長期依頼編④ 『違和感』
「ブルル……」
「ほぉ~温かいな、お前」
「壮馬も喜んでやすね」
馬の顔を撫でる。生き物の体温を感じる。撫でている手に顔を擦り寄せてくるので、もっと撫でてやる。御者のゴーダさんの言うとおり、喜んでいるように見える。
馬車を引く壮馬の休憩中だ。一日中走らせることはできないので、適宜休憩を入れる。
壮馬。俺が知っている日本の馬よりも、一回り体格がでかい。足の筋肉も太いし、力強さを感じる。尻尾は短いけど。子犬の小さい尻尾のようなサイズ感だ。
……大きいから、地面から壮馬に飛び乗るのは難しいんじゃないかな。まあ、そこらへんも異世界仕様の乗馬セットがあるんだろうが。
「雲ってきやした」
「そうですね……」
空を見上げる。雲が空を覆い、雨でも降りそうな雰囲気になってきた。
馬車は布を張ってあるので、雨の心配はないだろうけど、街道が滑りやすくなるので、事故が怖い。
遠くに見える、ベルンダ街を見る。壁に覆われているのは、どこも一緒なのだろうか。とはいっても、ラグラーガほど堅牢には見えないが。ラグラーガよりも規模が小さいその街に寄ることは、なかった。
盗賊に情報が漏れた、というなら、一度ベルンダ街で停滞して様子を見るのもいいと思ったが……それよりも、早くホスグ山の麓を通り抜けたいのだろう。
別ルートの選択は難しい。街道の分岐点は、大分前に通り過ぎた。今から戻るのは時間的な問題がある。この依頼は、護衛もそうだが、4日で王都まで商品を送り届けることも含まれている。
それに、なんのために護衛を雇っているか、といったら、こういう事態に備えてだろう。退く理由はない。所詮、冒険者崩れや野党が群れた盗賊……なんていう軽視は俺にはできないが、まあ、このまま直進するということは、そういうことなのだ。
本当にきな臭くなってきた。嫌な予感が背中を這い登って脳髄へと知らせている。
だが、戦いにならないかもしれないし、いざ戦いになったとしても、こちらには錚々たるメンバーが揃っているしな……。
「頼むな、色々と」
「ブルル!」
鼻息を荒くする壮馬に言葉の意味が伝わっているとは思えないが、その様子が頼もしく感じる。
ルドクの葉を与えると、むしゃむしゃと食べてくれた。休憩時間は、壮馬と共に過ごした。
______
彼女が何かを唱える度に、服飾の魔石は輝き、周囲の空気が揺れる。魔力が彼女に、力を貸す。
『
何もない空間から、凄まじい勢いで水が発射される。それは線を引き、
また、見張り台の彼女も弓を番える。一本、二本と……真っすぐ。同時に、彼女の碧色の瞳が輝き、獲物を捉える。
『……
金属の弓から、一本、二本、続けざまに速射される。その矢の威力は全力引き絞ったものと変わらない。その速度でもって、
(さて……)
森の魔力が続けて揺らぐ。形……大きい。この魔物は……
「次、
「なんで
俺の報告を聞いて、アルフィーが悪態を吐く。俺にも分からん。
「アルフィー……急いで!」
「分かってる! ラード、あんた、炎魔法使える!?」
「使える。どうすればいい」
「一番右の奴に炎魔法を当てて! 下級でもなんでもいいわ! ナーサは左の2体! 私が残りをやる!」
「「了解」」
アルフィーの指示を実行に移す。もう既に、かなり近距離まで近づかれている。急ぎ、効力がある魔法を唱える。
『
詠唱なしで使える、速攻の炎魔法。火種を飛ばし、命中した敵に着火する。
その魔法を、魔力感知頼りに、森の奥に向かって、発射する。無事、右端の奴に命中したようだ。魔力が激しく揺れた。
「命中した。これでいいのか」
「充分!」
「……」
ナーサが弓を構える。矢を2本番えて、接敵に備える。アルフィーが杖を掲げて、呪文を唱える。
『消えゆく炎の残滓よ 復活の意思を持て 我が力を糧に!』
「ブルルァッ!」
森から、茂みを突き破って一列にならんだ
右端の
『
