―王国情勢Ⅳ― 加速主義者

心の病

 王都アディノポリスの北方に位置するエライユ公爵領は、王国六公爵家のなかでも最も裕福な領土として知られている。

 その収入と擁する私兵の数は、王国第一王子のそれにも匹敵すると言われており、この公爵家の支持なくして王位を得ることは不可能とすら言われているほどだ。


 また、この家には幾度となく王家から女性が嫁いでおり、公爵家の男子は、遠いながらも王位継承権も持っている。

 まさに、王国貴族の筆頭と言っても過言ではない権威を持つエライユ公爵家だが…………このところ、その権威に急速な陰りが見え始めている。


「リシャール様は今日も、お食事を殆どお召し上がりになりませんわ」

「あの様子では長くはないかもしれませんね」


 公爵領の中心に位置する、要塞並の規模を持つ豪奢な館の一角。

 そこでは、公爵家の女性使用人二人が、ベッドでうなされている男を横目に、盛大にため息をついた。


 勇者を連れ戻すと高らかに宣言し、黒騎士と聖女を伴って意気揚々と出かけたはずのリシャールは、ある日突然、王都にある公爵家の館の玄関で昏倒していた。

 何が起きたか訳が分からなかったエライユ公爵とその配下たちは、医者や神官を呼んで彼を目覚めさせるも、リシャールは何かひどい目に遭ったらしく、終始怯えるだけで何も語らなかった。


 とりあえず治るまで公爵家の館で養生させようとしたが、症状はよくなるどころか日に日に悪化するばかり。

 特にひどいのが、料理を見ると理解しがたい奇行に走ることだ。

 どんな豪華な料理を運んで行っても、一口か二口食べると突然わめき出して床に捨て、その後すぐに床に捨てた食べ物を皿に戻そうとしたり、場合によっては捨てた食べ物をその場で手掴みで食べ、また吐き出す始末。


 しかも、わざわざ見舞いに来てくれた貴族令嬢たちの前で、それをやってしまったのだからさあ大変。

 リシャールが発狂したという噂はたちまち王国中に知れ渡り、公爵家は慌てて彼を自分の領土の館に軟禁してしまったのだ。


「困ったものですね。かつてのかっこよかったリシャール様なら、あんなお世話もそんなお世話も喜んでして差し上げられたのに、これでは老貴族の介護の方がましですわ」

「しーっ……聞こえてしまいますよ」

「聞かせて差し上げているのです。どうせもう会話なんかできやしませんから――――それに、今は専任のがいるのですから、私たちがいる意味があるのかも怪しいところですわ」


 二人の侍女が手を動かさずヒソヒソ話に明け暮れる目の前で、本来の彼女たちの仕事を代わりに甲斐甲斐しく行っているのは…………黒天使アイネの友人で、先日カフェテラスでマリヤンとも会話していた女性、ミルファーだった。


「ああ……リシャール様、これほどまでにおやつれになられて、可愛そうに…………。ふふふ、大丈夫…………ですわ。あの頃の元気を取り戻すまで、私はいつまでもお世話いたしますから」


 リシャールに対して病的なまでに心酔するミルファーは、年を越してからさらに衰えてゆく愛しき人の姿が心配でならず、こうして昼夜問わず付きっきりで看病していた。

 彼女もまたほとんど寝てもいなければ食事もとっていないのか、髪も肌もボロボロで頬もやせこけ、まるで幽鬼のようになりつつあった。

 リシャールの何が彼女をここまで駆り立てるのかは定かではないが、公爵家にとっては有難半分迷惑半分といったところだろう。


(さっさと元気になるかくたばるか、どっちかにしてほしいわ………)


 食べ物を拒絶するリシャールを刺激しないよう、震える手でちまちまとスープを口に移し、少しでも飲んでくれれば気味の悪い笑みを浮かべるミルファーを見ている侍女たち。

 何かあったときのために見張る必要があるとはいえ、連日この光景を見せられてはたまったものではない。


 早くこの状況を打破してほしい…………侍女がそう願ったのを、何者かが聞き届けたのだろうか。

 この日は珍しく公爵家に来客があった。

 それも、ここに来るはずのない人物が…………




「邪魔するぞ、リシャール。しばらく見ないうちに、すっかり痩せてしまったようだな」

「……っ!! 第三王子殿下!?」


 重厚な扉を開けて入ってきたのは、何人ものお供を連れた第三王子ジョルジュだった。

 元々リシャールの実家であるエライユ公爵家は第三王子派閥なので、彼自身もジョルジュとは(表向きは)親しい間柄ではあったが、彼のプライベートまで踏み込んでくる間柄ではなかった。

 それゆえ、わざわざ周囲の反対を押し切って見舞いに来るのは、前代未聞と言えた。


「ミルファーよ、そなたはここ数日一歩も館を出ず、リシャールの面倒を見てくれていると聞いている。一人の友人として、頭の下がる思いだ」

「そんな……リシャール様は私にとって何よりの恩人であり、尊敬すべき人です。リシャール様がからと言って見捨ててしまう、薄情な女たちとは違いますから」


 ミルファーの言葉を聞いて思わず「冗談だろう」と吹き出しそうになるジョルジュだったが、そこはぐっとこらえた。


「そなたの言う通りだ。リシャールは今後も王国にとってなくてはならない重要な人物………」

「ええ! 殿下はわかってくださるのですね!」

「それゆえ、いつまでも病に臥せっているというのは王国にとっての損失だ。聞けば、リシャールの病は神殿の名医ですら治せない重いものだという。だが、私は王家故に独自の医者の伝手があった。今回は特別に、リシャールを直せそうな者を連れてきてやったぞ」

「本当、ですか…………! リシャール様は、またお元気になられるのですか、殿下っ!!」


 リシャールは、連れてきた十数人のお供の中の一人に目配せすると、黒一色のコートを羽織り、なぜか手に蠟燭が乗った燭台を持っている長身瘦躯の男が一歩前に出た。


「お初にお目にかかります。私は、アイヒマンと申します。私は「心の病」の専門家…………」

「心の……病?」

「そうだ。王家のような日々重責に追われる人々は、その重圧に耐えかねて心を病む者が多い。彼はその専門家だ」


 この時代は当然「鬱病」という概念は存在せず、精神疾患は聖職者ですら治療ができない不治の病とされていた。

 だが「心の病」という概念はひそかに共有されており、アイヒマンはそれを治療する専門家だと言われているのだが…………


「さ、アイヒマン殿。リシャール公子を見てやってくれ」


 ジョルジュの傍に控えるお付きの筆頭には、あの邪神教団の残党筆頭であるコドリアの姿があった。

 それゆえ、彼の出自もお察しであった…………

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