欠片を運ぶ者達(3)


 * * *



 リディスは火の魔宝珠に触れて混沌状態に陥ってから、時折夢の中である樹の影を見るようになっていた。何の樹だろうと思い視線を上げるが、その前に目覚めるか、場面が転換されてしまい、実際に見ることはできていない。

 たまに誰かが必死に祈りを捧げている後ろ姿も見る。その人の顔も髪型もわからず、ただ漠然といる存在だったが、非常に印象に残るものだった。


 ムスヘイム領から出発する前日も、そのような夢を見ていた。

 目を覚ますと、フリートが椅子に座って紙に書きものをしていた。ロカセナの姿は見えず、部屋の中は二人だけ。リディスは立ち上がり、音をたてずに近づくと、フリートが気配を察したのか慌てて振り返った。

「フリート、おはよう。何を書いているの?」

「おはよう。姫に手紙を書いているところだ。一応、返事をしておかないと、機嫌を悪くするから」

「へえ、お姫様に……」

 手紙をするほど親密な仲――そう考えるとなぜか心拍数が速くなっていた。リディスは軽く自分の服を掴む。

「本当に親しいのね。……もしお姫様から許可がもらえれば、今度会う時には同行させて欲しいな。フリートと歳が近いってことは、私とも同じくらいでしょう?」

「むしろ紹介させろ。気軽に話せる人間がいなくて、俺が仕方なく話し相手を引き受けているんだ。昔から城にいる人間だと姫に対して一線を引きすぎてか、話し相手になってくれないから」

「まあ私で良ければ」

 珍しく困った顔をしているフリートに対してリディスは返事をすると、彼は表情を緩ました。まるで責任から逃れられてほっとしているようである。リディスは人差し指を軽く口元に当てて、呟いた。

「……けど、何を話せばいいのかしら」

「今回の旅の話でもすればそれで充分だ。刺激が欲しいだけだから」

 姫のことを何もかも知っているようなフリートを見ると、どことなく胸の中が疼く思いがした。



 * * *



 時間は飛ぶように過ぎ去り、ヘイム町を去る日がやってきた。リディスの傷も癒え、準備万端である。

 スルトに別れの挨拶をする際に、瓶に入った火の魔宝珠の欠片を二個受け取った。ミスガルム城に持ち帰るのはリディスが、ミーミル村の村長に渡すものはトルが持つことになる。

 魔宝珠が入った小瓶を光で透かすと、欠片は美しい赤色の輝きを放っていた。うっとりと見とれてしまいそうだ。

 紐が付いた小さな袋の中に、その瓶を入れて首から下げる。スルトはリディスの前に立つと頭を下げた。

「色々と申し訳なかった、あのような事件の渦中に立たせてしまい……。……よければまた来て欲しい。今回は食事会を開くことはできなかったが、次は是非とも共に食事をとりたい」

 リディスの誘拐事件後は、屋敷も多大な被害を受けたため、スルトはその事後処理に忙殺されていた。彼が部屋の内外で非常に慌ただしい日々を過ごしていたのが記憶に残っている。

「顔を上げてください。時間がなかったのですから、仕方ありません。次の機会では是非ともゆっくりとお話しましょう」

「また来てくれるのか?」

 非常に過酷な状況下に置かれたこの地に、という想いがあるのだろう。リディスはにっこり微笑み返した。

「町を全然歩き回っていません。次は城の遣いではなく、この地に興味ある者として来たいです」

「そう言ってくれると、こちらも非常に嬉しい。その時は満足のいくおもてなしをしよう」

 スルトの表情が綻ぶと、場の雰囲気が和んだ。

 間もなくして出発の時間となった。港までは町の中を突っ切る必要があるため、時間に少し余裕を持って屋敷を出ることになっている。

 挨拶も程々にして、リディスたちは最後に一礼をして出て行った。

 ガルザといった謎の男の出現は頭を悩ませることだったが、新たな情報や仲間を得たことは、非常に嬉しいことだった。これから行く未知の領域に向けてリディスたちは歩み出す。

 そんな彼女、彼らの後ろ姿を見ながら、スルトは呟いた。

「――火の精霊サラマンダーよ、どうか彼女たちによりよき道を導きたまえ。そして彼女らの危機の際には、どうかお護りたまえ。火の加護よ、どうか――」



 リディスたちは南北に建ち並ぶ家々の密集地帯を通り過ぎながら、海岸にある港へ目指す。

 人通りが多い道を避けて進んでいると、大通りから漏れる喧噪が聞こえてきた。リディスはぼんやりとそちらの方を眺める。

 頼み込めば大通り経由で行けるかもしれない。だが、昨日、町に出たフリートから町の治安は悪化の一途を辿っているため、雑踏に紛れて何かをしでかす人間がいるかもしれないから、大通りから外れたところを通ろうと、申し訳なさそうな表情で言われてしまったのだ。

