第21話 神は崩れ、御代は潰えん

 「うぉりゃぁぁぁぁ!!」

 「しぃー!」


 プレシアの海は落ち着くことなどなく、荒波同士がぶつかり合っていた。一度の衝突で海が震動し、巨大な波が形成される。海震が生じ、その震動は海底深くまで達する。


 すでに周囲のモンスターは軒並み退散し、二人の人外の戦闘の真っ只中にあるプレシアにもその余波は伝わっていく。いや、伝わっていた、と表現する方が正しいだろう。最初の衝撃の余波で第三、第四砦は消し飛んだ。


 「やるねぇー。さすが剣聖!今代の世界のワールド・処刑人エクスキューターは玉ばかりだ!」


 「よく喋るな、死に体女神!まだまだ俺の速度は上がるぞ!」

 「しかも種族は……原初の炎!はは!原初を継承した存在なんて始めてみたよ!」


 ほざけ、とリドルは大剣でブライトンの首を切断しようとする。それを見越してか、ブライトンは巨大な大樹を自分とリドルの間に生成した。大樹は促成栽培にしては太く、その幹の硬度はありえないほど固い。リドルの大剣が押しとどめられるほどの硬さだ。しかも斬られた箇所から再生し、刃は絡め取られる。抜こうにも樹木に埋もれてしまい、取り出すことは困難だった。


 「クソが……!」

 「おいおい剣聖だろ、君は。じゃぁ、持ってるはずだよね、星剣をさ!」


 刃を失ったリドルめがけてプライトンは厚みのあるつるのムチをしならせる。リドルはスキル『蓮炎』を左手にまとわせ、手刀で応戦しようとするが、どうすることもできずにリドルは弾き飛ばされた。


 苦悶の表情をリドルは浮かべ、『蓮炎』を解除する。通用しないスキルをこれ以上展開する必要性はなかった。続いて新しく剣をアイテムボックスから取り出そうとするが、それより早くプライトンのムチがリドルを天高く弾き飛ばした。


 自分の生命力がどんどん削られていくのを飛ばされながらリドルは感じた。すでに生命力は四割を下回っていて、対して相手の生命力は一割くらいしか削られていない。武装のランクの低さもあったが、前座としてアーレスとかと遊んだのがまずかった、と実感していた。


 だが今更そんなことを気にしても後の祭りか、とリドルは自由落下をしながらほくそ笑む。アイテムボックスから最後の剣を取り出し、落下時の運動エネルギーを乗せてプライトンに数倍の重量の大剣がのしかかった。


 さらにスキル『煬光剣』、『戦乙女の加護ブレス・オブ・ワルキューレ』、『白衣の聖女の加護ブレス・オブ・ナイチンゲール』の3つがその攻撃には上乗せされる。危機感を覚えたプライトンは大樹を複数海中から生成し、防御を試みようとする。現実世界で言えばジャイアントセコイアにも匹敵する太さの幹が一瞬で生成され、ただ防御するばかりではなく、質量の塊となってリドルを襲う。


 「甘いんだよ……!」


 しかしリドルは物怖じすることなく、大樹を溶断していく。切断面が焼き切れ、先のように再生することはない。ズバズバと切り裂くリドルにプライトンは防御は不可能だ、と悟る。


 「だが甘いね、今代の剣聖!」


 防御をやめ、攻撃に転じたプライトンの打つ手は早かった。瞬時に生やした大樹から硬度をそっくりそのままに尖った木の枝を無数に突き出させる。無数の木の枝は先端が尖っており、それが次々とリドルの足に、腕に、身体に、頭に刺さっていく。


