広がる外の世界(4)
フリートが飛ばされた時、ちょうどリディスたちが鍛錬場の観客席に着いた時だった。
彼は流れるように隙を突こうとしたが、それに対してカルロットは真っ向から打ちのめしたのだ。かなり深く拳が入ったのか、フリートはぴくりとも動かない。完全に意識を失っている。
リディスは手を口で押さえて、その様子を立ちすくんで見ていた。ロカセナとセリオーヌは首を横に振って、困ったような顔をしている。
「まったく……。怪我人相手でも遠慮がないな、カルロット隊長は」
「本当にあの戦い好きには困ったものだわ」
「副隊長が言う台詞でしょうか」
「どういう意味かしら、ロカセナ?」
「いえ、お気づきでないのならいいです」
お互い笑顔だが、その内にあるものは計り知れなかった。
「なんだ、お前らも来ていたのか!」
気を失わせたフリートを心配する素振りも見せずに、カルロットはリディスたちの方に向いた。体を動かしたためか、さっきよりも生き生きしている。
「どうだ、ロカセナ、次はお前が相手をするのか?」
「お断りします。何かあったら、リディスちゃんの案内役は誰がやるんですか」
「お前なあ、いつも弱腰だからフリートに差を付けられるんだぞ」
「剣だけではなく、僕は僕なりのやり方で戦闘には挑んでいるので、それだけで差が付いたと言って欲しくはありません」
受け流されたと思えば反撃の言葉を出されたのが面白くないらしく、カルロットの眉間にしわが寄っていた。それを見たセリオーヌはリディスの肩を叩いて、小声で話しかけてくる。
「早速だけど少し相手をしてもらっていい? 隊長の機嫌が悪くなると、私でさえ収拾をつけるのが面倒なの。けど鍛錬している姿を見せさえすれば、機嫌はすぐによくなるわ」
「それってかなり……」
「単純な性格よ。まあこういう平和なときだけね」
何かを含ませた言い方にリディスは目を瞬かせた。だがそれ以上、セリオーヌは何も言わなかった。代わりにリディスの手を引いて、鍛錬場の中心に降りていく。
「なんだセリオーヌ、お前が相手してくれるのか?」
「お断りします、昨日行ったばかりですから。ちょっとこの子に私の相手をしてもらうだけですよ」
両肩に手を置かれて、前に突き出された。リディスを見たカルロットは目を丸くしながら見下ろす。
「ええっと、嬢ちゃんは……」
「隊長、さっき説明したのに忘れたんですか」
続いて下に降りてきたロカセナが、呆れ気味に言葉をこぼす。
「あの時はフリートと相手をすることしか考えていなかったんだ!」
「……つまり忘れたと」
カルロットの顔が引きつる。良くも悪くもロカセナは物事をはっきり言う人だとリディスは思った。ロカセナはリディスを手で示しながら説明をする。
「シュリッセル町から来た、リディス・ユングリガさんです。ただの貴族のお嬢さんかと思えば、槍使いの還術士。しかも還術印を施したのは、あのファヴニール様です!」
「勝ち逃げして未だに顔を出さない、偏屈野郎ファヴニールの!? それはそれは……」
カルロットから好奇な目を向けられる。興味深い玩具を見つけたような表情をしていた。思わずロカセナやセリオーヌの後ろに隠れそうになる。その前にセリオーヌが割って入ってきた。
「隊長、じろじろと見ては、リディスも怖がってしまうではないですか。ただでさえ怖い風体をしているんですから、少しくらい気を使ってください。さあリディス、軽く相手をお願いね」
「は、はい」
鼓動が速くなる中、リディスは鍛錬場の中央へ向かう。歩きながら、かつて一対一で対戦した日のことを思い出す。槍術を伸ばすための一貫としてよく行っていた。自分を試す場、そして今まで培った力を発揮する場は怖いと感じると同時に、楽しみでもあった。
そのようなことを思い出すと、心の中でつい苦笑してしまう。リディスは貴族という身分は被っているけれども、中身はここにいる人たちとたいして変わらないのだ。
首下にある魔宝珠に触れて、ショートスピアを召喚する。模擬剣を持ち出していたセリオーヌは目を細めて召喚する様子を見ていた。
スピアを握りしめると、少しずつ落ち着いてくる。適度な緊張感であれば、それなりに動けるだろう。
リディスが顔を上げると、セリオーヌがにこりと微笑んだ。
「適当なところで打ち切るから、肩の力を抜いて相手をして。ちなみに自分から攻める方? 相手からの攻撃を返す方?」
