欠片を運ぶ者達(5)

 フリートはリディスの救出をやきもきしながら待っていた。

 しかし、彼女が食い縛って、ショートスピアでグリフォンを突き刺そうとしたのを見て、剣の召喚を解いて走り始めていた。そして彼女が落下し始めるのと同時に、マントを脱ぎ去って自らも海に飛び込んだ。

 反射的に行動していたため、飛び込んだ後のことは考えていなかった。

 だが、これだけは言える。


 リディスは泳げないはずだ――と。


 慣れない手つきで泳ぎ、リディスが海に入って浮き上がってこない地点を潜る。案の定、苦しそうに口を抑えている彼女がいた。魔宝珠の光が漏れているため、正確な場所はすぐにわかった。

 フリートはリディスに触れると、しっかり抱えて海面に向かって泳ぐ。彼女は大人しく従い、フリートの腕を握っていた。

 やがて海から顔を出すと、肺の中に空気を大きく取り入れた。数十秒とはいえ、慣れないことをすると体が非常に辛い。

 リディスも顔を出したのと同時に、激しくせき込んだ。彼女の苦しい表情を見ると、こちらも見ていて居たたまれなくなる。だが、つい思った事とは別の言葉を発してしまった。

「お前、無謀過ぎるんだよ! 死ぬ気か、馬鹿! いいか、じっとしていろ、下手に動くと沈むからな!」

「わかった。ごめん……」

 素直に頷いたリディスはフリートに身を預けて、呼吸を整え始めた。

「……欠片は?」

「ある、私の手の中に」

 傷だらけの右手から光沢が垣間見える。海に落ちるという状況下で、手放さなかったのは感心すべきところだろう。また、人質状態だったリディスが逆手を取って攻撃をする発想は悪くない。

 だが、自分の身を考えるよりも先に行動してしまうのは褒めるべき点ではなかった。

 立ち泳ぎをしながら、船に戻ろうとする。しかし、穏やかに戻ることなど許すまいと言わんばかりに、グリフォンの気配を近くで感じた。船上ではルーズニルが懸命に風の刃を放ち、グリフォンの意識をそちらに向けさせようとしていた。

 モンスターの数は二羽になっている。リディスが攻撃した相手は、誰かの手によってすぐに還されたようだ。

 この状態ではさすがのフリートも攻撃に転じることはできない。海上を漂いつつ、甲板の上にいる仲間に残りの還術を任すことにした。



 リディスが落下し、フリートも続けて海に潜った時、トルは慌てて船の縁に駆け寄っていた。すぐに二人とも海の中から顔を出したため、胸を撫で下ろす。

 背後ではリディスを襲っていたグリフォンをロカセナが還していた。表情は冷めており、一瞬身の毛が逆立つ思いがした。

「――まったく、これだからモンスターは油断も隙もない」

 そう言い捨てると、視線を空に向けて、残っている二羽を睨み付けた。

「ルーズニルさん、どうやって攻撃しますか。叩き落としてくれれば、僕が還しますよ」

「そうだね……、メリッグさん、少しお願いしてもいいですか?」

 切れの長い目で、リディスとフリートの様子を眺めていたメリッグは、振り返りもせず返事をする。

「何をすればいいのかしら」

「グリフォンの周囲だけ、温度を下げることはできますか?」

「できるわ。強固な氷を作るよりは楽な仕事よ。――水の精霊ウンディーネ

 メリッグが呼びかけると、無表情で青色の髪の精霊の女性がこくりと頷き、グリフォンの傍に飛び立った。

 精霊を自由自在に操るためには、その精霊と意志疎通をし、信頼を得ることが必要である。

 トルはまだ火の魔宝珠の欠片を得た時にしか、火の精霊サラマンダーと会っていない。そのためか扱える能力も火の玉を出す程度である。

 いつかメリッグたちのように、多種多様な召喚ができるようになるのか。それとも偶然に力を得てしまったため、これ以上使えないのではないか――と思いながら、目を細めて精霊が飛んでいった方向を見た。