「……ん!」
矢は放たれた。強大な角に守られた頭を、針の穴に糸を通すかのように射抜いた。左端の2体は生命活動を停止し、その場で崩れ落ちた。
そして、右端の1体。今も身を焦がしながら、走るその個体が走ってきた道がきらっと輝いたと思うと、徐々に火球が生成されていく。そして、野球ボール程度の大きさの火球が20個ほど生成された。
その火球は何かの意思によって、高速で動き始める。そして、こちらに向かっている
「ブモーーッ!?」
質量を持った球が当たったかのような挙動で、バランスを崩して地面に倒れる
やがて、鳴き声が聞こえなくなった。そんな
三人、息をつく。魔力感知に、反応はない。それを伝えるために、二人に向かって手を横に振る。
そして、アルフィーに話しかける。
「何あの魔法……えげつない」
「
「そんなのどこで覚えたんだよ……」
「秘密よ……それより、あの
「……」
「ほんっと、何に巻き込まれてるのかしら、私たち」
「さてな……」
憶測でものを言っても解決しないので、口にしない。だが、不安を吐露したくなる気持ちは分かる。
明らかに、魔物の数が多い。その上、本来魔物に感じられる、生存を優先する意思が感じられない。まるで、何かに操られているかのように。加えて、魔物に似合わない、連携の襲撃。一体一体で攻めるのではなく、一斉に。対処が難しい。
「まあ、頼れる人もいるし……大丈夫だろ」
後方、右翼中央の馬車を見る。そこには、見張り台に立ち、本を片手に森を見据える、あの魔法使いがいる。
髪が長くてぼさぼさで、軟弱な体にゆったりとしたサイズの似合わないコートを着ている、いかにもダメ男って感じの彼だが、その実力は本物だ。
彼は、右翼中央から後方にかけて波のように襲い掛かる魔物を、一人で捌いているのだから。
時には地面を凍らせ、敵を無力化する。時には、雷を落とし一瞬で敵を灰燼に帰す。全ての魔物に対応して見せている。それも、本を読みながら、という。
何読んでるんだよ。あんたの実力よりむしろそっちの方が気になるわ。
伝令役には、馬上を飛び回る獣人を使うとシュードさんは言っていたが、結局彼の、光魔法で宙に文字を書く技で済ましている。その噂の獣人らしき人は、馬車の中で眠りこけていた。あそこの馬車は二人パーティなのだ。本を読み続ける魔法使いと、飛びぬけた身体能力を持つと言われている、ねぼすけ獣人。色物だ。あれがサブリーダーなのだから、分からないものだ、世の中。
「……まあ、腕は確かよね」
「そうそう。いざって時は俺があの人たちに泣きつくから」
「別にかっこよくないわよそれ」
ナーサが馬車を叩いて、警戒の合図を知らせる。俺は話に集中して、警戒を解いていた。油断した。反省だ。
「コボルト、2時方向。3体」
「「了解」」
「んがーぁぁ……」
「ぅ……すぅ……」
セイルとドイルは、揺れる馬車ですら寝ていた。
それを見て、まあ、役割分担だよな、と笑った。
______
「今日はここで野営だ!」
前方の馬車が右に逸れていく。それに合わせて、後続の馬車も右に曲がる。
やがて、広場へと出た。なるほど、野営に相応しい場所だ。
「ドイル。飯を食べたら、また夜番に行こう」
「ああ! もちろんだ」
しかし、体の節々が痛いな、と呟くセイルと対照的に、元気そうなドイル。放っておいたら、いつのまにか起きていた。
そのときだった。
「……くぁ~」
隣に居るはずの、ナーサから天使の声が聞こえた。一瞬聴覚を疑ったが、間違いない。いや、確認しよう。
「え、ナーサ。い、今、欠伸したのか!?」
「うん」
「もう一回頼めるか? 一生のお願いなんだが」
「嫌」
ダメか。ダメだよな。
