異能の戦場
青風
十一歳
Scene:1「異能」
全ての始まりは両親に売られた事だった。
唐突に自宅に訪れた男達。男達に無理やり手を引かれて当時、十歳だった彼は視線で両親に助け求めた。
けれども、彼の視線の先、両親の表情にあったのは安堵の色。
それで彼は全てを悟った。これが彼らの望みだという事に……
最早、抵抗は諦めた。する意味もない。した所で彼に帰るべき場所はないのだから。
そんな彼を男達は腕を引いて連れて行く。その姿はあたかもこれから出荷される家畜のようであった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
それから一年後――
夜に染まった砂漠。その中にとある廃墟があった。
一時は栄えていたのだろう。木々のように大地より伸びるビル郡はさながら森のようにも見える。
かつては廃墟を彩っていた明かり、モニター、立体表示は遥か昔に動力が止まった事で沈黙し、その名残はどこにも見当たらない。
今、この廃墟に色を作っているのは夜空より降り注ぐ月の光とここを根城とする集団が持つ明かりのみ。
その集団はというと廃墟の隅の方にあるかつては巨大倉庫として機能していた建物を中心として活動をしていた。
彼らの正体は盗賊団。この一帯を通る商隊等を主な標的として活動している。
規模はまだそれ程、大きくはない。ようやく団と呼ばれる程の頭数が揃った程度だ。
故に夜の見張りは二交代制を採用していた。
次の見張りの時間はまだしばらく先、これまで大きな騒ぎが起こった事もない。
それ故に見張り達は退屈を感じながらそれぞれが思い思いに時間を潰す。そういう時間帯だった。
そのため、彼らは気が付かない。自分達の拠点に不審者が近づいている事に……
それは建物の周囲を取り囲む壁の裏側に隠れていた。壁の高さは人の背丈をゆうに超えている。侵入を阻むために造られたのだからそれは当然だろう。
しかし、それ故にそれは視界を塞ぐという結果を生み出していた。
不審者の姿は少年。年齢は十一歳。どこか幼さの残る中性的な容貌に冷たさを感じる青い瞳。頭まで被った黒の外套の下の黒髪が夜風を受けて僅かに揺らめいている。
少年の名はシュウ・アヤカワ。
現在、彼はこの建物を根城にしている盗賊団を活動不能にするために行動していた。
仲間は彼をここに運んでくれた二人のみ。その二人もここから少し離れた廃墟の影に隠れてシュウを待っているという状態だ。
別に彼らが非情という訳ではない。むしろ、今回の件、シュウ一人で十分こなせると考えているからこそこの人数なのだ。
壁に背を預けながらシュウは目を閉じ指を弾く。
弾かれた事で生み出された音。それを彼は自身の『異能』を用いて変更していく。
異能。それは五年前のある日、世界の表舞台に出現した特異な力だった。
炎を生み出し操るもの、無機物を固定させるもの、物理的に遮られた先の光景を見れるもの、自身を風に変えるもの、時を超えて過去の事象を視るもの。
起こせる現象は個々によって千差万別。そんな力を唐突に人類の一部の人間が会得した。
何故、会得したのか。会得できた者とできなかった者の差は何か。能力の違いは何によって決まるのか。不明な点は多いものの世界はその事実を受け止めざるを得なかった。例えそれが世界を混乱に貶めるものだったとしても……
シュウの『異能』は『音の操作』。
『自身の身体とそこから数センチ辺りの表面までを干渉範囲とし、その範囲内にある音を自在に操作する』という能力である。
あくまで操作であり、音を生み出す能力ではないので既に発生している音に干渉する事しかできない。加えて限界まで音量を増幅して指向性を与えても物理的な破壊力を生み出すまでには至らない。
これだけ聞くと決定力のない地味かつ使いにくそうな異能であるが、音の性質を理解し使いこなせば意外と応用範囲は広い。
その一つが『指を弾いた音や足音等を超音波に変換かつ増幅し、その後反射してきた超音波を通常の音波に戻して聞き取り解析する事で見えない場所や離れている場所の情報を習得する』という使い方だ。
建物はあちこちで窓が割れており、そのため音の入り込める隙間がいくつもできている。おまけに夜で静かだ。おかげでシュウは建物の周囲を回ってそれを何度か行う事によって中の様子を把握する事ができた。
