第20話 魔術とはこういうものだよ!

 ヤシュニナ国務省の自然庭園から土煙が上がった。ガラガラと天井から瓦礫がこぼれ落ち、地表へと落下していった。美しかった自然庭園は見るも無残な姿となり、庭園を囲っていたガラスはものの見事に四散していた。


 その張本人である氣の天使、ザウアーシュトッフは振り下ろした腕をゆっくりと後退させると、腕を振り下ろした地点を凝視している。不思議そうに小首をかしげ、パタパタと地面を叩いた。


 「零落するは王、すなわち廃滅なり」


 そんな無防備なザウアーシュトッフに炎の玉が飛ぶ。だが、炎の玉はザウアーシュトッフを守る光の壁に衝突し打ち消された。やや遅れてザウアーシュトッフは炎の玉が飛んできた方向へと視線を向けた。


 「やってくれるじゃないか。俺の城をぶち壊してくれやがって!一体いくら修復費払わにゃならねーと思ってんだよ!」


 視界の先、ぽっかりと空いた穴のさらに上、上空に立っていたのは玉虫色のポニーテールをなびかせる少年は冷たい目でザウアーシュトッフを見ていた。


 周囲を黄金のワンド、常に自壊と再生を繰り返すゴブレット、逆さになっているのに駒が落ちない赤と黒のマスのチェスボード、そしていくつかの孔が開いたソードが回っており、手には中身のないガラス玉をはめ込んだ杖を握っていた。


 服装はほとんど変わっていないが、頭に黒のとんがり帽子をかぶっており、それが彼の異質な装備と相まって、シドは魔術師らしい格好になっていた。


 「あれは……魔術礼装か?」


 その姿をザウアーシュトッフに隠れるようにして目にしたヘルマンはポツリと呟いた。


 魔術礼装、それは魔術を体系づけたニンゲンのみが使う、独自の装備だ。大抵の術士職ならば杖一本で事足りるであろうところを、自分の魔術体系の補助のために独自で造る装備なのだが、造るのに非常に時間がかかるし、できても性能がマチマチなので好んで使う物好きはソレイユ広しと言えど、一握りしかいない。


 オブラートに包めば使うニンゲンを選ぶ武器であり装置だ。実際、礼装一つ一つは個人用に調整されているため、他人が個人の礼装を使えることなどほとんどない。


 シドの魔術礼装も彼個人用に調整されていて、彼の魔術体系を補助する目的で造られたものだ。


 「《零落するは復興、すなわち徒労なり》」


 シドの詠唱に反応して、盃から透き通った水が生成される。それは巨大な水柱を形成し、全長は百メートルを超えた。


 「《零落するは密度、すなわち伽藍なり》」


 続けざまにシドは強烈な旋風を水柱めがけて巻き起こす。水柱は巨大な水流となり、勢い良くザウアーシュトッフに叩きつけられた。光の壁が防ごうとするが、しばらくせめぎ合うと壁は砕け散り、暴威を象徴する水流がザウアーシュトッフを飲み込んだ。水流の中に閉じ込められたザウアーシュトッフはそのまま空中へと巻き上げられ、水流が切れると一気に地上に落下してきた。


 しかし、水流の攻撃で削れたザウアーシュトッフのダメージは微々たるものでしかない。『生命力測定』でそれを見たシドは軽く舌打ちした。攻撃力があまりない彼にとってさっきの水流はかなり上位に位置する攻撃法だった。


 だが、ただ悔しがっているだけでもない。


 すぐさまシドは新たな魔術を行使しようと詠唱しようとする。彼の周囲の魔術礼装が淡い光を発し、彼の魔力と呼応する。


 刹那、シドの正面で半透明の障壁と鋼の剣が交錯した。自動で防御障壁を展開する機能右手の杖に仕込んでおいた結果だ。剣を持つのは全身を幻想級の武具で包んだヘルマンで、彼の顔からは感情がなくなり歴戦の勇士の顔になっていた。


 「邪魔だよ、お前。《零落するは星、すなわち天運なり》」


 シドは障壁と鍔迫り合いを続けるヘルマンの腹に強烈な爆発をお見舞いする。爆破の衝撃でヘルマンは一瞬のけぞるが、すぐさま反撃してきた。障壁は割れ、その剛力から繰り出される一撃がシドの肩をかすめた。ナニクソ、とシドは目くらましのためにさっきの爆発を細かく刻んだ魔術で、爆風を作り出す。


 「《零落するは濃度、すなわち希薄なり》」


 距離を取ったシドが放ったのは風を束ねた突きの一撃。風の突きはヘルマンの肩を貫き、国務省の屋上をえぐった。


 「つ……!やるな。さすがは魔術師ウィザード。魔術戦とくればシドを置いて他にない、と言われるだけある。多彩なことだ」


 「そりゃどうも。でも多彩さで勝てるほど戦いって楽じゃないんだよね。《零落するは星、すなわち天運なり》」


 シドのはなった爆発を回避し、ヘルマンは『天軀』を駆使して彼との距離を詰めようとする。元来、術士職は接近戦に弱い。筋力が戦士職に劣るのはもとより、ステータスが魔術か耐久に振られている傾向があるので、近づかれては何もすることができないのだ。


 「だからあんま近づくなよ。俺の領域で戦えよ!《零落するは王、すなわち廃滅なり》」


 「危なっ!上品な顔に似合わないな。火遊びはもっと年を重ねてからやるもんだぞ?」


 「《零落するは戦場、すなわち荒野なり》。俺はお前よりも年上だぞ?パブでもおっぱいクラブでもソープランドでもどこでも行けるんじゃい!」


 突如として円柱状に隆起した屋上の一部をかわしながら、ヘルマンは再度シドの障壁に剣を突きつける。


 「破らせるかよ。破られたら調整するのがプロってもんだろ!」

 「そうか。じゃぁ、こういう趣向はどうだい?」

 「やば……!」


 突如、ヘルマンの背後から彼を避ける形で6つの光線が降り注ぐ。ギリギリでシドは転移をして光線を回避することができたが、おかげで国務省の屋上はおろか最上階以下三階ほどが無残にも焼けただれていた。


 光線を放ったザウアーシュトッフは喜んでいるような奇声をあげる。不気味なその声にシドはちょっとだけ癇にさわるものがあった。


 「《零落するは星、すなわち天運なり》」


 頭を狙って放たれた魔術はものの見事にザウアーシュトッフの顔を爆発させる。爆炎が晴れ、目の1つ2つは潰れたようだが、まだ倒し切るには足りなかった。


 「クソ、さっさとくたばれや、《れいら……うお!」

 「おいおい、こっちを忘れるなよ、悲しいじゃないか」

 不意をついての速度の突きはシドの障壁にヒビを入れる。獰猛な笑みを浮かべるヘルマンにシドは笑みで返した。


 「さっき話してる時はお前に恐怖を感じたもんだが、今はどうした?恐怖を感じないぞ?」


 「なんのことだよ?こんな美少女に恐怖を感じるとかさてはお前美女きr……どうどうどうどう!」


 「ああ?だまれよ、整形野郎!それにお前は女じゃなくて男だろう……が!」


 スキル『神聖剣』を乗せた一撃はシドの障壁を砕き、彼をザウアーシュトッフの足元まで吹き飛ばす。転がってきたシドめがけてザウアーシュトッフの容赦のない連撃が加えられた。一撃一撃はシドの生命力を削るのに申し分なく、どんどんとシドの生命力は削られていった。


 だが、ずっと打たれるがままのシドでもなく、どうにか爆発を起こして、距離を取ろうとする。途中で障壁を再構築し、ダメージの抑制に努めたが、生命力はすでに半分を切っていた。


 熾天使一体であればまだ戦えた。だが、横槍をちょくちょく入れてくるヘルマンが非常に厄介だった。自分が苦手としている近接戦闘に長け、なおかつ熾天使の援護付きなんて悪い冗談だ。


 ただでさえ近接戦となれば眼前の敵に意識が割かれるのだから。


 「一旦、引くか?」


 転移でとりあえず身を隠し、回復用ポーションで生命力を回復した後、再度相手とまみえる……。いやだめだな、とシドは首を横に降った。そんなことをしている間に相手もダメージを回復する。それに魔力はまだ七割も残っているとはいえ、転移なんかのために消費するのは勿体なかった。