「どちらかと言えば相手待ちですね。力がないので、先手を取ったまま勢いだけで押しきれませんから」
「なるほど。けど状況によっては、自ら攻めていくことも必要よ」
セリオーヌが両手で構えると、リディスも切っ先を彼女に向けた。じっくり彼女の動向を見る。
次の瞬間、その場からセリオーヌが消え去った。
(速い! けど気配を消しているわけではない。ここで必要なのは相手との駆け引き。だから――)
スピアをいったん引っ込め、とっさに横に持って防御の態勢に入る。
すると目の前に現れたセリオーヌが、模擬剣を振りかざしていた。それをスピアの柄の部分で受け止める。
予想していた動き以上の速さに息を呑みつつ、セリオーヌを跳ね除け、半円上にぐるりとスピアを回した。適切な間合いをどうにか作り出す。
非常に楽しそうな顔をしているセリオーヌを、リディスは険しい顔でじっと見つめていた。
「おい、本当に貴族の嬢ちゃんなのかい?」
「紛れもなく父親は貴族ですよ。……戦闘的な勘に関しては、下手な騎士よりいいかもしれません」
カルロットが面白そうに二人の攻防を見ている。それを意識が戻り、どうにか立ち上がれる状態まで回復したフリートが説明をしていた。完全に拳が入ったように傍から見えたらしいが、瞬時に半歩下がっていたため、大事には至っていない。
「自分にも他人にも厳しいお前が褒めるとは、意外だな」
「還術士は通常の戦士以上に、効率的にモンスターに攻撃を与えなければなりません。なぜなら還すためにある程度体力を残しておく必要があるから。そのため相手をよく見るようになるのは必然のことです。ですからあいつはどうにか捌けているんですよ、副隊長も手加減していますしね」
今、喋った事は座学でもよく聞く内容だ。フリートの頭の中には当たり前のように入っている。カルロットも当然理解していると思っていたが、感心している表情を見ると、そうではないのかもしれない。
面白そうに二人の戦いを見ているため、念のために釘を刺しておく。
「彼女の目的は、還す際に表れる障害をなくすことです。モンスターを退治したいから、ここに来たのではありません。彼女に怪我でもされたらあとで怒られるのは俺たちなんですから、余計なことはしないでください」
「そこまで言いながら、セリオーヌとの攻防は黙認なんだな」
「それは……状況というものがありますから。それにあの模擬剣なら酷くて内出血程度でしょう」
フリートは適当に濁して返す。
カルロットには口が裂けても言えないが、リディスの槍術をじっくり見てみたいという気持ちがあった。
初めて会った時に見た、獣型のモンスターの還し方は、同年代の人間と比べて見事なものだった。狭い範囲かつ短時間で還すことは評価できる部分だ。
だからこそ、ほんの少しの油断がもったいないとも言える。おそらくフリートたちと比べて、実践経験が少ないのがあの油断の原因だろう。
伸び代はおおいにある娘だと、目の前で繰り広げられている模擬戦を見ながら感じ取っていた。
セリオーヌの攻撃はフリートやその他の男性騎士よりも比較的軽いが、時々本気を見せて剣を振るものだから、見守っている側からすると心臓には良くない。
それにも関わらず、リディスはすべての攻撃を丁寧に返している。体が慣れてきたのか、序盤よりも動きが良くなっていた。
何度目かになる硬直状態でお互い動向を伺っていると、何の前触れもなくセリオーヌは警戒を解いて模擬剣を右肩に乗せた。
「……まあ今日はここら辺にしておこうか」
「え?」
「適当なところでやめるって言ったじゃない。リディスの昨日までの状況を考えると、これ以上やったら数日くらい疲労が残る。そのせいで予定が狂ったら面倒なことになる」
「そうですね。それではお言葉に甘えて――」
微弱にあったセリオーヌからの殺気もなくなったからか、リディスも構えを解き、切っ先を地面に向ける。
だが血相を変えて翻り、どこからともなく飛んできた三本のナイフを弾き飛ばした。
弾かれたナイフは地面の上に音を立てて落ちる。
その場にいた誰もが呆然としていた。奇襲もそうだが、リディスの反射神経に目を疑ったのだ。
「あ、あの、もう召喚を解いても構いませんよね?」
おどおどとしながらリディスはセリオーヌを見る。彼女はセリオーヌが差し向けたものだと思っているらしい。しかし副隊長の性格や能力を知っている者からすれば、それは有り得ないことだった。
