オウブ

一里塚

第1話 丘の上の出会い

「聞いたか? 今年、地球人が入学するそうだ」

「地球人?」

「地球って、あの、最近見つかった辺境の惑星のことかい?」

「そういえば、知的生命体がいたとかなんとか」

「ふーん、地球人ね……」


 銀河の最外郭、地球の対蹠に位置する惑星、オウブ。その優れた科学力は、ついに超光速航行を可能にした。地球時間でわずか十五年前のことである。翌年には百隻余りの超光速船が、まだ見ぬ有機生命体との邂逅を夢見て、次々と放射状に散っていった。

 最初の三年は発見ラッシュだった。一万を越す星々で有機生命体が見つかったのだ。しかし、爬虫類と同等以上の知能を有する生命体が存在した星はその内のわずか3%、さらに文明と呼ぶに足るものがある星となると、その数はずっと減って十九しかなかった。

 彼らは入念に、そして執拗に探索を続けたが、四年目以降、文明星は一つとして見つからなかった。彼らの持つ種々の探知機の性能は大変優れていたため、わずか三年でそのほとんどを調べつくしてしまったのだ。オウブの船で行ける範囲の宇宙にはもはや文明星は存在しない、という意見がオウブの有識者たちの間で大勢を占めた。その意見はほどなく統一見解となって、探索の打ち切りがオウブ国連議会の議題に上った。探査船は一隻、また一隻と輸送船に改造され、文明星との交易に用いられるようになった。

 最後の探査船がシュトルーフェ2398付近で地球からの微弱な電波をとらえたとき、十九番目の文明星が見つかってからすでに九年の歳月が流れていた。果たして地球は、オウブが見つけた二十番目の文明星となった。



  第一話


 惑星オウブはいまや、様々な星から様々な星人が一堂に会す人種の坩堝と化していた。特にオウブ第二の都市オウラリナーレにある最高学府には、宇宙最先端の科学技術を学ぼうと、若く有能な異星人たちが集っていた。

 学園の敷地内にある広大な自然公園では、透き通った淡いピンクの光の中、種々雑多な人間たちが、入学式後のひとときを思い思いに過ごしていた。散策するもの、軽食をとるもの、昼寝をするもの、寛いでおしゃべりするグループ……

 広場の噴水を見下ろす小高い丘の頂では、すらりと背が高く、彫刻のように美しい顔を持つ三人のオウブ青年が、二人の若い地球人を囲んでいた。


「三浦春治。三浦はファミリーネームだから、春治って呼んでください」


「ハルジか。発音しやすい名前でよかった。クティチュペチャピュト・ニュービュプ星人の名前みたいなのは、面倒でいけない」

「違う違う。クピュチュテチャチュト・ミュージュビュ星人だ」

「そうじゃありません。キュビュチュデェジャピュルチョ──」

「もうやめないか! どれもあいつらに言わせれば絶対誤りだ。土台無理なんだよ。声帯の構造からして違うんだから、私たちには正しく発音できっこないのさ。で? 君は?」


「私はシャルロット。シャルロット・ルシェンブルゴです」


「シャルロットか。うん、問題ない。発音できるよ。ルシェンブルゴも大丈夫だ。どっちで呼んだ方がいい? シャルロット? ルシェンブルゴ?」


「シャルロットで」


 三人の上級生は一人ずつ、ルゥル、ラゥラ、ミゥミュと名乗った。歳は言わなかったが、地球人なら十九、二十歳といったところか。三人とも学生服に似た白い制服を着ている。両肩の房飾りと左胸の徽章が、地球人に軍服のような印象を与える。オウブ人学生は皆この制服を着ている。


 春治とシャルロットはピンクの葉っぱが生い茂る大木を背にして、芝桜のようなピンクの絨毯に二人並んで腰を下ろしている。

 春治の傍らで横向きに寝そべるラゥラが、鮮血のように赤い長髪を手櫛で梳かしながら、シャルロットに目を向けた。

「ところでシャルロット。君の子供は今どこにいるんだい?」


「え?」


「ああ、私もさっきから、それが気になってたんだ」

 春治とシャルロットの正面で胡坐をかく、水色の長髪のルゥルが同意した。


「もちろんオウブへ連れて来てるんでしょ?」

 シャルロットの隣で木の幹に片手をついて立つ、栗色の長髪をしたミゥミュが尋ねた。


「ちょ、ちょっと待って、何の話を……」

 シャルロットは困惑の色を隠せない。


「それにしても地球人ってのは、ずいぶん若くして子供を産むんだな」

「まったくだ」

「だけどオウブだって、昔はこれくらいの歳で子供を産んでましたよ」

「それは千年前の話だろ」

「ああ、初期の発動機が発明された頃までの話だ」

「まあ、そのへんは星によってずいぶん事情が違うんじゃないですか? 発育の度合いもまちまちですし」


 シャルロットについての話題なのに、三人は彼女抜きでどんどん話を進めていく。論点が完全に他所へ移ってしまう前に、なんとか否定したいシャルロットだったが、話に割って入れない。助けを求めて春治を見る。


