―騎士の月1日― 朝陽は昇る
朧気
気が付くと、アーシェラはいつもの家とは違う――――やや粗末な石組みの壁の家の中にあるベッドの上にいた。
周囲の様子はどこか朧気ながら、彼はここがどこかなんとなくわかる気がした。
「僕が住んでいた家…………故郷が崩壊して、逃げ延びた先でようやく住むことができた家…………とすると、今の僕は……」
見覚えがある殺風景な家は、まだアーシェラが冒険者になる前に住んでいた場所だった。
そして、なんとなく自分の両手をじっと見ると……いつも見ている自分のそれと比べ、とても小さく頼りない。
ちょっと不思議な感覚に戸惑いを覚えたものの、アーシェラはすぐに自分が空腹であることに気が付いた。
(そうだ、母さんは……)
さほど広くない一軒家の中で、母親の姿はすぐに見つかった。
机の向こう側、そこだけ色々と物が置かれた狭苦しいかまどの前には…………
「あ、おはようシェラっ♪ 今日も起きるの早いね、よく眠れた?」
「リーズ……かあさん?」
ボロボロの衣服と年季の入ったエプロンを身に着けた、紅髪の女性――――リーズがいる。
ただ、いつものリーズとは異なり、ツインテールではなく、長い髪をサイドで垂らすように纏め、アーシェラがしている髪留めで結っている。
しかし、そもそもリーズはアーシェラの母親ではなく……かといって母親の髪の毛は紅色ではない。
いよいよもって何か変だと感じるアーシェラ。だが、彼の思考はもやがかかったように不明瞭で、リーズが自分の母親になっていることが、なぜか当然のような気がしてきた。
「あの……お母さん。僕も朝ご飯手伝いたい」
「ふふっ、気持ちは嬉しいわ。でも、シェラはまだ子供なんだから、無理しなくてもいいのよ?」
「だって…………」
(そうだ…………母さんは、そう長くないうちに、いなくなってしまう。あれ? でもリーズ……母さんは? いやでも、この先僕が一人ぼっちになったら…………)
アーシェラはなぜか、母親がもう数年もしないうちにいなくなってしまうことがわかってしまっている。
だから、この先一人でも生きていけるように……そして、母親から一つでも多くのことを受け継ぎたいから…………今のうちにやれることをできる限りやっておきたいと考えるのは、やはりアーシェラが生まれ持っている素質のようなものなのかもしれない。
「そんなにお手伝いしたいの? しょうがないわね……じゃあ、そこにある小さい壷持ってきてくれる?」
「小さい壷……これ?」
「そうそうそれそれ!」
アーシェラが壷の中を覗くと、白く粘りつくような、ほぼ固体のような液体が入っていた。
彼がそれをリーズに渡すと、リーズは壷の中身をスプーンで数杯鍋の中に投入した。
「母さん、それは……?」
「ふふふ、これはね……お鍋を美味しくするための魔法の食べ物なの。お母さんのお料理は、これがないと始まらないわ」
(母さんの料理…………魔法の、食べ物……)
母親が鍋の中に入れたものの正体が何かはわからない。だが、アーシェラはこれを忘れたら、後で取り返しのつかないことになると本能的に感じた。
(母さんがいなくなったら、もう……母さんの料理が食べられなくなる……)
アーシェラは急にとても悲しい気持ちになり、母親になっているリーズに背後から抱き着いた。
自分よりも大きいが、どことなく小さく感じる母親の背中――――このまま行かせてなるものかと、アーシェラは必死に腰のあたりにしがみついた。
「シェラ……いいよ、今はたくさん甘えて。ううん、私にはずっと甘えていいんだよ♪」
「でも、母さん……僕は」
「大丈夫、お母さんはもういなくなったりしないから。ね?」
必死にしがみつくアーシェラを、母親リーズは邪魔と思うどころか、しっかりと正面に向き合って受け止めた。
わざわざ小さなアーシェラに合わせるように体をかがめ、胸の中で受け止めるようにしっかりと抱きしめたのだった。
(リーズの香りがする…………心地いい、安心する香りだ。ああ、そうか……これは夢か。ふふっ、リーズが母親だったら、子供はきっとすごく幸せだろうね)
朧気な夢の世界が、母親の懐の中でさらに虚ろになっていく。
夢の世界が消えていく……アーシェラはちょっとだけ名残惜しく思ったが、決して悲しくはなかった。
夢から覚めても、きっと幸せな日々が待っているのだから。
×××
「……? 顔が、冷たい?」
年明け最初の一言とともにリーズが目を開けると、家の中は完全に真っ暗だった。
リーズは自分がなぜこんな時間に起きてしまったのか、そしてなぜいつもはホカホカな頬がこの日はやけに冷えるのか、目覚めたばかりで冴えない頭で暫くぼーっと考えていたが――――
「そっか。リーズ、シェラと一晩中ダンスした後、そのまま二人で一緒に寝たんだっけ。しかも、シェラはすっごいへとへとになって、リーズより先に寝ちゃったから…………あっ」
リーズはようやく、寝る前までずっとぶっ通しで踊っていたことを思い出した。
そして、いつもなら、夜の営みの後に甘えん坊のリーズがアーシェラの胸元に顔を埋めて眠るのに、前日はアーシェラが先に寝てしまったため、いつもとは逆にリーズがアーシェラを抱えて眠ったことも思い出す。
リーズが自分の豊かな胸元に目をやると、アーシェラがいつもリーズにしているように……谷間に顔を埋めて、甘えるように抱き着いていた。
「えへへ♪ もう、シェラってば、甘えん坊さんなんだからっ。…………いいよ、今はたくさん甘えて。ううん、私にはずっと甘えていいんだよ♪」
大の大人の男が、自分よりも年下の女性に甘えているというのに、リーズはアーシェラを嫌らしいとは全く思わなかった。むしろ、リーズにとっていつも自分より大人のように見ていたアーシェラが、子供の用に甘えてくれるのを見て、可愛くて愛おしいとさえ感じた。
(なんだか、リーズがシェラのお母さんになったみたい。シェラ……どんな夢を見てるのかな? リーズの夢を見てたらいいな♪)
夢の中でも、アーシェラは自分と一緒にいてほしいから……リーズはより強く、アーシェラの顔を抱きしめる。
ただ、アーシェラの生暖かい寝息がリーズの胸の谷間に入り込むことで、もう大人の身体になっているリーズは、徐々に妙な気分になり始めた。
「そういえば、昨日はシェラと…………したっけ?」
何をとは言わないが、リーズは丸一日寝ていたせいか色々と溜まってきたようだった。
だが同時に、減ったままの物もある。
リーズのお腹が、キューっと可愛らしい叫び声をあげたのだ。
「あ、あぅ……そういえば今夜のどれくらいなんだろう? 急にお腹がすいてきた」
「リーズのお腹の音!? ま、魔法の食べ物は!?」
「うわぁっ!? シェラ!?」
リーズのお腹の音に反応したのか、今まで穏やかな表情で寝ていたアーシェラが目を覚まし、ガバっとベッドから起き上がった。
そしてその勢いで、ついでにリーズの体まで一緒に持ち上がってしまい、彼女もまた素っ頓狂な叫びをあげたのだった。
新年早々、何かとあわただしい二人であった。
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