「……え、ええ、大丈夫よ! あまりにも動きがいいから、つい奇襲かけちゃった。ごめんね」
一瞬固まっていた表情をリディスに見せることなく、あえて調子良く返す。その様子を見て、リディスはようやく表情が緩んで警戒心を解いた。
「ちょっとびっくりしました。軌道は外れていたので、弾かなくても良かったんですけど、つい間合いの中は手が出てしまうんです」
「そうなの。その感覚は大切にした方がいいわ。――さて体も温まったし、私は部隊の指導でもしてくるかな」
「セリオーヌ、その前にリディスを用意していた部屋に連れていけ」
突然低い声が割り込んでくる。フリートの隣にいたカルロットが珍しく真面目な顔つきだった。
「カルロット隊長、そのような手間は自分たちが――」
「いいか、セリオーヌ、あいつらの指導は後日でいいから、今はリディスを頼んだ。女同士の方が細かいことは聞きやすいだろう」
「わかりました、隊長。リディス、行きましょう」
フリートの言葉などまったく聞かずにカルロットは命令すると、セリオーヌはそれに応えるように返事をし、きょとんとしているリディスの手を引いて、鍛錬場から出て行った。
場内に残ったのが男三人になると、未だに険しい顔をしているカルロットは、リディスが叩き落としたナイフを一本拾い上げる。
「……入口と出口の空間を召喚させて買ったものを投げつけたのか。高度なことをする厄介な奴がいるものだ」
一人呟くと、フリートとロカセナの方に振り向いた。
「嬢ちゃんの身辺に変なことは起こっていないのか。誰かに狙われているとか」
「彼女の周りでは起こっていません。父親にも聞きましたが何もありません」
フリートははっきり言い切った。これは事実であるため躊躇いもなく言える。
カルロットは弾かれたナイフをフリートに軽く投げた。それを指で挟んで受け止める。どこでも売っている大量生産品だ。
「わかっていると思うが、このナイフはセリオーヌが放ったものではない。奇襲をする柄でもないし、自分が触れていない無のところからこのナイフを召喚するのは、あいつにはできない。そして戦闘中に放った様子もない。だから他の奴が投げたと結論付けられる」
その内容を聞いて、フリートはさらに眉間にしわを寄せた。
「誰がそんなことを……!」
「さあ、それがわかれば俺だっていつまでも難しい顔はしてねえよ。嬢ちゃんによれば、弾かなくてもナイフに触れる可能性はなかったらしいから、どこかで召喚の練習をしていた奴のナイフが誤ってここに召喚されたか、もしくは――」
若き騎士は二人して、ごくりとつばを呑んだ。
「理由はわからねえが、嬢ちゃんへの何らかの脅しか。もしこっちだった場合、何かあったらお前たちが護るんだぞ」
「はい!」
二人で声を合わせて意志を明確にした。その声の反響が途切れる前に、ロカセナはあっと声を漏らす。
「隊長、その言い方はつまり彼女の護衛として、日々過ごしても良いということですか?」
厳しい鍛錬から解放される可能性を若干期待して尋ねたらしいが、カルロットは怪訝な顔をしていた。
「何を意味不明なことを言ってやがる」
「さっき何かあったら護れって……」
「時間があるときは一緒にいろってことだ。嬢ちゃん一人でも、ある程度どうにかなるだろう。城内ならたいてい騎士がいるし、そいつらが護ってくれる。むしろ本当に危険なときは駆けつけるくらい努力しろ!」
「もし僕らが遠征している最中に、彼女の身にそのようなことがあったら、駆けつけるのは難しい気が……」
「うだうだ言うな! 敵なのか何なのかわからない段階で動けるか! 本当は嬢ちゃん自身で完璧に対処できればいいが。――そうだ、それなら、いっそ隊に――」
「わかりましたよ! とりあえず今後の動きを聞くために、リディスのところに行ってきます。ではまた明日」
フリートが無理矢理会話を打ち切る。そして一礼をすると、ロカセナと共に慌てて鍛錬場から出ていった。
これ以上言わせていたらリディスに不利益が出かねない。あくまでも彼女の目的は自身に起きている原因を明らかにし、再び滑らかに還術できるようになること。隊に入れるなど、とんでもない。
ドアの奥に消えていく二人の背中を、カルロットは溜息を吐きながら眺めていた。
見えなくなると瞬時に目を尖らせて、地面に落ちているナイフをすべて拾い上げた。
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