建物の中にいる人数は全部で十人。五人が見張りに立ち、残りの五人は動かないところを見るに寝ているようだ。
見張りは屋上で定位置に付いているのが三名。巡回が二名。交代のタイミングは直に確認しているのでまだしばらく先だろう。
次にシュウは異能を先程とは別の形で用いる。人間の耳には聞き取れないくらいに小さくなった音を増幅。それと同時にそれ以外の音を減衰させる。
そうして聞こえてきたのは見張り達の雑談。どうやら通信機を使っているようだ。
彼らの声を聞いて、その声以外の音も減衰。そうして彼らの会話に意識を傾ける。
会話の内容は最近の行った仕事話のようだ。襲った人々の反応を面白おかしく語っている。その話に大げさに反応する仲間達。どうやらかなり盛り上がってるようだ。おかげで彼らの意識が外から通信機へと向けられていた。
シュウは今一度異能で見張りの配置と向きを確認し視線がない事を確認すると、異能で足音や衣服の擦れ音をゼロへと落とす。
そうして壁から飛び出してダッシュ。そのまま建物の壁際まで駆け抜ける。
真上には見張りが一人、屋上の縁に立っている。
けれども、灯台下暗しというべきか。真下という死角故に見張りはシュウの存在に気が付いていない。とはいえ、それも身を乗り出して確認されればお終いだ。
そうなる前にシュウは移動を再開しドアを開ける。
中に入ると屋内は明かりのない暗闇。これでは何も見えないが視界に頼らず相手の位置を把握できるシュウにとっては問題ない。
そのまま消音は継続し彼は屋内を進んでいく。
音の増減の方は足音や会話音の類を増幅。それ以外の音を少し減衰させ先の音が聞き取りやすいようにする。巡回の接近を素早く察知するためだ。
一応、時折超音波を使った探知も使うがこちらはアクティブな探知だ。用いた時点の情報しか得られないし得られる情報も大まかなものとなってしまう
それとは反対に増減を利用した聞き取りはパッシブな探知。リアルタイムに相手の位置を把握するなら後者の方が有利だ。
現在、屋内を動く足音は二つ。一つは離れた場所に、もう一つはシュウの真上に存在する。
シュウの入った所は元は事務や来客対応をしていた建物だったようだ。
構成は三階構成。一階部分は奥の倉庫へと続く廊下と上に続く階段で構成されており、二階は応接室と会議室。三階が事務職の仕事場となっているようだ。
元々は備え付けの警備システムもあっただろうが、電力がきてない現在は動いてない。それ故に盗賊団も見張りを置かざるを得なかったらしい。
一番近い見張りは丁度二階の見回りを終えた所だった。他の仲間に通信で報告をして、これから一階へ向かう旨を伝えている。つまり、今シュウのいる所を通るという事だ。
すぐさまシュウは思考する。果たしてどう対応すべきか。
奇襲を掛けるのは簡単である。一旦、死角に隠れてやり過ごした後に背後から襲えばいい。
彼の異能はそれ向きだ。だからこそ今回、出向いている。
しかし、問題は今彼を殺すのがベストかどうかだ。
確かに盗賊団を活動不能にする以上、彼らの殺傷は必須事項だ。けれども、考えるべきは今見張りを殺す事によって生まれる今後の展開である。
事を完璧に為したなら問題ない。この状況なら殺した事実を誤魔化す事は十分可能である。幸先よく一人減らす事に成功した。
問題は仕留めきれなかった時。そうなればここにいる全員が一斉にシュウに襲い掛かる事だろう。
逃げる事が不可能だとは思わない。しかし、目的を達する事は困難となるだろう。
それならばこの見張りを一旦、放っておくのも堅実な手ではある。
今、シュウが目標としているのは三階、仕事場の奥にある仮眠室。そこに見張りに立っていない者達が眠っているのだ。
まずは彼らを始末する。眠っている以上、仕留めるのは簡単だし見張り達も気付かないだろう。
しかし、ここでもしばれてしまえばその機会は失われてしまう。
死角に隠れながらシュウは両者を検討する。そうしてその結果、見張りの始末は一旦、お預けとなった。
廊下から倉庫へと向かう見張りを確認しながらシュウは階段を登っていく。
そのまま迷うことなく三階、そして奥の仮眠室へと向かう。
ドアを慎重に開ける。
月明かりが室内に差し込まれるが、それで起きる気配はない。
そんな室内へシュウは音を消して侵入する。
仮眠室には四つの二段ベッドがあり、盗賊団はそのうちの三つを使っている。
下に三人、上に二人。
まずは梯子を上り、上の人間から始末する。
使うのは右手に握ったナイフ。やり方としては左手で口を塞ぎ右手のナイフを喉元へと振り下ろす。
一人目は気付く事なく絶命した。二人目は口を塞がれた所で苦しみだしたが異能によって漏れ出る声を消され他の三人に気が付かれる事はない。そのまま一人目と同じ末路を辿った。
後は下の段の連中にも同様のことを繰り返すだけだ。
そうしてそれを三度繰り返しシュウは仮眠室にいた五人の始末を完了させた。
用件を終えたシュウはそのまま部屋を後にする。
異能を使って周囲を確認すると、巡回している見張りはどちらも未だ倉庫内にいるようだ。
それを確認してシュウも倉庫へと移動を開始する。
音に気を付けながら倉庫へのドアを開けるシュウ。
倉庫は思いの外、広い空間だった。
奥はかなり遠く、その間にはいくつもの荷物を置くための棚が並んでいる。
ほとんどの棚が空なのは誰かが持っていってしまったからなのか、はたまた最初から何もなかったのか。今となってはそれを知る術はどこにもない。
そんな倉庫内を動き回る二つの存在をシュウは異能で知覚していた。
両者の距離はかなり離れている。加えてほとんどが空とは言えいくつもある棚が双方の視界を遮っていた。
同室とはいえ上手くやれば気付かれる事はない。そう判断してシュウは手近な見張りの方へと向かう。
現在、目標は倉庫の一番外側をシュウの方へと向かって歩みを進めている。故にシュウは棚の横壁が並ぶ通路を通る事で見つからないように進んでいた。
巡回が通ってる通路は棚一列隔てた向こう側。その距離は徐々に縮まっている。
もう一人の方は随分と距離が空いているので視覚的に見つかる可能性はほぼないだろう。
腰のベルトからナイフを一本抜き取り、それを二本の指で挟み込む。
そうして見張りがシュウの隠れる棚の向こう側を横切ったタイミングで――
彼は棚の横壁から飛び出しその向こう、真反対の横壁から姿を現した見張りへと向かってナイフを投じた。
異能によって消された動作音。とはいえ、ナイフが生み出す僅かな風切り音までは消しきれない。
その音は静寂な倉庫内でははっきりと聞き取れ――
その僅かな音に見張りが反応した瞬間、ナイフの剣先が見張りの脳天を捉えた。
血を流し膝から崩れ落ちる見張り。その瞳は意外な存在を認めて大きく見開かれている。
両手で持っていた銃は崩れ落ちた反動で床に落ち、その音が倉庫内に響き渡る。
遺体は動く気配を見せない。
それを確認しシュウは遺体へと近づいた。
と、その時遺体から音が鳴り響く。
『おい。どうした?』
その直後に響く疑問の声。どうやら銃の落下音に気が付いたもう一人の見張りが確認の通信を入れてきたようだ。
その通信にシュウは慌てる事なく通信機を遺体から抜き取ると、スイッチを入れて返事を返す。
「いや、なんでもない。ちょいっと躓いただけだ」
ただし、口から出た声は彼の声ではない。今、殺した見張りの声だ。
これも当然、異能によるもの。自身の声を見張りの声へと変えているだけである。
見張りの声は探知の際に拾っている。その際の雑談も記憶しているのである程度、話を合わせる事も可能だ。
『おいおい、何やってんだよ』
当然、相手はそれを疑わない。
侵入者がいるなど、知らないのだから当然だ。侵入者がいるという前提でない以上、多少の事ではその前提は崩れない。
とはいえ、この眼の前の遺体が見つかればさすがにアウトだろう。
故にそれよりも前に始末する。
現在、見張りは真反対の端の通りを進んでいる最中。時期に遺体の倒れている横道のラインに着くだろう。
遺体からナイフを抜き取りシュウは走り出す。ルートは今いる通りから見張りの背後に回り込むルートだ。
異能で真反対の見張りとすれ違った事を確認すると、すぐさま横道へ。当然、シュウから発せられる音は全て消音済みだ。
棚の隙間から見える明かりを見るに予想通り見張りは前方に注意が向いていて背後への注意が疎かになっている。そのため、通りに出たシュウの姿にも気が付かない。
後は全力で走るだけだ。
ようやく背後の気配に気が付いたのだろう。見張りがシュウの方へと振り返るが、もう遅い。既に間合いはナイフの届く距離まで近づいている。