 精霊種であるリドルでも頭部へのダメージは大きい。しかもただダメージを受けただけではない。行動阻害ではなく、行動停止。身体が動かなくなった。


 「麻痺か……」

 「ただ突き刺すだけじゃ君は止まらないだろ?その毒は剣聖の君であっても脱するのに一分はかかるよ?その間に君の残りの生命力を削らせてもらうよ」


 「ああ、なるほど?そういや、四聖教の神話じゃプライトンは慈愛の女神だったな。安楽死も慈愛に入るってわけか?」

 「死はイベルングの元へ送られるだけだよ?ふむ、まぁそこは信仰の違いってやつだぁね。――じゃ、さよなら」


 プライトンの手に樹木の剣が形成される。ランクは神話級、神の手から創られた剣は神話級武器の中でも上位にあたる。ましてレイドボス扱いの神が振るうのだから、その威力はただの一振りで海を割り、大地を沈ませるだろう。

 弱々しい左手でプライトンは樹木の剣を握ると、リドルに向かって突き刺そうとした。


 「撃ち方、初めぇ!」


 直後、無数の砲弾がスプリンゲルめがけて浴びせかけられる。砲弾はすべてプライトンの光の壁によって防がれたが、砲撃の目標はスプリンゲルではない。無数の砲弾は樹木を爆破し、捉えられていたリドルを救い出した。


 海に投げ出されたリドルは荒ぶる海流が抱き上げ、プレシアへと送り届ける。


 爆煙が晴れ、プライトンが見たのは自分へと砲口を向ける無数の魔導砲、鋼の軍艦、一頭の巨大な蛇、両刀を持ったサムライ風の亀人種オールドチェレパーカ。居並ぶ兵士全員が闘志をその身に宿しており、彼らはプライトンを憎悪の目で見ていた。


 「いい、いいよ。五年前、信徒をそそのかしてヤシュニナを攻めよう、と思った甲斐があったというものさ。人の可能性、人の道、人の正しさを存分に見せてくれる。そう君らは常にボクらを敵視すべきなんだ。ボクらの時代を超え、ボクらへの畏敬を捨てるべきなのさ!」


 「言いたいことはそれだけか?我もそろそろ」


 「もっと言いたい気分だよ、水龍。だが同時にボクは君らの力を見てみたくもある。だから始めよう!ボクを倒せば祖国は助かるぞ、ヤシュニナの精兵共」


 お望み通りにしてやる、と水龍もといヴェーザーはプレシアとヴェサリウス級に一斉砲撃を指示する。無数とも言える砲弾がプライトンを襲った。プライトンの光の壁はプレシア側の砲撃は防いだが、ヴェサリウスの砲撃は防ぐことができなかった。自分の壁を貫いた砲撃の威力にプライトンは驚きよりも歓喜の感情が勝り、恍惚とした表情を浮かべた。


 自分の光の壁を破る兵器を量産化するなど、これほど喜ばしいことはない。人が自分達の領域に少しずつ近づいてきている、道を邪魔するものとして喜ばしいことだ。人が、ニンゲンが自分達に屈せずその真なる道を目指す、これこそ我々が望んでいた。


 「再装填の後、再度砲撃を敢行。ただし、砲撃の際にインターバルを設けろ。奴を釘付けにする」


 「ゥラアアア!」


 「――再装填の間のスキを埋めるぞ、クズネツォフ」

 「わかりもうしたぞ、ヴェーザー大将軍」


 ヴェーザーに促され、クズネツォフはその老齢な外見に反した機敏な動きでプライトンへ両刀を突き立てる。扱う難易度が高い武器をいともたやすく扱い、正確にプライトンのツタを切断していく様は彼の練度を物語っていた。


 しかも、プライトンが警戒すべきはクズネツォフだけではない。


 迫りくるクズネツォフの両刀を回避しようとした時、何かがプライトンの足を掴んだ。ぎょっとして彼女が足元へと視線をやると、小規模の水流が自身の足の動きを妨げるかのようにまとわりついている。


 「ほれほれほれ!どうしたよ、神様!そんなもんかえ?」

 「おじいちゃんは元気な姿よりもやつれた姿がお似合いさ!」


 プライトンの繰り出すツタのムチを切断しながら、クズネツォフは外見に似つかわしくない、ヒヒザルのような下卑た笑い声を発する。まるで遊んでいるかのようだな、と率直にプライトンは思った。