「えっと……」

 シャルロットの縋るような目に、春治は使命感を覚える。

「あの、実をいうと、シャルロットはまだ子供を産んでないんです」


 シャルロットは誰にともなく、うんうんと大きく肯く。


「何だって」

「そんなバカな」

「じゃあ、その胸は……」


「ああ…… オウブ人は妊娠してから胸が膨らむようだけど、僕たち地球人は妊娠する前から膨らむんです。一部の例外を除いて」


「へえー」

「そうなんですか」

「俺はてっきり、ハルジの子かと思ったよ」

「何のために膨らむんだろう?」

「そのミルクはいったい誰が飲むんだ?」


「んんっ!」

 春治は顔を赤らめながら咳払いした。


 その横ではシャルロットがもっと赤くなって下を向いている。


「ええっと、それからもう一つ」


「ん? なんだいハルジ」


「実は、僕ら地球人は、雌雄異体なんです」


「シユウ異体……」

「おい、シユウって何だ?」

「さあ」

「ひょっとしてあれじゃないか? 男とか女とか、オスとかメスとか」


「そうです。僕が男で、シャルロットが女」


 オウブ人は雌雄同体──というより、そもそもオウブには雌雄という概念がない。オウラリナーレに住むオウブ人の平均身長は二メートルを超えるが、大半は華奢で、体つきは女性的といえる。顔のつくりは、なかには男性的、あるいは女性的な印象の者もいるが、総じてその判定は難しい。

 オウブが異星人と交流を持って十余年、自分たちと違う身体の仕組みにはもう慣れっこなのか、三人はさほど関心を示したふうではない。


 やや男性的といえる精悍な面構えのラゥラが、胸ポケットから小箱を取り出して、中身をタバコのように一本抜き取り、口に放り込んだ。ラゥラは髪だけでなく、唇も際立って赤い。


「まだそんなものやってるのか」

 水色の髪のルゥルが窘めるように言った。


 ラゥラは何食わぬ顔でくちゃくちゃと噛みはじめる。タバコやアルコールのような嗜好品だろうか? もしかすると、マリファナ程度の薬物かもしれない。次第に不思議な匂いが漂ってきた。春治が嗅いだことのない匂いだ。心なしラゥラの目が、とろんとしてきたように見える。


「私もちょっと、失礼して……」

 シャルロットが膝にのせていたかばんから、オウブのパンを取り出した。

 

 見た目は特大のマシュマロ。この上なく軽く、食感は蒸しパンとホイップクリームの中間といったところ。真っ白くてふわふわで、顔が隠れるほど大きい。シャルロットは底についている紙を丁寧に剥がし、両手で包み込むように持って、口に頬張った。彼女はこれを食べるとき、とても幸せそうな顔をする。

 

 小腹が空いていた春治も、傍らのかばんから、持参した細長い包みを取り出した。外装フィルムを剥くと、こんがり焼きあがったスティックが覗いて、芳ばしい香りを放つ。先っちょを齧ると、カリッと乾いた音が響いた。ナッツの加工食品らしいけれど、具体的にどんな実なのかは知らない。カリコリと小気味良い咀嚼音が口の中でいつまでも続く。


「見ろ、地球人を。じつに健康的だ」


「可愛いらしいなあ」

 栗毛のミゥミュがくすくすと笑う。


 どうやら春治たちが食べているのは、子供のおやつのようなものらしい。

 実際、春治とシャルロットは、同年代の地球人と比べても幼かった。これまでの人生の大半を学業に費やしてきた二人は、世間一般と触れ合う機会がほとんどなかった。二人とも十六歳だが、キスはおろか、デートすらしたことがない。異性と話をすることはあっても、会話の内容は学問に関することが主で、恋愛トークなどとは無縁だった。天才的な頭脳と高い学識を有しながらも、俗世間のことは何一つ知らずに育ったのだ。流行の音楽やファッションはもちろん、スポーツ選手、俳優、お笑い芸人の類は誰一人として知らない。