 それに、


 「それは俺が許さないだろうよ!」


 今全力で特攻してきているヘルマンが許してくれるわけもない。

 「《零落するは自由、すなわち呪縛なり》」


 とっさにシドは拘束用の魔術を使う。例によって屋上の一部がつるのムチのよにしなり、天空へと伸びてヘルマンの両手両足を拘束した。


 すぐに壊されるだろうが足止めくらいにはなるか、とシドは考え未だに光線とパンチしかしないザウアーシュトッフめがけて無数の攻撃を撃ち出す。


 閃光、炎の渦、爆雷、水流、嵐、岩の一撃、溶岩、と無数の魔術攻撃がザウアーシュトッフに炸裂した。一つ一つの威力は弱くとも徐々にザウアーシュトッフの生命力は削られていっている。魔力の消費も尋常ではないが、許容範囲だ。最悪残り一割以下まで魔力が削られてもいっこうにかまわない。


 それでやっかいなスキルを持っているであろう、ザウアーシュトッフを倒せるのなら安い買い物だ。


 だが……世の中そう簡単にいくほど優しくもなかった。ザウアーシュトッフの生命力が半分となった直後、苦悶の雄叫びと共にザウアーシュトッフの三対の翼が黄金の輝きを示した。


 なんだ、とシドが思うよりも早く、その正体は露わになった。


 突如、耳鳴りをシドは感じた。耳の奥をキーンと鳴る不吉で嫌な音だ。しかし彼がその正体を探ろうとするよりも早く、彼は息苦しさを覚えた。まるで体中の酸素がすべて消えてしまったかのような、ひどく苦しい感覚。


 「(酸欠……?)」


 本来妖精種あるいは精霊種は空気がなくとも生きることができる。彼らは精神生命体であり、ただ魂が存在していれば生きていける、という設定だからだ。しかし、擬態を使っているとなると話は変わってくる。


 仮初でも肉体を持っている以上、機能はそれに準じたものとなってしまう。目の機能を得るためには構造を真似、触感を得るために肌感覚の構造を真似るからだ。


 シドも例外ではない。彼自身今の身体を再現するために変質で肉の身体を再現していた。しかも彼の場合、変質系スキルの最上位である、『偶像化アイドル』を取得しており、再現度は本物と寸分の違いがない。いや本物以上と言ってもいいだろう。


 ゆえに苦しみは尋常ではなくなっている。肉体の酸素がほとんど枯渇させられ、健康そうな肌もしぼみ、声すら出すことはできない。


 氣の天使、ザウアーシュトッフのスキル『大気枯渇』の効果は絶大だった。このスキルの効果は単純であり、『酸欠』と呼ばれる固有デバフの付与だ。酸欠の効果は精神混濁、三秒ごとに0.5パーセントの生命力の消費、声帯不能、だ。特に術士職にとって声帯不能の効果は大きく、詠唱ができなくなるため魔術を使うことができなくなる。加えて精神混濁は考えをまとめるのが難しくなり、ある種の混乱状態となってしまう。


 「(まz……。hy……スキルで……解除……しないと……)」


 混濁する思考の中、シドはどうにか自分の内側へと意識を集中させる。どうにかして抵抗するか、スキルで解除をしないとまずい、と必死になって思考をどうにか正常に保たせながら解決の糸口をさがした。


 「(春夢?だめだな……。これじゃrぶが下がる……他……祇園?無理。祇園jあt象がおr……ない……あ、やb……m……いsきが…が)」


 春夢、祇園はそれぞれ『デリーター』の固有スキルだ。どちらもデバフを解除することができる優秀なスキルだが、問題も多い。まず春夢だが、デバフを解除するために一定量の経験値を消費する、というリスクが存在する。これはスキルの経験値だが、一度使えば春夢のレベルがかなり落ちてしまうのだ。次に祇園は単純に対象が自分ではなく味方だ。この場では意味がない。


 「(いy……この際……いbでもいいか?そ……だスkルを……)」

 「おいおい、いつまで寝転がってるつもりだ?」


 突然腹を蹴られ、シドは宙を舞う。ドシャリと瓦礫の上に落ちる彼を見て、ヘルマンは薄ら笑いを浮かべていた。


 「さて、と。そろそろ年貢の収め時ってやつかね?まぁ、事前の予習が足りなかった、ということでちょっとは……ん?なんだよ、こんな時に」


 自慢たらたらにシドを煽っている途中で現れたメッセージウィンドウにヘルマンは舌打ちをこぼす。差出人がハーヴェンとなっていたから、おそらくセナの始末が終わったんだろう、とヘルマンは思った。