 クズネツォフが退くのと同時に再び砲撃が浴びせかけられる。避けようとするが、行く手を竜巻が防いでいた。容赦のない波状攻撃がプライトンへと浴びせかけられる。


 「今のうちじゃ、クズネツォフに支援魔術、それから爆風が晴れると同時にミスリルの矢を射掛けよ。壁で防がれるだろうが、時間稼ぎはできようて」


 「ヴェーザー大将軍、リドル司令の生命力七割まで回復しました」

 「ようし、引き続き報告をせよ。――来るぞ、弩弓隊、射ぇ!」


 フルで自分達の残された戦力を使い、ヴェーザー達は必死に応戦する。砲撃一つ一つのダメージは小さく、クズネツォフの攻撃も微々たるダメージしか与えられない。


 今もようやく5パーセントほど生命力が削れたくらいだ。一人であのレイドボスの生命力を一割も削るとは、と『生命力測定』でプライトンの生命力残量を見たヴェーザーは内心呆れていた。


 しかも武器も予備であったのにもかかわらずだ。その実力は知っていたが、改めて見ると化け物以外の何ものでもない。味方であって心底良かった、と思える。


 愚痴を言えば、あの時プレシアから本国に帰還せずにいてくれればなー、とは思ったが軍司令の肩書を考えると、そうも言ってられないのだろう、とヴェーザーはうなずいた。


 「やるなぁ、ニンゲン!じゃぁ、そろそろボクも真の姿ってのを見せてやるかなぁ!」


 「まず……。攻撃パターンが変わるぞ!弩弓隊は船の中に戻せ、砲兵隊は引き続き、やつに照準続けよ!」


 生命力をちょうど残り七割まで削ったところ、突如プライトンの身体が光出す。ボスモンスターに有りがちな形態変化、本気モードというやつだ。ヴェーザーとクズネツォフは自らもプライトンから一定の距離を保ち、相手の初手を見極めようとする。


 やがて、彼女の背中の卵巣が大きく肥大化した。熟れたザクロのようにぶくぶくに肥大化した卵巣はどろりと中の巨大な卵子を吐き出し、海上に漂わせる。その卵子一つ一つがブルリと揺れ、中から無数の樹木や草花が生成された。それはもう森であり、海底まで根を届かせる巨大な生命体だった。


 森の中からは無数の腕、足、胸部、女の顔、尻部、と女性のパーツが現れ、それらはすべて花か木のどちらかで形作られていた。吐き気を催す邪悪な森、という印象が浮かび、ヤシュニナ兵の何人かは実際に吐き出してしまった。桃源郷もすぎれば毒と変わりない、という事実をまざまざと見せつけるプライトンは森の奥で盛大に愉悦と淫楽におぼれていた。


 「君らはボクがすごい!と思ったニンゲンだからね。これくらいのサービスはしてあげないと。さぁ、ボクの森を突破してみてくれよ、ニンゲン!」


 一方ヴェーザーらはどう対処したものか、と悩んでいた。あの樹木一つ一つを切り裂き、どのようにしてプライトンの元まで行くことができる?ためしに砲撃を敢行したが、すぐさま森は再生してしまった。


 圧倒的に火力が不足していた。ヴェーザーは言うに及ばずクズネツォフもあまり火力に特化したビルド構成はしていない。打つ手がないな、とクズネツォフは舌打ちをした。


 だが、そこでただ悩むばかりでは軍事国家であるヤシュニナの大将軍などやっていられなかった。


 「いや、待て。まだ手はあるぞ?」

 「ヴェーザー大将軍、リドル司令ですか?まだ完全に回復していませんよ?」


 「違うわ、たわけ。我の魔術で底の根を斬るのよ。あれが植物だと言うのなら、根が切れれば再生能力は落ちるはずじゃ」


 思わぬヴェーザーからの提案にクズネツォフはおお、と感嘆の息をもらした。やってみる価値は大いにある。ヴェーザーの魔術は海流操作であり、海の中に特大のうねりを作り出すことなど容易いことだった。