 するとほんの少しだけ肌寒くなってくる。グリフォンの動きも鈍くなり始めていた。

 異変を感じたグリフォンは動きが遅くなりつつも、リディスの元に飛んで行こうとする。だが風の精霊によって出された魔法により、二羽とも片羽を斬り落とされた。

 甲高い悲鳴を上げ、一羽は海に、もう一羽は甲板に向かって落下する。

「トル、火の精霊に力を借りろ!」

 ロカセナはトルに向かって叫ぶと、彼は甲板に落ちてくるグリフォンに向かって走り出していた。

 その言葉から意図がわかったトルは、火の精霊を利用して、小さな火の玉を多数召喚する。そして海へ落ちていくグリフォンに向かって投げつけた。

 残念ながらトルのウォーハンマーには還術印が施されていないため、その武器だけで還すことはできない。だが精霊魔法であれば無条件で還術を行える、という事実を最近ルーズニルから教えられたのだ。

 火の玉はグリフォンに当たるとすぐさま全身を燃やし、やがて還術されたことを意味する黒い霧が発生した。初めての還術にほっとしつつ、ロカセナの方に振り返る。

 彼も既に還しており、グリフォンの血が付いたサーベルを振り払っていた。その時の表情は以前人間を相手にした時や先程の還術と同様、無表情であり、どことなく近寄りがたい雰囲気を出していた。

 トルの視線に気づいたロカセナは、そんな表情などなかったかのように穏やかに微笑む。

「トル、お疲れ様。初めての還術?」

「ああ。そうなるな」

 黒い霧となって消えていくグリフォンを眺める。嬉しいはずなのに、すっきりとした気分になれなかった。ただ単に目の前にいるものを淡々と消しただけ、という印象である。まるで傭兵の依頼で人を殺めざるを得なくなった時と同じ感じがした。

 船の上は再び静かになり、波の音が鮮明に聞こえてくる。頭上を飛んでいた海鳥たちはすでにいなくなっており、どことなくもの寂しい雰囲気が漂っていた。



 こうして突如としてリディスたちを襲い、火の魔宝珠の欠片たちを奪おうとしたグリフォンとの攻防はすべて還術することで事を終えた。

 戦闘終了後、船から出された小舟によってリディスとフリートは救出されたが、冷たい海の中を漂っていたため、二人とも強制的にベッドの上で休めさせられた。

 フリートは「自分は大丈夫だ」と言い張っていたが、ロカセナに言いくるめられて、無理矢理寝かしつけられている。そのかいもあり、翌日には二人とも元気に出歩けるようになっていた。

 その日の昼過ぎ、部屋で本を読んでいたリディスは、ルーズニルに突然呼び出された。フリートとロカセナもついてこようとするが、それをやんわりと止められる。

「リディスさんと二人だけで話をしたいことがあるから、待ってもらってもいいかな?」

「ですが、また何かあったら……。精霊魔法の弱点は詠唱や召喚に集中してしまい、その間ほとんど無防備になることで――」

「ねえ、フリート君、“博識の武道者”って聞いたことある?」

 その単語を聞いた、フリートは目を丸くした。笑みを浮かべているルーズニルを探るように見る。

「聞いたことはあります。その方についてよく知りませんが……」

「その人はね、一見して武道者に見えない、学者らしいよ。――さあ、リディスさん、行こうか」

「は、はい……」

 リディスは浮かない顔をしているフリートを横目で見ながら、ルーズニルの後をついて行った。

 船室の内部まで入り、奥にあった小さな部屋へ案内される。部屋といっても、食料などを積んだ倉庫で、穏やかな話をする場所とは言い難い。ドアが閉められると、眼鏡をかけた青年は表情を緩ませて口を開く。

「ごめんね、どうしても他の人には聞かれたくなかったから」

「フリートたちも、ですか?」

「あと予言者のお姉さんも」

「どうしてですか?」

「どうしてだと思う?」

 ルーズニルがニンマリと笑みを浮かべて聞いてくる。リディスはしばらく間を置いてから、首をひねった。

「リディスさん、今、火の魔宝珠の欠片はある?」

「はい、こちらに……」

 胸ポケットに入っている、首にかけた紐にぶら下がった小瓶を取り出した。

 戦闘の後、今度はぶら下げるだけでなく、胸ポケットに入れている。他の魔宝珠も入っているポケットのため中は混んでいるが、木を隠すには森の中という言葉を思い出し、そのようにしていた。