 リディスを気遣っての発言だ、跳ね除けるわけにはいかない。行きたいという衝動をどうにか呑み込んだ。

 しばらくして視界に青々とした海が広がってきた。

 川ではなく――海。

 海の先を隔てるものは何もなく、悠然とした大海原が続いている。初めて見る海という存在にリディスの心は浮き足立っていた。


 港に到着すると、川を渡るものより一回り大きい船が停泊していた。船には他の領で売るための、ムスヘイム領で作った工業製品や農作物などが詰め込まれている。その船に向かって歩を進め、ルーズニルは船員と顔を合わすと、爽やかに挨拶をした。

「おはようございます。本日、ヨトンルム領に向かう便をルーズニルの名で予約している者たちです。乗船してもよろしいですか?」

「構いませんよ。狭いところですがゆっくりお過ごしください」

 ルーズニルはにこにこした表情でお礼を言い、船の中に踏み入れた。

 数日間過ごしても大丈夫なよう、内部には横になれる空間や簡易のベッドがある。今回は六人とやや大人数であったため、個室を用意してくれた。部屋の中は簡易的なベッドがある以外、付属の物は見当たらない。

「なあ、ルーズニル、これでどうやって寝るんだ?」

 トルは三つしかないベッドを見て、首を傾げる。

「おかしいな、六人って伝えたはずなのに……」

「あら、同じベッドに二人寝ればいいんじゃないかしら。より親密度が上がるんじゃなくて?」

 メリッグがふふっと笑って、きょとんとしているリディスを見た。そして耳元で囁く。

「フリートとロカセナ、どちらがお好みなの?」

 一瞬で顔が赤くなった。初めは口をパクパクしていたが、すぐに怒りが表面化し、メリッグに言い返す。

「な、何を言っているんですか! こういう場合は女性二人で一つのベッドでしょう、メリッグさん!」

「他のベッドに男が二人も並ぶわけ? それはさぞ狭そうねえ」

「それなら私は床で寝ます!」

「あらあら、貴族のお嬢さんがそんな発言を……。いいお年頃なんだから、無理に突っ張らなくてもいいのよ」

 発言をする度に墓穴を掘っているという事実にリディスは気づかず、興奮状態のまま返してしまう。そのようにいじられているリディスを、ルーズニルやロカセナは微笑ましく見ていた。

 しばらくしてリディスは助け船を出してもらうという手段を思い出し、すがるような想いで視線を移動するが、二人はにこにこしているだけで何も口は挟まない。トルは狭い部屋の中を探索しており、リディスのことは眼中になくなっていた。

「何なのよ……、私が何かしたっていうの!?」

 言葉では怒りを表していたが、内心はとても嬉しかった。



 シュリッセル町にいた頃、町長の娘であるリディスは周囲から一歩置かれた存在だった。大人、子供関係なく、表面上の付き合いしかされていなかったのだ。

 物心付いた時には既に母親はいなく、父親もいつも夜遅くまで仕事をしていたため、あまり構ってもらえず、物寂しい幼少期を過ごしていた。使用人のマデナが相手をしてくれたが、時として気を使われ過ぎてしまうこともあり、逆に一緒に居にくいこともあった。

 さらに一人で屋敷の外に出て遠くに行ってはいけないと言われたため、必然的に屋敷に引き籠りがちな日々が続いていた。

 しかし、ある日リディスにとって大きな転機を迎えた。

 それはリディスが十四歳になった頃――、マデナと買い物に行き、彼女は用事があるから先に一人で帰された日だった。ちょうど結宝珠の交換のために町を包む結界が解かれていた時間帯、結界の隙間から侵入してきた獣型のモンスターにリディスは遭遇してしまったのだ。

 刺激を与えなければ襲ってこない、と言われているモンスターだったが、運の悪いことに、リディスが接触する直前に子どもが還されてしまい、人間に対して怒りを向けている最中だった。

 初めて間近で見るモンスターにリディスは腰が抜けてしまい、逃げるという選択肢が思い浮かばなかった。 我を失ったモンスターは、目の前に見つけた人間の子に容赦なく牙を向けた。

(殺される――!)

 そう思った次の瞬間、目に飛び込んできたのはモンスターの鋭い歯ではなく、腰まで伸びる長い亜麻色の髪を、高い位置から一本に結んだ女性の背中だった。

 突然の乱入者にリディスは目を丸くしていたが、女性は振り返りもせず、モンスターを睨みつけていた。彼女の背よりも少し長い槍を両手で握っている。

 モンスターは女性に向けて突進してきた。だが、彼女は慌てることなく、擦れ違い際に急所を一突きして還したのだ。それは見る者を魅了するような鮮やかな還し方だった。

 その場で黒い霧が消えるまで待ち、モンスターの脅威が完全になくなったことを確認する。それから呆然としているリディスの存在に気づいた女性は手を差し伸ばし、立ち上がらせてくれたのだ。


 それが槍を扱う還術士スレイヤとの出会い。

 同時にリディスが今ではなくてはならない槍術と出会った瞬間だった。


 スレイヤは還術修行の一貫として、ドラシル半島を回り、モンスターを次々と還す旅をしていた。行動を共にしていたのは、当時十九歳の彼女よりも十歳上の男性――リディスから見ればおじさんとも捉えられる人と、彼女と同年代の青年だった。

 彼女らと自己紹介をしあった後に、リディスはスレイヤと話を弾ませながら屋敷へと送ってもらった。そして助けてもらったお礼としてそのまま屋敷に招待した。

 お茶を飲みつつ話をしていると、スレイヤたちはしばらくシュリッセル町を拠点として、ミスガルム領内を動こうという考えを持っていることに、リディスとオルテガは気づく。

 リディスはじっと父親を見ると、観念したかのようにオルテガは提案をしたのだ。屋敷にはいくつも部屋が残っているから、その部屋を使って寝泊まりしても構わないと。

 それを聞いたスレイヤたちは、最初は渋っていたが、リディスが必死になって袖を引っ張っているのを見て、ようやく頬を緩まし、首を縦に振ったのだ。

 それからリディスにとっては、姉のような存在ができたのである。

 当初は彼女たちが旅で見聞きしたことを聴くことで、心の中は満たされていたが、次第に話題が尽きてきて、物足りなくなってきた。

 そんなある日、スレイヤが屋敷の外で槍を持って体を動かしているのを見て、自然と興味が湧いてきたのだ。そして数日も経たずに、リディスはスレイヤに槍術を教わり始めていた。

 やがてその噂は町全体に広がり、槍に興味を持っていた人たち――リディスと歳が同じくらいの人から、少し上の人までが、スレイヤたちから槍術を指導してもらうために屋敷を訪れるようになった。その間の稽古を通じて、リディスの交流も活発化し、町長の娘という意味合いを越えた話し相手が町の中でもできた。

 その後、数年が経過し、リディスが自分専用の魔宝珠を持った時には、ショートスピアを召喚物とし、そこにスレイヤから還術印を施してもらおうと思っていた矢先、唐突な別れがやってくる。

 リディスが十七歳の時、スレイヤたちは出身の村の事情でシュリッセル町を去ったのだ。槍術をスレイヤたちのもとで学び、ある一定の水準に到達した者たちも同様に旅に出てしまっていた。

 旅立ちを表面上では祝いつつも、寂しいという想いを秘めたまま、リディスは一人で素振りをする毎日を過ごすことになる――フリートたちと出会うまで。



 フリートたちとは遠慮なく話せることができていた。内面まで突っ込んだ叱咤激励を受ける時もあったが、真正面から言ってくれるため、あまり不快には感じていない。メリッグやトルなど、まだ数日しか接していない人たちも、身分を気にせず話しかけてくれるのは嬉しかった。

 リディスはメリッグに何度も意見をしたが、ことごとくはね返されてしまう。少し間を置いてから名案を思い付いたリディスは、人差し指を立ててメリッグに突き出す。

「部屋をもう一室取りましょう! それで解決です」

「けど同じ部屋の方が何かと便利だと思うわ」

「狭いと疲れると思います。だから――」

「――まったくくだらない会話を繰り広げるな」

 低い声がすると、後ろで深々と溜息を吐かれた。

「俺とロカセナは護衛の仕事もあるからベッドで寝なくてもいい。トルは適当に布団に包まって床で寝ていろ。それでいいだろう」

「あら、それだと疲れがとれないんじゃないの、フリート・シグムンド?」

「遠征に出ている時は座って寝ることはよくある。野宿じゃないだけいい」

 メリッグは肩をすくめて、口を閉じた。そして荷物を置いて彼女は廊下に出る。

「私、船の中を探索してくるわ。これからは自由行動にしましょう」

「メリッグさん、一人で行動するんですか?」

「ええ。一人の方が何かと動きやすいから」

 メリッグは軽く髪に触れてから、部屋から出て行った。

 その背中を見送ると、ほどなくして外から船員の声が聞こえてくる。どうやらそろそろ出航するらしい。岸から離れる瞬間は見届けようという話になり、一同は甲板へ出ることにした。

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