(俺の一生を費やしても届かない願いだったのだ。つまり、俺は一生ナーサの欠伸している様子が見れないということと同義。絶望。世界とはこんなにも残酷だったのか。俺は、世界を甘く見ていた。きっと、その内……ナーサの欠伸姿が見れると、心のどこかで思っていた。期待していた。しかし、現実は、俺の希望なんて叶えてはくれない。俺は、ナーサの欠伸姿を見るためなら、何を捨てても構わないのに。地位、名誉、財産。全部かなぐり捨てて、それでも足りないなら、明日も捨てる。未来を捨てる。それでも足りないなら、死んでもいい。それほど希っているのに。悲しい。俺の心が磨り減っていくのを感じる。暗い。冥い。世界とは、こんなにも闇に溢れていたのか。俺は、独りだったのだ。孤独だったのだ。ナーサの欠伸姿を見るために戦っていたのは、俺独りだった……)
気分が落ち込む。だめだ。今は砂弄りをしよう。無心になれ。自壊するな。保て。あかん。地面にナーサの尻尾を書いてしまう。今はマントに隠れて見えにくくなってしまった、魅惑的存在。ああ、こんな感じで、ふわふわだったんだよな……。
「……病気ね、あれ」
「ふふっ。ラードは面白い」
「意図的……!? 恐ろしい子ね」
お絵かきを続ける。俺は何をしているのか。これは座禅と同じもの。心を落ち着かせ悟るのだ。
お尻からこんな感じで生えてて……以前は軽装だったんだよな。ホットパンツで。だから尻尾が強調されてた……今の服装は、露出が少ない。肩にはマント、背中は隠れる。胸にプレートアーマーで、緑のフリルがたくさんついてて……袖口とかフリフリなのいいよな。緑と金色が織り交ざった服。スカート、覗かせる足。大き目のブーツ。頭にはピンクの花の簪。おお、可愛いな。そういえば、指貫手袋も材質変わってたな……お姫様系スタイルのナーサ可愛いなぁ……。これもあり。
見上げると、絵のまんまのナーサがそこに顕現していた。
「えっ……本物? 天使かよ……」
「ナーサは昨日からこうでしょ」
「あ、そうだった。ショックで記憶が飛んでた。うわ、めっちゃ可愛い……」
「……」
耳がぴぴぴっと揺れる。恥ずかしがっているのだろうか。
そのとき、両肩をぐっと押される。右肩の方が、力が強い。
「……セイル、ドイル。俺は今ナーサといちゃいちゃしているんだ。邪魔しないでくれ」
「ラード、そんなのはいつでもできるだろう」
「そうだ! 腹が減ったぞ! 作ってくれ、ラード! がはははは!」
「いつでも……? なるほど。お前らと俺では価値観が違うようだな。ふん。俺は優しいから、わざわざ俺の価値観を強要したりはしない。だがな、これだけは言っておく! 俺は、ナーサとの一瞬一瞬が全て、思い出になるんだ! 俺は仲間との交友の記憶を、絶対に忘れたりしない……!!」
「ラード、俺がパーティ誘ったとき、なんて言ったか覚えているか?」
「知るか」
「ダメじゃないか! 仲間との交友の記憶忘れてるよ!」
「がははははは!」
「ナーサとの思い出とお前との思い出の価値はダイアモンドとミジンコぐらいに差があるに決まってるだろ。今でもナーサのことをさん付けしないで呼ぶのにちょっと恥ずかしさや抵抗があるんだからな! 俺はピュアなんだ!」
その時だった。
――――バシッ
お尻を何かで叩かれた。振り返り見ると、目を伏せて口に手を当てたナーサ。そして、ゆらゆらと揺れる尻尾。尻尾で叩かれた……? 嬉しい。
そして、彼女は言う。
「……恥ずかしいからやめて」
「はい!!! めっちゃやめます!!! ご飯作ってきます!!!」
「ラードを動かすには、ナーサに頼めばいいな」
「そうね」
「うむ! 尻に敷かれる男だな! ラードは!」
おい、好き勝手言いやがって。その通りだよ。
馬車に向かって歩く。あそこに食料や調理道具があるのだ。作るものは昨日と変わらない鍋だが、まあ、こんな寒い夜だ。温かいものが食えればいいだろう。
何故だか、後ろから生暖かい視線を感じながら、俺は飯を作る仕事を始めた。
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