第十二話 猿と犬

「ちょっと、ヒデちゃんやめなって!」


 少年の後ろから聞こえる少女の制止の声も、今の彼には聞こえてないらしい。


 少年はボクの数歩前まで来ると、仁王立ちで構えた。


「なんで俺たちがネコに会えないのに、アンタは会えてんだよ!?」


 なんでボクが樹下桜音己に会えているのか?


 ええっと、それは。


「……家庭教師、だから?」


 ボクの答えに、少年は眉をひそめる。お気に召さなかったようだ。


「じゃあなんで、ネコは家庭教師なんて頼んでんだよ!?」


 なんだか下手なアンケートか、あるいは前回のあらすじをなぞるかの様だ。


 樹下桜音己が家庭教師を頼んだのは、単純な理由。


「勉強の為だよ」


「アイツは家庭教師なんて呼ばなくたって勉強できるヤツだよ!」


 まぁ、確かにその通りだ。ボクも、昨日その点には疑問を抱いたところだけど。


 それでも、樹下桜音己は家庭教師であるこのボクを呼んだわけだ。家庭教師は復習だけの役割じゃないなんて、昨日反省したっけ。つまり、この先の予習等を教える役割。


 あぁ、そうか。樹下桜音己は、これから先も引きこもるつもりなんだな。


 それを、彼は怒っているんだ。


「だから、ヒデちゃんやめなって。この人が悪いわけじゃないでしょ!」


 そう言って少女は、少年を強引に後ろに引っ張った。


 少年は、うわぁっ、と多少情けない声を上げながら身体が倒れそうになるのを耐えていた。


「ヒデちゃんが失礼な事しちゃって、すいません」


 少女は、深々と頭を下げた。ちょっと大袈裟だなと思ったけど、いや、と言ってボクは首を横に振った。


 樹下桜音己とは対称的に短めの髪、少年と対等なぐらい健康的に褐色にやけた肌。淡い青のTシャツに、少年と同じ学校指定だろう赤いジャージズボン。


 中学生が日頃からジャージ姿なのはわかるけど、彼女ぐらいの年齢でジャージ姿なのも珍しい。ボクの高校生時代には、夏の女子の私服なんてドキドキするぐらい大胆不敵にオシャレだった。


 多分きっと、彼女も少年と同じように運動部に所属しているんだろう。髪がほんの少し茶色く見えるから、水泳部だろうか。


 ものすごく適当な推理だけど。ボクは、探偵ではないのだけど。


 それにしても、樹下桜音己の幼なじみは二人共にえらく対称的だな。それに、今のボクとも対称的だ。


 昨年までのボクは、この二人と同じ褐色肌だった。今年のボクは、嫌になるほど色白だった。


「あの、彼はいぬかいひでおっていいます。犬のように飼われる英雄って書いて犬飼英雄」


 とんでもない他己紹介だ。


 少女の後ろで、未だに倒れそうな身体のバランスを取るのに必死な野球少年が、なんだか可哀想に見えてきた。


 先ほどの勇ましさが、単にやさぐれた態度を取っただけに思えてきた。


「で、私はさわたりみりです。猿が渡る美しい里と書いて猿渡美里」


 犬飼君よりは随分マシな紹介だが、近頃の親のネーミングセンスを疑うような自己紹介だった。人様の親のネーミングセンスをとやかく言えるような我が家ではないが。


 猿渡さんがこちらを見つめたまま、妙な間が空く。ん、どうしたんだろう?


 ああ、今度はボクが名乗る番って事か。


「新木洸、です」


 生憎、ボクには猿渡さんの様な面白自己紹介は持ち合わせていないので、普通に名乗ってみた。


「あらきあらきさん? 変わった名前ですね?」


「あらきあきら! それじゃ、名字を二回言ってるだけだから」


 あらきあらきって、何だか漫才師みたいじゃないか。


「新しい木であらき、光にさんずいであきら。新木、洸です」


 わかりやすく区切って言ってみた。


 こうも連日、名前をネタにされるとは思ってもみなかった。


「これはこれは、度重なる失礼を」


 猿渡美里が、また深々と頭を下げる。


 妙にかしこまり過ぎなんだけど、彼女の個性ってヤツだろうか?


 そうだとすると、アレだ。


 〈さすが、樹下桜音己の幼なじみ〉、だ。


「そんなの気にしないでいいから、ほら、頭上げて」


 ボクの言葉に素直に従ってくれたのか、猿渡は頭を上げた。顔は未だに申し訳無さそうにしている。


 彼女は、犬飼君の保護者みたいな役割なんだろうか。弟のいたずらを謝罪する姉、みたいな。


 とすると、三人組の抑え役ってところか。


 不思議娘の樹下桜音己と、暴走野郎の犬飼英雄を抑える役どころ。気ままなネコと吠えるイヌを抑えるのがサルなのは、なかなかユニークな話だ。本人にとっては、まったくユニークではないと思うが。

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