第六十七話 それじゃあ、また
「ほらほら。今生の別れってわけじゃないんだし、ぶーたれない」
頬を膨らませるのがいつの間にやらふて腐れる表現の定番となってしまった二人の前で、ボクは手を振った。
樹下は頬を元に戻す代わりに、瞳を輝かせていた。
しまった、ネタを振ってしまった。
「根性の別れ? 押忍、サヨナラっす」
「ど阿呆ぉ、もっと腹に力こめんかいっ! 押忍、サヨナラぁっす!!……って違うからね」
「ノ、ノリツッコミィッ!?」
額に鉢巻き、学ランは少し改造気味。ボクと樹下は多分そういうイメージを膨らましつつ、両手を腰に当て応援団員な腹から出した声で応答していた。
そんな二人の横で猿渡さんが大きめのリアクションを取っていた。あまりの大きめのリアクションに、勢いでノリツッコミをしてしまったのが少し恥ずかしくなってきた。
咳払いを一つ。
「……話を戻して。会おうって気持ちさえあれば、案外簡単に会えるもんなんだよ」
「くしゃみしたら来てくれます?」
「ボクは大魔王ではないから、それは無理だね」
猿渡さんの口調からして意外に真面目に質問している様で、ボクは少し心配になった。
咳払いを、もう一つ。
これではいつまで経っても帰れそうにない。
「今度こそ帰るからね」
ボクはそういって帰る身支度をする。
身支度、といっても今日は何の荷物も持ってきていないので帰るという気持ちの整理をしただけの話だったりする。
先程は頬を膨らましふて腐れていただけの樹下は観念した様に一度頷き、立ち上がった。
「今日まで、ありがとうございました」
そう言って、角度が浅いながらも頭を下げた。
その樹下に続く様に、猿渡さんも立ち上がり同じ程度の傾斜で頭を下げる。
「ネコ共々、お世話になりました」
「こちらこそ、ありがとう」
ボクも返す様に頭を下げた。この言葉と行為が、ボクたちのこの夏の終わりを示している様な気がした。
それから三人は頭を上げて、互いに微笑みながら手を振った。
それじゃあ、また。
異口同音。
何気無く交わされた挨拶。
その約束は、嘘偽り無い様にボクには思えた。
樹下桜音己の部屋を出て、静かにドアを閉めた。
ドアノブをゆっくりと回しがちゃりと鳴った時には、中で椅子に座る音が聞こえた。
部屋の前の廊下には、樹下母が待ち構えていた。
「今日までありがとうございました、新木先生」
「こちらこそ、ありがとうございました」
お互いに礼をする。先程より深い角度で。
頭を上げると、樹下母がいつもの調子で優しく微笑んでいた。
そういえば、樹下母には聞きたい事がある。
「お母さんは、何故ボクが桜音己さんに合うと?」
一瞬何の事かという表情を浮かべたが、ああ、と樹下母は頷いた。
「歳の近い年上の男性だからですよ。桜音己の年齢ぐらいだと、私達親や同い年の幼なじみじゃ開けない世界ってものがあるんですよ。年上過ぎると価値観が違い過ぎるし、同い年だと価値観が似てるので世界が狭くなってしまう」
「それでちょうど家庭教師であるボクが、って事ですか?」
ええ、と樹下母は頷く。
「少し年上、異性、悩み持ち。私も昔桜音己と同じ年頃を経験しましたからね。何となくそうじゃないかと、ね」
誰しもが悩む十代、というところか。先人の言葉は本当にためになる。
「先生には、逆に年下の、それこそ桜音己みたいな年下の異性が合うんじゃないかとも思いました」
「それも聞きたかったんです、何故そう思ったんですか?」
「十代が終わり二十歳ぐらいの男性ってね、大体変な思考の塊だったりプライドの塊だったりを胸に抱えてたりするんですよ。そういうのを打ち砕くのって、達観した同性の助言か、年下の異性からの助言が的確なんですよ」
経験による考察です、と樹下母は胸を張りながら言った。
的確すぎるアドバイザーを前にして、どちらが家庭教師なのかわからなくなってきた。
樹下母が家庭教師になったら適役な気がする。
「私は新木先生の問題についてよくは知りませんでしたが、それでも桜音己との科学反応で良い方向に向かうんじゃないかと思ってましたよ」
科学反応。
樹下桜音己が苦手とする理科の単語が、ボクたちのそれぞれの問題を解決するだなんて。
樹下が聞いたらまたラマーズ法を始めるかもしれないな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます