広がる外の世界(5)

 リディスはセリオーヌに促されて、第三部隊の待機所で書類にサインをしてから部屋に向かった。書類には必要な部分はほぼ記入されており、あとはサインのみという状態だった。

「人の出入りが激しいから部屋は空きやすいの。部屋の近くには図書室もあるし、たぶん満足できると思う」

「ありがとうございます。すごく楽しみです!」

 顔を綻ばせて城内の地図を頭の中に作り出していく。意気揚々としていると、セリオーヌは真顔でリディスをじっと見つめてきた。

「どうかしましたか?」

「……リディスはショートスピアを扱う、ただの還術士よね?」

「そうですが、どうしてそんな質問を?」

 振り返った時に金色の髪が揺れる。セリオーヌは色褪せた赤髪、他にも様々な髪の色の人が城内にはいたが、リディスほどはっきりと金色が映えている人は見ていなかった。

「ちょっと確認したかっただけ。ほら、ここが図書室。ミスガルム領内では最大規模の蔵書量よ」

 他の部屋より一回り大きな扉がある。そこを学者らしき人が出入りしていた。開いた扉の隙間から見える本の量に圧倒される。

「詳しい説明はあとで。リディスの部屋はもう少し進んだところにある、ここの部屋」

 図書室の入り口から数十歩離れたドアの前で立ち止まった。セリオーヌは事前にもらっていた鍵を鍵穴に差し込んで回すと、小気味のいい音と共にドアを開けた。

 中に入り、通路を進んだところにベッドとテーブルがある。ベッドの上にはしわのないシーツが張られていた。他にも日常生活をする上で必要なものが取り揃えられている。予想以上に綺麗で充実した室内の様子を見て、リディスは顔から嬉しさがこぼれ出ていた。

「気に入ってもらえて良かった。食事は食堂があるからそこで食べて。あとこれを渡しておく」

 セリオーヌはポケットから三種類の魔宝珠を差し出した。

「知っていると思うけど、この淡い黄色いのは光宝珠こうほうじゅ。この部屋を明るくするくらいの威力はあるから自由に使って。あと結宝珠けつほうじゅ。持っていてもそんなに負担にならない軽いもの。軽い攻撃を弾くぐらいできるわ。物騒な世の中だから、女の子には念のために。そして――」

 リディスも見たことがない透明な魔宝珠に視線が移動する。曇りがない水晶のようで、手のひら上で握れるくらい小さい。

「これはお守りみたいなもの。小さいけど無くさないでね」

「こんなにたくさんの魔宝珠、ありがとうございます。どこに入れよう、こんなに……」

「そうか、一般人が携帯するのは自分専用の魔宝珠くらいで、そんなに持ち歩かないものね。騎士団とかはポケットが多めの服を着ているから、あまり苦ではないんだけど。……いっそ騎士団の服でも借りる?」

「いえ、そんな恐れ多いことは! 付いているポケットを上手く使って入れます」

「あら、そう? 残念ね」

 騎士団員の服はかっこよく、憧れるが、所属しているわけでもないのに借りるのは気まずかった。


 ドアをノックする音が、部屋の中に響く。入り口に戻りドアを開けると、笑顔のロカセナとどこか安堵の表情を浮かべているフリートが立っていた。

「あら二人とも、許可なく部屋の中に入っちゃだめよ。女性の部屋に入るには、まだ早いお年頃なんだから」

「セリオーヌ副隊長、僕たちだって立派な成人ですよ。分別くらいつけて行動します。この後は僕たちがリディスちゃんを城の中を案内します。副隊長は部屋にどうぞお戻りください」

「悪いわね。――そうそう来週騎士団の半分を使って近場のモンスター狩りに行くから、準備をしておいて」

 さらりと言い流したが、それを聞いた二人の表情が変わった。目をパチクリするロカセナと眉をひそめるフリート。

「全体の半分の騎士ですか。結構大規模になりそうですね」

「昨日の会議で決まったこと。最近小競り合いが絶えなくて、元を絶とうってことになったの。逆に刺激しかねないという意見もあったから、保留にしていたけど、とうとうミスガルム王国から目と鼻の先で一般人に死者が出てね……」

