変わりものの銀平さん
倉下忠憲
-----------
「おはようございます」
ぼんやりとした声だった。けっして小さいわけではないく、むしろ標準からすれば少し大きいくらいだろう。滑舌が悪いわけでもない。でも、その声には何かが欠けていた。少なくとも、これまでこの店にやってきた本部社員とはどこかが違っていた。そんな印象を僕は受けた。
このお店は直営店である。コンビニ全体ではたぶん1%以下くらいしかないレアな形態だ。普通のコンビニは、オーナーが個人経営のお店として運営しているが、このお店のような直営店は、名前の通りコンビニ本部が直に運営している。だから、お店には本部の社員がずっと在駐している。鬱陶しいくらいに。
「今日からこのお店の店長みたいなものを努める
非常にざっくばらんな口調も、これまでの社員とは違っていた。彼らの口調は慇懃でありながら、どこか冷めていた。もちろんそうだろう。彼らにとってこのお店はステップアップのための足場でしかない。一年ほど勤めればSVになって地区を担当することになる。その間、無難に過ごせればそれでいい。好成績を目指すリスクを取るよりも、問題を起こさない安全策がベターなことは、アルバイト歴五年の僕でもわかる。でも、銀平さんの口調はどこかそれと違っていた。でもそれが何なのかは、そのときの僕にはわからなかった。
簡単に挨拶を済ませた銀平さんは、そのまま元々このお店を担当していた別の社員と引き継ぎを行うようで、そのまま事務室に引っ込んだ。僕らはいつもどおり、繰り返されるルーチン作業に戻った。僕は発注作業に、山本くんはバックヤードの整理と補充に。
手早くパンの発注を進めていると、のっそりと銀平さんが近づいてきた。彼は標準体型と比較するとなかなか大柄で、あまり近づかれると威圧感を覚えそうだが、実際そんな感じは全然なかった。
「君が発注担当してくれているの?」と銀平さんは言った。
「はい。僕がパンなんかのデイリー担当で、山本くんがグロサリー周りを」
へぇ〜、と銀平さんが頷き、これいいねとパン売り場のボードを指さした。僕と山本くんで考案した「今週の売れ行きランキングボード」だ。単純に先週の売上げ上位三アイテムを手書きポップで書き込んでいるだけなのだが、これが妙に効果があった。売れ行きNo.1になったアイテムは、次の週さらに売上げを伸ばすのだ。それは、新調品だけに限らず、メロンパンのような定番商品でもそうだった。人間というのは、なかなか単純名ものなのだ。
「こういうの、どんどんやっていって。経費が必要ならレシート持ってきてくれたらいいから」
そう言って銀平さんはのっそりとバックヤードに向かっていった。僕は、発注作業を続けた。
「ご飯食べにいこうぜ」
退勤登録を終えた僕に銀平さんが言った。
「ご飯ですか?」
「何か食べられないものある?」
断る、という選択肢が初めから除外されていることに違和感を覚えながらも、イタリアン以外なら、と僕は答えた。
「じゃあ、中華だ」
銀平さんは笑って言った。
銀平さんの車はスポーツカーだった。二人乗り。実用性はどこかに置き去りにされたのだろう。聴いたことのないPOPミュージックにノリノリで銀平さんはハンドルを握っていた。僕は無言で助手席に座っている。車はそのまま高速に入った。
「どこまで行くんですか?」
「雑誌で見つけたお店があってさ。ここから高速で30分くらいかな」
「へぇ〜」
当たり障りのない答えが何も思い浮かばなかったので、僕はそれだけ返事をして黙っていた。ご飯を食べるためだけに高速に乗って30分も移動。しかも、ただのアルバイトを横に乗せて。なんだか変わった人だ。
「君、変わってるって言われるだろう?」
突然、銀平さんが言った。あまりにも同時だったので、僕は一瞬言葉を失った。
「なんとなくわかるんだよね。世間からズレてる人って。俺もそうだから」
たしかに僕はよく変人だと言われる。でも、それを自分で認めることは嫌なので、いつも世間が変で、自分の方が普通なのだと強弁していた。でも、そんなものはただの理屈でしかない。その理屈では、僕と世間に空いている距離は埋められない。