振り上げるように一閃。それで刃が喉元を割いた。
傷口から大量に血が溢れて新たな死体が一つ出来上がる。
その死体にシュウは触り通信機を回収する。
定時連絡のためだ。先程、最初の建物にいた時に先の見張りはそういう報告をしていた。
と、なればどこかしらのタイミングで巡回の報告をするはずである。
とはいえ、シュウはそのタイミングがいつなのかわからない。
だが、それを知ってるであろう人物には心当たりがある。故に彼は待っているのだ。
『――おい、定時連絡はどうした?』
予想通り、中々こない定時連絡を訝しみ他の見張りが確認の連絡を入れてきた。
それに対してシュウはトイレで手が塞がっていたと言い訳をして異常なしだったと嘘の報告をする。
もう一人の方も同様だ。もっともこっちは眠そうな声を上げる事で居眠りして遅れたと思わせた。見張りの一人がそれで怒ったが、別の見張りが暇だから仕方ないとフォローした辺り彼らも同様の状況に陥る事があるのだろう。
ともかくこれで次の定時連絡までは巡回をしていた二人がまだ生きていると思わせる事はできた。
そうしてシュウは屋上へと急ぐ。
屋上へのドアを少し開いて異能を用いてドアの向こうを確認してみると、見張りが三人、それぞれ別々の場所で別々の方向を監視していた。
ドアの方には視線を向けてない。とはいえ、それぞれの姿は視認できる距離だ。
誰か一人を襲えば即座に他の二人には気が付かれるだろう。
――どう対処するべきか?
自身の目的と持っている手札。シュウはそれらを使って策を組み上げていく。
こう動けば相手はどう動くか。その際の利点と欠点は?
最悪の事態は何か? 勝算が高いのはどういう条件か?
浮かんでは消える案。一部は残してそこに新たな案を継ぎ足していく。
そうして数分程、経っただろうか。
シュウはまずまずといった策を組み上げ終えた。
無論、絶対ではないし見落としがあるかもしれない。
けれども、これなら実行しても良いと自信を持って言えるものだ。なら、実行にためらいはない。
そうしてシュウは自分の組み上げた策を実行する。
最初に行うのは倒した見張りから奪った通信機を用いる事だ。
「緊急連絡。 今倉庫内で何か動くものが見えた。ちょっと確認するから誰か来てくれ」
そう声を掛けて言葉を作ると、すぐさまもう一つの通信機のスイッチを入れる。
「了解した。俺も行こう。念の為屋上からも一人こちらに合流してくれないか?」
『……わかった。俺が行こう。他の二人はここで待機してくれ』
声を変えての一人芝居。
そんな事とはつゆ知らず屋上の見張りの一人がそう返事を返してシュウのいるドアへと向かってくる。
シュウは一旦階段を降りて下への階へと退避。
やがて、ドアが開き見張りが一人階段を降りてくる。その歩みは急ぎ足で警戒も疎かだ。
明らかに合流を急いでいる動き。それ故に階段の中間の折り返し地点。振り返って見える新たな下りの階段の先に見知らぬ人間がいる事等想定していなかった。
浮かべる疑問と驚きの顔。その表情通りの内心が彼の行動を麻痺させる。
一方のシュウは見張りが折り返し地点から姿を見せる前から既に投擲の動作に入っていた。
見張りが先の表情を浮かべたのとシュウがナイフを投じたのはほぼ同時。
そのままナイフは相手の顔面へと深く突き刺さり、遺体となった男は崩れ落ちた。
遺体に近づきナイフを抜き取る。
抜き取った反動で血が溢れ出し、それが赤の池を作り出すが、既にシュウは遺体から離れている。
手には見張りが持っていた銃。離れる際に回収した。
そうして彼は階段を登り、先程同様に異能でドアの向こうを伺う。
ドアの向こうでは残ってた二人が大人しく見張りを続けている様子が知覚できた。
けれども、それも最初のうちだけ。しばらく経っても何の音沙汰もないとなるとさすがの彼らも不審がり始める。
そうなれば当然、通信機で連絡を取ろうとする訳だが、無論の事相手からの返事はない。
シュウも奪った通信機に出る事もなく、ただ音のボリュームを消して呼び出し音が外に漏れないようにしている。
業を煮やした彼らは遂には仮眠室で寝ているはずの仲間を起こそうとするが、そちらも音信不通。
ここに至ってようやく彼らは事の異常さを理解した。だが、時既に遅し。
既に八人もの味方が連絡不能状態に陥っている。最悪の事態だと仮定するなら今いる二人だけで現状を打開しなければならない。