 顔を渋くさせるには充分な話題だった。移動中にモンスターに襲われて命を落とすことはある。だが結界が張られている近辺で殺されることは例にない。前例がないことが発生すれば、住民たちが不安がる。

「モンスターも暴走し始めているとしか思えない状況ね。それか……知能を持ち始めたか」

「知能を?」

 セリオーヌは周囲を気にしながら小声で話す。

「殺された人間が、子供や老人じゃなくて若手の学者だったのよ。しかもこれからモンスターに関する興味深い論文を発表しようという矢先の出来事。考えたくないけど、当初から狙って襲われたのかもしれない」

 偶然であれば不幸な事件として処理されるだろうが、仮に意図的であれば、それは非常に恐ろしいことだ。抵抗する力がない人間は、迂闊に外に出られなくなる。

 予想以上に緊迫している情勢に、リディスの鼓動は速くなっていた。その様子を見たセリオーヌはふと優しい顔を向けた。

「大丈夫よ。この城壁の中にいれば安全だから」

「そうかもしれませんが、でも……」

 急速に何かが変わりつつあるモンスターにリディスが対抗できる手段は、不安定な還術のみ。万が一何かあった場合には、自分自身を護ることすらできないかもしれない。

 再び溢れ出てくる、悔しいという感情。

 そして早くどうにかしなければならないという焦り。

 その二つの感情を抑えながら、リディスはフリートに向けて口を開いた。

「ねえ、図書室って、誰でも入っていいの?」

「通行証が必要だ。このカードを使えば図書室も含めてたいていの部屋は入れる」

 リディスの勢いに目を丸くしつつも、フリートは小さな魔宝珠が埋め込まれた一枚のカードを差し出した。触れた瞬間、弱い電撃が走る。そして古代文字が浮かび上がった。内容を正確に把握することはできないが、この文字の意味はおそらく――

「これは私の名前?」

「そうだ。俺たちが持っているのと似ているだろう。今カードにリディスの指紋や思考が反映された。もうこのカードを他の人が触っても何も反応はしない。――城内や町を今日案内しようと考えていたが、どうする?」

 提案ではなく、まるでリディスが他のことを考えているのがわかっているような聞き方だ。

 王国全体の様子を知る為にも、なるべくなら早めに案内をしてもらうべきだが、今はそれを受け入れる余裕がなかった。返答を躊躇っていると、ロカセナがフリートの肩をぽんっと叩く。

「リディスちゃんも連日の移動で疲れているよ。食堂や図書室といった必要なところだけ今日は案内して、後日僕たちの時間と見比べながら案内しよう」

「そうだな。リディス、それでいいか?」

「ええ、是非それで」

 ロカセナやフリートに微笑みながら返す。リディスが明確な意思を示していないにも関わらず、察してくれる。自分のことを少しでも理解してくれて嬉しかった。

「じゃあ、あとはよろしく、二人とも。ロカセナには言ったけど、明日から遠征時以外は通常通りの訓練と会議があるから、そのつもりでね。リディス、またゆっくりとお茶でもしましょう」

 軽く手を振りながら背を向けて、颯爽とセリオーヌは去っていった。身長もあり、引き締まった体は後ろ姿も文句なく美しかった。

 リディスは部屋に荷物を置くと、二人に連れられて最低限必要な場所を案内してもらった。食堂に大広間、町に続く道、図書室の入り方など、一部だけと言いつつも、城全体が広いため時間はかかる。

「他にはどんなところがあるの?」

「貴族たちの執務室、政治的な話し合いをする会議室、俺たち騎士団員たちが訓練する場所が屋内外ある。城の奥にはミスガルム王国の王と姫もいて、謁見の間もある」

 さらっと言い流されたが、王族がいる場ということを再認識させられる。もしかしたら何気なく歩いている時に、今まででは考えられなかった身分の高い人と、すれ違っているかもしれない。

「色々な人が出入りしているが、さすがに相当身分が高い人たちがこっち側に来ることはほとんどないな」

 淡い期待を抱いたが、フリートの言葉によって一瞬で潰されたのだった。



 一通り案内が終わった後、夕食に行く時に部屋に寄っていくとフリートとロカセナに言われて、一度解散になった。

 まだ外は明るく、夕食まで時間がある。リディスは早速図書室に向かい、所定の手続きをして入室した。天井に付くほどの棚に本が詰め込まれている。眺めているだけで圧倒される量だ。

