No.4
……なんだ?
聞いたことのない音がする。嗅いだことのないにおいがする。冷たい。空気がシャワー室のようにしけっている。目を開くといつもの天井ではない。……そもそもこれは天井なのか? あまりにも高い。黒っぽい灰色で、たまにゴロゴロと鳴ったり光ったりしている。
そして。
透明な水の粒が、しきりに落ちてきている。
オッジが話していたとおりの光景だ。
これは……。
起床を促すチャイムが鳴る。
「……変な夢見たな」
頭が重い。悪夢なのか何なのか。オッジと仲直りができたことが嬉しくてあんな夢を見たのか。……だったらもう少し楽しげな夢でも良かったのに。
着替えを済ませ検査室へ向かい、いつもどおりの作業を行い、食堂へ向かう。なんだか食欲がない。検査では特に引っかからなかったから精神的なものか。あとでケィのところへ行くか。そんなことを考えながら朝食を受け取ると、ウェムウッドが足早に近づいてきた。
「ネス、ツラ貸せ」
「なんだよ」
「かなりまずいことになってるかもしれねえ」
「はあ?」
隅っこの席に引っ張られ、耳打ちされる。
「俺、ゆうべトイレ行きたくなって部屋出て、したらシーがドクターの部屋の方行くの見かけたからこっそりあとつけたんだよ」
ウェムウッドの声が抑えられつつも熱を帯びる。真剣な顔をして、早口になりながら。
「ドクターとシー、なんか口論してたぜ」
「喧嘩? あの二人が怒ってるところなんか想像できないな」
「そんな呑気な話じゃねえんだって。内容が問題なんだ。いいか、よく聞けよ」
ひとつ呼吸を置いて。
「殺せ、どうせみんな死ぬんだ、時間の問題だ、だって失敗作なんだから、とか言ってるのに対して、何を馬鹿なことを言ってるんだ、命を何だと思っているんだ──って」
「……なんだ、それ」
「分かんねえよ。でもやばいことには変わりねえだろ。どうするよネス」
「……」
──待て。もしかして。
ネスの中で何かが繋がりかけた。この考え方なら辻褄があってしまう。
信じたくは、ない。確証も証拠もない。
しかしやはり……。
「考える担当は僕だ。仮説は立てたから少し待ってくれ。他言するなよ、ウェム」
「……分かった」
「大丈夫だ、僕がなんとかするから」
「……」
朝食が喉を通らないままチャイムが鳴る。授業の時間になるとウェムウッドはいつもどおりどこかへ姿を消し、ネスはビィから連続ログインスタンプをもらう。
が、授業など一切頭に入らなかった。
計画、失敗作、死、殺せ、時間の問題……それらの断片的な言葉と、ドクターがあっさり認めた『隠し事』。
……頭が割れそうだ。
授業が終わり、子供達やビィが教室を出ていく。何人かに顔色が悪いと指摘されたが、大丈夫だと言い張って誤魔化した。
深呼吸をして、ふと気づく。
もうそろそろシーが来て、「出てってけろ」なんてふざけた言い方をしながらモップでつついてくる頃なのに。
「……」
教室を出てシーの姿を探す。食堂には居ない。シャワー室にも居ない。もしかしたら具合でも悪くて自室に居るのかもしれない、と半分諦めつつあまり人の通らない渡り廊下の方へ行く、と。
「……あ」
シーが床に座り込んでいる。背中を壁に預け、目を閉じて。……眠っている?
「シー、何してるんだ。そんなところで寝たらビィ先生に怒られるぞ」
シーの肩に触れて、揺すって気づく。
……冷たい。そして硬い。どさり、と音を立ててシーの体が倒れる。それでも彼は目を開かない。
「シー……? なあ、シー! 返事しろ! シー!」
どんなに揺さぶっても起きない。どこを触っても冷たくて硬い。
まさか、まさか……。
「どうした!」
ネスの大声を聞きつけたらしいケィが駆け寄ってくる。それにつられて他の子供達もぞろぞろとやってきた。
「誰かドクター呼んでこい!」
ケィが叫ぶ。ネスはその声を遠いもののように感じながら、ただシーを揺さぶり続けた。
「起きろ、シー。起きろ」
ぱたぱたとスリッパが床を叩く音が近づいてきて、ドクター・トゥトゥがネスをやんわりと押し退けシーに触れる。
「……」
「駄目か、ドクター」
ケィの絞り出すような声。
「……うん」
ドクターは感情のない声で言う。
「エムを厨房担当から清掃員に変える。シーの遺体はこちらで処理するから、ケィ、子供達のメンタルケアお願いね」
「……ああ、分かった」
「ドクター」
ネスは思わずドクターの腕を掴んだ。
「ドクター、なんとも思わないのか? どうしてそんな冷静で居られる? シー、死んでるんだぞ? なあ……」
「……何も思わないわけないでしょ」
それでもドクターの声は冷たい。シーの体と同じくらい、冷たい。
「でも清掃員の役割は、シーじゃなくてもいい」
ドクターは他の職員にシーを運ぶよう指示し、改めてネスへ視線を向ける。
「君もちゃんとカウンセリング受けなね」
それだけ言って。
ドクター・トゥトゥは、ネスを残して去っていった。
施設内は当然、上を下への大騒ぎになった。突然泣き出したり嘔吐してしまう子供が続出し、昼食は先延ばしになり食堂には誰も居ない。
ネスの仮説は確信に変わっていた。
断片的な単語達。ウェムウッドが聞いたというゆうべの口論。そして、あまりにも唐突なシーの死。もうこれ以外に考えられない。
こんな大事件が起こったのに、昼食の時間が終わるチャイムは時間どおり鳴る。
「ネス」
「ん?」
食堂にひとりで突っ立っていたネスに、ウェムウッドが声をかける。ウェムウッドはひどく青ざめ、その声は震えていた。
「子供も職員も全員参加の緊急集会。ドクターから話があるってよ」
「……分かった。今行く」
「なあ、ネス……」
「何も言うな。大丈夫だ。みんなのことは僕が守る」
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