 森の面積は広大だが、ギリギリ手が届かないほどではない。ヴェーザーは海中へと意識を集中させ、深層からいくつもの竜巻を形成していく。


 「すべては斬り伏せれぬ、森の中心への道を切り開くくらいsh」


 「あ、ちょっと待って下さい。であれば、私だけでなくヴェサリウス級も森の中に浸透させましょう。ヴェサリウス級の火力であればあの光の壁を貫通できるのですから」


 「ふむ……。であれば我の魔力を相当量消費せねばならんな……。まぁよいか」


 クズネツォフの進言を受け入れ、ヴェーザーはうねりの規模を肥大化させる。体内の魔力が速いペースで減っていくのを感じつつも、ヴェーザーは一気にためこんだ海のうねりを天高く開放した。


 ブチブチと木の根がちぎれていく音が海底から聞こえ出し、やがて海面に渦潮が現れ、その上の樹木を海底深くへと誘っていった。僅かに開いたスキをつき、プレシアからの無数の砲弾が樹木を砲撃していく。根が切れた樹木は再生能力を失い、爆雷の中燃えていく。樹木の間に穴が開いた。

 

 「今よ、北洋艦隊進めぇ!」


 ヴェーザーの号令に従い、ヴェサリウス級は開いた穴へと突貫していく。前方へ耐えず砲撃を繰り返し、力技で再生しようとする両脇の樹木を焼き尽くしていく。だが、樹木もただ黙って通そうとするわけもない。


 無数の腕や手が木々の合間からあるいは木々そのものから現れる。船体を捉えようと、あるいは沈没させようとする森の脅威を北洋艦隊は打ち払っていった。


 「魔導砲は断続的に放て!一度に撃っては樹木の攻撃を防ぎきれん!」

 「クズネツォフ将軍!三番艦クルムスが……!」

 「四番艦の主砲で撃ち払え!――一番艦主砲、正面を撃て!」


 トラブルは大いにある。ヴェサリウス級五隻が縦一列に並んでいるため、どうにか穴は維持できているが、受けるダメージは尋常ではない。船体に樹木が絡み、身動きが取れなくなるのはもちろんのこと、砲身にまで無数の樹木が侵食してくる。


 だが、各艦の検討も相まって、どうにか五隻のヴェサリウス級は無限再生する樹木の最奥部、プライトンの元までたどり着くことに成功した。


 「頑張ったね、ニンゲン共。さぁ神様がご褒美をあげよう。何が欲しい?聖剣?金銀財宝?珍しい植物?」


 満身創痍、といった印象を抱かせる北洋艦隊の面々をあざ笑いながら、プライトンは無数の大樹を自身の足元から形成した。


 彼女が立つのは巨大な森の中央にぽっかりと空いた小さな島。すべてが大樹でできた島に、少女一人が裸体のまま立っていた。


 「撃てぇ!」

 島を取り囲むように配置されたヴェサリウス級がプライトン目掛けて火を吹いた。側面の砲すべてが一斉に掃射され、容赦なく島を焼き尽くす。


 だが、


 「甘い、甘いなぁ。ボクにダメージを与えるだけじゃまだまだだよ、ニンゲン。ボクを倒せるようにならなくちゃ」


 放ったすべての砲弾からプライトンを守るように島の樹木が彼女を繭のように覆い隠す。そればかりではない、ゴゴゴ、という音が海底から聞こえてくるのを北洋艦隊の面々は聞いた。


 「ちょうどいい頃合いだ。そろそろ見せてあげるよ、ボクのの真なる姿ってやつをさ!」

 「な……!」


 刹那、世界が揺れた、巨大な重圧が身体にのしかかり、船員達は船体に叩きつけられる。見上げると、雲が近く、空の色が青くなっていった。意味がわからない、と各船員は頭を悩ませる。


