大混乱

 王国と言う国は複雑な力関係の上に成り立っている。

 それは権力であったり、政治闘争であったり、謀略であったり、物理的な暴力であったり、金であったり――――何重にも重なる力関係が絡まり合った結果、それが却って強力な地盤となっているのである。


 ところが、近年の王国は外部から見れば大木のようにどっしりと安定して見えるが、長く続いた平和のせいかその内部は徐々に腐り始めてきた。

 それはまるで、食べ過ぎで肥満になった人間のように、身体が上手く動かず痛みに苦しみ始めたのだ。


 王国自身が自身の痛みと、その原因について理解し、改善に向かうのなら救いはあった。

 しかし王国は――――「勇者リーズ」を強力な鎮痛剤として乱用してしまったのだ。

 王国のありとあらゆる問題は、勇者リーズと彼女の仲間たちの活躍によって「なかったことになった」ように見えたが、実は根本的な解決には至らなかった。

 そして今、王国は勇者リーズという鎮痛剤を失い、忘れていた痛みが表面化し始めたのであった。


 王国の地盤をしっかりと固めてきた諸々の力関係は、今やバランスを崩して揺らぎ始めていた。

 そしてそこに、王国のバランスをさらに傾ける存在が現れた…………



「聞いたか、あのリシャール公子が病から回復したらしいぞ」

「噂では衰弱が激しく、もう助からないと聞いていたが…………なんでも第三王子殿下の伝手で治療できる術士が確保できたとか」

「勇者様や仲間たちと戦った記憶が失われているらしい。だが、あの忌々しく大きな態度が鳴りを潜め、絵にかいたような好青年になったともいうぞ」

「あれは影武者なのだろうか? だとしても質の悪い冗談にしかならんぞ」


 先日、第三王子ジョルジュと共に公の場に姿を現したリシャールは、今までの傲慢っぷりが嘘のような「真人間」になっており、その様子が王国貴族の間で物議を醸し出していた。

 初めのうちは、会場にいた人間を除く誰もが「そんなバカな話があるか」と一蹴したのだが、いざ王宮に姿を現して人々と交流を重ねるうちに、その噂が本当だということを認めざるを得なかった。

 ある貴族が言っている通り、そのあまりの豹変ぶりに「リシャールを失ったエライユ公爵家が苦し紛れに影武者を用意した」と考える者さえいたという。



「なんなのだあれは?」


 王国の一角にある執務室で、グラントが机に突っ伏しながら額を揉んでいた。

 リシャールが模範的な貴族として生まれ変わったことは、本来誰もが歓迎すべきことなはずなのに、彼は心から喜ぶことができなかった。

 むしろ、これがさらなる厄介事を引き込むと直感で強く感じたのだった。


「第三王子が何かをたくらんでいることは見当がつく。しかし、何をしようとしているのか、その意図が見えてこないぞ。これほど気持ち悪いことがあるか」

「全くですね…………いっそのこと、ボイヤール様かアーシェラさんに手紙で相談してみます?」

「いいや、幾らなんでもそれはあんまりだ。ボイヤールならまだしも、アーシェラは特段王国の内部情勢に詳しいわけではない。彼を困らせるだけだろう」


 そうは言うが、グラントも内心では「アーシェラなら解決の糸口を見つけるのでは?」と感じているが、グラントにも王国の重鎮としてベテランならではのプライドがある。

 プロが素人に相談して解決するなどしたら、今後は恥ずかしくて二度とと赤絨毯の上を歩けないだろう。

 幸い、グラントの執務室には彼が心から信頼する部下が、リーズの兄リオンを含めて数人ほどいる。いい機会なので、意見を出し合うことにした。


「まず、リシャールが公の場に戻ってきたことで、第三王子の派閥が勢いづくだろうことは間違いない」

「すると、第二王子派にとっては面白くない状況になりますね。最近はただでさえ第三王子殿下が存在感を増してきているのに、この上後ろ盾が盤石になれば、せっかく第一王子から奪った次期国王の座も確実なものとできないでしょう」

「第三王子殿下自身は次期国王の座に興味はないと公言していますが、どこまで本気なのやら…………かといって、本気を出して次期国王の座を奪いに来ているかと言えば、そうでもないような気がしますね」

「いずれにせよ、これでますます第二王子殿下が荒れますな。最近では何やら色々よくない噂が流れておりますし、貴族内の不安も増すばかり」

「下手をすれば、勇者様への批判が再び増すことにもなりかねません」


 そもそも、最近第二王子派がさらに勢いを増したのは、セザールのライバルともいえるリシャールが失脚したことが大きな要因の一つだった。

 それがいつの間にか戻ってきたと思ったら、素なのか演技なのかわからないが、立派な貴族として勢力を盛り返そうとしているのだから、セザールとその一派には面白くないだろう。


 セザール自身も、最近ではよくない噂が流れ始めている。

 勇者リーズがいつまでたっても帰ってこないせいで、年末から年始にかけてのセザールは、それはそれは大荒れだった。

 かつてシャストレ伯マトゥーシュの婚約者だった女性が、見るも無残な姿で実家に戻ってきた事件があったが、それ以降も身近な女性や部下たちに当たり散らすことが多くなってきたらしく、背後にいる大貴族たちは対応に苦慮していた。


 そこで、彼らは第二王子の醜態をこれ以上晒さないために、毎日のように公式非公式を問わず豪華なパーティーを開いて、彼の関心を勇者から逸らそうとしている。

 彼らの努力の甲斐あって、セザールはしばらく勇者リーズへの関心が薄れているようで、昨月まではほぼ毎日のようにグラントの執務室に突撃してきたセザールが、今ではすっかり後宮に入りびたりになっている。

 しかしこのままでは、第二王子は暗愚化一直線…………大貴族たちは時間稼ぎをしている間にも、何としてでもリーズを見つけてほしいとグラント達に頼み込んできているのだった。


「注意すべきは第二王子派の反応だな。これでもし王国が内戦に突入するのなら、最悪なケースと言ってもいいだろうが…………幸い軍の掌握はかなりの段階まで進んでいる。これ以上王国民が苦しむようなら、予定の前倒しも視野に入れてよう」


 現段階では判断材料が少なすぎると感じたグラントは、今後の王国への影響を少しでも早く計算し、本命の計画を調整することを決定した。

 ただでさえ忙しい彼に、更なる仕事の山が降り注ぐことになるだろうが、今は気合で突き進むほかない。


 ところが、そんなグラント達の執務室の扉が控えめにノックされた。


「失礼します、グラント様。手紙を預かっております」

「私宛に手紙? いったい誰から……ん?」


 文官から手紙を受け取ったグラントは、部下たちの前で読んでみたが、差出人あまり知らない人物であったため、初めは首をひねっていた。

 しかし、その内容がただ事ではないことに、すぐに気が付くことになる。

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