22:泉の効果

 閃光。


 聖子から発せられたそれは、聖なる光を含んで円状にその威力を伸ばし、四方に広がった。聖子がいた薬草畑は異常発育を果たし、急激に花をつけ枯れて実をつけ、そして地に落ちまた実っていく。まるで四季を早送りにしたかのように何度かそれを繰り返し、畑が森に変わった。後方にあった森は瑞々しく蘇りさらに大きくなり、畑と混じり合った。


 ハーナの張っていた結界のおかげで大事には至らなかったものの、アダムとハーナは驚きを隠せず只々その様子に目を見張るばかりだった。


 気がつけば、木々の成長が止まり、アダム達がいた場所は森の中の開けた場所となり、泉の水が静かに佇んでいる。


 どれほどそうしていたのだろうか。はっと我に帰ったアダムが、よろよろと立ち上がり、聖子のいた場所へと駆け寄った。


「聖子さん!」


 聖子がいた場所は、そこだけポッカリと穴が空いて草木もない。その中心に小さな黒焦げたイモリの姿があった。


「聖子……さん?」


 うそだ。


 聖子さんが。


 精霊から魔力を与えられてから30センチほどにまで大きくなった体は見る影もなく、10センチもあるかないかくらいの大きさの姿のイモリの黒焼き。


『黒焼きにされたりしないよね?』


 そう言っておどおどしていた姿を思い出す。


「嘘だ……」


 自分で自分を焼いてどうするんですか。アダムはそろそろと聖魔法で回復をかけてみるが、その姿は変わらない。


「聖子さん」


 恐る恐るその体を掬い上げてみれば、カラカラに乾いてそこに命の欠片もないことがわかった。


 掌に乗せることができる小さなイモリの体だけ。あのひんやりとしたツルツルの白い背も、仄かに暖かく感じる柔らかなピンク色の腹も、吸い付くような小さな指の吸盤もカサカサになった炭になって。大きな黒い瞳は閉じられたまま見ることはできない。


「持ってる魔力を全て使ったんだわ」


 跪くアダムの後ろからハーナが静かに声をかけた。


「アダム、グラハムを見て」


 ハーナの言葉に視線を寄せれば、そこには巨大な魔獣の姿になったグラハムの炭焼きが大きな口を開け、今にも炎を吹き出しそうな構えのまま立っていた。聖子の放った聖魔法の閃光で他愛も無く一瞬にして炭になったのか。


「忌々しい…醜い姿で聖子さんを焼き殺そうした人間など……」


 死んで当然だと呟き、さも汚いものを見るようにグラハムを睨んだ。


 ハーナが近づいてツン、と突くとその体は灰となって崩れ、中から人間の姿のグラハムが小さく背を丸めてうずくまった姿で出てきた。


「う、うう……」

「あら、やだ。生きてるじゃないの」


 丸裸ではあるが、かろうじて意識があるようだ。


「の、喉が……」


 喉が渇いた、と這うようにしてあたりを探る。グラハムの目は潰れ、全身火傷をした様子で脱水症状を起こしているのか、それともこちらも魔力を使い果たし死に際なのか。


「殺す?」


 ハーナが何の感情もなくアダムに尋ねた。その声を聞いてもグラハムは手探りで水を探し地面に顔をくっつけている。


「耳も聞こえていないみたいよ」

「放っておいても長くは持たんだろう」


 アダムは全く興味をなくしたかのようにまた視線をイモリの黒焦げた姿に落とした。


「聖子さん」


 手のひらを軽く揺するが、聖子はここにいない。


「聖子さん」


 どうして。アダムが唇を噛み締める。


「私が一瞬でも気を抜かず防御をしていれば、聖子さんはこんなことにはならなかったはずだ……。あの時、きっと聖子さんは私がグラハムに撃たれたと思ったんだ」


 聖子は、看護婦だったと言った。聖女みたいなもので人の命を助けるのが仕事だと。私の役目は聖女を守ることだとあの時言ったのに、私は聖子さんを守りきれなかった。


「私が守るべきだったのに」


 ハーナが眉を下げ、何かを言いかけるが言葉にはせず、アダムを残念そうに見た。


「み、水…」


 グラハムが這いずりながら泉に近づく。地面に体が擦れるたびに、皮がずるりと落ち、血が地面に染み込んでいく。ハーナはそれを見て、グラハムはやっぱりもうダメね、と呟いた。別に助かってほしいとか、可哀想だとか思う気持ちはない。


 だがハーナにとって憎しみも湧いてはいない。何百年と生きているハーナにとって一人の対して関わりのなかった人間の死など、蟻を見ている程にしか感じないのだ。


 それでも。


「あんたが暴走しなければ、聖子は死なずに済んだかもしれないわね」


 ハーナはグラハムのお尻を軽く蹴飛ばした。


 ぐう、とグラハムは声を漏らしたが、それすらもどうでもいいのだろう。喉の渇きを潤すことだけを考えて這いずっていく。すでに痛覚も焼けてしまい、何も感じないようだった。