 「馬鹿な……!そんなのアリか?」


 対して、海面でその光景を見たヴェーザーは信じられない、と目を丸くする。突如として海面が揺れたと思えば、広大な森が天高く上昇していくではないか。いや、上昇しているのではない、成長しているのだ。


 今の今まで存在していた森は、世界樹とも形容すべき巨大過ぎる大樹の先端に過ぎない。もはやダンジョン一つとくらべても遜色のない大きさの大樹を前にして、ヴェーザーは驚きを隠せなかった。


 これが四聖教の女神の実力、人知の及ばぬ領域か、とヴェーザーは大樹のてっぺんを睨みつけた。どれほどの能力があるのかは見当もつかないが、初期形態で見せた攻撃だけでも十分に脅威足り得る。あの大樹の幹のあちこちからつるのムチなりが出てきたら、プレシアにこもって餓死するくらいしか選択肢がない。


 海流でもってねじ切れないかとも思ったが、自分もすでに魔力が突きかけていた。万全の状態であっても、とヴェーザーは己の無力を恥じる。


 「終わりか……。あっけないものよな……」

 「いや、まだやりようはあるぞ?」


 肩を――そもそも肩なんてないけど――落とすヴェーザーに背後からやや大人びた声が聞こえた。振り返ると、さっきまでさんざんプライトンに弄ばれていたお坊ちゃんがいるではないか。


 生命力は万全に回復したようで、彼の肌色はすこぶる良い。手には龍鱗ノ太刀が握られており、また銀色の篭手を付けていた。


 「どう、すると?」

 「全長八百メートルってところか……?面積だけなら、プレシアまるまる4つ分はある、か?」


 「どうするというのですかな、リドル司令!」

 「――登るか……」


 は、とヴェーザーは耳を疑った。今この男何を言った?登ると言ったか?馬鹿も休み休み言ってほしい。あんなもの登ろうとしたら確実に敵の反撃に合うだろうが、とヴェーザーはリドルにがなりたてた。


 しかしリドルは平静としたもので、すでに助走の準備をしていた。


 刹那、リドルの姿がヴェーザーの視界から消えた。慌てて周囲へと彼女が視線を向ける中気づいたときにはリドルは『天軀』ではるか高くへと翔け上っていた。見れば翔け上がっていく最中無数のつるや、樹木の龍、花の女などが彼の足止めを試みるが、そのすべてをリドルは無視してひたすら頂上へと歩を進めていった。時折彼に斬られた龍やつるが海面へと落下し、水しぶきが起きる。ヴェーザーも、プレシアの兵士達もただただその光景を見ていることしかできなかった。ああも楽々と上へ登られてはこちらの威厳も形無しだ。


 「クソ、多いな……。しか……うぉ!」


 しかし当の本人にとっては決して楽な作業ではなく、見えない部分で着実にダメージが蓄積していた。単純な物理攻撃や魔法攻撃はさばくことができるが、時折樹木の龍や花の女が噴出する毒霧や麻痺毒が身体を蝕んでいく。登り始めた時は満タンだった生命力が登り終えるころには三割も減少しており、引き続きデバフは継続的に身体を蝕んでいた。


 パッと見る限りは最も高いレベル5の蝕毒、レベル2の麻痺、種に生命力を吸われる『杯樹』を始めとした6つのデバフが間断なく生命力やステータスを犯してくる。登り始めてから耐毒、耐麻痺など基本的な対デバフ用のスキルを発動させているにも関わらず、かなり大きくハンデを背負ったな、とリドルは回復用ポーションを飲みながら愚痴った。


 周囲を見渡すと前方にはさっきまでと同じ龍や女、腕に足ととりとめのない化け物達が、後ろは一面の青空が広がっており、逃げ場はどこにもない。危機的状況にもかかわらず、リドルの口元には笑みがあった。リドルはスキル『あけぼの』を発動させ、まっすぐ樹海へと突貫していった。


