第24話 小人の器

「“神”に触れし者、“グノウ”――」


 魔人ダラクはそう呟いた。

 目の前の、強大な竜のこうべの上に君臨する、小さな小人を指して。


「神? “リーヌブエル”の事を言っているのか?

 俺は“奴”を神とは思わんが」


 小人グノウは、事も無げに言った。

 その発言に、ダラクは信じられないものを見る様な目で驚愕していた。


「そそそ! その名を、くち、口ににににに!!?」

「名ぐらい言えるだろ?

 それはかつて、“黒キ巨人”が奴の絶対性を貶める為に付けた名だ」

「なっ——!? 知らないっ! そんなこと知らないっ!!

 いったい! どこでそれをっ!?」

「“奴”に触れた時に見た。

 多分、あれが走馬灯というやつだろう。

 全てを覚えている訳では無いがな」


 気付けばダラクは小人の前に平伏していた。


「……何の真似だ?」

「数々の無礼、お許し下さい!

 まさか貴方様が、それ程のお方とは存じませんでした!

 どうか、命ばかりは見逃して下さい!!」

「……そうか、残念だ。

 お前の様な嘘つきと遊ぶも一興かと思ったが、もう終いか」

「げっ!」


 見透かされ、ダラクは思わず声を上げていた。

 わかってはいた事だが、間抜けなヤツだとヘイジは呆れ果てた。


「“リーヌブエル”がどうしたって? ダラクよォ?」


 ゲンジもグノウと同様、畏れる様子も無くその名を口にした。

 ダラクがワナワナと口を開け、鼻を垂らしている。

 こうなればと、ヘイジも続いた。


「“リーヌブエル”。

 確かに何故か生まれた時から知っとおるのォ。

 そうかそうか、神ならそれもわかろうというものじゃて」


 言うとヘイジはドヤ顔でダラクを挑発した。

 「ワシも言えたぞ!」と。


「ばっか! そりゃテメーらが“あのお方”を見た事がねーから言えんだよっ!

 一度でも目にした瞬間!

 本能が屈して畏れ多くなんだよ! ボケェッ!!」

「成る程成る程。

 ようわかったわい。

 じゃが、一言余計じゃよ。ボケェッ!」

「なっ! テメー!!」

 

 こうなれば最早ダラクなど恐るるに足らず。

 今まで自分だけの力ではダラクに勝てないと踏んでいたヘイジだが、事ここに至ってしまった以上、関係無い。

 更に恐るべき敵が二人もいるのだ。


「で、その“リーヌブエル”さまをぶん殴ったんだって?

 え? グノウさんよォ!?」

「なっ!? あり得ねえ!!

 触れたとは聞いちゃあいたが!