結局遠くの中華屋さんにつくまで僕はずっと無言だった。銀平さんは返事がないことなんてぜんぜん気にしていないみたいで、ずっと流れてくる曲を口ずさんでいた。
それからちょくちょく晩ご飯に誘ってもらえるようになった。毎回違う場所で、毎回ちょっと遠い場所だった。そういうお店は、一人では入りにくいような雰囲気で、僕はそのための付き添いだったように思う。30歳中ばであろう銀平さんに特定の女性がいないのかを聞くのは憚られたし、財布がカツンカツンの僕にとって一食分の食費が浮くのはたいへんありがたかったので、その手の話題には一切触れなかった。それに、銀平さんは仕事でもプライベートでも実に楽しそうだった。他人が口を挟むことではない。
僕らは──つまり僕と銀平さんは──食事中いろいろな話をした。とは言え、僕は普段話す方ではないので、だいたいは聞く側だった。食べ物の話、音楽の話、家のインテリアについて、政治や社会情勢。銀平さんの話題は尽きることがなかったが、仕事の話やその愚痴が口をついたことは一度もなかった。だから僕は楽しく食事ができた。
でも一度だけ、銀平さんが仕事の話をしたことがある。上司からさっさとSVになれとせっつかれているらしい。
「でもさ、俺嫌なんだよね。SVとか責任ばっかり増えて、自由な時間がなくなるじゃん。給料は上がるけど、使う時間はない。それって何か違うだろ。できれば、そんなこととは距離を置いて、プライベートを満喫したいってのが俺の望みなんだ」
「はあ」
そのときの僕も気の抜けた返事しかできなかった。魂が空っぽだった僕は、まるでバイオリンのようにその銀平さんの言葉を体中に響かせていた。やっぱりこの人は変わっている。変人だ。
少なくとも、これまでの社員はみんな一秒でも早くSVになりたがっていた。あらゆるものは、そのための手段にすぎない。それが彼らがやっているゲームであり、ルールだった。でも、銀平さんは同じ組織に属しながら、ぜんぜん違うゲームをプレイしている。そんなことが可能なのだ。
24歳にもなってまともな会社に属したことのない僕にとって、それは脳天を打ち抜かれたような衝撃だった。彼は変わりものだ。そして、その彼に認定されている僕も変わりものだ。だったら僕も……。
結局銀平さんはSV昇格の話を断ったらしい。今はいそいそとDIYでリフォームをしている。つい最近もホームセンターに連れて行かれたばかりだ。ちょっとだけセンスが悪い壁紙と、なかなか豪華なライトセットが家に運び込まれた。一人で暮らしているのに、持ち家を買ったという。結婚する予定どころか相手もいないのに。やっぱり変わりものだ。
僕らは粛々と壁紙をはり、天井にライトをつけるための金具を取り付つけた。自慢ではないが、僕は釘を打つのが得意なのだ。まさかそのスキルがこんなところで活きるとは、コンビニでレジを打っているときには思いもよらなかった。人生何が起こるかわからない。隣の部屋からは、アメリカンなPOPミュージックが爆音で流れている。僕も一緒に、その歌を口ずさんだ。
何をやってもいいんだ、とそのとき僕は思った。それが自分のゲームであるかぎり、どんなプレイでも許される。いや、そもそも許す人なんて誰もいないのだ。それは心に作られた虚像であり、それが社会を支えている。問題は、そこから外れる人間がいたところで、困ることはほとんどない、ということだ。
そんなことは誰も教えてくれなかった。変人だけが知る事実なのかもしれない。
以来僕は、「変わっていますね」と言われるたびに、「ええ、そうなんです」とにこやかに返すようになった。そして、僕とはまた違った変人たちを探すようになった。僕だけが知る事実を伝えるために。
変わりものの銀平さん 倉下忠憲 @rashita
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます