第九話 今日の感想
迷惑メールじみた事はやめてくれ。
ボクは、そうメールを送信して携帯電話をポケットにしまった。
すっかり一階に到着したエレベーターの中で、携帯電話に集中していたのでは先程のオバサンとの絡みが再現されそうだ。
街は、オレンジ色に染まっている。夕方の五時を過ぎても、まだ大分と明るい。昼間よりはマシとはいえ、夕陽がジリジリと肌を焼くように射す。
さて、これからやることは何だ?
事務所に帰って、明日からの勉強教材を集めなければいけない。そういや、仕事の終了報告とかどうするんだろう?
タイムカードとか無かったしな。帰ってから聞けばいいか。
とにかく、駅まで行きながら考えよう。
来たときにさまよった街並みが、短時間しか経っていないのに懐かしく感じる。これから暫くこの街並みを何度も見ることになる。そう考えると、来るときにした苦労も愛着を持つ為のスパイスみたいなもんだと思えてきた。
暫く歩いていると、う゛ぅう゛ぅ、と携帯電話が振動した。
ボクは取り出し、樹下かと確認したが違った。
山村早恵。
ボクの、彼女からだった。
from:山村早恵
sub:おつかれ
もう終わったかな?
どうだった、初出勤、
初家庭教師は?
どうだった、か。
どうだったんだろう? なんでもかんでも突然過ぎて、とにかくバタバタしてた一日だった。家庭教師ってのが、なんだかよくわからない一日だった。
from:山村早恵
sub:初日だからね
誰だって初めは緊張しちゃうよ。
私だって、初めて洸君とこに行ったときメチャクチャ緊張したもん。
早恵が緊張、ね。
あの日の事は、やっぱりよく覚えてない。サッカーを諦めたボクに、受験に打ち込めと親が無理矢理頼んだ家庭教師だった。
ボクの部屋に、早恵が訪れた時には緊張がピークに達していて、飲み潰れた次の日みたいに記憶は断片的になってしまっていた。
あの時、早恵が緊張していたと言うなら今日のボクの様な有り様だったのだろうか?
いや、早恵に限ってそんなことはない。だから、あの時のボクの様に樹下桜音己が緊張していた、なんてことも無いのだろう。アレが緊張からくる動きだとするなら、そっちの方が驚きだしな。
それから、何通か早恵とメールのやり取りをしてボクは携帯電話をまたポケットにしまった。
駅について、電車を待つ。
先輩家庭教師の早恵から、幾つかアドバイスを貰ったのでそれを反芻する。事務所に帰ってからやることはなかなか多い。樹下桜音己の学習レベルにボク自身がついていけるかも少し心配になってきた。
受験競争に最後の方から追いかけていってどうにかしがみつき、三流大学に入ったボクとしては本当は少しどころかかなり心配だったりする。
樹下桜音己に勉強を教える前に、ボク自身が勉強をしないといけないんじゃないだろうか?
勉強、嫌いなんだよなぁ。
家庭教師の言葉じゃないな、コレ。
電車がホームに入ってくる。通りすぎる風が大分と心地良い温さだった。
大学に入ってから、これほど〈勉強〉について考えた事があっただろうか。そもそも、あの日あの時からこんなに打ち込もうとしてる事があっただろうか。
ああ、それはちょっとだけ大袈裟。というか、怒られそうな考え方だな。
とにかく……頭を使って少し眠くなった。きっと、あれから返信がないのは樹下桜音己も眠くなったんだと変な言い訳が思いついた。
誰に対しての、何の言い訳か? それは眠たい頭には、思いつかなかった。
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