「さて、そろそろ行きましょうか」

 二人が食べ終わるのを見計らって、ミゥミュが言った。


「最初の授業は何だったかな。『航空力学概論』か。簡単だといいんらけろ、ふああ……あ」

 時間割表を片手に、欠伸をしながらルゥルが一人ごちた。


 春治とシャルロットはかばんを持って立ち上がり、お尻をはたく。


「二人は『オウブ科学Ⅰ』ですね。教室はわかりますか?」

 ミゥミュが訊いた。


「はい」と、声をそろえて答える地球人の傍らでは、ラゥラがまだ寝そべったままだった。さっきは左耳を下にして頬杖をついていたのに、今は左腕をだらりと伸ばして顔を伏せている。赤い髪が顔を隠して、表情を窺うことはできない。


「おいラゥラ、行くぞ」


 ルゥルが声をかけると、ラゥラは背中を丸め、大儀そうに身体を起こしにかかった。酔っ払っているのだろうか? 動きが鈍く、酩酊状態にあることがわかる。春治は前屈みになってラゥラの肩と背中に手を添える。シャルロットは赤い髪についた草の種を、一つ一つ取り除いてやる。


「ああ、ありがとう」


「地球人はずいぶんと優しいんだな」


「危ないなあ。ラゥラは惚れっぽいから、あまり親切にすると、二人とも食べられちゃいますよ」

 ミゥミュが冗談めかして言った。


 食べられる? 

 

 世間知らずの地球人たちにはその意味がよくわからず、軽い戦慄を覚える。


 食べられるとはどういうことだろう。

 何かの比喩? 


 二人は顔を強張らせると、ラゥラからそっと離れ、先に歩き出したルゥルの許へと急いだ。それを見てミゥミュがまたくすっと笑った。


 五人は校舎を目指して丘を下る。地球人を挟んで四人が並び、その後をラゥラが覚束ない足取りでついて来る。途中春治とシャルロットは、心配そうに何度も後ろを振り返った。そのたびにルゥルは「心配ない」と言い、ミゥミュは「甘やかしちゃいけません」と笑った。


 オウブ人三人の背丈は二メートルほどある。対して地球人二人の背丈はともに一七〇センチに満たない。四人の並ぶ姿は、さながら子供を挟んだ家族のようだ。


「シャルロットとミゥミュの髪は同じ色だな」

 ルゥルが上体を反らして、二人の背中に目を遣りながら言った。


「うん。長さもほとんど一緒だね」

 春治は二人の髪を見くらべる。


 シャルロットとミゥミュは顔を見合わせ、微笑みを交わす。二人の栗毛は、肩と腰の中間まである。ラゥラの赤い髪も同じくらい。最も長いのはルゥルで、その透き通るような水色の髪は、お尻をすっぽりと隠し、膝裏にまで達している。


「おっと……」という背後からの声に反応して、春治とシャルロットは踵を返した。片膝をついてうな垂れるラゥラの許へと駆け寄る。春治はラゥラの右脇の下に腕を差し入れ、シャルロットは左の二の腕を抱きしめる。


「ああ、すまない」


 ラゥラは力なく言い、ゆっくり立ち上がる──と、突然二人にのしかかり、ぎゅっと抱き寄せた。


「わ!」と「きゃ!」が同時に発せられた。


 食べられる!


 二人は竦み上がった。


「よさないか、ラゥラ!」

 ルゥルが水色の長髪をふらんふらん揺らしながら歩み寄る。


 ミゥミュは離れたところで、やれやれといった表情を浮かべている。


「えへへ~、ちょっとよろけちゃった」


「いいから手を離せ」


「そう目くじら立てなさんなって」


「離すんだ」


 ルゥルが間近まで来ると、ラゥラはようやく腕の力を緩め、固まる春治とシャルロットを解放した。二人は顔を赤らめながら青ざめている。


「さあ行こう」

 ルゥルが白磁のように透き通った手を二人の背中に添える。


 ミゥミュのところまで戻ると、ルゥルは振り返ってラゥラを睨んだ。


「二人は、まだ、お前のものじゃないんだぞ」


 え?

 

「僕たちだって、我慢してるんですからね」

 ミゥミュが真顔で言った。


 え? え?


 春治とシャルロットは狼狽える。


 ルゥルとミゥミュは二人を挟みこんでぴったりと寄り添う。

 四人はまた横並びになって、なだらかな坂を下って行った。

 

 えええ~!

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