 発動中常にダメージを受ける代わりに自分のバッドステータスや押し寄せてくる攻撃から身を守る『曙』は『剣聖』の固有スキルの一つだ。圧倒的性能な分のデメリットは大きく、リドルの生命力はじわりじわりと削られていく。


 しかし、おかげで寄ってくる邪魔者の攻撃も無効化され、リドルはわずか数分で樹海の最奥部へとたどり着いた。


 「な……マジかよ」


 そこでリドルは唖然とする。彼の目の前には干されたヴェサリウス級がぶら下がっていた。全身にツタや樹木がまとわりつき、水から引き上げられているヴェサリウス級は動くことができず、ただ振り子のように揺れるしかなかった。


 船員の安全を確かめるためにリドルが『生命力測定』を使うと、かすかだが反応があり、生きていることが伺える。しかし、地面が横から縦になったに等しい状況ではさしたる戦力にはならないだろう。


 「お、リドル司令。お早いご到着で」

 「クズネツォフ将軍。無事だったか」

 「ええ、どうにか。ただ、船は見ての通りで……」


 たしかにな、とリドルは樹木の影に隠れていたクズネツォフに同意した。見ると、クズネツォフ自身もかなりダメージを食らっているようで、衣服や肌にいくつもの腫れた痕がある。


 きっと自分がたどり着くまで必死になってプライトンと戦っていたのだろう、とリドルは思った。


 「で、いかがします。やつの生命力はどうにか四割まで削りました。しかし如何せんヴェサリウスを干され、決め手にかけておりまして……」


 「俺もちょっとな。ここにくるまでに生命力を半分くらい削られたよ」


 「支援特化の術士が船にはおります。そのものらにバフを付けてもらい、望むしかないでしょうな」

 「……なるほどな。野郎の意識は俺に向いているだろうからな」


 助かる、とリドルはクズネツォフの肩を叩いた。そしてリドルは自らのスキルによるステータスの上乗せに加え、支援魔術を得意とする魔術師達からのバフを一心に受けた。ステータスは平時の数倍に跳ね上がり、自分自身の身体から魂が抜き出るような感覚をリドルは覚える。すべての支援魔術を掛け終え、リドルは再度プライトンと対峙した。


 「ふふ、やぁ『剣聖』。さっきぶりだね」

 「お喋りするつもりはないんだがな……」


 「そうだろうさ。それに君はボクの信者じゃないから、無理にボクの話を聞く必要はない。ボクがk……」


 プライトンが言葉を終えるよりも早く、リドルは『韋駄天』を使い彼の懐に潜り込んだ。出遅れたプライトンは左手を突き出すが、リドルは容赦なくその細腕を切り飛ばした。


 切断面から緑色の液体がこぼれ落ち、プライトンは痛みでそのきれいな顔を歪ませた。


 リドルはもう片方の腕も切り飛ばそうと迫るが、同じ轍は踏まない、とばかりにプライトンは両者の間に巨大な大樹を生成した。いきなり現れた大樹だが、リドルは驚く様子もなく無反応のまま大振りで切断する。


 大振りのスキをついてプライトンは先端が尖った木の枝をリドル目掛けて突き刺した。リドルはすぐに反応し、迫りくる枝を切り捨て、避ける。まるでどこに来るかがわかっているかのような行動、リドルの卓越したプレイヤースキルあっての賜物だ。


 「やるじゃないか!だが、これはどうだい?」


 リドル目掛けて巨大な拳が振り下ろされる。それは樹海の中の樹木が連なり合って形成された拳であり、大質量となってリドルのを叩き伏せた。バフがついた状態でも彼の生命力を残り三割になるまで削り、その威力のほどが窺い知れる。


 「次はこうさ!」


 続けてプライトンは拳を大きく開かせ、巨大な手の平から無数の樹木の手を形成した。


 「グッバイ、『剣聖』!」


 その腕一つ一つは熾天使が何度も連発した光線は指先一つずつから無限に掃射する。これぞプライトン最大の攻撃、と誰しもが思うほどの絶大な威力のソレはリドルが立っていた島を吹き飛ばし、海面まで到達する。大樹に風穴が開き、吹き抜ける風の心地よさにプライトンは甘露、甘露と笑みを浮かべた。