 まさかなぐ——!?」

「頭突きだ。

 殴ろうとしたら、触れる前に手が消し飛んだ。

 まあ、直後に頭も吹き飛びそうになったが、アビィが咄嗟に再生してくれてな。

 命拾いした」

「ずっ!? 頭突きぃいいいいい!!?」


 イチイチうるさいとダラクを怒鳴りつけたいところだが、仮にも神の如き存在相手に殴るだの頭突いただの言っているのだから仕方が無い。

 しかも何故ゲンジがそんな情報を持っているのかが、ヘイジにとっては重要だった。


「ゲンジよ。

 何故そんなこと知っちょるんじゃ?」

「勝ちてェ野郎の事を調べるなんざ、当然のこった。

 グノウ! 大陸で、テメエの事はさんざ調べ回ったぜ!」

「お主! 大陸まで行きよったんかっ!?」


 流石にヘイジも驚いた。

 この辺境の島から大陸まで渡るのに、いったいどれ程の海峡を渡らねばならぬのか。

 一匹狼の、まして鬼であるゲンジに頼る当てなどないだろうに、こんな短期間でどうやって行き来したというのか。


「相変わらず、やかましいジジイだぜ。

 んなもん、泳いでいきゃあ、すぐじゃねェか」

「ウソこけェエエエエエエエイ!!」


 それはいくら何でも絶対に嘘だ。

 ゲンジは一本気な男だが、面倒になるとすぐに嘘を付く癖がある。

 おそらく、何らかの手段で大陸には本当に行ったのだろうが、何かカラクリが在る筈だ。

 これ以上追及しても無駄だろうと、ヘイジは黙って聞く事にした。


「んなことよりよ。

 お前、魔王だったんだってな?」


 ヘイジの事など無視し、ゲンジがまたも衝撃の事実を言い放った。

 まあ、神だの言われた後だから、そこまでの衝撃ではないが。


「……若気の至りだ。やめてくれ」

「何でだよ? すげェじゃねえか!

 聞いたぜェ?

 普通、勇者や魔王ってのは、その“リーヌブエル”から力を与えられてなるって話じゃねェか。

 が、テメエは唯一、“奴”を否定して魔王になった——」

「やめろと言った筈だが?」


 瞬間、ゲンジが後方に跳躍し身を屈めた。

 その額から、大粒の汗が浮かんでいる。

 対して小人は、ただ立ち上がっただけだった。


(……どうなっとんじゃア?

 ワシには小人が何かしたのか見えんかったが、

 あのゲンジがあそこまで消耗しとるんじゃ。

 何か仕掛けた筈じゃァ……!)


「……ヘッ! やっぱスゲエよ、お前。

 死ぬかと思ったぜ?」

「ほう?

 軽く小突いてやるつもりだったが、あっさり避けたな」

「よく言うぜ! 避けなきゃオラァ今頃お陀仏よ!」

「お前に、そこまで可愛げなどあるまい?」

「へ! さあな!」


 やはりあの二人の間で、目にも止まらぬやり取りがあったようだった。

 このままでは己の存在など忘れ去られてしまうと焦ったヘイジは、ドカッと腰を地面に叩きつけた。


「あーもう! やめじゃ! やめじゃア!

 ついていけんわい!

 グノウ殿! ゲンジ!

 後はお主らでやってくれィ!

 ワシャ、勝った方に付く!」

「おいおい! 勝手に決めんなクソジジイ!

 誰がテメエなんざの——!」


 周囲の気配に、ゲンジは気付いたらしい。

 既に城中に、ヘイジの配下を潜り込ませ、全ての退路を封じている。

 小人と竜ならば突破できるだろうが、ゲンジを逃がす程甘くは無い。

 それに今は、ゲンジの元配下たちもいる。

 ゲンジとしても逃げづらかろう。

 例え万が一、ゲンジが小人に勝てたとしても、疲弊した体でどこまでも逃げおおせられる道理は無い。

 そこまで読んだ上で、ヘイジは勝った方に付くと宣言した。


「カッカッカッ! 城は貰うたぞ? 小人よ!

 お主がその気になれば我が軍なぞ突破できようが、そのつもりはなさそうじゃからの!

 ゲンジもそうじゃろ?」

「……チッ!」


 ゲンジのその舌打ちは不承不承ながらの肯定だろう。

 小人も否定しない所を見るに、異存は無さそうだ。


「見事だ、ヘイジよ。またしてもしてやられたぞ」

「何をぬけぬけと……。全てお主の手のひらの上であろうが!」


 ヘイジは背後の部下に合図を出しつつ、グノウとの対話を続けた。


「我らはまんまとお主の誘いに乗った! 結果、用意していた策を逆手に取られ、こっちが度肝を抜かれたわい!」

「買い被りだ。俺は隙を見せ、お前達がそこを突いた。それだけの事だ」

「よう言うわい! タクマを気遣う風を装い! 城の構造を変えよってからに!」

「だから、買い被りだ。俺はただ、俺がしたい様に振舞ったに過ぎん」

「それで我が手の者を心服させ! 火計の策を潰し! 水に浮かぶ城を築いたというのか!?」

「なに程の事もない。俺は戦をしているんだ」

「……ヌゥゥ! 酒じゃ! 酒を持てィ!!」


 ヘイジが怒鳴ると、手の者が慌てて酒を取りに走った。


「グノウ殿! どうやらお主とワシとじゃ器が違い過ぎるようじゃ!

