練習
「う~ん、今日もお星さまが可愛いなぁ~」
冬の長い夜が始まり、今日も見張り台ではアイリーンが星空を眺めつつ、見張りと編み物をしていた。
「こんな日は私も、誰かとお茶会したいけれど~……ん、あれは村長? まだ家に帰っていなかったのかしら~」
そんな彼女は、この日とても珍しいものを目にした。
アーシェラが非常に慌てた様子で、全力疾走していたのだ。
「いけないいけない………話し込んだらすっかり遅くなった! リーズがお腹を空かせて困っていなければいいけれど……」
男性たちの集まりは、ティムの話をきっかけに大いに盛り上がったせいで、気が付けば夕陽が完全に沈んでしまうまで続いていた。しかも、彼らがそれに気が付いたのは、ユリシーヌが集まりの場所であるブロス一家の家に帰ってきたからだった。
アーシェラはこの時間になってもまだ夕食の準備をしていなかったことに気が付き、夕飯を楽しみにしているであろうリーズを待たせないために、全力疾走しているのである。
女性たちのお茶会のためにお茶菓子をたくさん用意しておいたため、すぐにお腹がすくということはないかもしれないが、リーズが空腹で苦しむのがアーシェラにとって最もつらいことの一つ…………アーシェラの焦りは尋常なものではなかった。
「くっ、こんなことなら家を出る前にある程度下拵えをしておくべきだったか…………ん? この香りは…………?」
高台にある家に向かう最後の坂道を、アーシェラが息を切らせながらダッシュで駆け上っていくと、自分の家がある方向から、ほぼ毎日のように嗅いでいるおいしそうな匂いが漂ってきた。
小麦粉やバター、ミルク、それにお肉と野菜と香辛料がいくつか混ざった……アーシェラ大得意のシチューのにおいがした。
「ただいまっ! リーズ……?」
「あ、シェラっ! おかえりなさーいっ! えへへ、今ご飯作ってるから待っててね♪」
アーシェラが家に戻ると、台所からリーズの声が聞こえた。
台所では、いつもアーシェラが使っているエプロンを着用したリーズが、お玉を片手にシチューをかき混ぜていた。
「ごめん、リーズ……遅くなった。しかも、夕ご飯まで作ってくれたなんて…………」
「いいのいいのっ! リーズはシェラの奥さんなんだからっ! たまには任せて!」
「も、もしできることがあったらすぐに手伝うよ!」
「じゃあ……お皿の用意をお願いしていいかな? あと、ちゃんと手を洗ってきてね、シェラっ♪」
「あ……あぁ」
いつもとは逆に、台所で夕飯を作っているリーズに笑顔で迎えられたことに、アーシェラは非常に面食らって、暫くこれが現実なのかと不思議がるほどだった。
だが、それと同時に…………今までなら想像すらできなかった幸せも感じ、アーシェラはドキドキを抑えられなかった。
(ははは…………リーズがいつも僕に抱き着いてくる理由が、やっとわかったかもしれない。好きな人が家で待っててくれて、笑顔で迎えてくれるのがこんなにうれしいなんて…………)
今までは迎える側だったし、これからもずっと迎える側だと思っていたアーシェラは、改めてリーズと結婚できてよかったと心の底から思った。
手を洗って、リーズを手伝うためにお皿を並べて、最後にリーズが作ってくれたシチューとハンバーグ、それにデザートのリンゴを並べる。どれもこれも、リーズが大好きなもので、かつアーシェラがリーズに作り方を教えた彼女の得意料理――――一口サイズに切られたリンゴも、若干不格好ながらも皮がきちんと兎の形になっていた。
「これをリーズが全部ひとりで……! すごいじゃないか!」
「ほんとはね……シェラみたいに、付け合わせのサラダとかも作りたかったんだけど…………」
「いやいや、あれは僕も時間がある時にまとめて作ってるものだから、そこまで無理をする必要はないよ。それよりも、リーズが作ってくれたことが何よりもうれしいんだ…………僕は、リーズがお腹を空かせて待ってると思って、急いで帰ってきたのにね……」
「えっへへ~、シェラが忙しくなったときはリーズにも任せてねっ! あ、でもやっぱりリーズは、シェラが作ってくれる方が嬉しいかなっ!」
こうして二人は、いただきますの合図とともに、いつも通りの時間に夕食を食べ始めた。
(シェラが喜んでくれた……えへへ、よかった♪ シェラはいつもリーズのことをこんな気持ちで迎えてくれたのかな? だったら嬉しい……)
少し前のリーズなら、料理を作ってくれるのはアーシェラの役目だと考えて、アーシェラが帰ってくるまで空腹でも我慢していただろう。そしてアーシェラも、そのことに何の疑問も思わず、遅くなっても急いでリーズのために夕飯を用意しただろう。
それはまるで、母と子のような関係だった…………けれども、リーズも結婚して大人になったからか、考え方が変わってきたのだろう。
「うーん、やっぱりちょっと何か物足りない、かなぁ……。ねぇ、シェラ……なにがダメだったのかな?」
「いや……シチューもハンバーグも、十分よくできてると思うよ。しいて言うなら、ハンバーグはお肉のコネ方で火の通り方が違うから、それが原因でいつもよりかんだ時にスカスカになっちゃうのかもしれない」
「そうなんだ! むむむ……リーズもまだまだ練習しなきゃっ!」
「うん、期待しているよ。練習と言えば、今日も……踊りの練習の相手、お願いするよ」
「もちろんっ! 今日はお茶会で、ミルカさんやレスカにいろいろ教えてもらったから、シェラがもっとうまく踊れるようにしてあげるねっ!」
アーシェラが踊りの練習中なら、リーズも料理の練習中といったところだろうか―――――
お互いがプロ級なので、同じくらいの力量になるのはそう簡単ではないかもしれないが、この二人が教え合えばきっと簡単にものにしてしまえるだろう。
「最初はね……シェラに夕飯を作ってもらうのを待ってようかとも思ったんだけど、夕ご飯が遅くなっちゃうと、寝る時間が少なくなっちゃうと思って」
「ええと……夕飯が遅れると、寝る時間が少なくなるって言うのは…………」
「だって、シェラと練習する時間はいつもより少なくしたいから、お風呂の時間が遅くなっちゃうでしょ? でも、シェラと一緒にお風呂入る時間が短くなるのは嫌だから、シェラとの
「巡り巡って寝る時間が少なくなるのか…………なるほど、リーズの言う通りだ」
リーズにとってアーシェラと楽しく過ごす幸せな時間が少なくなるのは何が何でも嫌なので、巡り巡って睡眠時間が少なくなってしまわない様に、自ら夕飯の支度を始めたのだという。
良くも悪くもリーズらしい理由ではあるが、アーシェラは自分と共に過ごす時間を減らさないように頑張ってくれたことがさらに嬉しかった。
「…………よし! 今夜もリーズとの練習、頑張ろう!」
「えへへ、よろしくね、シェラっ!」
リーズがここまで期待してくれるのだから、全力で応えなければ――――
気持ちを新たにしたアーシェラは、リーズの作ってくれたハンバーグをいつもよりやや大きめに切り分けて、口の中に入れた。
(リーズのハンバーグも、きっと今よりもっとおいしくなる。僕がリーズにダンスを教えてもらったように、リーズが望むなら美味しい料理の作り方を教えてあげたい)
アーシェラ自身が作るものとは比べるまでもないが、それでもリーズが心を込めて作ってくれたのはよくわかった。
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