そうして彼ら二人が選んだのは移動。とにかく詳細を確かめるための屋内に戻ろうというものだった。
そうして見張り二人がドアへとやってくる。
中に入ろうと一人がドアノブに手を伸ばした――その瞬間。
その向こう側で銃を構えていたシュウがその引き金を引いた。
彼らの用いていた銃は多少の厚みならば、それを貫通して弾を届かせるだけの威力を有している。
それは当然、このドアでもだ。
銃弾がドアを貫通し、その向こうにいる見張りへと襲い掛かった。
気構えていたとは言え、知覚外からの射撃に正面に立っていた一人は反応できない。
そのまま彼は蜂の巣状態となって横たわる事となった。
一方、そんな相方の最後を見てもう一人の見張りが反撃の射撃を放つ。
彼の放った銃弾は先程と同様にドアを貫通するが、何かに当たった手応えはない。
慎重にドアを開けて確認してみると、やはりもぬけの殻。どうやら射撃直後に階段を降りたらしい。
そのまま追うべきか。それとも後退するべきか。
どちらにすべきか悩む見張りだったが、よくよく考えてみれば最早この場所に拘る理由がない事に彼は気が付いた。
盗賊団は既に壊滅の有様だ。戦力は既に自分一人のみが残っている状態で逃走を罰する存在等どこにもいない。
ならば、ここは逃走を選んでも問題ない。敵に一杯食わされた腹いせは返したい所であるが、それも命があってのもの。
故に彼は別の階段から降りる事を選んだ。
動きは早足、けれども、慎重に周囲を警戒する。
どこに敵が隠れているかはわからないが、だからこそ、早くここから出たい。
そんな内心が現れた動きだ。
当然、そんな彼の動きはシュウに捕捉されている。
音越しに聞こえる足音はぎこちない。緊張で力加減がスムーズにできていないのだろう。
視線や体の向きは三六〇度を忙しなく向けながら進んでいるが、それ故に進行速度は遅い。それは本人も気付いているのだろう。無理やり作業速度を上げてペースを上げようとしているが、シュウの見た所、それで持つのは数十分が良いところだろう。
後は疲れで無意識にペースダウン。なら、ここは待つのがベストだろう。
方向から目指している出口の見当はついている。なので、シュウはそこへと先回りする事にした。
そうして数十分後――
予想していた出口に件の見張りがやってきた。
予想通り、疲労困憊の様子で警戒が最早形だけの有様だ。あれでは実際に襲われても体が反応しきれないだろう。
けれどもシュウは慎重に様子を伺う。
見張りは最後の気力を振り絞るように動かない体を無理やり動かして、警戒を続けている。
その視線が出入り口から漏れる月明かりに気が付く。
終わりが近い事に気が付き、体が最後の集中力を発揮する。
周囲を見回しながら一歩、さらに一歩と出入り口へと近づいていく。
焦っておざなりになる様子はない。
そうして見張りは出入り口へと辿り着く。
ドアノブを回してドアを開く。
視界に入ったのは見慣れた夜空と荒んだ町並み。けれども、彼にしてみればようやく辿り着いたゴール地点だ。
そうして見張りはこの場所から一秒でも早く立ち去ろうと全力で走り出し――そこをシュウの射撃に見舞われた。
彼が隠れていたのは二階。出入り口近くの窓の裏で待機していたのだ。
後は外に飛び出て気を抜いた所を狙い撃ちするだけ。
見張りの表情に驚きはない。あるのは歓喜の表情。どうやら襲撃に気付く前に事切れたようだ。
一階に降りて死体を確認。それが完了すれば目的は達成である。
大きく息を吸い込んで吐き出す。
夜の冷たい空気が熱を持った体を、火照った精神を冷ましていく。
体温が周囲の熱と同化していくようなそんな感覚。
そんな感覚を感じながらシュウは歩き出す。
少し進めば仲間が隠れて待機している地点に辿り着く。
後は彼らの操る車両に乗って帰ればいい。帰る間は寝ることもできるだろう。
夜風がシュウの髪を撫でる。
砂混じりの風に彼は目を細めながらも足は止めない。
こうしてシュウは任務を終え、帰途についたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
Scene:1「異能」:完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます