10 閉ざされた知識人の村

閉ざされた知識人の村(1)

 初日の昼過ぎにモンスターが襲ってきた以降、リディスたちの航海は何事もなく穏やかに進んでいた。

 大事をとって休んでいた後は、リディスはルーズニルから魔宝珠に関係する様々なことを教えてもらっていた。

 魔宝珠に関する歴史、それを巡る過去の紛争、そしてどのような過程を経て多種多様な魔宝珠が存在する世の中になったかなどを、流れるように話してくれた。わかりやすい説明から、今まで知らなかったたくさんの内容を知ることができている。

 メリッグは部屋の中で黙々と読書をしており、時折ルーズニルの話に耳を傾けていた。

 ロカセナはリディスの護衛をしたり、暇なときは船内を歩き回っているようだ。

 トルはフリートに稽古を付けてもらっていたが、すぐにお開きになっていた。フリートの船酔いが悪化したためらしい。早々にトルを捻じ伏せ、稽古を切り上げると、逃げるようにして船の端へと移動していった。

 そんな風に思い思いの時間を過ごしながら、予定していた朝に港町に着くことができた。

 ヨトンルム領で唯一港がある、トゥーナ村。人はあまりおらず閑散としていた。リディスはその様子を見て、目を丸くする。

「ミスガルム領やムスヘイム領と比べないで欲しいかな。村ごとで、もしくは個人で自給自足の生活を送っていて、隣にある村にもあまり干渉しない領だから……。唯一団結する機会があるとすれば、風の女神を奉ることくらいだろう」

「風の女神……?」

風の精霊シルフの大元の存在。ムスヘイム領では火の精霊サラマンダーの加護を受けていたように、この領では風の精霊による加護を受けている。その加護を領全体に与えているのが女神様。村同士の繋がりは希薄だけど、女神様への信仰心は深い」

「領民の中で共通していることが、風の女神への信仰というわけですか」

「そうそう。あとは同じような考えを持つ人々と争いもせず、静かに暮らしていたい、という思いで集まっているところかな。そのためか全体的に内向的な人間が多いというのも特徴だろうね」

「ルーズニルさんはこの領の出身なんですよね?」

「出身だけど、十年前に村を出てからは、あまり来ていないよ」

 ルーズニルの第一印象は、社交的で面倒見のいいお兄さん。内向的な人間とは言い難い。

 しかし、一人で本を読み漁っている時は、すぐ近くにまで寄らなければ気づかないほど、驚異的な集中力で読み進めていた。実はどちらかとえいえば、周りのことを気にせず、一人で物事に没頭する人間なのかもしれない。

「ミーミル村までは少し歩くから、そのつもりで。あとモンスターは残念ながらムスヘイム領と違って、かなり出現するから気をつけてね」

 ルーズニルがさらりと言い流した内容に、メリッグ以外の四人は表情を固まらせて立ち止まる。特にトルは顔色が一瞬で悪くなった。

「モンスターがかなり出るって、どういうことだ」

「この領では殲滅するという動きはないから、どうしても増える傾向にあるんだ。結宝珠も余程強力なものでない限り、役立たない」

 フリートは城から持ってきた結宝珠を鞄から取り出した。

「つまりこれも役に立たないということですか?」

「城でもらった結宝珠なら多少効果はある方だけど、一つだと心許ないかな。――ミーミル村まで半日程度、気を引き締めて行こう」

 いったいどの程度の強さ、量のモンスターが出現するのだろうか。

 陸地であるため船上よりも動きやすいが、見知らぬ土地での戦闘は周囲の地形にも気が向きがちだ。量が増えただけでなく、個体あたりの能力が強かったら非常に厄介である。

「リディスちゃん、顔色が悪くなっている」

 隣にいたロカセナに顔を覗き込まれた。女から見ても羨むくらい癖のない銀髪と、彼から発せられる柔らかな雰囲気に、一瞬飲み込まれそうになる。とっさに髪を耳の上にかけながら、視線を逸らした。

「気のせいよ。……モンスターがたくさんいるのなら、私も還す必要があるわよね」

「僕とフリート、メリッグさんとルーズニルさんもいるから、リディスちゃんが無理して還すことはない」

「けどこの前みたく私を狙ってきたら、私自身で還すのが一番手っ取り早いでしょう」

「……大丈夫だよ。君が持っている欠片を狙ってくるものは、しばらく来ないだろうから」

「なぜそう言い切れるの?」

 疑問に思ったリディスは薄茶色の瞳を見つめた。彼はすらすらと考えを述べていく。

「それなりの知識を持っていた人が召喚していたのなら、すぐにモンスターを寄越すとは考えにくい。船上ではこちらが圧倒的に不利な状況だったのに、ほとんど傷つけられることなくモンスターを還した。つまり相手はこちらの能力を上方修正するはず。そう考えると、相手側はもう一度充分な作戦を立ててから襲ってくると思う」

「そうね……確かに。大群を召喚するのは体に負担がかかることだし、しばらく休むわよね」

 リディスの肩に入っていた力がやや緩む。束の間の安らぎを得られてほっとしつつも、今後も襲われることを覚悟する必要があった。

 誰かが躍起になって奪おうとしている、各領を守る四大元素の魔宝珠。非常に重要なものなのだろう。

 ならば、かつて半島の中央に位置し、魔宝珠を産み出していたレーラズの樹はどれほど貴重なものなのだろうか。

 思考を巡らして突っ立っていると、ルーズニルとトルが先頭で歩き出したのに気付く。リディスもロカセナに促されて進み出した。



 道中モンスターは見かけていた。しかしメリッグのおかげで、ほとんど戦闘にならずに済んでいる。

 フリートが持っていた結宝珠を取り上げたメリッグは、その宝珠だけでなく、彼女が持っていた結宝珠を使用して結界を張ったのだ。しかも結界の強度を場所によって変化させる、高度な能力を有することを行っている。

「予言者は自由奔放に生きている、非力な人間ばかりよ。モンスターと間近で遭遇したら、ひとたまりもないわ。私くらいの能力の持ち主なら精霊を召喚して還したり、障壁も作れるけど、あまり体力も使いたくないから、結宝珠を使って結界を張るわけ」

「予言もし、結界も張れ、精霊召喚までできるなんて、すごいですね」

 素直に感嘆の言葉を発したが、メリッグの返答は素っ気ないものだった。

「逆を言えば、そういうことしかできないのよ」

 どことなく寂しそうな顔をされた。

 ふと風の流れが変わり始めていることに気づく。リディスは反射的にショートスピアを誰よりも早く召喚すると、道の脇に広がる森を睨み付けた。

「お前、本当に勘が良すぎるんだな」

 フリートがすぐ後ろで肩をすくめて、バスタードソードを召喚した。

「どこでその勘の良さは身に付けたんだ」

「元々勘はいい方らしい。自然界の流れにより敏感に察することで、さらにその勘を強化できたみたいよ。私に槍術を教えてくれた人の口癖は、自然との調和だった」

 スピアを静かに構えて、切っ先を真正面に向けた。ロカセナとトルが各自の武器を召喚し終わるなり、六匹のモンスターが群を成して、リディスたちを取り囲んだ。

 ぴんっと尖った耳、黒と灰色の縞の毛、鋭い牙、引き締まった無駄のない体つきから、肉食獣系の狼だと推察できる。メリッグが忌々しい顔つきで、胸の位置まで抱えていた結宝珠を下げた。

「今回の通り道で一番厄介な相手、グレイウルフ。五感が非常に優れているから、結界から僅かに漏れ出た気配を察したようね」

「弱点はあるんですか?」

「これといって弱点は聞いたことがないわ。あえて助言するなら、せいぜい自分たちの首の根っこを取られないでね、くらいかしら。食欲旺盛のモンスターたちが相手だから、くれぐれも気を付けなさいよ」

 リディスからの質問に対し、メリッグは淡々と返しつつ、水の精霊ウンディーネを召喚した。それは彼女も戦闘せざるを得ない状況だということを物語っていた。

 リディスは呼吸を整えて周りを見る。六匹のグレイウルフが人間たちをじっと見つめていた。お互いに動向を探り合う。

 やがて一匹のグレイウルフが咆哮を上げたのを合図として、一人一人に一匹ずつ牙を向けてきた。素早い動きに、思わず息を呑む。

 リディスは牙を剥き出しにしたグレイウルフの攻撃をかわし、流れるような足取りで反転した。

 しかし、反転してもすぐに第二撃がくる。それも避け、間を取って獲物に飢えているモンスターを見た。

(船上で遭遇したグリフォンほどではないけど、速い)

 次々と繰り出される攻撃を、ひたすら回避しながら、相手の動き方を紐解いていく。

 時々軽くではあるが、反撃も加えていった。

(攻撃の仕方は基本的に同じ。それならこちらから仕掛けて、動きを崩す)

 猛突進してくるグレイウルフに対し、今度は避けるのではなく、リディスは軽く助走を付けて、跨ぐように飛び上がった。

 グレイウルフは慌てず目線を上に向け、牙を空に向けて吠える。今にも飛びかかり、噛み砕きそうだ。このままでは地上に降り立つ前に、牙の獲物となってしまう。

 だから無事に事を終えるためには、ここで終わらすしかない。

 リディスはずっと考えていたことがあった。

 フリートとロカセナに、いつまでも護られる存在ではいけない。

 現実に起こったことを避けるのではなく、抗うために一歩を踏み出すべきではないか――?

 震える手でリディスは上空でスピアを握りしめる。深呼吸をし、スピアの先端を地面に向けて、重力に従いながら落下した。スピアの先端に光が集まってくる。

 そしてグレイウルフを睨み付けて、ただ一言力強く発した。


「――還れ!」


 瞬間、肉を切る不快な感触と獣の叫びと共に、グレイウルフの周りに黒い霧が現れ始めた。

 そして今まで避けてきた、あの悪夢のような光景が脳内に広がった。

 噛みしめながら、脳内に響く悲鳴と残酷な映像に耐えようとする。しかし胸も苦しくなり、頭痛もし始め、いよいよ立つことも難しくなった矢先、リディスはとっさにスピアを振っていた。

 生温い血が頬に飛び散る。体勢を崩したリディスを襲おうとした、別のグレイウルフの血だった。

 リディスの攻撃によって怯んだ隙に、近くにいたトルは数回ウォーハンマーで攻撃を加える。動きが鈍くなったグレイウルフはまともに攻撃を受け、明らかな弱りを見せていた。

 その光景が生々しく、リディスは脳内の映像ではなく、目の前の光景を見て顔を青くした。

 グレイウルフを一匹還したフリートが、トルが攻撃していたグレイウルフを即座に還すと、張りつめていた気持ちが切れる。衝撃的な現実を目の当たりにして、気分を悪くしたリディスは崩れ落ちそうになった。それを銀髪の青年が優しく受け止める。

「大丈夫? どうしてこんなところで還術を……」

「だって踏み出さなければ、いつまでも変わらないじゃない。それよりメリッグさんとルーズニルさんは――」

 ロカセナの視線につられてそちらに向くと、メリッグとルーズニルの周りには薄らと黒い霧が漂っていた。焦ることなく澄ました顔で、お互いにそれぞれの精霊を召喚している。

「わざわざ召喚しなくても私が二匹還したのに」

「その台詞、そのまま返すよ。結界まで張ってもらっているんだから、僕たちに任せてくれてもよかったのに。還すのは一匹だけでも体に負担がかかる。メリッグさんには結界を張るのに集中して欲しいんだ」

「ごめんなさいね、条件反射で還してしまうのよ」

「せっかく団体で行動しているのだから、少しくらい僕たちに心を許してもいいんじゃないかな」

 さりげない言葉の応酬を聞いて、リディスは苦笑いをした。二人が本気を出したら、一瞬で数十匹のモンスターを還すのではないかと思うほど、精霊魔法は驚異的なものだった。


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