 図書室のおおまかな地図を頼りにリディスはまず‟還術”に関する本を探し始めた。きょろきょろ棚の中を見渡しながら進むが、他の人たちは己の本に夢中になっているため、誰も気に留めていない。

 細長い通路に沿って脇に入ると、魔宝珠関係の本がたくさんあった。その中には還術についての本もあるし、数少ない資料であるレーラズの樹についての本もある。

 リディスは還術に関する薄めの本を一冊取り出した。そしてぱらぱらと中身を捲り始める。だがそれは運悪くも古代文字だけで書かれているものだった。辞書があれば解読することも可能だが時間もかかるため、時間がある時にじっくり行おうことにした。今は一般的に使われている文字で書かれている本を探す。

 ふと奥の本棚で、一人の女性が本を捲っているのが見えた。彼女のあまりの美しさを垣間見て、棚に伸ばそうとした手を引っ込めた。

 ウェーブのかかった金色の長い髪、明るい緑色の瞳、そして整った美しい顔立ちはすれ違った人なら誰でも立ち止まって見入ってしまうだろう。リディスも同じ色ではあるが、あそこまで綺麗な色ではない。ふんわりした上質なスカートを着ており、地位の高い貴族に見える。本を捲る姿も上品だ。

 彼女は目的の本ではなかったのか、本を閉じて棚に戻し、他のものを選び始める。そして何冊か中身を見てから、それらを抱えていく。だがその本が彼女の腕の中に収まらなかったのか、ちょっとした衝撃で床に落ちてしまった。

 リディスは自分が持っていた本を近くの棚に入れて、遠くまで散らばった本を片手に持って急いで駆け寄る。

「大丈夫ですか?」

 女性は邪魔にならないよう、手で髪を押さえながら丁寧に拾っている。

「ええ、大丈夫です。すみません、お気を使わせてしまい」

 女性と一緒に何冊かその場に散らばった本を拾い、最後に途中で拾った本を手渡した。

「どうもありがとうございます。おかげで助かりました」

 真正面から笑顔でお礼を言われ、リディスは頬を赤らめながら若干視線を逸らす。

「たいしたことはしていませんよ。お気をつけてくださいね」

 視線が合うと、女性はほんの少し目を丸くし、手を口元に軽く添えた。そして間を置いてから手を離す。

「貴女……、最近城にいらっしゃった人ですか?」

「はい、今日の昼頃に。この城の蔵書量を聞いて、是非来たいと言って連れてきて頂きました」

「あら、それは勉強熱心なことで嬉しいですね。ちなみにどこからいらしたのかしら」

「ミスガルム領の北に位置している、シュリッセル町からです」

「シュリッセル町……」

 女性は復唱しながら視線を下にやる。だがすぐに慌てて顔を上げた。

「ごめんなさい、拾って頂いただけでなく立ち話まで」

「いえ、そんなことは」

 美しい人と話ができただけでも、リディスにとっては幸運なことだ。

「私、これから用事がありますので、こちらで失礼させて頂きます。もしよろしかったら、またお会いしませんか? 城の外での話、是非とも聞いてみたいですわ」

「ええ、もちろん、私でよろしければ!」

 思わぬ誘いに、顔に現れる嬉しさを隠さずに返事をする。

「所定の場所はまた連絡します。私はミディラル。貴女は?」

「リディス・ユングリガです。あの連絡するとは言いましたが、どうやってするのですか?」

「独自の方法がありましてね……。ではまた近日中にお会いしましょう」

 笑顔で軽く頭を下げて、女性は本を抱えてすぐ近くにあった通路を抜けて行ってしまった。美しくも気遣いもできる女性と、次回会えるのが非常に楽しみである。

 再び本を探しに戻ろうとしたが、不意に何かが脳内で引っかかった。女性の顔を見て、何か大事なことを忘れているような気がしたのだ。その内容を思い出そうと記憶を辿ろうとしたが、見当が付かない内容ならば、思い出すのは難しい。頭の中はすっきりしないままだったが、思い出すのを諦めて、仕方なく本探しを再開した。 

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