申し訳なさそうに生えている草はどれも萎れかけていた。黒々とした大地に肌寒い風が吹き抜ける。

 十五年も経っているにも関わらず、凄惨な火事だったということが身を持って感じとれた。

「……多くの人の魂がまだここに残っているような気がする。人生半ばで命の灯火が消えてしまった人の――」

 リディスは再びぎゅっと手を握りしめてきた。フリートも軽く握り返す。

 寂しい、切ないという感情だけでなく、恐ろしいとまで言えるほどの光景。十五年前は予想を遥かに超える、惨状が広がっていたのだろう。

 バーのオーナーから聞いたことを、そのままリディスに言う。

「この村は家と家が密集しているため、路地が狭い傾向にある。だから逃げる際に、どこかで人の密集地帯が発生してしまうらしい。そこで我先にと逃げるためにとった行動は――想像に難くないだろう」

 リディスは噛みしめ、左手で自分の胸の辺りを掴んで視線を下げた。地面にぽつりぽつりと雫が落ちる。

 他人を差し置いて脱出するためには、力が必要だった。

 ある者は自分の腕力で、ある者は僅かな精霊の力で他人をねじ伏せただろう。そして逃げ切れなかった人たちは、火に囲まれるか、火を目にする前に争いに敗れて命を落としてしまった。

 ここは怒り、悲しみ、そして恐れという感情が混じり合っている空間だ。

 モンスターと対峙しているような警戒心をこの場で抱いてしまうのは、対峙した時の感情と似ているからかもしれない。

「いったい誰が、どんな目的で火を放ったんだろう」

 リディスの声は震えていた。

「まるで憎しみの感情を作り出したいがために、やったみたい……!」

 リディスはフリートの手を握っていない逆の手を、血管が浮き上がるほど強く握りしめていた。その姿が見ていられなく、視線を彼女からやや逸らして呟く。

「……ああ、そうだな。今のリディスみたいな人を、たくさん作りたかったのかもしれない」

 淡々と述べると、リディスははっとして固く握っていた自分の手を開いた。痛々しい爪跡が残っている。

「他人への怒り、そして誰が犯人かわからない恐怖。それらの感情がこの村全体に蔓延しているようだな。……戻ろう。俺たちまで精神的に参るわけにはいかない」

 フリートがリディスの手を引くと、大人しく付いてきた。ちらりと彼女の顔を見たが、すぐに視線を進行方向に戻した。頬に流れた涙の跡や生気を失った表情を見ると、こちらまで苦しくなる。

 いつも元気に笑顔を振りまき、状況によっては大人びた発言をするこの少女は、綺麗すぎる考えや状況しか接していない。黒く染まった感情など、滅多に触れたことがないのだろう。

 人々の感情を揺るがす、非日常的な事件が起これば、相容れない感情が入り混じるのは当然だ。

 逆に相容れない関係となったがために、事件に発展する可能性もある。

 つまり、穏やかな日常というのは、他人への配慮によって初めて成り立つのだ。

 外に出れば必然的に多くの人間の考えに触れることになる。それも覚悟の上で旅立ちを決意したかと思ったが、彼女の様子を見るとそうではなかったらしい。


 温かな夕陽が更地を照らしている。

 あの日も燃やすのではなく、優しい陽の光で村を包んでくれれば――。


 急にリディスが立ち止まった。軽くしか握っていなかったフリートの手から、彼女の手がするりと抜ける。

「リディス?」

 フードを脱いだリディスの目から涙は消え、鋭い目つきになっていた。金色の美しい髪が茜色に染められている。

「おい、せめてフードはかぶ――」

「モンスターの気配がする」

「は? この村は見ての通り強固な結界が幾重にも張られている。モンスターが入れる隙なんて――」

「ある。そう遠くない場所に。――あっちよ!」

 フリートの制止の言葉を遮り、リディスは駆け出した。舌打ちをして、フリートも彼女の後を追いかける。

 更地と家々の間を沿って、村の端に向かっていた。リディスの背中を見つつ、周りの様子にも気を配る。体力はフリートの方があるため、追いかけるのは苦ではない。だが行き先の検討が付かないと動きにくかった。

 少ししてリディスは裏路地に入る。狭く、足下も物で散乱しているが、速度をほんの少し落としただけで、ひたすら走り続けていた。

 その路地を抜けると、異変がフリートたちの視界に入った。井戸の前で腰を抜かしている十歳くらいの少年に向かって、水滴を垂らしたモンスターが近づいていたのだ。全身が鱗で覆われ、銛を担ぎ上げている半漁人のモンスター。

「あれは水系のモンスター、サハギン! 井戸の中の地下水から侵入したわね!」

 リディスが魔宝珠に手を付けるよりも速く、フリートは前に飛び出す。速度をさらに上げてバスタードソードを召喚した。

 サハギンなら何度か相手をしたことがある。強い相手ではない。隙を突けば一瞬で還せる。

 少年に鋭い銛をちらつかせながら、サハギンは寄っていた。フリートはその間に割り込んで剣を軽く振り、サハギンを後ろに下がせる。そして鋭く睨み付けると、一言だけはっきりと声を発した。

「還れ!」

 サハギンが怯んだ隙に、心臓を一突きした。唸り声を上げながら、黒い霧となって消え始める。

 フリートは最後まで見届けずに、井戸の周囲に睨みをきかせた。水溜りが二ヶ所ある。一つはフリートが還した場所で留まっている。もう一つは、フリートが通り過ぎた家の方へ点々と移動していた。

 フリートは血相を変えて少年の方に振り向く。ちょうどショートスピアを持ったリディスが少年の前に立って、もう一匹のサハギンと向かい合っているところだった。何度か牽制を入れて、適度な間合いを保っている。

 すぐに加勢をせねばと思った矢先、サハギンの後ろをとったリディスは口を一文字にして、ショートスピアを前に突き出していた。

「――還れ!」

 少女の迷いのない突きが、胸の急所へ入った。

(還したら、あの現象が……)

 サハギンから黒い霧が現れる前に、フリートはリディスのもとに走り始めていた。


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