「惨めなものね。せっかく頭脳も地位もある五体満足の人間に生まれてきたのに、己の分量以上の魔力を欲し、扱いきれない程の富を望み、結局破滅した。竜を欲深だと人間はよく口にするけど、あんたたちの方がよっぽど欲深だわよね。……で、あんた。聞こえないんでしょうけど、その泉の水を飲んだらどうなるかわかってるのかしら?」


 聖結晶が沈んでるって忘れてるわよね。


「あんたみたいな心底黒い奴に聖なる泉がどう反応するか、見てみたいものだわ」


 アダムははっとして、顔を上げた。

 魔獣や闇の属性のものに対して、その効果は真逆に働き、死をもたらす祈りの泉。その効果を増大させた聖子の力は底知れない。


「泉の……聖結晶なら、もしかして」


 アダムは振り返り、グラハムを見た。グラハムは泉に辿り着き、ゆっくりと手を入れようとしている。体を起こすほどの力もなく、震える指を泉に浸した。


「ぎゃあああぁぁぁっ!」


 途端に グラハムの体が跳ね、慌てて指を泉から離す。地面を転がるようにして泉から離れ手首を掴むが、そこから先が溶けて、蒸発していく。


「あ、ぎぃいぁぁ、あ、あぁああっ」


 声にならない声でグラハムが叫んだ。肉体の痛みは感じないほどひどい火傷を負っているのにも関わらず、叫ぶほどの痛みを感じているらしい。


「ああ、やっぱりねえ。あんたは汚らわしすぎて、聖子の作った聖結晶の入った泉の水には触れないのよ、ふふん」


 魂に作用しているってことね、とハーナが楽しそうにいう。


『そりゃあ、そうだわよ。この泉は単なる祈りの泉じゃなくて、聖なる泉なんだもの』


 はっとして 声のする方に目を向けると、そこにはトンボの羽を持った精霊が泉の上を飛んでいた。


精霊セナじゃない!」

『ハーナ、おめでとう。アンタの戒めもようやく解けたのね』

「ふん。ほんと、長かったわよ!それで?余計なお節介をしたのはアンタ?」

『聖子のこと?違うわよ。一介の土地精霊ごときに魂の取引なんかできないもの』

「じゃあ、この可哀想なイモリはどこからきたの?」

『知らないわ。神様に聞いてよ。あたしはただ頼まれたことをしただけだもの。で、アダムの記憶は戻って、アンタの戒めは解かれた。ということは、あたしの役目もそろそろ終わりってことね。アダム!とっととあたしの契約魔法の解除してくれない?』

「ああ、あの子今それどころじゃないのよ……」

『何、ってちょっと、アダム?その掌にあるのって、もしかして……』


 歩み寄ったアダムの顔色の悪さを見て、訝しんだ精霊だったがその掌にある黒焦げ他物体を見て目を見開いた。


「聖子さんだ……セナ、彼女を生き返らせることは」

『無理よ!無理!やだ、ちょっと、神様に怒られちゃうわよ!何やらかしたのよ!?』

「魔力暴走を起こして、溜め込んだ聖魔力を暴発させた」

『だ、だからこの辺の瘴気が全部消え失せたのね……無茶苦茶な…』

「泉の聖結晶なら、出来るかもしれない。聖子さんの作った聖結晶は彼女の魔力の塊のようなものだから」

『そ、それならその体を泉に浸してみないことにはわかんないけど、…で、でも下手したらあの男と同じことになるかもしれないわよ、いいの?』


 精霊セナがチラリと視線を飛ばすと、溶け始めた体はとうとう腕を侵蝕し、肘のあたりまで溶かし始めていた。グラハムはヒィヒィと喚き薬草を、と今度は薬草ばたけに向かって這い出していた。


「なかなか図太いわね……」


 ハーナが呆れたように呟く。


「聖子の作った万能薬を受けて育った薬草よ。あの男にはこの辺一体のものは毒でしかないのに、わからないのかしら」

『そこまで気が回らないんでしょうねぇ。浄化してあげたほうが良くない?』

「そこまで面倒見る必要もないわ」


 ハーナは容赦なく突き放し、アダムはしばしグラハムの様子を見ていたが、興味がないとばかりに聖子に視線を移し、泉の淵にしゃがみ込んだ。


「聖子さん、生き返ってくれ……」


 そういうと、アダムはそっと泉に手を入れ、聖子の体を浮かべた。


 最初は浮かんでいた聖子の体だったが次第にシュワシュワと気泡が立ち聖子の体に纏わり付いた。


「聖子さんを連れてきた神よ。頼む……」


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