 「これで……」

 「甘いな、女神様!」

 「いい!いいよ!流石だよ、『剣聖』!」


 だが、リドルはどうにかして光線を回避し、気づかぬままプライトンの前に現れていた。どうやって光線を回避したのかはわからない、しかし回避したという事実がそこにはあった。


 喜びを隠せないプライトンの顔面にリドルは容赦なく、自らの刃を突き刺す。頭部にダメージを受け、プライトンの生命力が目まぐるしく減少した。彼女の動きが止まったのを確認して、リドルはその身体を近くの樹木へ叩きつけた。


 生命力はまだ三割も残っており、今ここで削りきらなければ勝利はない。無数の斬撃がプライトンへと襲いかかった。必死に再生しようとするプライトンの身体にリドルは慈悲のない連撃を刻み続ける。


 その余波で樹海は割かれ、大樹は大きく震えた。『剣聖』たるリドルの渾身の連撃は徐々にプライトンの生命力を削っていく。だが、


 一手足りなかった。


 残り生命力数ドット、というところでプライトンは意識を取り戻し、その腹部から気色の悪い樹木を生やし、リドルを串刺しにした。


 「惜しかった、か……」

 「ああ、残念だよ、『剣聖』。ボクをもう少しで殺せたのにさぁ」


 喜びを隠しきれない、とプライトンの目が語っていた。彼女の放った突きはリドルの生命力を一気に減少させ、継続ダメージと共にリドルに敗北を突きつけた。しかし、恍惚とした笑みを浮かべるプライトンはどこかもの悲しげにも見えた。


 せっかく自分を打倒できる兵器を手に入れた人類への哀れみか、あるいは落胆だろうか。様々な感情を想像できる表情で、プライトンは串刺しにされたリドルを見ていた。


 「下の連中じゃぁボクには勝てないだろうし、もう色々見納めかな。生命力が回復したら君らの祖国を襲うのも一興かもね」

 「そりゃ……骨の折れそうなことを……」


 「まぁ、ボクらは基本的に暇だからね。どうしても遊戯は必要なのさ。

 「じゃぁ、残念だったな……。そろそろおかえりさ」

 「……どゆこと?」


 ニヤリ、とリドルは笑う。その笑みにプライトンは悪寒を覚えた。すぐに彼女は無数の木の幹を大樹の余った部分から手繰り寄せ、自分を守らせようとする。だが、それよりも早く、一本の太刀がプライトンの頭蓋に突き刺さった。残り数ドットのプライトンの生命力は全損し、彼女は驚いた目で自分の背後へと視線を向けた。


 「よくやった……クズネツォフ将軍」


 「お褒め頂き光栄ですよ、リドル司令。やはり眼中になければ見落とすのは必然でしたな」


 「ま、あとはクズネツォフ将軍の技量にも依るだろうさ……」


 のんきな二人の会話にまじろうと、プライトンは発声しようとする。だが、声は出ない。プライトンの身体は崩れ去っていくから。もとよりアーレスの身体を奪い取る形で顕現しているプライトンは生命力という縛りが課せられている。そもそも正規のレイドボスでないプライトンには断末魔の時の猶予も残されていないのだ。

 

 「《だが、それでもいいのかもな》」


 なにはどうあれ、ニンゲンは神の一柱をついに己の知恵と努力で下した。


 「《きっと、北の大地のあの子も下すだろうね。プレイヤーというのはまさしく劇薬だ。受け入れた甲斐があった、というものさ》」


 かくして、慈愛の女神プライトンはその意志を天上へと返していく。ニンゲンは踏破した。神の試練を乗り越え、自らの道を守り通した。


 そしてそれは、新たなる時代の幕開けでもあった。


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