 赤々と煌めく欠片をルーズニルは目を細めて見ている。そして表情を変えずにポケットから一つの瓶を取り出した。その中にも赤い石の欠片が入っている。リディスが持っているものよりも、少しだけくすんだ色をしていた。

「それは?」

「ごめんね、騙して」

 ルーズニルはリディスが持っている魔宝珠を指で示した。

「そちらは偽物」

「に――」

「大声を出さないで」

 ルーズニルの鋭い指摘に、リディスは出かかっていた言葉を飲み込んだ。自分が握っている欠片と、彼の手の中にある欠片を見比べる。光り具合から同一のものとは考えにくく、どちらかと言えば美しい宝珠の方が本物に見えた。

「採れたばかりの魔宝珠は光沢なんてない。それは磨いて加工された、ただの石だよ」

「どうして私にこれを……」

 リディスは声を潜めて聞き返した。ルーズニルは軽く目を伏せる。

「知りたかったんだ。モンスターが四大元素の魔宝珠の欠片を持っている人を見極めて狙っていたのか。それとも予めこの人と決まっていた上で狙ったのか、ということをね。もし魔宝珠自体を見極められたなら、僕を真っ先に狙っていたはずだ。本物の二つの欠片を持っているから。けど今回はそうではなかった」

「……私だけを狙った。つまり私が欠片を持っていることを知っていて奪おうとした、というわけですか」

 リディスは胸の辺りをぎゅっと握った。

「そうだと僕は思う。明るい方の結論としては、今日出会ったモンスターに、四大元素の魔宝珠を見極める力は持っていないということだ」

 その内容は暗い中で微かに光る灯火のようだった。モンスターは知能を持ち始めた、とも薄らと言われているが、それは過剰な考えなのかもしれない。

 ぎゅっと握ったままリディスは歯噛みをしつつ、ルーズニルを真っ直ぐ見た。

「悪い結論としては、誰かがモンスターに私が欠片を持っていると吹き込んだということですよね」

「あまり考えたくはないけれど、そういうことになるだろう」

 ルーズニルは偽物の欠片をリディスから取り、火と土の本物の欠片が入った小瓶を二つ手渡す。目を瞬かせていると、ルーズニルが軽く首を横に振った。

「だから今後はより注意して欲しい。僕はもうその欠片を持ってあげられないから」

「どうしてですか?」

「僕の主の精霊は風の精霊シルフ。それ以外の精霊が宿った魔宝珠を所有していると、本来の力が出せないんだ。特に土は風と相反する精霊。必然的に能力はかなり落ち、僕にとっては重い足枷になる」

 眼鏡をかけた青年は一歩前に踏み出し、リディスの真横に来て、肩をぽんっと叩かれた。

「リディスさんは精霊を召喚することはできないけど、四大元素の大元の一つである、火の魔宝珠に触れられたって聞いた。だからこれを持っても違和感なく過ごせると思う。……重荷を背負わすようで本当に申し訳ないけど、今後は君が持ってくれないかな?」

 リディスは小瓶をゆっくり握りしめた。瓶を通じて温かさが伝わってくる。それを胸元に押し当てた。

「いいですよ。今までもそのつもりで持っていたんですから。……ただ、ルーズニルさんの話を聞くと、火の魔宝珠はトルに持ってもらったほうがいいと思ったのですが?」

「彼はまだ弱い加護しか受けていないから、二つも持っているとたぶん調子を崩すと思う。だから一つだけにしているんだよ。――もし宝珠の欠片について気になることがあったら、いつでも僕に言ってね」

 その言葉はフリートやロカセナには相談するな、ということも暗に示していた。

 渋々頷くと、ルーズニルはドアを開け、外の光を取り入れた。外に出る前に背中越しから口を開く。

「くれぐれも気をつけて、リディスさん」

 モンスターから再度強襲される可能性を示唆しているのか。

 それとも――。

 疑問が渦巻く中、リディスは本物の火と土の魔宝珠の欠片を胸ポケットにしまい込んだ。


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