 もうワシは、お主に勝てる気がせんわい!」


 ヘイジはグノウに、王の器を見た。

 本人の意思にかかわらず、その在り方そのものが人々を惹きつける強さとカリスマ。

 それはゲンジにもあり、己には無いものだった。

 策を弄し時に溺れる己は、どこまで行っても一軍の将、軍師止まりである。

 そう自分で認めてしまった今、後はグノウとゲンジ、勝った方の意に従う他は無い。


「まあ、そういう事にしておこう!」


 そう言われて、ヘイジは小人の顔を見やった。


「なんと器の大きな漢じゃ!

 ワシをまだ、敵と見定めてくれるか……!」


 小人の一言を、ヘイジは「まだ策を弄している敵」と捉えた。

 そこには情けも容赦も無く、どこまでも敵として戦う心意気が読み取れた。

 むしろその一言で、ヘイジは戦う気が失せた。

 もう、この漢には敵わない。

 そう思った時、丁度酒の準備ができた。


「一献! 参らせい!」

「おう!」


 ヘイジが盃を掲げると、妖艶な装束に身を包んだ美女が盃をグノウのもとに運んだ。

 あられもない姿の美しき鬼の美女。


(……あんな者、ワシんトコにおったかのォ?

 そもそもあんな色白の……。

 まさかっ!?)


 ヘイジは美女の正体に気付くが、もう遅い。

 美女はグノウに盃を差し出すと、すかさず暗器で斬りかかった。

 しかし、その斬撃は空を切り、その刃は根元から折られていた。

 その女、踊り子に扮した白鬼ゴウマは、最後の賭けに敗れたのだ。


「女は恥じらう方がいい」


 小人が呟いた時、ゴウマの胸元を隠す様に、小さな上着が覆っていた。

 上着が小さ過ぎて全く隠れていなかったが、それを言うのは無粋であろう。


「ハァッ! アァレェー!」


 ゴウマは恥辱に顔を赤らめ恥らいながら逃げ去って行った。

 グノウは何事も無かったかの如く、自分の手の平よりも大きな盃を掲げ、剣の上に座している。


(なんじゃったんじゃ? 今の……)

「……すまぬ。粗相致した」

「なに。良い肴になった」


 どうやら、グノウはゴウマの暗殺を何とも思っていないようである。

 むしろ、面白いと含みありげに微笑んでいた。

 思わぬ事に肝を冷やしたヘイジだったが、小人の器に助けられた心境だった。


「では、気を取り直して——」


 ヘイジが酒を煽るとゲンジが小人の盃をぶち壊した。

 小人の全身が、酒に濡れる。


「なっ!? なにやっとんじゃアッ!!?」

「ハッ! こっちのセリフだぜ!

 毒殺なんてつまんねェ真似させっかよ!」

「毒じゃとォ!? 何を抜かすかっ!」


 どうやらゲンジはグノウが毒殺される事を危惧したらしい。

 グノウとの真っ向勝負を望む奴としては当然の事であろうが、心外なのもいいところである。


「ただの酒だ、ゲンジ。

 毒ならでわかる。

 な? アビィ」


 グノウの方はこちらに害意が無いことを見抜いていたようだ。

 それに、毒など盛ろうものなら、あの竜が気付かぬ筈は無いといったところだろう。


「悪ィな! 酒をぶっかけちまった!

 へ! ヘヘッ! ヘハハハハッ!

 ハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――!」

「フッ! フハハ!

 ハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――!」


 大して悪びれもせず、ゲンジは笑った。

 対するグノウも、競う様に笑い出した。

 漢たちの哄笑は、さながら開戦前の宣戦布告の様に天守に響き渡った。

 ヘイジ以下潜む全ての者たちは、固唾を飲んで魅入るのみ。


「やるか!」

「おう!」


 両雄が笑い終わった時、最後の戦いが始まった。

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