 「……なんだこりゃ?」


 だが、実際に送られてきたのはメッセージではなく一枚の写真。そしてその写真には両手でピースサインをしているハーヴェンとそれを取り押さえる五人の彼の同胞、そして写真の端っこでやったぜベイビーと言いたげな表情で親指を立てているセナの姿があった。


 「どういう……いやまさか、負けたのか、あいつらが?」


 写真を信じるならば、そう思うしかない。しかし、なぜ同胞であるハーヴェンを取り押さえている?吸血種のスキルか、と思ったが吸血種であってもレベル100を超えたニンゲンを洗脳……いや、できる!


 セナの種族を考えればできなくもなかった。彼女は真祖吸血鬼であり、他の吸血種とは一線を画する存在だ。五人の仲間を自分の下僕にすることも不可能ではない。


 「クソ!一刻も早くシドを殺さなくては……!」


 そう思った矢先、ヘルマンめがけて風の突きが飛んできた。その一撃は彼の腹部を射抜き、生命力を一気に減少させる。腹部から血しぶきが飛び、ヘルマンは大きく目を見開いて驚きを表現した。


 「おいおい、悲しいことを言ってくれるなよ、ヘルマン・フォン・ザルツァ。まだ俺は遊び足りないぞ」


 「ち、時間を与えすぎたか。――デバフの解除は済んだか?生命力は回復したか?今の短い時間で何ができた?なにもできてねーだろ?今でも息苦しいはずだぜ?声帯が回復したからっていい気に……」


 「おいおい、俺を舐めてるのか?こちとら百五十年は軽く生きてんだぞ?だったらこういう状況も一度や二度じゃないってわかりそうなもんだけどな。こちとら処女じゃねーんだよ!」


 その場にはさっきまでのシドの姿があった。しかし、生気をまるで感じない幻影ファントムとしてだ。直感でヘルマンは今のシドはガワだけの存在だと気づいた。


 酸欠の効力は主に肉があるニンゲンを対象としたもの、であればガワをなくせばそのほとんどの効果は意味をなさなくなる。唯一残るとすれば三秒ごとの生命力減少だろうか。


 ガワだけの存在となったシドの格好はどこかさみしげで、空虚だった。色も半透明に近く、装備も着ているというよりかはマネキンに着せている、という印象を受ける。


 彼の玉虫色の髪もうっすらとした黄緑となり、先端に至っては脱色していた。ガワとしてのかすかな輪郭だけが今のシドの姿を形作っており、希釈された存在感は今にも消え入りそうだった。


 「ふ、ふはははははは!なんだ、その有様は?え?肉を捨てガワだけ、ほぼ幻影に近いじゃないか。そこらの死霊レイス共となんら変わりはないぞ?」


 「俺は排他妖精エクセクルシブだからな……。どんな世界であっても排他的存在なんだよ。世界の爪弾きものってわけだ。滑稽だろ?そんな俺が国家元首だなんてよぉ」


 「そうだな。今俺の後ろで生贄になったキートンの野郎とどっこいどっこいだろうよ」


 あざ笑いながら、ヘルマンはただの戦闘マシーンとして存在している自分の信仰の対象へと視線を向けた。およそ十年前、始めて四聖教に触れその教義に仲間と共に感銘を受け、名前をヘルマン・フォン・ザルツァに改めた過去が思い返される。


 常に仲間がいた彼からすれば、シドもキートンもどっちもはぐれものだ。二人がどういう心情で動いているのかなんて知らないが、どっちも世界か、国家か、とにかくニンゲンの枠組みから爪弾きにされたクズどもだ。


 ――そんなニンゲンを殺せるなんて、なんて素晴らしいんだろう?


 「なぁ、シドよ。今にも死に体なお前の遺言を聞いてやるよ。そうだな、願いの話でもしようか」

 「願い?ああ、願いね……」


 ヘルマンに話題を振られ、シドは瞑目する。そして、数瞬の後開眼した……。


 「そうだな……。『ただ一人の誰かに会いたい』かな?」

 「あっそう。じゃ、遺言も聞けたからな。殺し合いを続けようぜ?」

 「いいよ。――見せてやるよ、俺の全力ってやつをなぁ!」


 シドの回りの魔術礼装が急速に回転する。そして光出す。――その日、国務省は半壊した。


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